ジイジ誕生!~ 共に生き、豊かな人生を歩んでいきましょう

5月3日はいさどんの誕生日!この日、67歳を迎えたいさどんのお祝いにたくさんの人々が集い、誕生祭が開かれました。誕生祭の場で、いさどんは創立以来みんなに呼ばれ親しまれてきた「いさどん」という名を手放し、新たな名前を発表しました。その名は、「ジイジ」

人の名には、とても深い意味が秘められています。「いさどん」が「ジイジ」に変わるということは、大きな転換を示しています。(「ジイジ」の名の意味については、ジイジブログ『「いさどん」から「ジイジ」へ〜2018年5月3日 67歳の誕生日を迎えて』をご覧ください。)

以下、笑いあり、涙ありの誕生祭のようすを、写真とともにお伝えします。ジイジの挨拶、メンバーたちの言葉、そしてメキシコの太陽マヤ族最高司祭・尊母ナーキンさんからのメッセージなどを、どうぞご覧ください。


 

ジイジの挨拶
時代は確実に、大質的転換をします

今日、67歳の誕生日を迎えました。私が生まれたのは午前3時、方位で言えば艮の方角の時刻です。
67年間、いろいろなことがありましたが、良い人生でした。ここに至るまでのたくさんの困難は、すべて肥やしとなり、ここまでの歩みを助けてくれました。さらにそれは、これからの人生の糧となっていくことを確信しています。

私は子どものころから、少し変わった子どもでした。自分でもそう思っていました。私の人生は、いつも何かが湧いてきます。湧いてきた時点で、それがどこから来たものなのかはわかりません。自分がこのような生き方をすることをまだわきまえていなかった時には、自分が理解できない出来事を与えられ、苦しんだこともありました。自分は精神分裂病なのではないかと思っていた時期もありました。しかしそれが病気ではない証として、理解できなくともその出来事をいただき、進んでいくと、必ずその先に答えがありました。
そして私は、自分の人生の答えを自分で決めることを、やめました。それは、先へ進んでみて、いただくものだからです。

人生を振り返ると、たくさんの物語があります。とてもここでは語り切れません。しかしこの不思議な人生を歩んできて、今ここで、その答えに出会っています。67歳の誕生日をもって、いよいよ人生の最終章が始まります。
私は人生の折り返し地点である40歳の時に、自分の欲で生きることをやめました。経営していた会社をたたみ、この生き方を始めました。その歩みの元は、天の意志です。天が私にメッセージを与え、いかに自らの自我を越えて、その天の意志に忠実に生きるかということをやり続けてきた結果、今があります。
たくさんの出会いをいただきながら進んでいく中で、私はいったい何のためにこの人生を生きているのかということが観えてきました。それは、この世界に「美しい」を表現するためです。それが私の人生の目的であることがわかってきました。今の、正しいことが間違いとなり、真実を見失ってしまった世の中で、いかにそれが必要であることか。私の人生は、世の中の様々な問題ごとをひも解くためにある。そして、人々に真実に目覚めてもらうためにある。そのような人生を歩んできましたが、今日、67歳の誕生日を機に、その人生を白紙に戻し、最終章となるこれからの人生を歩んでいきます。
これからは、なぜ今のような世の中があるのかということをひも解いていきます。同時に、このような意識が地球上に現れたということは、いよいよ質的転換を持って次の時代が地球上に現象化されることの証です。これからお伝えしていくことは、地球上だけではなく、宇宙にも霊的に発信されていくことを確信しています。

皆さん、見ていてください。時代は確実に、大質的転換をして、大きく変わります。その時に、今までのような地上的・人間的な意識では、新しい時代に付き合っていくことができません。私たちは、これから宇宙時代を生きる魂です。ここにいる皆さんだけではなく、人類すべてがそうです。それを人々に求める時代が来たのです。
いつの時代も、人間がこの世界を創っているということはありません。どんなに優れた人々も、その時代の要請により、役割を果たしているだけなのです。トキの流れの中で、現象化という宇宙創造の仕組みの中に、役割として現れ、一人ひとりがその時代に必要な役割を担っています。
これからの時代は、一人ひとりがしっかりと立ち、自らのオリジナルな個性を存分に活かし、役割を果たすことによって、地球生命生態系や太陽系、銀河、銀河群、大宇宙のように、すべてのものが連携した大調和のもとに、ひとつの世界を表現していく時代に入ります。その時に、小さな小さな存在である自らのクセは、個性としてこの世界に役立ちます。どのような人格であっても、使い方によって、有益にも、無効なものにもなるのです。
ですから自らの人格のひどさを見て、自信をなくしてはいけません。それは使い方が間違っているだけです。それを、今の地球人、現代社会の人々に、これから伝えていく必要があります。
私は今日から、「ジイジ」と名乗ります。「ジイジ」とは、それを示していくということです。

今日、この誕生祭の場が始まった時に、何か違和感がありました。これまでの人々は、このような場所を持って、個性的な道をつぶしてきたのです。「人はこのようにあるべきだ」という経典をつくり、その経典に倣って生きていくことが正しいのだという世界をつくってきました。
これからの時代は、そうではありません。私は今、ここにこうして立って話しています。しかし、皆さんのリーダーではありません。この節目の時に、私が到達した境地を、情報として皆さんに伝えているだけです。それを皆さん一人ひとりの意志として、独立したひとつの個性として、どう思うのか。
この世界に劣っている者は誰もいません。特別に尊い者もいません。すべて平等なのです。目に見えないバクテリアであろうと、野の獣たちであろうと、植物であろうと、みんなが平等に個性を発揮し、ネットワークを築き、この世界を創っているのです。ずっと昔、まだ人間が自然から命をいただいて生きていた頃には、人間もそのネットワークの一部として存在していました。天体の意志を受け取り、自然と対話し、生きていたのです。

