けんたくんからのメール

今回のユース・ビジョン・サミット参加者の一人である、
けんたくんこと住岡健太くんから、ファミリーにメールが届きました。

 

住岡健太くん

 

けんたくんは、渋谷での傘のシェアリングシステム「シブカサ」の発起人であり、
現在はパワースポット居酒屋「魚串炙縁」(うおぐしあぶりえん)を経営しています。
そして今また、人と人とがつながる新しい形のネットワークを創り上げようとしています。
サミットの数日前に偶然木の花を訪れて開催を聞いたけんたくんは、
そのまま滞在を延長し、ユース・ビジョン・サミットと、ユース・大人合同サミットに
参加したのでした。

 

以下は、
ぎりぎりまでサミットに参加して
夜中に東京に帰り着いたけんたくんから届いたメールです。
とても気持ちのこもったメールに、ファミリー一同嬉しくなって、
ぜひ皆さんにもシェアしたくなりました。

 

■   ■   ■   ■

 

木の花ファミリーのみなさんへ

 

こんばんは。

旅を終え2週間ぶりに家に帰った住岡健太です

あっ健康の健に太いで
健太です(注1)

ワクワクした感情が今も続いています。
テンションがハイになる状態ではなく、魂がフツフツと喜んでいる感覚です。

少し長いですが、耳を傾けながら豆を数えて頂けると嬉しいです(注2)

僕は2週間、関西を旅していました
その最終地点が木の花ファミリーでした

始めに
淡路島で村を作ろうとしている人達とMTGをし

奈良県で
農家さんと村おこしについてMTGし

三重県では農業を研究している大学院生と語り合いました

語り合う中で見えてきたもの
それは「人」の重要性でした

仕組みや制度では村(コミュニティ)を作ることはできない

人や想いこそが永続可能な村を作る

それこそがこれからの時代に求められるものだ!

そう答えを出しやってきました

みなさんが微笑んでいる様子が目に浮かびます

そうです。
求めていた世界がココにはありました。

精神と物質のバランス
人生を探求する生き方
仲間をこえた家族の絆

江戸時代にやってきた外国人が日本人の精神性の高さに驚いたといいます

まさか僕が外国人と同じ経験をするとは思いませんでした

しかも同じ日本で!

僕がずっとずっと探していたものがありました

20代前半引きこもりで死にたい時もありました
ビジネスで人間不信になった時もありました

その中でも1番辛かったのは
誰かに相談をしようと携帯の
ア行から一件一件見ていき
最後まで誰にも相談が出来なかった時でした

悲しすぎて涙が溢れてきました
次から次にこぼれ落ちる涙

今まで何のために生きてきたんだろう
どんな人間関係を作ってきたんだろう

それから生き方を変えました

あれから5年

とうとう求めていた世界に出逢えたんです。

今までの経験、全てに感謝です

僕は、みなさんと同じビジョンを見ているんじゃないかと勝手に思っています

みなさんに出会えたことを僕は一生忘れません
むしろ忘れる前に会いにいきます!

今回、お話が出来なかった方もいますが、次回はお話が出来たらと思います

ユースビジョンサミットで語りあえたのも
お仕事をしてくれていたみなさんの存在があったからです

個別に名前をあげようと思ったのですが
みんなで1つなので

みんなに感謝です!!

そんな木の花ファミリーが大好きです。

僕は、周りから変人扱いです
それが嬉しいのですが笑

みなさんも変人だと思います。
(良い意味ですよ~)

僕は、未来のライフスタイルで生きてるだけだと思ってます。

共に調和した世界を創っていけたらと思います。

最後に提案なのですが
木の花ファミリーの土地にUFOが不時着できる場所を作ってはどうかと思います。

真っ先にやってくると思いますよ
豆1つ分の場所でいいので笑

いつの日かUFOに乗って行けたらいいな~と思ってます

長くなりましたが、
また木の花ファミリーというお家に帰ります。

本当にありがとうございました。
ただただ存在に感謝します

みなさんと今も幸せを共有しています
東京の夜空を見上げながら
住岡健太 2012、6、26

 

■   ■   ■   ■

注1
ファミリーでは名前からその人の心の形を観るため、
名前を漢字でどう書くのかをよく聞かれる。

注2
ファミリーでは、ゲストからのメールなどを全員でシェアする
「大人ミーティング」の最中に、販売用の豆の選別作業などを やっていることが多い。


「地球の未来に心配なし!」-ユース&大人サミット、無事終了しました。

5月25日より、3日間にわたって開催されていた
ユース・ビジョン・サミットと大人サミットが、無事終了しました。

 

