世界のお金がみんなのお金になるように

コミュニティズ 2017年夏号
コミュニティズ

アメリカのコミュニティ向け専門誌「コミュニティズ」の2017年夏号に、木の花ファミリーの記事が掲載されました。
同誌の今号のテーマは、「共同文化における経済」。ファミリーの金庫番であるなかのんが、現代社会においてたぐいまれなる木の花ファミリーの経済の在り方を紹介しています。以下は日本語版の全文です。どうぞご覧ください!

なかのん
なかのん

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世界のお金がみんなのお金になるように

-みんなでお金を共有できる社会を目指して-

 
木の花ファミリーの暮らしを紹介

たっくん(5歳):なかのん、僕、これ(大袋のあられ)買いたい。

なかのん:それを買うにはお金が足りないね。たっくん、他のお菓子を買ってお金使っちゃったからね。

あやな(7歳):私のお金足してあげる。

なかのん:あやなは優しいね。

あやな:うん、みんなで食べたらいいもんね。

これは今年のお正月、子どもたちと交わした会話です。日本にはお年玉という習慣があり、お正月には大人から子どもたちに小遣いが渡されます。木の花ファミリーの子どもたちはそのお金を使って木の花ファミリーの商品を買っているのです。子どもたちは各自、自分の好きなお菓子を購入しますが、それをみんなで分け合っています。分け合うことでたくさんの種類のお菓子をみんなで楽しんでいるのです。それはとても微笑ましい光景です。通常、子どもたちはお金を使うことなくお菓子や必要なものを得られるのですが、このようにしてファミリーの子どもたちはお金を使うことを身近なところで体験しながら、共有することを学んでいます。

木の花ファミリーは、赤ちゃんからお年寄りまで血縁を超えた84名(2017年1月現在)のメンバーとゲストを合わせて100名近い人々が一つの大家族として暮らす農的共同体です。1994年、人と人とが支えあい、互いを活かしあう暮らしを志した20名の仲間が富士山麓に木の花農園を設立し、その後2007年4月に木の花ファミリーと改称しました。それは活動の幅が「農園」の枠を超えたからでもありますが、この世界のすべての存在を家族とする想いに基づくものです。

私たちは農薬や化学肥料を使わずに作物と対話しながら育てる天然循環法により高いレベルでの食糧自給を達成し、農産物の販売も行っています。加えて、農家レストラン及び農家民宿の経営、教育プログラムや心と身体のケアの提供、便利屋事業や古紙回収など幅広い活動を行っています。

多種多様な事業の中で、農業及び関連事業は農事組合法人木の花ファミリーが主体となって行われ、社会貢献事業はNPO法人ぐりーんぐらすが主体となって行われています。どちらの法人もファミリーメンバーが経営の主体となっていますが、メンバーは原則どちらの法人とも雇用契約を結びません。メンバーの大半は農事組合法人の組合員となりますが、法人の利潤は組合員であるファミリーメンバーに配当され、メンバーはそれぞれ個人事業主として確定申告を行います。これは私たちの精神をそのまま表しています。ファミリーメンバーは一人ひとり自らの意志でこの暮らしに参加し、みんなでこの暮らしを創り上げています。そこには上下関係や雇用関係はありません。みんなが自由であり、平等であり、独立した存在なのです。

一人ひとりが事業を通して得たお金から生活費を集めます。そこからメンバー全員の税や年金、医療費や子どもの教育費、光熱費や日常の消耗品まで、生活に関わるすべての費用を支出します。生活費の総額は年間約2,000万円、一人当たり年間25万円以下のお金で豊かな生活を実現しています。自給自足と共同生活により、少ないお金で豊かに暮らすことが出来るので、競争や無駄がなくなります。お金に縛られず低い環境負荷で安心して暮らし、平和な心を育むことが出来るのです。

木の花ファミリーでの僕の学び

そんな木の花ファミリーに僕は2008年7月に初めて訪問しました。僕は当時、公立中学校で事務職員をしていました。中学生と共に過ごす中で感じていたのは子どもの貧困の問題であり、教育費に携わる中で、その問題の解決に少しでも貢献したいと思っていました。

「教育費が足りないのではなく、教育費思想が足りない」

これは当時の僕が大切にしていた言葉です。子どもは未来を担う社会の宝です。それならば、親の財力の違いに関わらず公費により平等に育てられて然るべきです。ですが、実際の学校では私費(保護者のお金)が沢山使われています。その背後には教育は個人のためであり、だから受益者が負担するという発想があります。そして、そこに競争原理が働き格差が生まれ、子どもの貧困が社会問題となっているのです。

自然はすべての人間が暮らすのに充分な恵みを与えてくれています。ですが、人間の自我は強欲や不安などの心を生み出し、それが格差や対立などの問題となって現れます。そのような現実に対して有効な手立てがなく無力感を感じる毎日でした。そんな僕にとって木の花ファミリーとの出会いは衝撃的でした。そこではお金について何の心配もなく支え合って暮らしている人々がいたのです。そこに未来を感じ、僕は仕事を辞め2009年5月20日に木の花ファミリーに移住しました。

木の花ファミリーに移住したばかりの頃。僕に言い渡された役割は、なんと!金庫番でした。その理由は「顔が四角いから」・・・というのは冗談で今までの僕の経験を踏まえた決定ですが、来たばかりの人間に経理を任せる木の花ファミリーに懐の深さを感じました。

あれから8年。僕はお金を通して様々な経験をして来ました。

冒頭で紹介した子どもたちとの交流もお金を通した学びです。子どもたちはお年玉をもらうことでお金を手にし、それを使うことを楽しんでいます。ファミリーの子どもたちのバックグラウンドは様々です。コミュニティ外部に祖父母がいてお年玉を貰ってくる子どももいれば、そういう存在が一切いない子どももいます。コミュニティ外部でお年玉を貰ってくる子どもたちは、そうではない子どもたちよりも多くのお金を手にすることになります。その時、子どもたちの中にそのお金を自分で持っていたいという気持ちが芽生えることがあります。ですが、私たちは基本的にそのお金はみんなのお金として預かることにしています。前述の通り、私たちの暮らしに必要なものは生活費によって過不足なく満たされます。子どもたちの必要も当然満たされています。そのような中、限られた子だけが自分のお金を多く持つことは、優越感や不平等感などを生み出し、それらの心は不調和に繋がります。そのことを丁寧に説明すると子どもたちは納得し、お金を手放していくのです。その姿はとても気持ちが良いものです。

このことは些細なことに思えるかもしれませんが、お金が人間に与える誘惑が表現されています。何かがあった時に備えたいという不安な気持ち、人より優位に立ちたいという気持ち、その気持ちのままに行動し歯止めが利かなくなったのが現代の資本主義社会の姿です。経済は一人ひとりの心の表現なのです。

先に説明した木の花ファミリーの経済は、頭で考えたシステムを適応したのではなく、メンバーの心磨きの結果であり、すべてを共有していく姿勢の現れなのです。大切なのは自らの心、その未熟さに向き合い続けることです。

僕自身で言えば、安易に人の希望に応じてしまう傾向を持っています。その傾向は時に人の欲望を刺激し、コミュニティに害をもたらします。例えば、先の子どものケースでも子どもの希望をそのままきいてしまったら、子どもたちの中に不調和が広がっていきます。僕は今まで何度も判断ミスをして来ましたが、僕の判断ミスはその都度みんなが調整をしてくれました。みんなの調整に支えられながら、僕は自らの未熟を知り、成長してきました。それはとても有難い体験です。

共有する経済が生み出すもの

先に説明した通り、木の花ファミリーには農事組合法人やNPO法人が存在し、それらの法人は資産を持ちます。そして一人ひとりのメンバーは財産を所有しています。ですが、それらはみんなから信託されたものであり、どこにお金があってもみんなのために使われていきます。それが安心感に繋がっていくのですが、そのためにも常に適切な判断をし、みんなが納得していく必要があるのです。みんなが納得することでお金はみんなのものとなっていきますが、その時、必要なのが、一人ひとりが自分の立場を離れ、全体視点を持つことです。メンバーは常に心を磨き分かち合う心を育んでいます。

自給自足と共同生活を基盤とする木の花ファミリーの経済は自然の恵みをいただき、みんなで分かち合う経済です。そこから生まれる事業は天の恵みを世の中に広げるためにあります。そのことを古田偉佐美(木の花ファミリー創設者:通称いさどん)は以下のように表現しています。

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今の社会では、みんな収入を得るために必死に仕事をしています。お店ならば、お客を獲得するために一生懸命、商品開発や営業活動を行っています。お客の増減はお店にとっては死活問題なのです。ですが、木の花ファミリーの活動はそれとは違います。私たちは天の恵みである作物をいただき、それを基盤として生活を営んでいます。収益を得ることが死活問題とはなっていません。ですから、私たちの商売は一般とは違うものなのです。同じ基準で考えてはいけません。天の恵みによって暮らす私たちは、心に余裕やゆとりがあります。そして、その余裕を心磨きに向けることが天との約束です。商売もその延長にあります。天の恵みの恩恵を世の中に広げていく。それが私たちにとっての商売で、心を伝えること、幸せを循環させることがその本質にあるのです。

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木の花ファミリーでは月に一度、自然食レストラン「恵みいただきます」を開催しています(現在、施設の改修工事のため休業中)。毎月200名以上のお客様をお迎えし、「元気をもらった」「夢の世界にいるよう」などの声をいただいています。それは古田の言葉にある通り、利益を追求するのではなく、人の心のぬくもりを伝え、集うことの楽しさを味わっていただくことを大切にしていることからこそ生まれる感想なのだと思っています。だからこそ、さらに謙虚に日々心磨きを続ける必要があります。そして、2017年3月21日には異次元空間カフェ「ロータスランド」をオープンし、幸せをさらに広げていきます。

経済は人が「はたらく」ことによって生まれます。木の花ファミリーでは、「はたらく」を傍楽と表現しています。それは「はたらく」ことの本来の意味が「傍(はた・他者)を楽(らく)にする」ことにあり、自分を超えたネットワークの中で役割を果たすことだからです。それは生産活動がそのまま宗教、芸術、倫理を生きることを意味した未開社会の人々の暮らしにも表れています。

人々がそのように「はたらく」時、お金も常に他者のため、全体のために使われるようになります。それが木の花ファミリーの経済であり、これからの社会のモデルになると思っています。すべての人がみんなのため、全体のためのお金を使う時、お金はどこにあっても同じとなります。どこにあっても誰が持っていてもみんなのお金となるのです。

環境破壊や経済格差などお金によって生み出される問題が山積みとなっている今、みんなで力を合わせて生きることが求められています。世界のお金がみんなのお金になって、みんなが世界のためにお金を使うようになった時、お金を巡る争いやトラブルはなくなります。そして、みんなで助け合って豊かに暮らす社会が実現し、今ある問題は解決していくでしょう。そのために大切なのは心磨きであり、それは、経済を通して自分を知り、そして自分を育み、結果、心豊かな経済を生み出す道なのです。

 

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ジョセフィーヌの木の花ファミリー滞在記

今年3月に初めて木の花ファミリーを訪れた、オーストリア人女性のジョセフィーヌ。「木の花ファミリーを舞台にした短編映像を撮りたい」と、5月18日から6週間の予定で再びファミリーにやって来ました。6週間の滞在を通して、ジョセフィーヌは撮影した映像をリアルタイムで発信していきます。まずは「序章」として、3月に来訪した際の映像が公開されたのでみなさんにご紹介します!(映像は彼女自身が英語で解説をしていますが、以下に日本語訳を掲載します。)

さてさて、これからいったいどんな映像ができあがっていくのか。どうなるのかは誰も知らない、彼女自身もわからない、天任せのプロジェクトです。できあがったものから随時ご紹介してまいりますので、みなさま、どうぞお見逃しなく!