新しい時代の扉を開くのは、ジイジだけではありません。一人ひとりが扉を開き、そのネットワークが次の時代を創ります。そこでは、みんなが平等です。
このことが今、この場から、霊的に発信されました。ここに今、たくさんの人々がいますが、霊的に発信されたということは、その意識レベルを持っている人々は、この場に居合わせなくても、気付いているはずです。そしてこれから、出会うことになるでしょう。その出会いのネットワークをこれから広げていくのです。
そのためには、今までの時代のように、「自分たちの考えを広げるのだ」と自己主張をする必要はありません。そういった主張を元に組織をつくる必要もありません。そう思えば、その心に共鳴するものと自然に出会い、自ずとことが成っていく。それが本来の時代の姿なのです。

木の花ファミリーは、世間の基準からしたらとてもマニアックで不可思議な場所です。この不思議なところが、新しい時代のひな型として、真実を示しているということを、この場に出会った皆さんは、どうぞ現していってください。私もその一員です。私は、自分が果たすべき役割を知っています。未来に、この役割を終えて旅立つ時、その時の精神の位置と、そこから向かうべき方向を知っています。それには確信があるのです。
今、この世界に生きる中で、ふっと湧いてくることが、現実として成っていきます。心が純粋になっていくと、人はそのように無駄のない思考をし、極めて的を射た日々を送ることができるようになります。見ていてください。これからますますそのように言葉を発し、ますます現象化をして生きていきます。
その時に、私は皆さんの師匠でもなければ教祖でもありません。これは、人の在り方のひとつの情報です。私の67年間と同じような人生を、皆さんは生きられないでしょう?それは私の個性なのですから。同じように、皆さん一人ひとりも個性的なのです。あなたの人生は、誰も生きられない。どうぞ皆さん、その人生を、有意義に活かしてください。絶対に役割があるから。それがこの世界で役に立つから、生まれてきているのです。

もしもあなたが自分の人生を見て否定的に思うならば、それはあなたがあなたの人生を活かしていないだけです。人生に迷っている人がいれば、ジイジは寄り添い、指針を与えてくれるかもしれません。しかし、最終的にあなたの人生をどうするのかは、あなたの責任です。
私たちは共に時代を築いていく役割をいただき、今、この場に集っていますが、魂の歩みはそれぞれ別々です。ジイジは、それを救おうなどとは思いません。人間が、他者によって「救われる」という発想から、自らの価値を高め、自らが自らを救済する時代が始まったのです。そこでは、自らが尊きものになる手段が、自らの手の内にあるのです。それが、人生の勝利者になるということです。

「尊き者を見つけ、そこに行き、救われるよりも、自らが尊き者となり、他を救える者となれ。これからは、一人びとりがイエスや仏陀であるぞ。」

これまでは、木の花という場所を維持することが目的でしたから、いさどんはみんな一人ひとりに寄り添ってきましたが、これからそのようなことはしません。ジイジはどんどんどんどん先へ進みます。後ろを見たら誰もいないかもしれません。それでもいいのです。その生き方、姿勢が大切なのです。
私は奇妙な話をしますが、これからますます奇妙な話をします。なぜなら、私たちは宇宙を司る大本の御霊の分身分霊であるということに、目覚める時代が来たからです。これを宗教と捉えてはいけません。当たり前のことに、当たり前の人々が目覚め、その精神の立ち位置に立つということです。しかしこれは、まだ人類が至っていない先端の意識です。そのことをよくわきまえ、自分は先頭を行く役割としてそれにふさわしい現象を起こし、指針となろう、という志で歩んでいただきたい。
もう、遅れてくる人には配慮しないからね。先に行っちゃいますよ!(笑)近ごろはみんなとの距離が離れてきて孤独を感じることもありますが、どうか皆さん、それに遅れることなく、いつもそばで、共に生き、物理的にも霊的にも豊かな人生を歩んでいきましょう。それを、心から願っています。

 

 


ジイジの挨拶の後、「はい!」と真っ先に手を挙げてマイクを取ったのは、創立メンバーのじゅんじいでした。


 

じゅんじいより

創立以来、縁の下の力持ちとして、“いさどん”と二人三脚で歩んできたじゅんじい

「いさどん」とは長い付き合いです。私が29歳の時に知り合いました。
えー・・・・・涙が出てきちゃうな。(目元をおさえながら)「ジイジ」って、すごくいい響きだと思います。私は「ジュンジイ」ですが(みんな:笑)、本名も「ジュンジ」です(みんな:爆笑)。ババジとか、ガンジーのように、尊い人を目指すということですね。
この間、いさどんのことをふと思っていたら、「大地球神」というのが浮かんできました。本当に、地球のために生きてるなあ、と。いさどんとは長い付き合いですが、だいぶ差ができました(笑)。それも私の人生だと思っています。でも私の心の中に、目指すものがひとつ、できました。やっぱり、そういう確実なものを目指して、これから生きていくということです。それは、自分に目覚めるということです。
今日は朝から、すごく楽しみにしていました。とても気持ちのいい日でした。いさどん、ありがとう。あ、違った、ジイジありがとう(笑)。みなさん、ありがとう。

 

あいちゃんより

“いさどん”とは一番長い付き合いのあいちゃん

私は、いさどんとは17歳の時からの付き合いです。最初は「古田さん」と呼んでいました。出会ってから、何年になるのかな?えーと・・・計算ができないくらい長い付き合いです(笑)。
長い間、いさどんの追い風ではなく、逆風になってきました。いさどんのやろうとしていることを、全然理解していませんでした。でも皆さんと一緒に暮らしてきて、今日、こういう場があって、これからジイジとはどういう付き合いになるんだろうと思いましたが、一人ひとりが立って、誇れる人生を生きていくことだと思いました。これからも皆さん、よろしくお願いします。
(ゲストの方が、「あいちゃんはすごい。私は何回生まれ変わっても、こういう人(ジイジ)とは結婚しない」と言うと)私は何回生まれ変わっても、こういう人と結婚します😊(みんな拍手!)