今回が初めての開催となるユース・ビジョン・サミットを企画したのは、
中央大学経済学部の池見優くん - 通称“ポール”。
「次にあるべき地球のビジョンを共有し、創り上げていく」ために、
大人たちからバトンを受け取り、共に走り出すきっかけとなることを目指した
今回の合同サミットは、大人、若者の双方に、
「想像を超えた収獲」をもたらしました。

名ファシリテーターとして大活躍のポール

 

ユース・ビジョン・サミットには、学生や青年起業家に加えて、
木の花の若手メンバーや、心のケアで滞在中の大学生も参加。
大人サミットも、大学教授から弁護士、専業主婦まで多彩な顔ぶれがそろいました。
今回は、大人たちよりも1日早く集まった若者たちが相互に意見を出し合いながら
自分たちのビジョンをまとめ、その提言を受けて大人サミットが開催される、
という流れとなりました。

若者たちの提言を聞いて、大人の一人であるみねっちは
「それは本か何かを読んで勉強したのですか?」と質問。
若者たちからは「いいえ」の返事。
「自分たちの中から湧きだしてきたんです。」

 

「 若者たちが出した結論に驚いた。
私が長年かかって学んできたことを、彼らはすでに当然のものとして
話に織り込んでいたから。
彼らのような若者が世界を変えていくことを望みます。」
と、みねっち。

サミット中、終始穏やかな笑顔で話を聞いていたみねっち(中央)

 

 

さて、それでは一体若者たちはどんなことを話し合ったのか。
具体的な内容については
後日ポールからのレポートでご報告させていただくことにしまして、
ここでは取り急ぎ、写真と、
そして大人・若者双方から頂いたアンケートにて、第一報とさせて頂きます!

 

なお、大人からのアンケートの中に、
こんな言葉がありました。

「ユース・ビジョン・サミットの報告に感激しました。
 地球の未来に心配なし!

 

大人たちへプレゼンテーションする若者たち

 

 

 

このサミットを終えての、大人たちの感想

「これだけ若い人達が心の問題を、又、未来のビジョンを
適格に明るく伝えられることに感激しました。
共に語り合い、前進して行きましょう。」

「安心もしたし、学びを頂きました。
可能な限り共有化や支援をしていきたいです。
自分の枠を少し外せたような気がします。」

「実体験に基づく説得力が大切。」

「新しい人達と出会い、全く違った感性に触れることができて、
実り多いサミットでした。」

 

若者たちの感想

「こんなに素で議論できる会は初めてでした。」

「語り合う中で、自分たちの中からどんどん湧き出してくる。
それは本当に興奮するプロセスでした。」

「一人では行き着かないところに、すごいスピードで
みんなと行ってしまった・・・そんな感じ。」

「とうとう求めていた世界に出会えた。今までの経験全てに感謝。」

 

発起人・ポールの感想

「自分の成長(というよりは気付き)につながって、
皆が喜んでくれて、嬉しかったです。
ことばにならない気持ちでいっぱいです。
感謝、感動や共鳴、そして愛を感じました。
これから、具体的な行動に今すぐ移していきます。

誰かのために一生懸命になるとこんないいことがあるんだと知りました。」

 

若者たちの中から湧き出たものを統合して表した図

 

 

皆さま、報告をどうぞお楽しみに!

 

 


跡取り息子の描く未来

2年前にメンバーになったまっちゃんは、福井県で代々続く旧家の出身です。
実家はお父さんが農事組合法人を率いるなど、地域でも大きな役割を果たし、
まっちゃんは長男として、跡を継ぐことを期待されて育ちました。
けれどもメンバーとしてここに移住したことで、
「実家に対する後ろめたさが常にあった」といいます。
そんなまっちゃんと実家との関係に、この春、大きな変化がありました。
福井での出版記念イベントの帰りにメンバー14名がまっちゃんの実家を訪れ、
ご両親と話し合ったことで、新たな展開が生まれたのです。

今回は、そんなまっちゃんの物語をご紹介します。

 

まっちゃんの故郷、福井市杉谷町の風景

 

細部まで見事な造りのまっちゃんの実家

 

左から、まっちゃんのお母さん、お父さん、まっちゃん

 

■  ■  ■

 