「個の花」を咲かせる

ジョセフィーヌの木の花ファミリー滞在記 〜 序章

Individual Flowers – Konohana Family Introduction

わたしの木の花ファミリーへの初めての訪問は、たったの3日半でした。その時間で、わたしは木の花ファミリーの暮らしの概要を捉えることができると考えていました。しかし、ここではあまりにも多くの体験すべきことがあることにすぐに気づき、今回は6週間の時間を取って戻ってくることにしました。今回お見せする映像は、わたしが3月に初めて訪問した時のものです。紹介文は木の花ファミリーの自らの言葉を引用しています。

「木の花」という名は富士山の主神「コノハナサクヤヒメノミコト」に由来しています。木の花ファミリーは、血縁を超えた87名のメンバーとゲストを合わせて100名近い人々が一つの大家族として暮らす農的共同体です。木の花メンバーは、人々が互いにつながり、助け合い、自然や生きとし生けるものと調和して暮らしています。メンバーの一人一人が自らと真剣に向き合うことで、自我を越え、その結果それぞれの個性が美しく花開いていきます。「コノハナ」の「コノ」は日本語で「個人の」、「ハナ」は「花」を意味します。

子ども:もっと大きな花を見に来て!

ここでの花は、桜(人の命の美しさ)、梅(健康の美しさ)、そして桃(桃源郷の美しさ)を表します。ですから、みんなが個人の花を咲かせれば、それが全体としての大きな大樹の花となるのです。それは、すべてのいのちがつらなり、さらに大きないのち ―― 地球という惑星を構成する自然生態系の姿そのものです。

多くの人々は今、大地の上に立ち、自らの意志によって生きていると捉えているかもしれませんが、皆さんが大地だと思っているその場所は、地球という奇跡の星なのです。地球は秒速30㎞という速度で移動しながら、もっと大きな星と星との関係の中で役割を果たしながら、存在しています。そしてそれはさらに大きな宇宙の仕組みの中にあります。同じ様に、わたしたちはわたしたちの思考をはるかに超えた大いなる仕組みの元に生かされているのです。その現実に気づかない限り、わたしたちは本当の自らに出会うことはできません。それは、わたしたちを存在させている内なる私たちの意志でもあるのです。つまり、わたしたちはわたしたちを取り囲んでいる宇宙の意志によって役割を与えられ、生かされている。そして、それは私たちの内にある意思と同じなのです。その視点を持たない限り、私たちは自らのことを知らないものだということになります。生きることは、自らを知るためにあります。そして自らを知ることは、この世界の仕組みを知ることなのです。

21世紀は人類がそのことに目覚める時代です。木の花ファミリーメンバーの一人一人も、目的は、新たな時代のひな型となり、時代と共に変化しながら、常に天の意志を地上に表すことにあるのです。全ての人々が自らの内に眠っている神聖に目覚め、善意・愛・調和のネットワークが地球全体に広がりますように。

この先の数週間、木の花ファミリーの日々の暮らしの映像をシェアしていきます。ここでシェアされるコミュニティを基礎としたエコロジカルな暮らしが、みなさんにとって有用で、元気づける情報になるものになることを願っています。

 

これからどんな映像ができあがっていくのかは、神のみぞ知る!
これからどんな映像ができあがっていくのかは、神のみぞ知る!

 

 


生まれてきてほんとよかった!~ にちわの日記から

日和(にちわ)は先月1月に18歳になったばかりの超元気な女の子。木の花ファミリーで生まれ育ち、みんなに元気をふりまく太陽のような存在です。中学卒業後、高校には行かずに日々おやつ作りや畑作業をして過ごしていましたが、3カ月前から外でアルバイトを始めました。
先日部屋の掃除をしていて、以前いさどんとしていた「交換日記」を見つけた日和は、久しぶりにいさどんに日記を書きました。


「バイト始めて約3カ月たちました。」

今日は久々の休みで、部屋の掃除をしました。
そしたら日記が出てきたので、書きたいなと思ったので書きます。
まず、バイトをしたいと思ったきっかけは、遊ぶお金と免許のお金が欲しかったから!!
友達に誘われていい機会だなと思ったから始めました。

いざ初日、地獄でしたww
緊張と敬語が使えなくて・・・。(「315円でござる」と言ってしまった💦)
1時間でもう「やめたい」と思いましたww
夜、家に帰って、ほんとうにむりだと思って、恥ずかしいけど、泣きました。
でも次の日、プライドかなにかわからないけど、やるしかない!!と思って、とりあえず1週間がんばってみようと思いました。
そしたら、もうあっとゆう間に3カ月ww
もうほんと毎日楽しくて楽しくて、こんなに楽しく働いて、お金もらって、貯金できて、ほんと幸せすぎて嬉しさで踊りたくなるくらいww

―いさどんのコメント― 
それはあなたの性格が良いからです。自信を持ってください。

毎日楽しいから、この生活ほんとやめられないww
最初は2万円くらい稼げばいいやなんてかんがえてたけど、今じゃ8~9万円も稼いでるよ♥♥
木の花1のお金持ちww
なんでこんなに一生懸命お金貯めてるかというと、別に夢があるわけじゃないけど、もし夢ができたときにぜったい役に立つから❗️
ほんとは、いさ(いさどん)にアイス、おかしいっぱい買ってあげたい💧💧でもその気持ちはがまん!!
自分が自立することが一番。自立して、いさにいっぱいアイス買うんだ

―いさどんのコメント― 
ありがと!ありがと!ニッチー!

でもねでもね、バイトはじめてお金の大切さもわかったよ!
それと頼りにされてすごいうれしいことも。

―いさどんのコメント― 
性格がいいからでしょう。

高校にいってない私は、学歴もないし、これからほんとどうしようかなって、ずっと自分なりにいろいろ考えたときには、すごいネガティブになったけど、でも見た目や学歴ないからこそ、がんばろって思って、率先てきにいっぱい教えてもらった。
そしたら高校いってるこよりも、しっかりしてるし、ほんと頼りになるよっていわれてうれしかった♪

―いさどんのコメント― 
ワオー!

がんばればなんでもできるし、学歴なんてかんけいないんだって思った。
ほんと毎日充実してて、朝8時から木の花で仕事、バイト5時~10時まで。
つかれて帰ってきて、お風呂に入ってねる。文字にしたら、それがなにが楽しいかわからないけど、毎日充実してて、ほんと生きてるって実感わくし、毎日いろんなお客さんきて人間観察ほんと楽しい。今頃だけど、生まれてきてほんとよかった。
こんなに毎日の充実をありがとう!!ってかんじ
つかれて、ねて、おきても、今日も1日がんばろって思ってぜんぜん嫌じゃない!!
毎日毎日どんどんいろんな考えでてきて、いろんなこと覚えて考えて、どんどん大人になっていく。
日和は木の花に生まれたときから、幸せになることなんてきまってるけど、それを実感してる!!

―いさどんのコメント― 
すばらしい人生をこれからも生きて下さい。

ある意味、高校いかなくってよかった。そして木の花に生まれてきてほんとよかった。
今の生活があるのも、ここに生まれてきて自由にさせてもらってるからだね。そのおかげで毎日イキイキさせてもらってる♪この幸せみんなに分けてあげたいww
ほんとバカだけど生きててよかったって思ってるww
つらいことも楽しいことも新しいことも ぜんぶいいね♪
学歴ないしバカだし勉強きらいだから、この先不安だって思ってたけど、なんにもしらないからこそ新しいことが楽しいこと、学べることだって思って今はまえむきな気持ち。
この先真っ暗って思ってたけど、真っ黄色に変更!!
光で溢れてる。
こんどごはんいこうね♥♥

―いさどんのコメント― 
ワオ―ッ!よろしくたのむ!