 

みかちゃんより

自身も大きな転換点を迎えているみかちゃん

私はここに来て14年です。7を質的転換とすると、2回質的転換をしてここにいます。なぜここに来たのかというと、それにはいろいろな次元の答えがありますが、物理的には人生が一度つぶれてしまい、ここへ転がり込んできました。
私は最初にここに出会った時、いさどんが怖くてここから逃げました。なぜなら、いさどんは心磨くことを説く人だからです。私は自分の中に汚れがたくさんあることを知っていて、心磨きを始めたらどんなことになるかが薄々わかっていたので、そこから逃げました。でも人生が行き詰り、ここへ帰ってきて、みんなと共に生きて、欠けたところを助けられながら、自分にしかできない役割をやらせていただいて、ここまで来ました。
今、自分自身を振り返り、艮の金神が「今の世は逆さまだ」と言っているように、私の心は真っ逆さまで、天ではなく地に向かっていたことを認識しました。この私という暴れ馬を、いさどんがどのような思いでここまで導いて来てくれたのかを、私は知りません。ここまで生きてきて、今ようやくそのことを知れるところまで来たのだと思っています。天に唾を吐くような人生であったことを正し、ジイジと肩を並べて歩んでいける位置に立たせていただきます。これからもよろしくお願い致します。

 

まりちゃんより

いさどんの“大修理”により、みんなの大きな力になってきたまりちゃん

私がいさどんと出会ったのは19歳の時です。縁が続いて、一緒に富士山麓へやって来ました。
ここへ来る前もいろいろな話をしていて、言葉で語るのは簡単ですから、さも自分が出来上がったかのようなつもりでここに来ましたが、来てみたら、あらびっくり!自我だらけの自分と向き合うことになりました。いさどんにはたくさんの手間をかけて、心のトレーニングを受けました。複雑な問答をくり返しながら、最終的にいつも教えられることは・・・(涙で言葉が詰まる)・・・己を忘れて、人のために生きる。どんな出来事をくり返しても、最終的にはそこを学ぶためにあるということを、教えられてきました。

めったに泣かないまりちゃんの涙
ジイジも思わず、もらい泣き

最近、自分の中に、言葉にはできない感覚があります。ああ、こういうことなのかな、という感覚が少しずつ湧いてきています。私も今日から、自分の立ち位置をしっかりと認識して生きていきます。おめでとうございます。

 

ちなっぴーより

天性の明るさで、まっすぐに歩んできたちなっぴー

もう、本当に、泣けちゃうというか、涙が出てきます。私がいさどんと出会ったのは、中学生の時です。その時は「おじさん」て呼んでました。短大を卒業して、これからどう生きていったらいいんだろうと思った時に、いさどんに相談に行きました。そうしたら、その時にいさどんが、こう言ったんです。
「これからおじさんはね、富士山のふもとへ行って、みんなで仲良く助け合って生きていく暮らしをしていこうと思うんだ。そこでは、本物の食べ物、本物の生き方を追求して生きていこうと思ってるんだよ。」
それを聞いて、それは素晴らしい!素晴らしい!!と思いました。さらにいさどんが「これから僕は、“お返しの人生”を生きていくよ」というのを聞いて、私もお返しの人生を生きていく!!!と思って、ついてきました。そうしたら、こんなに素晴らしい人生が待っていました。こんなに豊かで、こんな仲間たちに囲まれて、心を磨きながら生きていけるなんて、素晴らしい。これからは、私もジイジに負けないように、毎日筋トレしてます(笑)。これから、みんなの中で思いっきり質的転換して、人生悔いなし!と生きていきます!

拳を上げて、悔いのない人生を生きることを宣言!

 

その後も、メンバーたちが次々と思いを語りました。

いさどんと出会ったことで「人は学ぶために生まれてきた」ことを知ったえいこばあちゃん
子宮頸がんで死にかけて、奇跡の復活をとげたきょうこちゃん
生きている間に、人間が生きる本当の意味に出会えたと語るこうちゃん
涙、涙の連続で、次から次へと渡されていくハンカチ
自らが柱となっていくことに目覚め始めた男性陣
ゲストからもお花と手作りカードのプレゼント
みんなで一緒に、歌い踊ろう!

ずっと目の病気のためにサングラスを外せずにいたきたじゅんからは、「病気が治りました」というサプライズ報告もありました。「きっともう、病気が必要なくなったんだと思います」ときたじゅん。

 
そして最後に、偶然にもこの日届いたメキシコの太陽マヤ族最高司祭である尊母ナーキンさんからのメッセージがシェアされました。

太陽マヤ族最高司祭・尊母ナーキンさん

以下は、ナーキンさんがチャネリングをした言葉の一部です。2014年のマヤ新年を富士山麓で共に祝って以来、新たな時代を共に築いていく仲間として、木の花ファミリーと太陽マヤ族は交流を重ねてきましたが、この日がジイジの誕生日であることも、名前が変わることも知らないはずのナーキンさんから、こんなメッセージが届いたのでした。


 

ナーキンさんからのメッセージ

富士山は、銀河の中心から最も純粋な愛の周波数が降りてくる聖なる場です。富士山は、真の愛の純粋な振動を吸収する最大の力を持った地球におけるアンテナであり、それは富士山という体から地球という星全体に放たれます。
Mount Fuji is the holy space where the purest frequency of LOVE from the center of the galaxy descends. The Fuji is the planetary antenna of maximum power that assimilates the pure vibration of True Love, and from its body it is radiated to all the Planet Earth.

時の数学的収束において、わたしたちは天による愛の放射を活性化しています。その愛は、存在の豊かさを目覚めさせ、そして真の世界平和の経験を可能にする新たな形の人間の相互関係を誕生させるような最高位の意識を復活させます。
In the mathematical convergence of time we are activating the divine irradiation of Love that awakens the fullness of Being and restores the supreme consciousness that gives birth to new forms of human interrelation that allow the experience of a true WORLD OF PEACE.

私たちはいさどん師(後日、彼の名前は新しいものに変わります)から、本物の精神性の価値の中に生きることができるために、存在の能力を目覚めさせる知識や教えを受け取るでしょう。同様に、尊母ナーキンはマヤの太陽の叡智を通して、一人一人の存在の中に光の最大限の能力を目覚めさせるための美しい提案をシェアすることでしょう。
We are going to receive the teachings of Master Isadon (later this name is changed to the new one), a knowledge that awakens the capacities of the Being so that is able to live within the authentic spiritual values. Likewise, Venerable Grandmother Nah Kin, through mayan solar wisdom, will share beautiful proposals to awaken the maximum capacity of light in each Being.