僕は福井県福井市の杉谷町というところで育ちました。

家の裏は山。前は視界いっぱいの田んぼ。
子どもの頃は、冬になると凍った田んぼの上を歩いて学校に行ったりしたなぁ。
川が好きで、高校生の時は、学校の帰りにいつも川を眺めてた。
だけどある時工事が始まってね。
その川がコンクリートで固められて、それまで泳いでいたカモもいなくなっちゃった。
その頃かな。「環境」について考えるようになったのは。

 

大学卒業後は、大阪で会社員をやりながら、
環境保護団体に入っていろんな活動をしたよ。
ビオトープを作ったり、クワイの産地を再現したり、
2年間一生懸命だった。
ところがある日、その活動の拠点がお金のために売られて、
あっさりと老人ホームに変わっちゃったの。
えーっ、こんなに簡単になくなっちゃうのーってびっくりした。
ちょうどその頃に部署替えがあって、僕は福井に戻ることになったんだ。

 

大阪で自分がやってたことって何だったんだろう、
って想いを抱えながら実家に戻った時に、
目の前にものすごく豊かな自然が広がっていることに初めて気付いたんだ。
それで思った。どこか遠くに行って環境保護を訴えるのではなく、
自分の足元を大切にすることなんだ、って。
だけど僕らは、あまりに知らなすぎる。そして簡単に道路を作る。
そこで、子どもたちと一緒に地元の自然を観察する活動を始めたんだ。
そして、この地元の良さを共に伝えていく仲間を集めようと思った。

 

仲間が欲しかったことには、もう一つ理由があったの。
僕は長男で、子どもの頃から跡取りとして育てられてた。
特に母親は、何をおいても家が大事という人。
でもね、正直、荷が重かった。
父親は地域のリーダー的存在で、何かと役割の大きいあの家を
僕一人で継いでいくのは、精神的にも経済的にも無理って思ってた。
ちょうどそんな時に木の花に出会ってね、
そうだ、福井でもエコビレッジを立ち上げよう!って思ったの。
みんなで一緒に福井の未来を考えて、
食や森林、エネルギーなどの問題に取り組んでいく中で
この家の環境も継いでいったらいいんじゃないか、って。
大好きな故郷の暮らしを、僕一人でつないでいくことはできなくても、
みんなと一緒ならやれる。
そうすれば両親の願いもかなう。
そこで仲間を集めて、「あまてるの里」という名前で活動を始めたんだ。
そして父親に、自分の想いを話した。
僕は、木の花ファミリーのようなものをここでつくりたいんだって。
でもね、父から返ってきたのは、「そんなことは無理」という返事だった。
やるなら他でやれ、って。

 

まっちゃんのお父さん

 

子どものころからずっと、父親とは腹を割って話せなかった。
父には人をまとめる力があって、社会的にはすごく尊敬していたけど、
何か話しても全部見透かされているようで、僕はいつも緊張してた。
その父に「無理だ」と言われて、
僕は自分の中のフィールドがなくなっちゃったような気がしたんだ。
「あまてるの里」も、いざ自分がみんなを引っ張る立場になってみたら
どうしていいかわからなかった。
それで、改めて木の花を訪れてみた。
そしてここでエコビレッジの教育プログラムを受講したりして
みんなと生活を共にしていくうちに、「やっぱりこの生き方が大切なんだ」と思い、
悩んだ末に、移住を決意したんだ。

 

家を出る時、父親からは、「二度と家の敷居をまたぐな」って言われた。
僕は、それは彼流のプレゼントだったと思ってる。そのくらいの覚悟で行け、と。
それで、「わかりました」と言って、家を出たんだ。実家との縁は捨てようと思った。
ところが、ここに来てみていさどんから「勘違いしてるよ」って言われたの。
「何者も、大切な人とのつながりをわざわざ絶つ必要はない。
もしも縁がなければ自然に切れるのだし、それはただ流れを頂くだけ。
あなたの家族は木の花の家族でもあるのだから、
血縁を自ら捨てるなんてことは誰も求めていないよ」って。
ああそうか、って思った。
本当は、父親一人で田植えはどうするんだろうって気になってたの。
それで、実家に電話したんだ。必要なら声をかけてよ、って。
その後、田植えの時期になると母親から電話が来るようになったんだ。
それ以来、年に数回、忙しい時だけ実家に手伝いに帰るという生活を続けてきた。
帰るたびに、母親からは戻ってきてほしいと泣かれた。
父親との会話は・・・記憶にないや。ほとんどなかったんだと思う。
親の願い通りにできなくて、自分の中に常にどこか後ろめたさがあったよ。

 