生きてるってことは毎日充実してて、つかれてぐっすりねむれることだね!!
日和、布団に入って2分でねれる♪

毎月お金貯めるのが楽しみ。やっと自分の生き方わかったww
そしていさの笑顔が大好き
なにごとにも挑戦。ちゃんと毎日、日和のパワフルなエネルギー人の役にたってるよ♪

まだまだこれから!!勉強ですな!
そして部屋もきれいで心もリセットスッキリ✨
明日からがんばります

―いさどんのコメント― 
すばらしい日和の人生です。

楽しい毎日に乾杯🍷🍷

そしてロータスランド オープン ワクワク♥♥
豆乳がんばって作るぞ♪

長くなりましたがこれで終わりですww 殴り書きしてしまったw
ちゃんと日和生かされてますよ(^^)v
うまれたかぎり生かされなくてわいけませんね♪
人生なるようになる。流れていけばいいね♪

―いさどんのコメント― 
いさどんも明るくすばらしい日和に出会えて最高にしあわせです。
この日記、木の花の子供ミーティング、大人ミーティングでシェアして下さい。
みんな、よろこぶよ。

 


 

そして夕食後の子供ミーティングと大人ミーティングで、日和の日記がシェアされました。

バイトで不在の日和に代わって日記を読み上げるきょうこちゃん
バイトで不在の日和に代わって日記を読み上げるきょうこちゃん

 

みんな、とても幸せな気持ちになりました。
ありがとう、日和。

 

 


100人でお財布ひとつの暮らし~心でつながる「経済革命」

2月10日から12日にかけて、2016年「1ヶ月間の真学校」卒業生のトーマスが主催者の一人となる国際会議 “ The 3 Harmonies of Humanity: Living Transpersonal ” がアルゼンチンにて開催されます。
会議のテーマは、精神性と農、教育、そして経済。木の花ファミリーの取り組みを紹介したいというトーマスからの依頼により、いさどんが会議に先立ち農と経済のプレゼンテーションを行いました。(プレゼンテーションは、英語とスペイン語に翻訳されます。)今日はそのうちの、経済のプレゼンテーションをご紹介します。

EUの分断やトランプ米大統領の就任など、世界中で保守的な傾向が強まり人々の心が分離していく中で、100人の人がすべてを分かち合いつながって生きる暮らしがどのような世界観に基づいているのかをどうぞご覧ください。小さくても、ここ富士宮でそんな暮らしが実現されているということは、世界中で実現可能だということです。

 

意識が変わればすべてが変わるシリーズ ~ 経済革命
天の恵みの恩恵を世に広げる天然循環する経済

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天然循環とは、農法だけを表しているのではありません。それは人間の生き方そのものを表しており、宇宙の原理です。私たちの社会は経済によって成り立っています。その経済が天然循環しているとはどういうことかを、これから見ていきましょう。

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「わたしたちの住んでいる地球は宇宙雲の中ではちりのように微細な存在ですが、そこには生態系で表現される多様な命が無限の連鎖で存在しています」

宇宙は巨大なものです。そこには無数の星々があり多様性に満ちていますが、その中で生命が存在しているのは、地球が唯一の星でしょう。現代の人々は、生命は地球に偶然発生したという考え方を持っていますが、地球に偶然発生するのなら他の星にも偶然発生してもよいはずです。しかしおそらく、今後人類がどれほど宇宙を探査したとしても、地球ほど生命に満ちあふれた星に出会うことはないでしょう。ということは、宇宙の総意によって特別にこの星に奇跡が表現されていると考えた方が、私たち人類が地球上でどのような生き方をすることが大切なのかを理解する助けとなるのではないかと考えます。

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「そんな地球を空から眺めていると、自然の中にできた異物『大都市』が見えます」

僕は昔、霊的に自分の体から抜け出し、宇宙空間に漂いながら月を背にして地球を眼下に眺めたことがあります。そこで目にした地球は、病んでいました。都市や焼き畑など、人間の行いの結果がまるで皮膚ガンのように地表を蝕んでいるのです。
スライドに写っているのは、東京の航空写真と、ニューヨークのマンハッタンです。地球を体とするなら、細胞が新陳代謝をせずに呼吸できていない部分です。ガン細胞が増殖しているかのようですね。
このような人間の活動は、歴史的にはそれほど古いものではありません。地球誕生からの46億年の歴史を1年に例えると、およそ250年前に起きたイギリス産業革命から現在までは、たったの2秒間なのです。産業革命以降、工業テクノロジーと資本主義は急速な発展を遂げました。その結果生み出された人工の世界が、今、地球上に何をもたらしているのかを、世界観を広げて客観的に観る必要があります。天然循環の天とは、宇宙のことです。つまり、宇宙視点で地球の現状や私たち人間の行いを観るということです。

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地球の病巣である大都市で行われているのが、経済活動です。

「ニュースを見ていると、何か社会的な大きな出来事が起こったときインタビューを受ける人々の口から出てくる言葉は、お金のことばかりです。」
個人であってもマスコミであっても、何か出来事が起こるとすぐに「これによる経済的損失は」という話になります。頭の中が常にお金を中心に回っているのです。

「『このことが経済にどう影響を与えるのか』『お金がないと将来が不安』・・・など、人々の関心のほとんどがお金に関することになっています。その奥にあるのは『お金がないと生きていけない』といった思い込みです。」
「お金がないと生きていけない」というのは、まさに思い込みですね。山奥へ行って札束を与えられたとしても、それで生きていけるかといったらお尻を拭くぐらいのことしかできないでしょう(笑)。もしくは火をつけて燃やせば、暖かくはなるかもしれないですね。
生きていく上でお金が必須のものになったのは、歴史的にはそれほど古いことではないのです。

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経済活動とは、「人間の社会生活において、生産者や国家が財やサービスを生産し消費者がそれらを消費するといった、金銭や物資の交換にまつわる活動のこと。」
専門家にとっては当たり前の話かもしれませんが、簡単に言うと、経済活動とは財産を生み出すものです。そしてサービスを提供し、循環していくものです。右上の図が表しているように、経済活動には、生産、流通、消費という循環があります。ただし、これは人工の世界だけの話です。自然にはこういった仕組みはありません。
リーマンショックが起きた時、世界の経済活動が停滞した結果、地球温暖化の進行が一時的に緩やかになったという報告があります。しかしすぐに経済活動は復活し、相変わらず温暖化は進んでいます。世界の国々は、地球温暖化のもたらすリスクについて懸念しながら、一方で経済発展を追い求め続けています。世界各国が集い温暖化対策について話し合っても、結局はどの国も自国の経済的利益を守ろうとして、温暖化対策はおざなりになっていくのです。それは人間が欲望をコントロールするのではなく、欲望にコントロールされているからです。

「私たちは、暮らしを支える『衣・食・住』に必要なもののほとんどを、金銭と引き換えに手に入れています。その奥に見えてくるのは・・・」
現代社会でお金を介さずに行えることは、本当に限られています。山へ行って山菜を採るくらいでしょうか。しかしそれにしても、先日も山梨から野草を摘みに来ていた人たちがいましたが、それを売ってお金にするために摘んでいるのです。それはもう自然の恵みをいただくということではなく、お金儲けの世界になっています。人間がお金に支配されているのです。
現代の衣食住は、商業活動に基づいています。そしてその奥に、工業や農業といった生産の現場があります。そのさらに奥には、地球の天然資源を食い尽くしていくという実態があります。

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衣食住の奥に、資源を食い尽くし、ゴミを発生させ、地球を汚染している人間の姿が観えてきます。
経済活動をなしにしようということではありません。しかし、地球の健全と人間の活動をどう両立させていくのか。そこにはもうひとつ必要な視点があります。それは、私たちは生態系の中にあるということです。この地球上に生きている生き物は、人間だけではありません。私たちは、他の様々な生命と共にあるのです。その視点が人間の経済活動に組み込まれた時、他の生命への配慮の心が、現在のような一方的な経済活動をコントロールする力になるのだろうと考えます。

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「世界には衣食住を貪り食うものと貧困にあえぐ者が同時に存在し、誰のものでもない地球資源の利権をめぐって戦い続ける者たちがいます」
貧困もテロも、元々は誰のものでもない資源を人間が奪い合ったことから発生しています。それによって戦争まで起こしているのです。これは経済活動の問題というよりも、人間の欲望の本質を見直さなければ解決しないということを、世界の現状が示していると言えます。そこまで意識を広げることなく、ただ景気が悪いからと言って経済を活性化させようとしたり、トランプ氏が世界の企業に要求していることに対してどう対処するのかと物理的な討議をしているようなレベルでは、今の世界の問題が解決することはないでしょう。

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「欲のままに生きる人間たちが経済活動とともに地球上にもたらした現実は破壊された環境とゴミの山」
日本は昔、ゴミを埋立地にして夢の島という所を作りました。その恐ろしいほどたくさんのゴミの中で、現代を象徴しているのが放射性廃棄物です。これは、どう処理をすればよいのかが決まっていません。フィンランドには今後10万年は持つと言われる処分場の建設が進んでいるそうですが、現代の技術では、放射性廃棄物は処理ができないのです。処理ができないものを、人間は一時的な貯蔵の処置をしながら、廃棄し続けています。
先進諸国では、物理的に目に見えやすい汚染というのは減りましたが、では陰で何が行われているのか。人類は地球にゴミを輩出しながら、それを見えないように処理しているのは事実です。そういったことを見逃してはいけません。本来経済活動とは、自然と調和しながら人々を幸せにし、社会を豊かに進化させていくものでなくてはなりません。では、「経済」の本来の意味を見てみましょう。

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「『経済』という語は中国の古典に登場する『経世済民』に発しこれを略したものといわれています。」
経世済民とは「世を治め民をたすける。民の苦しみを救うという意。英語の『Economy』の語訳として使われる今日の『経済』とは異なり 本来は、政治・統治・行政全般を指す言葉であった。」
簡単に言うと、まつりごとということです。世を健全に治め、民が健康で幸せに暮らすために経済がある。当たり前のことですね。

お金とは、社会を体に例えると、その中を循環している血液のようなものです。私たちの体を見てください。血液が体の末端までくまなく循環し、すべての細胞が活性化して常に新陳代謝している体は健康ですね。それは、地球の生態系が健全に循環する仕組みと同じです。私たちの体も、人間社会の経済も、地球生態系も、すべて同じ仕組みで成り立っています。ところが現代の人間社会は、お金、即ち血液が隅々まで循環せずに滞っている状態です。血液が循環しなければ体は病気になっていきます。本来、地球生態系が健全に循環しているのと同じように、社会全体にまんべんなくお金が循環していくのが経済のあるべき姿ですが、そこからすると現在の経済の在り様は、本来の姿から大きく外れています。

「現代の経済活動の実態からは、『経世済民』の意味を見出すことはできない。」
これはとても重要なことです。人々は「経済」の本来の意味を忘れているのです。

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「現代社会には『資本主義』と『共産主義』という、大きく二つの経済システムがあります。これらは本来は政治も含めた、理想の社会の表現であるはずですが、現代社会に様々な問題を生み出しています。科学する現代人は、あるモデルが出来ると一律同じでなければいけないと考え、それが人間の単一化を招き、多様性を欠いた社会をつくっています。」
資本主義も共産主義も、目標となる理想モデルがあり、そこを目指して人々が競争していくというピラミッド型の社会構造を作っています。