 


 

驚いたことに、ナーキンさんはいさどんの名前が変わることを予言していたのでした。

 
この世界のすべては、宇宙の大いなる流れの中にあります。これからも未知なる未来への歩みは続き、「ジイジ」と共に、一人ひとりの新たなステージが始まります。

皆さん、これからもどうぞよろしくお願いします!

 

5月6日に行われた田楽田植え祭りにて

 

 

 


大町より3 ー あいちゃん編

大町ビレッジからのお便り3人目は、いつも温かくみんなを見守っている、あいちゃんです!

大町に遊びに来た1ヶ月間の真学校卒業生のたえちゃん(左)と、あいちゃん
大町に遊びに来た1ヶ月間の真学校卒業生のたえちゃん(左)と、あいちゃん

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あいこより

先日いさどんが大町にやって来た時に
感じたことを私に伝えてくれました。

「ここの人たちは真面目でよく働くけど、覇気がないね」と・・・。

その後、晃ちゃんにいさどんから伝えられたことを伝えると
落ち込んでいく晃ちゃんがいました。
どうして落ち込むのか、どう思っているのか、どう観えるのかを
改めて3人で話し合いました。
その時 晃ちゃんが自分に気づいたのです。
「今まで、僕はそういう人だった。晃一やってるね」と。

その出来事だけを観るのではなく
客観的に前から今までの自分をつなげて見た時
それぞれが観えてきました。

たとえば
こうちゃんは「出すのが怖い」「何か言われる」
みほちゃんは「前の自分より できてるでしょ」
あいこは「自分の感じたことを出してるけど、様子見してる時もあるね」

一つ一つ丁寧に3人で観ていくと
まだまだ超えていない自分たちが観えてきて面白い。

感じたこと 思ったことを
制限なく出していくと紡がれて先が観えてくる。

そう、緻密に観ていくことはすごく大事なこと。
日頃の瞬間瞬間を細かく観て、
日常の中で
「あれっ」「どういうこと?」という気持ちが生まれ
直感が湧く日々を生きているかどうかですね。
忙しかったり、よく働くのもいいけど
次の段階に行くには、自分が思っている以上の限界を超えること。

それは自分のためであり、人のためになって、世の中のためにつながっていく。
そこには互いに信頼と愛がないと人には伝わらないことを
晃ちゃんを通して実感したのです。

振り返ると大町に来て3年、
いろいろな人と向き合い、
自分のいたらなさ(愛が愛情であったこと)に出会ってきました。

足りないことで学びは尽きないけど
3人で話す場の空気は 愛 そのもの。
そのままの思いを素直に出し合い、受けあっていく。
反発や言い訳、落ち込みではなく、ただ素直に受け取っていく。
指摘する、される場ではなく
そこは「そうだね〜」「そうだね〜」という場だったのです。

4月に大町に来るときにいさどんから頼まれたことがあります。
それは
「ネガティブな空気を出さないでね」
ということでした。

ネガティブな空気は出していないし、
仕事は真面目にしていたけれど・・・

そんな自分たちを、「成長させよう」「変化させよう」という気持ちには乏しかったのです。

大町に来て半年が経とうとしていますが、
ようやく大町でも
いさどんからの「覇気がない」という投げかけをきっかけに
「一つ」になる過程を歩みだしたように感じたのです。

いさどんから伝えられた思いが響きとなって生かされていく。
そんな愛深きものになる。

実は宇宙の側や自然の側という自我を超越したところで生きていかないと 人間の本当の役割は果たせないですね。

一人一人自分を緻密に観て、その人らしく極めていく。
その個の花が開き全体が美しく調和する世界を作る。

知・意・行 をよく理解しそれを生活に表現していくのが
私たちの存在である。

道は一直線 日々真剣に生きることが自分にも他の生命にも
地球全体にとっても健全な世界を創っていくのですね。

 
あいこ♡

 

大町の物語は、つ・づ・く ♪
大町の物語は、つ・づ・く ♪

 


続々・大町ビレッジからの風 〜 どんどんどんと越えていく

大町ビレッジからの風・第三便。
離れているのに、不思議と心の学びはリンクしている大町です。

■    ■    ■

ジャガイモの伏せ込みが4/24、4/25に大町でありました。
大町の気候は北海道と似ているためジャガイモがよく育つ、ということで今年は作付けを大幅に増やして作付け面積が約8畝、種類も5品種あります。
種芋切りからカトケンが段取りをし、この日を迎えました。

カトケンがシンシアという品種の種芋を取りに行ったとき、以下のことを伝えられました。

シンシア   「あなたのこと嫌いなの」
カトケン   「・・・ショック」

倉庫で種芋を乾かしておいた時に、ネズミに何個かかじられ、食べられてしまっていたのです。

『嫌い』と伝えられたことをすぐにみんなに伝えず、一人で思い悩むカトケン。
原因は何なのか?また、嫌いって言われるのではないかと思い込んでいました。だから、シンシアを避ける気持ちがあったのです。
けれど、シンシアの近くを通ったときに「私を大事にしてね」と優しい響きで伝えてくれました。作物は相手の心が変化したときに、必要以上に追求しません。なんて、シンプルで気持ちがいいのだろう。
この出来事を愛ちゃんに話すと、自分の中の感情が整理されていき、出来事の本質が見えてきました。ジャガイモさんは自分の遺伝子を次に繋げたい。しかし、その大切な種芋がネズミにかじられたら、ジャガイモさんからしたら生かされない出来事だよね。作物は生かしてあげることが大切。少しくらいなら、かじられても大丈夫と思っていたけれど、…このことを通して、カトケンは物事の捉え方が自分目線であったことに気づかされました。

次の日。種芋を軽トラの荷台から畑まで運んでいたときのことです。シンシアが優しく言葉をかけてくれたそうです。

シンシア   「シンシ(紳士)アな〜」
カトケン   「…。」

…そういえば、無意識にみんなのために動いていたなぁ。この感覚が良かったのかな!?