それが、この春に木の花のみんなと実家を訪ねたことで、大きく変わったんだ。

 

 

まっちゃんの実家前にて

 

客間での様子

 

イベントの帰りに、いさどん始め14人のメンバーと実家を訪ねて、両親と話したの。
両親が木の花のメンバーに会うのはほとんど初めてのこと。そこでいろんな話をした。
まず、父親に僕が木の花に移住したことをどう思うかを聞いてみると、
「跡を継いで欲しいとは思うが、息子の人生は息子の人生。強制できるものではない」と。
そして、今この地域全体の後継者問題に取り組んでいることを語りだしたんだ。
僕の家に限らずどの家も跡取りがいなくて、68歳の父親と同世代がやめたら終わり。
だけどこの農村を、国土を守っていきたいから、
父親は、みんなで協力してやっていこうと農事組合法人を立ち上げた。
そして非農家の人たちにも入ってもらい、町内全体で運営していこうとしてる。
より管理しやすいように田んぼの畔を取り払ったり、農協に掛け合ったりしながら、
将来的には6次産業化も目指しているんだって。
父親は、すごく生き生きと、本音で話してた。
僕は、そんな風に話す父親の姿を初めて見たんだ。
木の花のみんなも父の話に聞き入りながら、自分たちの体験も語って、
父の中にあるものをどんどん引き出している。
父は、自分の家のことだけじゃなくて、地域全体や、そのもっと先にある
この国のあり方についてまで考えてた。

 

一通り父親が話した後、母親にも、僕が木の花にいることをどう思うかを聞いてみた。
そうしたら、母親は
「我が家には魅力がないんだと思って、悲しくなりました」
と言って、泣いたんだ。
その時にいさどんが、そうではありませんよ、
まっちゃんを木の花に留めるつもりはありませんよ、と話し始めた。
僕自身、実家が嫌で木の花に行ったのではなく、
好きだから守っていきたい、でもどうしていいかわからない、と思って移住した。
いさどんは、その問題はみんなで考えるものだし、
木の花ファミリーはそれをサポートするためにあるんですよ、と。
僕も、その話を聞いて、力が抜けたよ。

 

僕の中にはずっと、実家や故郷の問題が重くのしかかってた。
だけどそれは僕一人で背負い込まなくていいんだってことがわかって、
すごく楽になったの。
それは両親も同じだと思う。
僕が家を継ぐ継がないということではなくて、日本全体のことをみんなで考えていく。
それは、木の花のメンバーにとっても、自分たちの役割を確認する場だったと思うんだ。
今どんなに父が法人を立ち上げて奮闘していても、結局は後継者問題は付きまとう。
その時に、僕たちはそれをサポートしていくことができるんだよ。

 

父がね、おもしろいことを言ったの。
その場にいたメンバーのひろっちが、
「これからは血縁を超えて協力し合っていく必要がある」と言ったら、
「地権者意識がなくなっていけば、それもあり得ますね」って。
これまで、父の口からそんな言葉を聞くことはなかった。
今ね、人がどんどん高齢化していって、誰も山に入れなくなって、
どこまでが自分の土地かわからなくなってるの。
父も正確には境を知らないと思う。
だから地権者意識も何も、結局みんなで管理せざるを得なくなるんだよ。
近い将来、きっとそうなる。血縁を超えて、みんなで協力し合う時代が来るんだよ。

 

最後にね、みかちゃんが『安里屋ユンタ』を歌ってくれたんだ。
歌詞の「沖縄」のところを「福井」に変えてね。
その時の、父と母の表情が、すごく穏やかになってた。

そうそう、帰る時にね、僕、父親と握手したの。「じゃあ」って言って。
そんなこと、生まれて初めてだったよ。

 

沖縄民謡の『安里屋ユンタ』を歌うみかちゃん(右から4人目)

 

 

ずっとね、志があったんだ。

みんなでこの生き方を学んで、たんぽぽの綿毛のように、
必要とされるところにどこへでも飛んでいって、それを伝えていく。
自分があの家に生まれたことにも、きっと意味があると思うんだ。

もしもいつか僕が帰る流れが来たら、木の花ファミリーの一人として帰って、
ここで学んだことを生かしていく。
そして、そこで学んだことをまた持ち帰ったり、そこからさらに広めたり、
そんなふうにこの生き方が広がっていったらいいなって、心から思ってる。

 

そのために、今、ここでとことん学んでいるんだよね。

 

まっちゃんとお母さん ― おばあちゃんと一緒に