資本主義社会は、「私有財産を認め、自由な経済活動をすることが出来る社会。人間の欲を刺激し同じものをめざして競争させるため、優劣(貧富の差)ができる社会」ということです。もう一つ言えるのは、自然に配慮しないで人工の世界を優先するために、環境破壊が起きるということです。
共産主義社会は、「資本主義の矛盾を解消するために登場した仕組み」です。資本主義の方がずっと歴史が古いですね。資本主義社会が様々な矛盾を生み、それを解消しようとして登場したのが共産主義なのです。それは「私有財産を禁止し、平等な理想社会を目指したが、一律な平等を強制し、人を部品のように扱う社会になった」ということです。
多くの共産主義国はすでに崩壊しています。北朝鮮のような独裁国家や、中国のように共産主義といいながら実質は資本主義が横行している国があるだけで、実際に理想の共産世界を実現することなく終焉を迎えています。共産主義社会の中にも、元々、自然との調和という概念がありませんでした。
そして「資本主義も共産主義も、どちらも無個性な世界をつくる」のです。

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イスラム教は、利子を取ってはいけないと説いています。そこには利子を取らずにみんなで助け合う相互扶助の精神があります。イスラム教にはそういった優れた面があるのですが、今はキリスト教社会に対抗する悪のような存在だと捉えられているところがあります。

「利子で成り立つ資本主義社会では、借金をしたものは返済のために働き続けなければならない。『富めるものは富み、貧しきものはさらに貧しくなる』という弱肉強食の仕組みが、格差社会を生み出した。」
自然界は弱肉強食と言いますが、そうではありません。自然界とは命のバトンタッチであり、すべてが循環しているのです。その一部分だけを切り取って、例えばライオンがシマウマを食べることを人間の視点で見ると弱肉強食に見えるのですが、視野を広げて観れば、ライオンは数が増えすぎたシマウマを間引いて全体のバランスを保っているとも言えます。それはシマウマのためでもあるのです。
しかし、現代の人間社会には弱肉強食とも言えるような世界が存在しています。

「一般人の給料は安くなり、失業者は増え、若者の就職率は低迷し、多くの企業は倒産し自殺者の数は増え、人々の不安が広がり、社会は行き詰まりをみせている。」
これが現代の実態です。それを数字の上だけで改善しようとしているのが今の経済対策です。それをいくらやっても、そもそもなぜそうなるのかという根本原因は観えてきません。必要なのは、社会の在り方を根本から変え、見直すことです。

「政治家も国民も、経済の行き詰まりに対する解決策として、経済を成長させることしか考えられず、全ての思考がお金に縛られている。右肩上がりの思考。」
利子があるということは、経済が右肩上がりでなければ成り立ちません。それは常にプラスであることを求めている状態です。しかし、プラスマイナス0が宇宙の根本原理です。常にプラスを求め続ければ、宇宙的にも、地球の環境にも矛盾をもたらし、今世界はその限界を迎えています。アメリカ大統領のトランプ氏は、これまでアメリカが世界中に手を広げてきたやり方から方向転換し、これからは国内に集中して自国の利益を確保していくということを明言していますが、経済というのは相互の関係があって初めて成り立つものですから、自国のことだけを考えてうまくいくわけがありません。そういった意味でも、トランプ氏が大統領になったことは時代を後戻りしているかのように見えますが、実際に時代がその方向へ進むのではなく、このトランプ現象は、いよいよこれから世界が行き詰っていくことの前兆であると言えるのです。

「『お金がないと生きていけない』という刷り込みから、人々はお金に執着するようになり、将来に不安を抱えながらお金のために仕事をし、仕事に対する純粋な誇りは失われた。」
現代は、働くことがお金のためになっています。天然循環法の農業のプレゼンテーションで、命を天からいただくというお話をしました。私たちは自然の仕組みの中で命をいただいているのですが、農業の生産現場ですら、命を生産するのではなくお金のためにやっているという、歪んだ状態になっています。

「企業の生産活動の多くが、地球の資源を搾取しており、消費をあおってお金を儲けている。これ以上経済活動が活発になったら、地球は持たないという限界まで来ている。」
地球に限界が来る前に、人間社会は確実に崩壊するでしょう。今私たちが生きているのは、壮大な時代の流れの中の一篇にしかすぎません。地球は時代と共に人間を修正していくのです。今中国では、インターネットビジネスが恐ろしい勢いで成長しています。これは急速に発達してバブルを迎え、やがて崩壊する前兆だと言えるでしょう。そこに未来への希望は感じられません。

「欲のままに生きる多くの現代人は、経済活動が地球環境に多大な負荷をかけているという事実に鈍感である。」
なぜそうなのかというと、人々は人間の側から物事を捉え、その視点でしか思考しないからです。ですから今必要なことは、世界観を広げ、宇宙の側から地球を観ることです。

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これは格差社会の象徴とも言えます。

「世界中に数あるタックスヘイブン。その中の一つの法律事務所の機密文書が流出したことにより、世界の裏のお金の動きが見えてきた。文書には、企業のみならず、世界各国の名だたるリーダーが名を連ねている。」
今、世界中のマスコミ関係者がこれを暴こうとしています。ところがこれがとても難しいのです。様々な人々の名前が挙がっているのですが、実際にその人がやっているものもあれば、本人もあずかり知らぬところで名前だけが勝手に使われているものもあり、複雑で実態がどうなっているのかがなかなかわからないのです。
しかし、2012年12月21日の銀河の冬至を越えて世の中に光が差し始め、こういったことが明らかになり始めました。世界中でこれまで人々が行ってきた不正が、暴き出されようとしているのです。
世界の超富裕層がタックスヘイブンに持つ資産は21兆ドルを超えていると言いますが、あまりにも数字が大きすぎて、逆に人々はそのことに鈍感になっています。現代は、実体を伴った目に見える経済よりも、裏に隠れている悪意的な意識に基づく経済が大部分を占めているのです。

さて、これをどう解決すればよいのでしょう。あまりにもその実体が大きいからと諦めるのではなく、これは明らかに、人間一人ひとりの意識改革から始まるのです。今明るみになってきていることは全体からすればほんの一部ですが、暴かれ出したということは、そういった不正の動きが終末を迎えているということなのです。

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『モモ』や『はてしない物語』の作者であるドイツの児童文学者、ミヒャエル・エンデは、こう語ります。
「自然界のものはすべて腐っていくのに、なぜお金だけは永遠不滅で逆に価値が増えていくのか?」という問いに対して、「自然界のものは神が作ったものだが、お金は神ではなく人間が作り出したもの。人間の欲の心が、お金を貸して利子をつけて儲けようという仕組みを生み出した。借金で成り立つ経済システムの中で、人々は増えてゆく利子に追われ、経済活動をしている。」
現代人は、お金に追われるシステムの中で生きています。自然界のものは神が創ったと言うと無神論者は「怪しい話だ」と言いますが、神とは宗教が御利益的に崇める神ではなく、自然の法則であり、宇宙の物理的原理の実体です。そう捉えれば、現代の経済システムが自然を破壊し、矛盾を生み出すものだということが明快にわかります。

スライド14

利子とは不思議な仕組みです。ただお金を貸しているだけで、何もしなくてもお金が増えていくのですから。

「豊かなものをより豊かにし、貧しいものをより貧しくする仕組み~利子は格差が広がる社会をつくる。富裕層トップ8人の資産は、世界の最貧層36億人の合計と同じ」
スライドにある、2010年からの推移を見てください。だんだん格差が極端になっていっています。ひどい話です。

「利子は無限の経済成長を強いる」
経済が常に右肩上がりでなければ、利子は成り立たないということです。

「有限な地球環境をすり減らす。利子は時間と共に増え続けその分を稼がなければ、債務は増え続け、企業は破綻してしまう。しかし、企業が成長を続ければ、環境破壊が続いていく。」
つまり、こういった経済活動は、世界に矛盾を生み出す仕組みなのです。

「利子はみんなで払っている」ということは、「みんなでお金持ちを支えている」ということになります。私たちが購入する商品の価格には、企業が銀行に支払う利子の分の代金が上乗せされています。商品だけではなく、税金にも利子分が組み込まれています。日本の国債残高は現在1000兆円を超えています。そのツケが、国家予算を組む時に税金として国民に回ってくるのです。そうしてみんながお金に追われていくのです。
なお、2060年には日本の借金は8000兆円を超えると言われています。天文学的な数字ですね。

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Solar System 2.0 – djsadhu.com

「経済が時代のどんな流れの中で発生・発展してきたのかを見てみましょう。星と星の対話により時代は創られ、その時代の流れの中で、人類は発展してきました。いくつかの時のサイクルを見ながら、時代の流れの中でどのようにして経済が発展してきたのかを見ましょう。」

この視点を持つということは、今日の食べ物をどうするかとか、自分は1年間にどれだけお金を稼いだかとか、一生のうちにどれだけお金が必要になるかといった身近な世界も経済の中にはありますが、そのような小さなことではなく、遠い過去からずっと時代が紡がれてきた中で経済がどのような変遷をたどってきたのかを観るということです。その変遷を理解することで初めて、人間の性質によって経済の仕組みが歪められてきたことが観えてくるのです。

このスライドに描かれているらせんは、太陽の軌道を表しています。太陽は2億2600万年をかけて銀河を1周するのですが、それは単なる円運動ではなく、らせんを描きながら進んでいるのです。

ではここで、太陽のサイクルを見てみましょう!