カトケン   「シンシアが僕のこと紳士だって(笑)」
愛ちゃん   「フフっ(笑)!」

美穂ちゃんは、ちょうどの数でメークィーンを定植でき「ぴったり賞!」と喜んで報告してくれました。そして、次の品種のシンシアを植え始めました。

名称未設定
その頃、カトケンは種芋の入れてあったトレーに、敷いてある新聞の文字が目に入ってきました。
そこには「見本となれる光であれ」と太字で書かれてあり、それを見て、よし、僕がその役割なのだと根拠はないけど実感。だけど「どんなふうに?」と思い、軽トラを見ると…なんと!植え終わったと思っていたはずのメークィーンが、まだ残っていたではありませんか…。
まさかのパターン。いきなり気持ちが下がり、谷底へ転げ落ちるような勢いでした。いつも、ここで思考が鈍る。見本となる光であろう!と思った矢先なのに…。昨日から軽トラに積みっぱなしか…?想いが足りなかったことに尽きる…。天然循環法とは言葉だけにしか過ぎなかった…。あ、今…自分のことしか考えていない。これではいつもと同じだ。この出来事を生かそう。メークィーンはピッタリ賞なのだから、本来、植える予定だった圃場に試験的に植えよう。よし、みんなに提案しよう。

カトケン   「軽トラにメークィーンがまだ残っていたから、
        元々植える予定だった圃場に試験的に植えてみない?」
愛ちゃん   「うん、それで比較してみようか。
        もし、むこうの方が良かったら来年はむこうに植えたらいいのじゃない?」
美穂ちゃん  「私も、むこうに植えてってことだと思う」

間違えと思われる出来事があっても、次に生かす方法を自然と考えることができるのだと知りました。こういう前向きな気持ちと、次に生かそうとする姿勢が、新聞に書いてあった『見本となれる光であれ』という意味か?今まで、なかなかできなかった事だけど、どんなときでも、光を向いていくのが大事ということだね。

シンシア   「しっかり、シン(シ)ア♪」
カトケン   「(笑)…(とは、言ってもらうものの、心は少しガタガタしている)」

ここで気持ちを切り替えて、次に生かすと良かったのですが、長い時間ガタガタしているカトケンがいました。その結果、ジャガイモの植え穴を開ける場所に、短い距離ですが、種芋を置いてしまいます…。

カトケン   「あ、しまった…」
シンシア   「現象を持ってシンシア(真実)とする!」
カトケン   「…(そのとおり。…ズレていました。)」

ジャガイモさんは、失敗する、反省ということではなく、失敗も生かしていくこと。自分の感情をコントロールして、新たな可能性を切り開いて実践することを教えてくれました。
間違いと思われる出来事からも学んでいこう。出来事をみんなで共有することで、新しい発想が自然と湧いてくる。今の僕には、ピッと感じたことをためらわずに発することが流れを作っていくのだと思いました。

ジャガイモの伏せ込みが無事に終わって後片付け。カトケンは、忘れ物はないか、落ち度はないか確認しています。
よし、大丈夫!と思って車に乗って帰ろうとしてバックしたところ、早速、自分で差しておいた目印の竹の棒を回収し忘れており「カコン!」と軽トラの左の荷台の角に当ててしまいました。
「ん?なんだ、なんだ、この音は?」
その音に反応して、バックしながらドアを開けて後ろを見たところ、地面に差さっている竹の棒が、自動的に近づいてくるように見え、ヒュっと右手に収まりました。楽にキャッチでき、そのまま引き抜いて、荷台に投げ込みました。忘れていたけど回収できた♪
…しかし、よく考えたら車に竹の棒を当ててしまったな。…ショック。気持ちが落ちかけたその時です。僕の心にいさどんがスッと現れて言葉をかけてくれました。

いさどん   「(眼を見開き強い口調で)竹が当たったタケだぞ!!竹が当たったタケだぞ!!」

と、気持ちが前向きになるまで、何回も繰り返し伝えてくれました。

カトケン   「…分かりました、分かりました。その通りです(嬉笑)
        もう、分かりましたので…」
いさどん   「いいさ、どんどん行け〜。いいさ、どんどん行け〜」
カトケン   「オッケー!」

距離は離れていても、心に宿る存在が支えとなってくれています。カトケンという魂を単体でみると力不足だけれど、欠落している部分を他の魂に補ってもらうと心のバランスが保ちやすくなる。その結果、自分ではどうすることもできなかったことが、どんどんどんと越えていける。小さな自分から大いなる自分へ。

いろいろな出来事があったけれど「これで、良い芋ん!(いいもん!)」ということで、良い芋が育つように、日々をみんなでenjoyすることが大切なのだと思いました。
芽出たし、芽出たし♪(めでたし、めでたし♪)

芽
大町の愛ちゃん、美穂ちゃん、カトケンより
富士宮のみんなへ、いつもありがとう♪

バッチグー
バッチグー!
(左:いさどんの親指に似ている種芋がバッチグーとのこと)

 

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〈後日談〉

先週、富士宮からあきちゃん、えいこばあちゃん、じゅんじいの3人が、よもぎを摘みに大町へ行ってきました。
帰ってきたあきちゃん曰く「とにかく流れがよかった」。あいちゃん、カトケン、みほちゃんの3人がそれぞれに互いを想いながら自分の役割を果たしていて、必要な時に必要な人がすっと現れ、本当に気持ちよく作業することができたそうです。

あきちゃんが「収穫しながら涙が出そうになった」と話す大町のよもぎ
あたりいっぱいに広がる大町のよもぎ。
そのエネルギーに、「収穫しながら涙が出そうになった」とあきちゃん。
 
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「よもぎは悟りの植物なんだよ。
 人間が採っても採っても『よぉもぎとるなぁ』っておだやかにみてるんだ」とカトケン。
 
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収穫したよもぎをみんなで処理。
「今まで何度も大町に来ていて今回が一番働いたけど、全然疲れなかった」とえいこばあちゃん。
 
こうして大町から届いたエネルギーいっぱいのよもぎは、早速よもぎもちとなり、昨日の「恵みいただきます」にてお客様のもとへと渡って行きました。

まだまだあるよ。^^
 
 
 
*いさどんブログ「とんとんとんと越えていく」もどうぞご覧ください♪

 
 


