今日から東京へ出勤します!

去年の11月3日から、9年間にわたるうつ病を克服するためケア滞在をしていたエリーは、3月11日にファミリーメンバーになりました。カトリックの家庭で育ったエリーは、「修道院ではなく、社会に開かれた生活の場で祈りの日々を送りたいと思います」とメンバーとしての抱負を語ります。

エリーは大学教授として言語病理学を研究していたこともありましたが、ケア卒業後は大学への復帰ではなく、ここのメンバーとして生きることを決めました。エリーはその心境をこんなふうに語ってくれました。

「心の問題と病気は切り離せないとつくづく思います。自分の心の癖を知り、上手に自己コントロールすることが病気の予防にもなり、治す手だてにもなることがわかりました。ここに来る前、ひたすら薬物に頼っていた自分の甘さを反省しています。

また、安静を第一にしていましたが、日常の生活を丁寧に過ごすことと、眼の前の仕事にきちんと向かい合う姿勢が大切であることもここに来て学びました。それはもちろん、それを支えてくれる人々の存在が必要ですが。

そういうわけで、大学にいるよりも、木の花にいる方が沢山のことが学べるということに気づき、ここのファミリーメンバーになることを決めました。そして週の数日、東京にあるクリニックで、自分の専門を活かす仕事に就くことになりました。今日から、東京出勤に行ってきます!」

そんなエリーが、ほっと一息つくのは幼児たちと一緒に遊んでいる時です。

「ここの幼児たちを見ていると、7人兄弟で育ったことを思い出します。また、二人の子供を育ててきたことを思い出し、幸せだったなあと感じます。今は自分の過去の全てに感謝しています。幼い子供たちの心に沢山の花束をつくってあげたいなと思い、幼児たちとお散歩に出かけたりピアノを教えたりすることが本当に楽しく、自分の癒しにもなっています。」

ますます若々しく、さらに美しさに磨きがかかってきたエリーに若さの秘訣は?と聞くと、「来月2歳になるひみを毎日三輪車に乗せること!いい運動になります(笑)」と答えてくれました。

エリー、いってらっしゃい。帰ってくる時には、おいしいご飯と皆の笑顔が待っているからね。

少女のようなかわいらしさと賢さを兼ね備えているエリー
「ひみもエリーと一緒に東京に行きたい!」「すぐ帰ってくるから良い子にして待っていてね!」

「ザ・フナイ」にファミリーの記事が掲載されます

3月末発売の月刊「ザ・フナイ」(フナイメディア刊)4月号に、ファミリーについての記事が掲載されます。

記事は「自給自足の共同体」という特集に、「人間意識から地球意識へ」と題して、いさどんがファミリーの歩み、理念、そしてこれからの展望を語ったものです。1万5千字の長文は、これまであまりメディアで表現されてこなかったファミリーの精神性も大幅に盛り込まれ、たいへん充実した内容です。また、特集ではファミリーのメンバーである「さのっち」こと佐野淳也・立教大学准教授が執筆したエコビレッジについてのレポートも同時掲載されます。

「ザ・フナイ」は定期購読を基本とした雑誌で、一部書店のみの取り扱いです。ファミリーでも販売しますので、ご希望の方はファミリーまでお申し込みください!定価1,450円、送料は80円(1冊)です。

ザ・フナイ2010年4月号の表紙

「人間意識から地球意識へ」

  • 「自分の想い」とは何か
  • 願いを叶える生活から心の道へ
  • よろず人生相談から心の勉強会へ
  • 日の本の国に向けて
  • ファミリーのメンバーと地球の意志
  • 「ひとつらなり」のいのち
  • 血縁を超えた家族を目指して
  • 心を耕す大人ミーティング
  • 分かち合う安心とともに
  • みんなで一つの財布
  • 多彩な能力と全体のための役割
  • みんなの子育て
  • 自然療法プログラム
  • 環境を壊さない暮らし
  • 有機農業
  • 「木の花菌」と菜食
  • エコビレッジと「みんなの家」
  • この星の上で

三浦修道院のシスターが来訪されました

3月23日、聖母訪問会・三浦修道院から5名のシスターがファミリーを訪問されました。三浦修道院の方々は私たちと同じように環境に負荷をかけない生活をするために、太陽光パネルや風力発電を取り入れたり、パーマカルチャー・ガーデンや鶏舎を作るなど、自然とともに暮らしながら神様に仕えていらっしゃいます。昨年、ファミリーのみちよちゃんといさおが修道院を訪れたことをきっかけにご縁ができ、今回のご訪問が実現しました。

午前中、「にわとり小学校」や畑を見学されたシスター方は、実践者としていろいろな質問をされていました。昼食のあとはウェルカムコンサートを楽しまれ、そのあと、シスターの代表の方がこんな話をしてくださいました。

「私たちのように同じ宗教の中で一緒に暮らすというのはよくあることですが、皆さんのように違った環境から集まった方が共に暮らし絆を強めていこうとする姿を見て、とても感動しました。この宇宙が完成していく時、全人類が完成していく時は、きっとこんなふうな雰囲気なんだろうなと、その前兆を見せていただいた気がしています。とても広くて暖かくてつながりがあって。私がここに入ってきた時に、お一人お一人の明るい笑顔と皆さんの広さ、暖かさを感じ、もう言葉はいらないと思いました。皆さんの存在だけで木の花ファミリーの生き方が伝わってきました」

それを聞いたいさどんは、あとで「もともと、そういった精神性に到達していらっしゃる人だからこそ、言葉を沢山交わさなくてもお互いをよく理解し合えるのだ、と思いながら見送ったのを覚えているよ。多くを語らなくても、お互いの心をすぐに理解し合える人たちが、たくさん訪れてくださるようになった。こうして出会った人たちとは、ずっと変わらない信頼関係でつながっていけるのだと感じている」と話していました。

またひとつ、素晴らしい出会いに感謝します!