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「太陽の一螺旋 25800年のサイクルが地球の歴史を創っている」
このことを理解しなければ、時代が地球上の出来事の源泉をリードしているということを理解することはできません。私たちは天体と共に時代を表現し、その意志のもとに生きているということがわかって初めて、個人の自我から離れ、時代を担っているという意識を持つことができるのです。

太陽は、2億2600万年かけて銀河を1周する間におよそ9000回のらせんを描き、らせんの1回転は25800年です。この図は、その太陽のらせん1回転のサイクルを表しています。太陽は進行方向に向かって反時計回りにらせんを描いていますので、この図も反時計回りに進んでいます。

現在私たちは、図の一番下にあたる「銀河の冬至」を越えたばかりのところにいます。地球が1年に1度冬至を迎えるように、太陽系もまた、1らせんごとに「銀河の冬至」を迎えるのですが、今から約4年前の2012年12月21日に、25800年ぶりの銀河の冬至があったのです。冬至とは、もっとも光の少ない闇のピークです。つまり、私たちは今、闇のピークを越えたばかりのところにいるということです。

今から半周前の12900年前には、「銀河の夏至」がありました。夏至とは光のピークです。この時代に、東アジアにカタカムナ文明という高度に発達した精神宇宙物理学が存在していたことが明らかになってきました。そこから銀河の冬至に向かって進むに従い、徐々に闇が増して、カタカムナ文明は衰退していきます。

そして夏至から4分の1周進んだ秋分のあたりで、現代に通じる物質文明が始まります。即ち、経済の始まりです。ここからを「有史」と言います。それはどういうことかと言うと、紙が発明され、文字で記すことが始まったということです。そこから人間は、ものごとを立体的にイメージするのではなく、紙の上で二元的に考えるようになりました。命を天からいただくという姿勢ではなく、自ら獲得していこうという損得二元勘定が生まれたのです。そしてものごとを直観で感じ取ることよりも、学習して知識を得ることが主となって、現在に至っています。

中国に「天盤の巡り」という言い伝えがあります。これは太陽のサイクルとも一致しています。物質文明の始まりである6450年前から3275年前までの太陽の8分の1周の期間を、天盤の巡りでは「青陽期」と言います。これは「王の時代」とも言われ、権力者が世を支配する時代でした。

その次の3275年前からの8分の1の期間を「紅陽期」と言います。これは「聖人の時代」と言って、宗教が世を支配する時代でした。銀河の冬至に向かって闇がいよいよ極まっていく中で、人々は聖人にすがって御利益を求め、どんどんものごとの本質がわからなくなっていく時代だったのです。そのような御利益的に人々を惹きつける宗教は、神の存在すら個人の損得の上に求めるようなものとなってしまいました。本来宗教とは、宇宙の本質を掴み取り、人間を高い意識に導くものでなくてはなりません。しかし、御利益的組織宗教は、時代に争いの種をまき散らした存在でもあったのです。そのような近代の宗教は、もう終わらなければなりません。

そして銀河の冬至の少し前(1927年)に「紅陽期」は終焉を迎え、「白陽期」が始まりました。これは「庶民の目覚めの時代」ということです。誰か特別な聖人に頼るのではなく、一人ひとり誰もが目覚めていく時代が始まったということです。銀河の冬至を越え、徐々に光が増していく中で、庶民一人ひとりが宇宙の法則や人間の本質に目覚め、自分たちは何者で、どう生きていくべきかを悟っていく。つまり、それまで聖人だけが有していた意識レベルに誰もが到達し、すべての人が仏陀として生きる時代が始まったということです。

光から闇のピークへと向かってきたこれまでの時代の人々は、経済を活性化し、物理的に豊かになることを追い求めてきました。しかしそれは、肉体を持って生きている間のほんの一瞬のことにしかすぎません。真の人間の価値とは精神性にあり、この世界の実体を悟って目覚めることにあります。それは生死を超えたものです。そしてその目覚めた状態でこの世界に貢献する役割を果たしていくことが、人間としての本来の価値ある生き方なのです。

これまでもそういったことは宗教の世界などで語られてきましたが、宗教はどれも皆組織を作り、信者からお金を吸い上げて、組織を大きくしてきただけでした。その時代が終わりを告げ、いよいよこれから一人ひとり誰もが仏陀として生きる時代が始まります。地上を生きる者が皆仏陀になるということは、天の法則が地上に表現されるということですから、人々がそのような意識に到達すれば、地上天国が実現するのです。

それでは、物質文明の始まりから現代までの、太陽の1らせんの4分の1を拡大して見てみましょう。

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太陽の1らせん25800年の4分の1を詳しく観ていくと、文明発祥と経済の発達が観えてきます。およそ6400年前に、世界最古の文明であるシュメール文明が発生しました。このシュメール人とはとても不思議な人たちで、現代に通用するような宇宙観を持っていました。

「世界最古の文明の発生 統治国家、高度な法体系、経済、科学、医学、建築、農業、文字の発明、天文学、数学、芸術の発達、宗教、暦の発明 = 現代文明の基礎が出来上がっていた ➡︎ 貨幣経済も始まっていた」
シュメール人は現代文明の基礎を築き、それを受けて様々な文明が発生していきました。シュメール人は宇宙から来たのではないかという説があるほど、突如として高度な文明を築きました。

この図は、円が連なっているように見えますが、実は東洋文明と西洋文明が交互に発展と衰退のサイクルをくり返し、800年ごとに入れ替わりながら共に進んでいる二重らせんを表しています。
およそ4000年前に、バビロニアで本格的な金融活動が始まりました。約3200年前にはバビロニア商人の流れを汲んだフェニキア商人が台頭し、それとほぼ時を同じくしてユダヤ教をはじめとする宗教の時代が始まります。そして国を持たないユダヤ人たちは、移動しながら商業や金融業を発達させていきました。現代の世界の経済はユダヤ人が握っていると言われるように、当時からユダヤの人々はそういった才に長けており、国家を持たなくともお金で世界を支配してきたのです。
その後、様々な宗教が成立し、現在に至っています。これは地球上の歴史の経緯ですが、宇宙的なターニングポイントである銀河の冬至とちょうど同じタイミングで、西洋文明と東洋文明の盛衰が入れ替わっています。そしてこの銀河の冬至を境に、私たちは光のピークへと向かっていく時代に入りました。光が増していくということは、ものがよく見えるようになっていくということです。これまでの闇の時代に積み上げられてきた矛盾が次々と明るみになり、それを改めていく時代が始まったのです。
改めていくためには、眠っていてはいけません。中国の天盤の巡りが示しているように、庶民一人ひとりが目覚めていく時代が始まったのです。

産業革命が起きたおよそ250年前は、この図で見ると現代のほんの少し前にすぎません。ところが産業革命から人類は劇的な変化を遂げました。人口が急激に増え、環境破壊が一気に進み、闇の時代の矛盾の仕上げが成されたのです。それは、矛盾を仕上げ、目覚めなさい、ということでもあるのです。

それではこの図をさらに拡大し、近年の800年を見てみましょう。

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文明は1600年ごとにらせん一つ分のサイクルを刻んでおり、800年はその半分です。この800年間は、西洋文明が開花期を迎えていました。それに対して東洋文明は準備期に入っていました。次の開花に向けて準備をする期間だったということです。

そして東西の文明が入れ替わる時には、必ずそれまでの価値観を壊すような世界的な大動乱が起きています。20世紀から21世紀へと切り替わり、東西文明の入れ替りの時を迎えている現代は、まさしく世界中で大動乱が起きています。世界的な動乱と同時に、個人の意識にも変革が起きています。そういった時代の壮大な流れを、個人個人が日々の生活の中で意識して生きることが、庶民の目覚めにつながっていくのです。

今、日本をはじめとする複数の国々で若い人たちが子どもを持とうとせず、様々な地域で少子高齢化が進んでいます。これまで経済は右肩上がりで成長してきましたが、これからは少子高齢化が進み、これまでのような形では成り立たないようになっていきます。ところが人間はこれまでの在り方に執着し、過去を復活させようとするのです。しかし、時代は常に先へ先へと進んでいるのですから、過去に留まろうとすれば必ずそこには矛盾が発生します。ですから、これまでのやり方では立ち行かなくなる時代が来たのだということを、悟らなければならないのです。

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「お金をたくさん持っている=価値ある人生ではない」
お金を持っている人が優秀であり、お金をたくさんかけて教育を受けて社会的に高い地位につくことがよいとされてきたのが、これまでの時代でした。今、韓国でも中国でも、教育を受ければお金を稼いで豊かになれるということで、人々は異常なほど教育に熱心になっています。ところが、いくら教育を受けても、役に立たないものは役に立たないのです。大切なのは、その人の本質に基づいて教育がなされることなのですが、今は欲望の上に教育が成り立っているのです。

「お金をたくさん得て社会的な成功者と呼ばれる人々が、必ずしも人間としての価値が高いというわけではない。努力して成功を勝ち取ったところで、それが他国の人々の苦しみや環境への多大なる負荷の上に成り立っているとしたならば、それを良い人生といえるだろうか。いずれ地上での役割を終え、全てをリセットして魂として旅立つ時、人としての価値が問われるのである。」
生きている間にどれほどお金を稼いでよい思いをしたとしても、いずれ生を終えて旅立つ時に、必ずその価値を問われます。こういった考え方を持つことが大切です。これはどちらかと言うと東洋的な考え方であり、これからの時代を生きる人類には必ず問われていくことです。

「物理的な豊かさや成功のみを追い求めなくても、人間はもっと豊かに暮らすことができる。それは生きることに不安のない状態であり、みんなで分かち合う生き方である。」

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「自然はバランスよくエネルギーを与える ~なぜ人類は、みんなで分かち合う暮らしが出来ないのか」
有史以前は、分かち合う暮らしをしていました。12900年前の銀河の夏至である光のピークの時代には、人々は群れで生き、互いの能力を活かしあいながら、助け合って暮らしていました。それが、自己の利益を優先するがために、今の人々にはできなくなっているのです。

「今まで分離と闘争の時代だった。本来自然は無駄なく、全ての生命に、そのものが必要としているエネルギーを与えてくれる。自然は生態系全体のバランスを取り、そのバランスの中でそれぞれの生命は役割分担を果たしながら、ふさわしいエネルギーを自然からもらい、連なって生きている。」

自然界は、ひとつらなりの命です。全体がひとつの命であり、一つひとつの存在が全体に抱かれています。自分の力で生きているのではなく、生かされているのがこの世界の仕組みです。ですから、新たな時代の経済は、「共有する経済」ということです。

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ここは、もっとも大切なポイントです。

「お金は社会をめぐる血液であり、純粋なエネルギー 与えられる量が多すぎず少なすぎず、それぞれに相応しく血液が巡り、常に流れていることが、健全な体(=社会)を作る。自然界がひとつの体であるように、社会もひとつの体として機能していけば、バランスの良い供給を可能にする経済システム=共有する経済が可能になる。現在の地球は人間社会も自然環境もアンバランスで病的な状態にある。」
その原因は、人類の意識にあるということです。

「人類の意識が高くなり、愛と善意に基づいたエネルギーを乗せてお金や物を循環させていけば、最終的には地球がひとつの経済システムとなり、調和する。」
私たちは、地球という同じ家に住み、同じ乗り物に乗って宇宙を旅している仲間なのです。それを生活を通して表現しているのが、木の花ファミリーの生き方です。