続・大町ビレッジからの風 〜 天のシナリオは予定通り

大町ビレッジでは、何かが変化し始めています。
前回に続き、大町からの心のシェアをお届けします。
 
■    ■    ■
 
昨日の大人ミーティングに美穂とカトケンの文章を送ろうとしていましたが、
美穂とカトケンと愛ちゃんのずれによって文章は送られませんでした。

美穂はカトケンが送ってくれるものと思い、
カトケンは美穂が送ってくれるものと思い、
愛ちゃんは美穂がいつものように送ると思っていました。

皆、それぞれ思い込み、文章を送ったかを確認しなかったのです。

3人は、ずれを頂いて、どういうことかと振り返りました。

美穂
「3人がばらばらになってた、というところだよね」

愛ちゃん
「昨日のMTGで文章が読まれてほしいと思っていたけど、それも自分の思いが強かったということ。朝、横になっていた時に、客観背後ということばが浮かんだの。どうしてこうなったのかを天の目線から見ることだと思うのよ」

カトケン
「ずれにも、ずらされる、ずれがあると思うんだよね」

美穂
「ずらされる、ずれ?」

カトケン
「天がその時ではないですよ、ということでずらしてくるということ。昨日のミーティングで文章が読まれたとして、その場で下向きな人が前向きにはなるかもしれない。だけど、それだと自分たちの現状に気づくことが、しっかりとできなかったと思うんだ。」

愛ちゃん
「人間の思いからするとずれだけど、天からするとずれではないのね。ずれることで、さらに学びが深まったことを思うと、これがよかったということだね」

美穂
「そうか、ずれも、天がどんな意志でこのことを起こされたのかを探っていくと学びが深まっていく。そうすると、ずれをいただくことで、天と思いが通じる。そして、旬に出会うんだね」

愛ちゃん
「昨日までの文章だと、浅い内容だったね」

美穂
「そうだね。昨日の私が書いた文章だと、思いが通じ合うのは作物と人間、人間と人間、といった一対一の関係だったね。でも、それだと足りないんだ。思いが通じ合うというのは、そこに天が必ず関わることだね。例えば作物と天と人間。人間と天と人間。昨日のは足りなかったよ。天が足りなかったんだ」

愛ちゃん
「天が、共にあるということで、昨日のずれを起こされたのね」

ずれや問題ごとは人間からみた目線。

天の目線から見るとずれはなく、全て予定通り。

そうすると、

全て「いただきます」「ありがとうございます」に、つきます。

大町 美穂ちゃん カトケン 愛ちゃん♪

 

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下記が昨日送る予定だった美穂の文章です。
美穂の文章の後にカトケンの文章があります。
カトケンの文章は昨日の文章を書き直したものです。
 

木崎湖の見える畑で苗の定植をするみほちゃん
木崎湖の見える畑でトマト苗の定植をする美穂ちゃん

 
〜 思いが通じ合うこと(美穂)〜

愛ちゃんは富士宮にいるときはキッチン担当。創立当時は田んぼ隊でした。
畑のことは「そんなにわかっていない」と言います。

そんな愛ちゃんは去年、大町で一年を経験しました。
そのことを生かそうと今年を過ごしています。

芍薬の除草をしていた時の話です。

芍薬の除草をしていると、なんだか気持ちが良くなってきます。
休憩なしで、ずーっと除草をしていたい気持ちです。

そのことについて3人で話をしました。

愛ちゃん
「今回、除草に入るタイミングは遅いかな〜と思っていたの。だけど入ってみると、今が一番の時だなって思ったのよ。というのも、除草に入る前までは、よもぎの根っこをとるのに芍薬の根っこを傷つけてしまうんじゃないかと思っていたの。だけど早いタイミングだと、よもぎが大きくなっていないし、どれか分からなかったわね。今回のタイミングだとね、小さい出てきたばかりの草も除草できるし、よもぎの根っこもす〜っとぬけてきて、芍薬の根っこを傷つけないし。なんだかね、除草というか、芍薬を撫でているみたい」

カトケン
「芍薬がヤッホーという感じで、心地好さそうだった」

美穂
「そうか。タイミングだね」

愛ちゃん
「去年はね、よもぎが大きくなってしまったの。だから芍薬も蒸れてしまうし、よもぎの根っこを引き抜くのも大変だったのよ。だから、今年はね、去年のことを生かそうと思って、ずっと心にとめておいたの」

美穂
「心にとめておく・・・」

愛ちゃん
「そう、心にとめておく。何でも心にとめておくと、思いが通じ合って一番良い時に出会えるの」

美穂
「そうか、思いが通じ合っているから、こんなに気持ちの良い除草なんだね。芍薬も今よ!って思っていて、私たちも今だ!と思っている。そういう思いがつながっているから気持ちが良いんだ」

カトケン
「想いが循環していくんだね」

心にとめておくこと
そうすると思いが通じ合っていく
そして、旬に出会う

作物と対話していくときの、誰でもできる第一歩だと思うのです。

愛ちゃんは農業の知識や経験が少ないからこそ、いつもそのことを一番に置いています。
 
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このことはとても大事なこと。
作物とのことだけでなく、どんなことにも共通する、とても大事なこと。

愛ちゃんはこう話していました。
「料理にも旬があるのよ。例えば寒い日にね、『外から帰ってくる人は寒いだろうな。あったかいうどんを食べてもらおう』と思って用意しておくと、『今日はあったかいうどんが食べたかったんだ〜』という人がいるの。その人が食べたい時に食べたいものを食べることは旬よね。それも思いが通じ合ったからだと思うの」

どんなことにも旬があります。
いさどんから話が湧いてきたときに、聞きたいという想いがまわりにないと話は止まってしまいます。それは旬を逃したということ。

神様からの気づきもそう。
受ける側が気づきを行動にうつさないと、思いは通じ合わず、旬を逃す。

心にとめておくこと
そうすると思いが通じ合っていく
そして、旬に出会う

とても大事なことを芍薬から教えてもらいました。
 

芍薬の出荷準備をする美穂ちゃんと愛ちゃん
芍薬の出荷準備をする美穂ちゃんと愛ちゃん

 
朝、イチゴの畑に行くことを考えながら太陽を見ていたら、
不意に頭の中にことばが響きました。

『そなたを透明に戻すぞ』

美穂 ・・・・・・?

自分の思考から湧いてきたものなのか?
意味もよくわからないし・・・
といろいろ考えてしまいました。

ということで、気にはなっていたものの、1日たって愛ちゃんとカトケンに話をしました。

愛ちゃん・カトケン
「そのことばは自分の思考からは出てこないでしょ。だから天の意志だよね」

すべてのものは、もとをたどると透明になる。

色は混ぜていくと、黒色になります。
だけど光は混ぜていくと、透明になるのです。

私たちも、光のように、混ざり合って、透明になっていく。
 

雪の下から復活したイチゴ
雪の下から復活したイチゴ

 
愛ちゃんの身体に変化があります。
背中に風が通ったように冷たくなったり、
火傷をしたように熱くなるのです。

それと最近、天照様を思うとあまののことが浮かぶそうです。
 
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カトケンは次の世代の人たちが今までの仕組みにとらわれず、新しい世の中を創っていくということをよく話します。

あまのがもうすぐ降りてきます。

私たちは次のステージに移っていくようです。

ことばの意味は、進んでいけばきっと分かる。

それでは、また。

大町 美穂

 

〜 新しい時代をつくるための受け皿として(カトケン)〜

時代が進むにつれてたくさんの人たちが、木の花ファミリーを訪れるようになると思います。それは木の花がこれからの社会のあり方の見本となっていくからです。

これから訪問者の中に、純粋な響きを発する若い世代が、顔を見せにくるのではないでしょうか。そんな思いが湧いてきます。そして、木の花にはもうすぐ、そういった魂が降りてきますね。

その響きは振動数が高く細やかなため、受信するセンサーがしっかりしていないと、スルーしてしまいます。それは、鉱物や水晶のように純度の高い響き。その子たちの、いつも相手を想う気持ちが天に届けられ、相手の脳に潜象界からのエネルギーが降り注いで充満し、過去のネガティブな記憶がクリーニングされていく。人間の脳の奥まで届く微細さがあり、それは光の粒子というか非常に細かいクリスタルのようなもので、どんなにこびりついた記憶でも洗い流すことが出来ます。それによって、さらに潜象界からのエネルギーが入っていく流れができて好循環します。
相手を過去の記憶の再生による呪縛から解き放つことで、この世界の真実を見せることのできる子もいます。この能力も人間が持つ可能性のうちの一つだと思います。

今まで通りの国が定める方向性では、物理的な豊かさを求め続けた結果として、確実に行き詰まっていくでしょう。だから、これからの時代は精神的な部分で目覚めていくことが必要です。そして、そこには新しい世代の感受性の豊かな子たちが、共に関わることによって、大きな仕事を成し得るのだと思っています。それは、これからの人類のあり方、天とのつながりを表現する上でとても大切なことです。

しかし、残念ながら、こういう子たちは非常に繊細な部分もあるので、これまでの価値基準で作ってきた従来の枠組みに当てはめようとすると、能力を出せなくなり、気力を失います。一般的にはニートや引きこもり、あるいは問題児としてレッテルを貼られる子もいます。しかし、それは誤った解釈なのかもしれません。そして、誤った解釈の中では、そういう子はなかなか育ちません。育っても、無理に自分を表現せざるをえない(演じないといけない)ので、ロスエネルギーが非常に大きいです。また、そういう子は意識の高いところでも低いところでもどちらの方向でも向かうことができます。ただ、大人側に学びを提供するために、低い意識の中で役割をして、大人たちに伝える子もいます。木の花で言うと須佐乃王のように。だから、そのような役割をしないで済むためにも、大人側の意識の向けどころが高いのか、低いのか仕分けできる客観性が必要ですね。(もちろん自分も含めてですが)大人たちの姿勢が変われば、そういった子供たちはすぐに本線に戻ってきます。そして、何よりもその子たちが、生き生きと過ごし、その子が神様から与えられたオリジナルの可能性を引き出せるような人材や場を整えていくことが、これからも大切です。
そして、僕たちの役割としては目に見えない世界を感受し、表現していくことで、次の世代の子たちが声を発しやすい場を提供することだと思っています。
表現する中で、それはカトケンワールドじゃないかと言われることもあると思います。その時は、その時に振り返り、学んでいきます。ただ、これからの時代を作っていく感受性の豊かな子たちが、埋もれていく姿は見たくないです。
自分自身もたくさんの人に引き上げてもらってきました。だから、他人事とは思えないのです。

地に埋もれていくのか、それとも地から現れるのかで大きな差です。
僕自身、埋もれている時代が長くありました。振り返れば今でも忘れない。(昨年秋に)メンバーを辞める当日の稲刈り最終日に、まさかの出来事が起きました。
「あれ、刈っておいて」と言われました。ただ、それだけだったのに…僕から出た感情は「求められたことに対して答えなきゃ、答えないといけない」というもの。幼少期の母親との関係性が27歳になっても消えないでいました。稲を刈り取るコンバインがバックしてくるのが分かっていましたが「…しなきゃ」という思いで、パッと飛び出してしまった…。「あっ、いけない…なんで、おれ、ここにいるんだ」自分の頭の中と心がバランスを崩し、意味が分からなくなり動けなくなった。バックしてきたコンバインに接触。…また、やってしまった…大人ミーティングでシェアしないといけない…。もう、やだ。…限界。…自分自身がコントロールできない恐怖。不安。焦り。絶望。

あれから、月日が流れ、メンバーを離れ戻って来てから、一年が経とうとしています。多くの人たちとの出会いや、数々の経験の中で自分自身を知ってゆく旅をしている最中。フラッシュバックするよりも早く、正常な思考が回るよう、いさどんに自分の心の構造を分析してもらった音源を百回以上繰り返し聴き続け、頭に焼き付けてきた。
そして、冷静になったときに分かったことは、僕にプレッシャーをかけてきた親は、僕の修行の相手。そして、自分そのもの。親は僕自身の姿を常に教え続けてくれていただけなのです。その仕組みに気づいた時、不思議と感謝の気持ちが湧き上がってきた。「いつも教え続けていてくれてありがとう」といった感じ。僕の心が変化すると、母親の笑顔と無色透明の存在のウィンクが頭に浮かび、「よしよし、やっと分かったようだね」といった雰囲気でどこかへ消えて行きました。
分からないことが分かった時、それは最高の喜びなのだと実感。これだから、心の探求は面白いね♪