「コミュニティーのメンバーが調和的な精神を有することにより、全体が調和し、健全な循環を表現することになる。そこでは一人ひとりのエゴ的感情がなくなり、個人の利益を得ようとするのではなく、メンバーはコミュニティーが円滑に営まれるための役割を果たしていく。」
「コミュニティのメンバー」というのは、どこか特定の共同体に住んでいる人だけを指すのではありません。そもそも地球そのものがコミュニティなのですから、人類は皆、地球コミュニティのメンバーなのです。人類が調和的な精神を有することで、地球全体が健全に循環していくのです。それは経済成長一辺倒になってしまった今の時代からすると、画期的な大転換です。

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「本来の生きる目的は社会に貢献すること ~人が生きる目的は世界観を広げ、人間性を高めることによって、エゴに走らない優れた人間として人生を生き、コミュニティーや社会に貢献して、高い意識レベルに到達し、人生の終焉を迎えること。」
そういった高い意識レベルに到達すると、人々は「必要以上に獲得しようとしなくなる」のです。今の世界では、富が一部の場所に異常に偏っています。そのような状態を、私たちの体に例えると病気と言います。

「逆に獲得しようとして競争に負けたものは、敗北感や劣等感を持ち、社会の保護の元に暮らさなければならない。国によっては、貧困層どころか、スラム化したり、援助を頼りにした国家や生活が出来てしまう。」
援助によって生活が成り立っている場所では、人々は援助に依存して生活力を失い、人間本来の生命力が弱まっていくということが実際に起きています。

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「それでは木の花ファミリーの経済を見てみましょう」!

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「お財布はひとつ」と言うと、ゲストの人などから「そんなことは考えられない」と言われることがあります。「財産はすべて丸見え」と言うと、「やっぱり隠しておきたい」という反応を示す人もいます。しかし木の花ファミリーでは、こういったことが現実に成っているのです。

これは「みんなの富の山」です。日本語で富士山は「富の山」と書きますから、これは富士山です。みんなで富を集めて、みんなで使います。そんなにたくさんの富がなくても、みんなで使えば効率よく有効に使うことができます。もしもこの富の山を一人ひとりに分けてバラバラに使ったら、一人の持ち分は少なくなりますし、同じことをバラバラにやるわけですから無駄もたくさん発生するでしょう。しかし、それをみんなでやることによって、少ないお金でとても豊かな生活が実現するのです。

これは、これからの世界経済の見本となる経済システムです。それを「ビュッフェ経済」と名付けました。

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「コミュニティーはひとつの体・生活の中の役割分担・ユートピアを表現するファミリーの暮らし」
木の花ファミリーの暮らしの中には、「医」「芸術」「環境」「教育」「社会」「経済」「食」「農」という様々な分野があり、そのすべての中心にあるのが、天然循環をベースにした「菩薩の里」の精神性です。それは高い精神性を有した人々のネットワークによって営まれる世界です。

「精神性を柱として、各部門が有機的につながり運営される」
一人の働きは全体のためにあり、全体は一人ひとりの働きをつなげて循環しています。それは地球生態系と同じ仕組みです。そこに、お金のために働いている人はいません。

「傍(はた)楽(らく)精神」というのは、自らの損得を考えて労働するのではなく、「傍」、つまり他者を「楽」にするということであり、社会の循環を円滑にするための働きです。

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「社会と繋がり広がる事業」ということで、「恵みいただきます」という食事イベントを月に1度開催したり、「癒し処たんぽぽ」で整体やマッサージのサービスを提供したり、地域の便利屋をやったり、新しいプロジェクトとして「ロータスランド」というカフェ&ショップ(木の花ファミリーアンテナショップ)をオープンします。

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その他、心身の病を持つ人の回復をお手伝いする「自然療法プログラム」、個人の枠を超えて様々な人々が集い語り合う「大人サミット」、そして1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し心と宇宙の仕組みを学ぶ「1ヶ月間の真学校」などの活動も行っています。

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「天然循環法に基づいた調和の精神 コミュニティーは一つの生き物であり、全ての活動の母体です。その中では全ての個性が尊重されます。そして様々な個性がつながりあい、それぞれがふさわしい役割を果たしていけば コミュニティー全体が調和の流れの元に運営されていくのです。」
この構造は地球生態系と同じですね。さらに言えば、銀河、宇宙の構造と同じだということです。

「それぞれの生命が個性を発揮しながら地球生態系が調和を表現するように、人類それぞれが全体を担っているという自らの役割に目覚め、他者の喜びのために働けば、この世界は調和に満ちた世界になるのです。」

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「現代の『労働』と『ハタラク』の違い 現代の労働 金銭を得るためにするもの。現代人は便利さや欲の追求のために、多くのお金を必要とする。多くの産業は天然資源や、人々の過酷な労働、動物たちの犠牲の上に成り立っている。生活も、労働も苦痛の上に成り立っている。
働くという文字は『人が動く』と書きます。『人が動く』ということは自分の為に動くのではなく『他者の為に動き傍を楽にする』という、深い意味があります。」
「人が動く」とは生きるということです。生きるとは、生態系の循環を円滑にするためにあるということです。

「命あるものは全て、そのものの独特の働きがあり、その働きは生命ネットワークの中で個性的に生かされます。働く事は、命が生き生きとすることであり、喜びなのです。」
ですから、現在の労働のように苦痛の上に成り立つものではないということです。

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「『資本主義経済の時代』は時代が生み出した『たった2秒の物語』」
この2秒間のマインドコントロールを解くことが、今必要です。

「250年前に始まった産業革命以降、西洋社会で始まった工業化の波と人口の増加、ヨーロッパから入植して建国されたアメリカ合衆国から始まった資本主義経済が世界を動かしてきた。今時代は大きく舵を切ろうとし、人類は経済発展一辺倒の呪縛から目覚める時が来ている。しかし、現実には人類は未だに『資本主義経済』という強烈なマインドコントロールにかかっている。
地球の誕生から始まり、生命の誕生、人類の誕生、文明の発生と、歴史をつなげて物語としてみた時に、地球46億年の歴史を1年に例えると、その中でこの250年はたった2秒の出来事である。人類はその『2秒間の物語』のマインドコントロールにかかっている。
そのマインドコントロールは、今時代と共に終わる時が来ている。時代の切り替わり時を迎えているにもかかわらず、人々はこれからやってくる新たな発想に対して、今までの価値観でしか物事の本質を観ることが出来ず、次の時代が提示しているあり方が観えないのである。」
これまでの時代に優秀とされてきた人々は、特にそれが観えません。それは、人間が思考を回すことによって豊かさを得ようとしてきた人たちです。では、優秀でなかった人々が観えるのかと言ったら、やはり観えません(笑)。
観えるのは、何かが閃いた人です。「何かが変だ」と閃く人たちが、これから観えるようになっていきます。そういった人々は特に、新しい時代を生きる若い世代の人々の中に多く見られるようになってきています。

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「新しい時代の価値は『命の絆・真心』~ 社会が行き詰まりを迎えた今、多くの人が世界の動向に不安を抱えている。有識者は過去の歴史を顧みて、今世界が歴史的な大転換期を迎えていることを読み取っているが、その先にある次なる社会の在り方を語ることが出来るものはいない。
歴史をはるか遠く遡ってそれぞれの時代をつなげて見た時に、時代には流れがあり、そして意志があることが観えてくる。現在の世界的混乱を受けて、経済主体の物質主義文明に代わり、新たな精神文明が始まろうとしている。
そこで人類が大切にする価値は『いのちの絆』『真心』である。それらは、これから作るものではなく、宇宙の発生と共に、元々あったものである。」
それは宇宙の発生と共に元々あったものであり、今、人類はそれをよみがえらせる時に来ているのです。

今、時代は大きな切り替わりの時を迎えています。そのことを示す現象が、世界中のあらゆることに現れています。そこをひも解かなければ、現代の混乱の先は観えてきません。
そこで必要なのが、「時代主義」という捉え方です。これは資本主義や共産主義に代わる、21世紀の人類の新たな生き方です。資本主義も共産主義も、物質的な発展を求めるものでした。しかしこれからは精神的発展の時代であり、そのベースとして時代主義が必要とされてくることでしょう。

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「世界観を広げ、意識が変われば、経済や時代の捉え方も変わります。それは、全ての好循環の始まり。あなた一人の行動から始まります。」
12900年前の光のピークの時代は、まだ人類が闇を知る前の光の時代でした。そこから、光とは何であるのかという本当の意味を知るために、人類は闇を体験する必要がありました。私たちは今、闇の時代を経て、再び光に向かおうとしています。今、闇の真っただ中を歩む私たちは、そこに希望があることを、時代主義を通して知ることになるでしょう。

「あなたはこれからどのような行動をしますか。」

32

「ご清聴ありがとうございました。」

 


 

分離と競争の社会から「分かち合い」の社会へ

2017年2月19日~3月18日
「1ヶ月間の真学校」開催!

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囚われを外したら

そこは宇宙だった

 
何か問題が起きた時「自分は悪くないのになぜこんな事が起きるのだろう」と思ったことはありませんか。
人は問題を見つけると、とかく自分の外に原因を探し、周りを変えようとします。ところが周りはどうにも変わることなく、問題だけが積み重なり、今や家庭の中から地球規模に至るまで、どこもかしこも問題だらけの、行き先の見えない世の中となりました。
しかしそれは視点を変えれば、大転換のチャンスでもあるのです。

1ヶ月間の真学校は、人生の問題のあるなしに関わらず、生きることの突破口を開く場です。そこに特定の正解はありません。一人ひとりが客観的に自己を捉える冷静な目を養い、視野を広げ、その人らしい人生を自ら切り開いていく力を身に付けます。

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【日程】
2017年2月19日(日)~3月18日(土)
【会場】
木の花ファミリー
【定員】
15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】
18~22万円 収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。
【内容】
「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多彩な切り口の講座を通して、受講生一人ひとりの心の性質や人生の使命、そして時代の流れを読み解きながら、この世界の真実を観抜く心の目が開かれるよう、いざないます。
講座例:人格を学ぶ講座(カルマ読みと地球暦)/コミュニティ創設講座/天然循環法の畑作・稲作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造糀仕込み&味噌作り/コンポストトイレの作り方/創造性と芸術/カタカムナ/性と宇宙/宇宙視点の死生観/自然災害と防災/持続可能な心の持ち方

講座詳細やこれまでの受講生の体験記はこちら!

→ 1ヶ月間の真学校ブログ

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本当にいい人生を生きるために ~あこちゃんといさどんの会話

最近、学校で友達から悪口を言われたり、先輩から嫌なことをされたりして悩んでいるというあこちゃんが、かねてより親しいいさどんのところへ相談にやってきました。以下、あこちゃんといさどんの会話をご紹介します!

――――――――

いさどん:
僕はね、あなたの味方だよ。

あこちゃん:
え???・・・あっ、「みかた」って「味方」ってことか。「見方」かと思っちゃった。

いさどん:
「目方」じゃないよ(笑)。味方だよ。どういう味方かというと、あなたが物事を正しく観て、いい人生を生きていくために協力しようと思ってる人だということ。
それでね、あなたの周りに起きていることを観ていくと、そこに共通点があるんだよ。友達との関係でトラブルがあったり、先輩に嫌なことをされたりするわけだけど、実際にそういった問題が起きなくても、そういった問題を引き起こすあなたの心の傾向というのは、常に日常の中に表れている。今あなたの周りに起きている問題は、どこに原因があると思う?

あこちゃん:
私がいい恰好しいで、人に媚びるから。

いさどん:
それは自分でわかってるの?人に言われたからそうなんだと決めているようでは、意味がないよ。自分でしっかりとその仕組みをつかめていないとダメだよ。

あこちゃん:
思いとしてはわかってるけど、まだちゃんと自分の心に刻み込まれてはいないと思う。

いさどん:
それじゃあ本当にわかってるとは言えないでしょう。あなたの周りに起きる出来事を不快に感じることがあるとしたら、その不快なことを並べてみると、どういったことが原因でそれが起きているのかが観えてくるんだよ。それぞれの出来事の相手はどういう立場なのかを考えてみると、その人その人によってバラバラだよね。だけど共通しているのは、そこにあなたがいるということ。それらの出来事のすべてにあなたが関わっている。
それは一見、「私の周りにはろくな人がいない」というようにも思いがちだけど、それは自分を観ないで、不愉快と思う相手のことばかりを気にしている人の考え方だよ。その構造は、わかる?

あこちゃん:
うん。

いさどん:
それらの出来事に共通して出会っているのは自分だよね。そうしたら、そこで自分を観ることが大事なんだよ。それを自分でやらないから、今僕が「あなたはこういう傾向があるからそういった出来事に出会うんだよ」ということを伝えているんだよ。
さっき僕が「どこに原因があると思う?」と聞いたら、あなたは「私がいい恰好しいだから」と答えたよね。でも僕はそのあなたの答え方を聞いて、怪しいな、と思うんだよ。なぜなら、言葉に曖昧さが漂っていて、人から言われたからそう答えているということが感じられるからさ。それもいつも正解の側にいて、評価されようと相手に媚びを売っているようなことだよ。わかった人のふりをしている。

あこちゃん:
・・・確かに。

いさどん:
僕は怪しいと感じるから、本当にそう思ってる?と聞くわけだ。親切だからね。だけど普通の人は、あなたが「わかりました」と言うと「ああ、この子はわかってるんだな」と思ってそれで終わりにするんだよ。
だけどね、人間というのは嘘つきでね。その嘘もとても上手で、ずっとそうやって生きていくうちに嘘が染みついてしまって、自分でも気が付かないまま嘘をついていたりするんだよ。むしろその方が多いかもしれない。それが「クセ」というやつさ。

あこちゃん:
ああ。

いさどん:
僕はあなたの味方で、あなたを応援している。「味方」というと、「あなたは何も問題がないから、そのままでいいんだよ」というような、よく人を心地よくさせることを狙った本に書かれているような表面的な味方もいるね。だけどそれでは本人にとって何の足しにもならない。問題も解決しないどころか、次の問題を引き起こす種を育てるような応援をしていることになる。
そこでいさどんは、「それではダメでしょう」と言うんだよ。「ダメでしょう」と言われると、自分の思い通りに生きていきたい人にとっては、自分を否定されたような気持ちになったり、叱られたように感じるだろうね。だけど、良くない自分を否定されることは大切なことでしょう?

1月28日に富士浅間木の花祭りをやるけれど、この祭りには鬼が出てくる。鬼は「悪いことをしてはいかんぞ」と怖~い顔をして怒ってるんだよ。「そんなことをしていたら、世の中どころかおまえ自身の人生にも良くないぞ」と、真っ赤な顔をしてみんなに伝えている。それを素直に受け取って、そうでした、自分のことばかり考えていました、これからは改めます、という心に人間がなると、鬼はニコニコと笑って、仏さまの顔になるんだよ。
だからね、物事はしっかりと正しく順を追って観ていくことが大切だよ。聞いてる?

あこちゃん:
うん。聞いてる。

いさどん:
それは耳では聞いているだろうけど、中身が入っているかということさ。ちゃんと理解して、体に染みこんでる?

あこちゃん:
(返事に詰まる。)

いさどん:
そうでないと、いくら良い話を聞いても活かせないよ。それではただ良い話を聞いただけのことになる。あなたにはクセがあってね、しっかり聞いていないのに、うん、うん、と頷いて、聞いたふりをしてやり過ごすことがあるね。それは相手からすると、表面的な人はともかく、なんだか聞いているように見えて実は私の話を聞いてないな、と感じられるものだよ。そして何かあの人は信用できないな、ということになる。
あなたは人から良く見られようとして、長い間表面的に取り繕ってきた。そのクセのまま人間関係をつくろうとしても、深い関係はできないよ。

あこちゃん:
確かに・・・。

いさどん:
相手が自分に何かを言ってくるには、理由がある。あなたは「相手にはストレスが溜まっているから」というように捉えても、そのストレスはあなた自身が原因になっていることもあるんだよ。相手に対して自分がストレスを与えているのだとしたら、そこは一番に改めなければいけない。
だけどそう言うと、あなたの傾向として、また相手に媚びを売り始めるんだよ。「私が悪かったからごめんね」と。だけど、その場合相手には相手の問題があるのに、そこで媚びを売るようでは自分のためにもならなければ、相手のためにもならないよ。

大切なのは、その出会いが良い関係で過ぎていくこと。出会いは縁だからいつまでも続くとは限らないし、縁が切れれば自然に消滅して、それが「いい関係だったね」という思い出として残っていくようにしたいね。勘違いしてはいけないのが、子どもの頃に仲がいいとそのままずっとその関係が続くかのように思いがちだけど、そうとは限らないということ。いさどんも高校の頃の友達とすごく仲が良くて、将来僕たちは結婚して家庭を持ってもこの関係はずっと続けようぜと話していた記憶があるけど、何のことはない、彼女ができたり、就職して家が遠くなったりしたら、もうそこではそれぞれが別の世界で生きていくんだよ。今じゃ価値観もまったく違うから、会うこともない。
今の友達との関係をずっと続けたいという思いを持つことはいいし、実際に関係を続けている人はいるけれど、そんなに多くはないね。成長するにつれて周囲との関わりというのは変わっていくもの。そして「楽しかったね」と思い出になっていくだけのことなんだけど、そこで後から「あの時いじめられて辛かったんだ」とトラウマになるような関係はできれば作らない方がいいね。
それには、「自分はいじめを受けた被害者で不幸だった」と捉えているようではダメなんだよ。いじめる側も、いじめて得したなんて思ってはいないはずさ。むしろいやな思い出になっているから、自分がいじめっ子だったということはなるべく人には話さないようになるね。自分はいい人だったと思いたいんだよ。聞いてる?

あこちゃん:
えっ・・・き、聞いてるよ。

いさどん:
あなた、自信がないんでしょう。

あこちゃん:
私も、自信を持って聞いているとは言えないけど・・・

いさどん:
相手の話を聞くよりも、頭の中で自分の思考を巡らせているからそういうふうになるんだよ。それが染みついている。だからあなたの言う「聞いている」というのは、相手の話を聞いているというよりも、その話を聞いて、自分に置き換えて思考を回していたり、どんな反応をしたらいいんだろう、とか、最終的にはどうしたら相手に気に入られるだろう、なんて、今僕が話している内容とは関係のないことを考えている傾向があるんだよ。
そういった自分の思考的クセを白紙にして、相手の話をじっくりと聞き、何を伝えられているのかを理解することが大切なんだよ。聞く能力というのは人それぞれだけど、そういった心のクセの奥には、正しく物事を受け取る力を誰もが個性的に持っているものなんだよ。それを使っているかというと、多くの人は使っていない。だから話が終わった後に、相手が何を言っていたのかをよく理解していないことがある。あなたの場合、話の最中も相手にどう思われるだろうかとビクビクしているところがあるものだから、話が終わった後に「この人はこういう考えだったのか、それなら今度からこうしてあげよう」と相手を理解するのではなく、「こう言われたから自分はどうしたらいいだろう」と結局自分のことばかり考えていることになり、いつも自分が中心になってしまう。それではいい人間関係はできないね。

あなたは周囲との関係でいろんな問題に出会っているよね。あなたを観ていると、その原因はあなた自身が引き寄せていることが観えてくる。あなたに問題があるから、同じように問題を引き起こす人が寄ってくるんだよ。そして皮肉なことに、その人と仲良くなる。それでやがてお互いに本性がわかると「あんなに仲が良かったのに何でそんなことを言うの」ということになったり、仲がいいはずなのに相手に何か言ってやりたいような気持ちになったりするんだよ。距離が近くなるということは縁があるということだけど、近いのに仲が悪いという関係ができて、それがひどくなると難しい人間関係を創り出し、それを解決しないで放っておくと、トラウマになる。縁が切れたら離れていって「あんなこともあったね」と終わっていけばいいのだけれど、「仲が良かったはずなのにあんなことになって辛かったな」といつまでも嫌な思い出として残ってトラウマになるんだよ。それは悪い思い出を作る生き方だね。
そういう種を自分自身の人生に播いて、そこにさらに自分のクセが嫌な出来事を足していく。そのことに気付かなければいつまでもそのままだから、いい人生は生きられないよ。自分の心のクセが、不快なものをふくらませていくんだよ。相手に対しても、自分に対してもね。

それを解決するためには、まず自分を振り返ること。そして相手のこともよく観察する。どうしてそうなったのかを分析して「ああ、そういうことだったのか」とわかったら、そこから自分を変えていかないと同じようなことがずっと起き続けるよ。生ごみを袋に入れてその辺に置いておいてごらん。いくら片付けたつもりになっても、中は腐っていくから。土に還すなり何なりと、正しい所に処理しなければいけないんだよ。

あなたは友達から、インターネットの情報を元にして事実ではないことを悪口として言われた。そこで自分の想いを手紙に書いたわけだけど、それを読んだ人によると、相手に訴えているのか自分が反省しているのか、最終的に何が言いたいのかよくわからない内容だったそうだね。それで自分の意思をはっきりと伝えなければいけないということを伝えられたら、今度は極端に自分の主張だけを並べた一方的な手紙を書いた。それでは相手との関係をさらに悪くするようなものでしょう。自分ではどう思うの?