現在では大町という大自然(光、水、空気、土、風)といった肉体を持つ前の自分自身と対話しながら、日々を充実して過ごしています。こんなとぼけた僕ですが、善き理解者にも恵まれて、共に歩めるラッキボーイカトケンがいます。神様から頂いた人生に感謝。
 
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大町のカトケンより。

 


大町ビレッジからの風

信州信濃の木の花ファミリー大町ビレッジには、ただ今あいちゃん、カトケン、みほちゃんの3人が住んでいます。毎晩の大人ミーティングにもスカイプを通して参加している3人からの、ある日の心のシェアをご紹介します。

大町ビレッジより 木崎湖をのぞむ
大町ビレッジより 木崎湖をのぞむ

 
■    ■    ■
 
〜 カトケン編 〜
 
今日の朝、大町の番犬サイとカトケンが散歩をしていました。そして、カミスワ神社の横を通りかかったその時です。

神社   「寄っていきんしゃい」
カトケン 「…これから定植したネギを見てくる予定があるのになぁ…(まあ、少しならいいか)」

その声の言う通り、普通に階段を登り始めました。そしたら、

神社    「もう、一回、戻りんしゃい」
カトケン  「…なぜ?まあ、そう言うなら戻ろうか…」

そして、言われるがまま戻りました。ふっと、最初の1段目を見てみると、地面と1段目との高さの差がほとんどありませんでした(緑色をしていてわかりにくい)。
きっと、最初の一歩目(一段目)が大事ってメッセージだな。一歩目は以外と意識していない。確かに無意識のうちに歩んでいた。

神社    「大いなる意志を感じんしゃい」

足元を見るとそこには、大きな石が敷き詰めてあり、石と石の間にはピンク色の花びらが散りばめられていました。ただ、それだけの光景なのに、なんだか愛おしく美しく感じられました。一歩一歩を大切にすると、今まで見落としていたものが、丁寧に見つめられて心が素直に喜ぶ。

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神社    「光の方を向いてすすみんしゃい(御神殿に朝なのに蛍光灯がついて光っていた)」

カトケンは最初の一歩目を確認し斜め45度上を見つめて、御神殿まで上がっていきました。
 
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神社    「神がいる、神がいる、神がいる、神がいる、神がいる…」
カトケン  「え?確かこの神社は、神様ご不在ではなかったかな?
       そんな噂を聞いたことがあったけど…」

御神殿の奥を覗くと、大きな丸い鏡があり、自分の顔が見えました。
サングラスをかけている、どことなく弱そうなカトケンがそこに映し出され
…なるほど!自分が神ってことか。
鏡、「カガミ」、真ん中の「ガ」を取ったら「神」! 大人ミーティングでも、そんなことを話されていたし、きっとそうだ!
そして、「神がいる」という言葉が聞こえた時にだけ、「…シャイ」という語尾が取れた。ということは、自分の心の中にある「我」と「シャイ(恥ずかしがりや)」を取ればシャイニングカトケンとなれるはず!

大いなる何者かのメッセージを受け取り、生きることで、今まで見逃していた美しい景色がそこに広がっていて、この世界の素晴らしさに気づける♪

これだから、この歩みは面白いね♪

読んでくれたみなさん。こんな文章でごめんなシャイ。

カトケン
カトケン

 
〜 美穂ちゃん編 〜
 
今日の朝、3人で話す時間がありました。

私は朝起きた時から頭が痛く、肩もはっていました。

愛ちゃんは富士宮から大町の帰路にあったことについて昨晩から思っていたことを話し、カトケンは彩の散歩中に上諏訪神社であったこと、富士宮で感じていたことを話していました。

私は頭が痛いため、話に入っていく集中力がなく二人の話を聞いているばかりでした。そして、話の途中からどこからか香りがしてくるのです。木のような、ハーブのような香りです。壁にドライセージが飾ってあるので、これの香り?と思いましたが、その香りは新鮮なハーブにたった今触ったような香りなので違うな・・・?と思っていました。
その後も濃く甘い花のような香りがしてきたりして、これは一体なんなんだ?と思い、二人に「香りがするんだ」ということを伝えました。
愛ちゃんは「さっきから美穂ちゃんがなんだか変な空気だなと思っていたけど、そういうことだったの。昔、神様の話をしている時に香りがしてきたことがあったけど、その時のことを思い出したよ」と話していました。
そのあとも香りは続き、どうも愛ちゃんが話すと濃く甘い花のような香りがして、カトケンが話すと木とハーブが混じったさわやかな香りがしていました。

香りは通常の香りを感じる部分ではなく、いままで使っていなかったところで感じているという感覚でした。

・・・・・・・・・ということがあったのです。
 
このことがどういうことかは意味は分かりません。
ただ、私にあったことやカトケンにあったことは、何か芽が出てきたような感じがしたのです。
(カトケンは以前から作物と話していますが)

木の花にこういう芽がでてきていて、それを日のもとにさらさないと!
という想いが強く湧いたのでみんなにシェアしました。

大町だけのものにしておくと、なんだかせっかく出てきた芽が草に埋もれてしまいそうな感じがしたのです。

私にとって、意味がよくわからない出来事を、想いが湧いたからシェアするというのはしないことなので、みんなコメントしづらい?とかいろいろ考えそうになりましたが、想いのままにシェアしました。

みほちゃん
みほちゃん

 
愛ちゃんは二人に起こったことをこんな風に話していました。

「いさどんの歩んできた道を、カトケンはカトケンらしく美穂ちゃんは美穂ちゃんらしく歩んでいる。
いさどん一人だとあやしい集団ということになってしまうけど、こういうことを二人、三人と経験して、それを表現していくと追い風になっておもしろいんじゃない? 」

場所は離れていても大町も木の花という身体の一部。
これからも良い風を吹かせていきますね。
 
大町 美穂ちゃん カトケン 愛ちゃん より
 

左からあいちゃん、カトケン、みほちゃん
左からあいちゃん、カトケン、みほちゃん