あこちゃん:
書いた時は、正直な気持ちを書けたなって思ったけど・・・

いさどん:
正直というけど、あれはあなたが不愉快に感じている感情を箇条書きにして出しただけのことだよ。そこに気が付けないのが問題だ。僕はあなたが書き直したという手紙を見せられて、いったいこれを友達に渡してこれからどういう関係をつくろうとしているのかと思ったよ。それを読んで相手がしょげたところで、関係が壊れるだけでしょう?あんなふうに自分の意見だけを一方的に伝えても、相手が自分を改めることにはならないよ。そうかといって、いつものあなたのように相手にへつらっていては、相手は余計に調子に乗って、いじめてくる。どうしようもないよね。そこにあなたの人格が見事に表れているんだよ。

僕が初めてあなたに会った時にはとても大人びていて、周りの人たちは「とてもしっかりしているね、すごいね」と感心していた。だけど実はあなたはそういう自分を装っていただけで、それが長続きするわけがないのだけれど、あなたの親もそれを見抜けていなかった。だからあなたはいさどんに出会ってよかったと思うんだよ。周りの大人たちはみんなごまかされていたけれど、いさどんにはあなたの本当の姿が観えたわけだから。
それは、いさどんに感謝しなさいという話ではないんだよ。物事を冷静に、正しく観なさいということさ。今までのあなたはいい恰好しいで、嘘つきの心をしていた。だけどいくらいさどんが応援していると言っても、この先ずーっとあなたとくっついているわけにはいかないんだよ。最後には死んで別れるわけだしね。そうしたら、あなた自身が物事を冷静に正しく観る目を持つことが必要だ。

今、僕はあなたという人をずっと分析してきたけど、それについてどう思う?

あこちゃん:
どう思うか・・・なかなか言葉がすぐに出てこない。

いさどん:
出てこなくてもいいけれど、今伝えられたことがあなたの中で「本当にそうだな」と身に染みていなければ、意味がない。あなたは勉強はよくできるね。勉強ができるということは集中力があるということだけど、その中でも記憶力が優れているから勉強が得意という人がほとんどだ。今の勉強は記憶ができれば点数が上がるようになっているから。
だけど大切なのは、理解力だよ。一番いいのは記憶力も理解力も両方あることだけど、今の世の中では記憶力のある人が優秀だということになっている。そしてテストが終われば、もう忘れていいんだよ。つまり、身に付いていなくても優秀と評価される。それが今の学校の勉強だよ。
あなたは成績優秀だけれども、それもいいことなのかどうかわからない。なぜなら、今は多くの人が大学に行くけれど、大学に行ったからといっていい人生が歩めるわけではないからさ。みんな勉強して知識は増えても、自分のことがわかっていない。知識を得ることによって発揮できるものもあるから、それで世の中は成り立っているけれど、本当の意味で良い人生にはつながっていかない。自分のことが観えないまま問題ごとの種を播き続けて、それで問題に出会って「何でだろう」と悩んでいるんだよ。
大切なのは、自分としっかり向き合って、自分はどういう人であるのかを正しく理解して、その自分の個性を有効に活かしていくことさ。それを「心磨き」と言うんだよ。心を磨くことで、人は初めて本当に良い人生を生きられるようになるんだよ。

それで、もう一度聞くけれど、話を聞いていてどう思った?

あこちゃん:
確かに、私は勉強は一生懸命やってきたけれど、心を磨くことはしていなかった・・・(ここであこちゃんは涙を流す。)

いさどん:
ねぇ。ここでは心を磨くことを一番大切にしているけれど、世の中の人はそんなことは言わないよ。友達だって学校の先生だって言わないでしょう?だけど心を磨かなければ、勉強したことも本当の意味で役に立たないんだよ。だからいさどんは「心を磨きなさい」と言うんだよ。いさどんは世の中の人みんなの味方だからね。
今、そうやって涙が出てきたということは、理解できたということだね。僕が今こうしてあなたと話しているのは、あなたが話を聞きに来たからだよ。それはいいことだよ。物事を自分の中で収めずに聞きに来たおかげで、客観的な視点をもらって自分を振り返ることができるのだから。そこでちょっと足りないのは、聞きに来るのが遅いということ。もっと早く来れば、ややこしいことになる前に解決できるし、嫌な思いをすることもない。ちょっと問題の兆しが現れたところで、すぐに自分を振り返ればいいんだよ。そうやって身に付けていくんだ。
今回の友達とのトラブルが特別大きな問題ではないけれど、同じようなことがいくつか続いているのだから、それをつなげてひとつの物語として観たら、そこに同じような傾向が観えてくる。あなたは人生を通して、こういった一連の出来事に出会った。それを物語として捉えて勉強するには、とても良い機会だよ。

僕は誰もの味方だから、あなたの友達の味方でもある。あなたに悪口を言う友達のことを観てみると、けっこう頑固だから、しっかりと道理の通った話をしないと伝わらないね。
まず、あなたとの関係を大切にしたいと思っているけれど、私は最近不愉快に感じることがあるんだということを伝えること。あなたはインターネットの情報を元にして悪口を言っているけれど、それが真実かどうか確かめたのか。今の世の中は、表現の自由だと言って一方的な書き込みがネット上に蔓延し、被害を受けている人がたくさんいる。ネット上の情報を鵜呑みにして悪口を言うようなら、あなたもそれに加担していることになる。あなたのやっていることが人を悲しませているとしたら、それについてどう思うのか。私は不愉快な思いをしていて、それを改善せずにあなたと良い関係はつくれない。これまでの私の姿勢が今のあなたの態度を引き出したと思うから、これからはもっと明快に、本音であなたと付き合っていこうと思う ――― そういうふうに、筋を通して相手に伝えることだよ。

いさどんが言ったことをそのまま伝えなさいということではないよ。中身はあなたが自由に書けばいい。その時に、今いさどんが話したように物事をよく分析して、それから伝えてあげると、その子のためにもあなたのためにもいいことになるということさ。そして本当の意味で心が通じて、いい友達になれる。自分の意見だけを通して相手はどうでもいいのだということではなくて、いい関係をつくっていくことが大事でしょう?それができたら、あなたは本当の意味で賢い人になるよ。

これはいさどんの思惑ではなく、こういう出来事に出会った時に誰もが取るべき姿勢の話だよ。それが「正しい」ということであり、誰の側にも立たないということさ。自分の側にも相手の側にも立たず、みんなにとって良いことができるようになった時に、世の中のためになる人になれるよ。大人になって社会に出れば、社会貢献ができる。例えば先生になったら、子どもたちのためになる。誰もがそうやって生きられるんだよ。そしてそれが価値となって、自分のためにもなるんだよ。
あなたにはそういう人になってほしいと思うけれど、変な心のクセがついているね。それは生まれ持った心の性質ということもあるけれど、そうであったとしても、改めていくことはできるんだよ。改めれば、別の人になる。悪いところは改めて別人になって、良いところはそのまま活かしていけばいい。

あこちゃん:
(泣きながら)いい言葉が見つからないんだけど・・・

いさどん:
いい言葉が見つからなくても、言われたことはわかる?

あこちゃん:
うん。

いさどん:
それが大事だよ。わかるけど言葉にならない、ということは、学校のテストだったら0点だね。学校のテストは、答えが合っていれば点数が取れるようになっている。だけど大切なのは、たとえ言葉で説明できなくても「わかった!!」って本当に心から思うことなんだよ。僕はその方がずっと大切だと思うよ。

今の「わかった」という心で、友だちにも手紙を書くといいね。これからも、あなたが知恵が必要になった時には、力を貸すよ。だけどおせっかいは焼かないからね。はい、終わり。

(ここであこちゃんはいさどんに抱きついて、声をあげて泣きました。)

いさどん:
(涙を浮かべながら)こういうのを、いい関係というんだよ。

 

 


 

自分自身のことを深く知りたい方へ        

2017年2月19日(日)~3月18日(土)    
1ヶ月間の真学校 開催   

何か問題が起きた時「自分は悪くないのになぜこんな事が起きるのだろう」と思ったことはありませんか。
人は問題を見つけると、とかく自分の外に原因を探し、周りを変えようとします。ところが周りはどうにも変わることなく、問題だけが積み重なり、今や家庭の中から地球規模に至るまで、どこもかしこも問題だらけの、行き先の見えない世の中となりました。
しかしそれは視点を変えれば、大転換のチャンスでもあるのです。

1ヶ月間の真学校は、人生の問題のあるなしに関わらず、生きることの突破口を開く場です。そこに特定の正解はありません。一人ひとりが客観的に自己を捉える冷静な目を養い、視野を広げ、その人らしい人生を自ら切り開いていく力を身に付けます。

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【日程】
2017年2月19日(日)~3月18日(土)
【会場】
木の花ファミリー
【定員】
15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】
18~22万円 収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。
【内容】
「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多彩な切り口の講座を通して、受講生一人ひとりの心の性質や人生の使命、そして時代の流れを読み解きながら、この世界の真実を観抜く心の目が開かれるよう、いざないます。
講座例:人格を学ぶ講座(カルマ読みと地球暦)/コミュニティ創設講座/天然循環法の畑作・稲作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造味噌作り/創造性と芸術/カタカムナ/性と宇宙/自然災害と防災/持続可能な心の持ち方

講座詳細やこれまでの受講生の体験記はこちら!

→ 1ヶ月間の真学校ブログ

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