コンサートを楽しむシスターのみなさん

農業体験を終えて

2ヶ月間の農業体験を終えて、今日木の花を出発するカトケンです。

木の花ファミリーでの2ヶ月間の滞在は、私の人生を大きく変えるものでした。私が当初ここに来た目的は農業研修です。知識や技術を吸収し、自分を高めていこうという思いがありました。

しかし、日常生活をたくさんの家族と過ごす中で、知識や技術の根本にある「心」がいかに大切か知りました。それは言葉だけではなく、行動で私に教えてくれました。

土、苗土、腐葉土作り、種まき、苗作り、堆肥作り、収穫、調理など全ての過程に「愛」があると知りました。それは、作業する家族のみんなの心の内側から湧き出ているものでした。心や愛はなかなか目では見えないけど、この場では確実に循環し、滞りや矛盾はありませんでした。

この体験から「命や愛を大切にしよう」と強く感じました。この思いは、常に揺らぐことのない柱となっています。

この場に来るまでは「生きる意味」「生きるとは」と考える日々でしたが、今は生きることが純粋に大好きになりました。二度と同じ瞬間はなく、一瞬一瞬が宝物のように感じます。

そして、たくさん気づきや学びを実践できるように、この場を離れた後も心を磨いていきます。木の花のみんなには、たくさんの愛をプレゼントしてもらいました。だからこそ、木の花で学んだ「心」をたくさんの人に伝えていきます。

また、遊びに来るよ。
Thank you and I love you.

カトケンが卒業コンサートでリクエストしたのは♪みのりの風。皆への感謝の心とともに竹鈴をふりました。

                                   


「正解」「不正解」を超えて

「しんちゃん」「ふみみん」こと佐藤慎時さん、文美さんご夫妻は、ファミリーと深いつながりのある大切な友人です。ときどきファミリーに帰ってきては農作業を共にしたり、ファミリーが外でイベントを開催するときは会場に駆けつけてスタッフとして活躍してくれたりしています。また、「いのちの村ネットワーク」をはじめとしたエコビレッジ関連の活動の同志でもあります。

そんなふたりは、ファミリーの近所に引っ越してきて新たな生活を始める構想を描いています。私たちもファミリーの周辺に同じ志を持ちながら多様なライフスタイルを取る人たちが移住し、村のようなつながりができていくことを予感していますので、移住の実現に向けた話し合いを進めてきました。

ただ、木の花の近くに移住するといっても、日々の生活費をどうするのかが課題になり、いつの間にか将来の不安からお金に捉われていたというお二人ですが、先日のメールでは、「神様からいただく生き方、自然体な生活をしていくことを軸にして生きていけばいいんだ」とシェアしてくれました。

そのメールを受けた先日の大人ミーティングでのやりとりを皆さんにシェアしたいと思います。

ひろっち:

しんちゃんは、現状の生活に満足していないのだろう。
自分の使命は何なんだろうという苦しみが、
文面から伝わってくるし、気持ちはわかる。
それゆえ生活を変えたいという気持ちもわかる。
でも、そういう時は自分ごとになってしまいがち。

答えはわからないが、
大河ドラマの『龍馬伝』で
黒船に乗り込もうと意気込む吉田松陰が
「一緒に行きたい」と言った龍馬に、
「お前にはお前の使命がある」と
怒鳴りつけたシーンが印象的だった。

しんちゃん達の使命って何だろう?
流れ、流されていくのもいいのかもしれない。

いさお:

しんちゃんたちが僕らと
「キャッチボール」していく中で
見出されていくのかな、と思う。

みかこ:

しんちゃんとふみみんは付き合いが長く、
外のイベントも手伝ってくれて、
物理的には繋がっているけど、
大人会議で心の部分のシェアはあまりしたことがない。
ようやく心の話をできるタイミングが来たのかな、と思う。
ページをめくっていけば見えてくるのでは?

まっちゃん:

「自分」が物事の中心になっていると感じた。
「自分」を無しにしたら楽になるのになぁと思う。
この前のいさどんブログの「損得抜き」の話
ちょうど良いから、読んでみるといいと思う。

いさどん:

あれはね、ちょっと変態な人でないと理解できない。
神様の意志を知ろうとする人にとってわかること。
あれが有効な人とそうでない人がいる。

しんちゃん達にコメントというよりも、
このことを客観的に掘り下げていくということで
話をしていきたい。

しんちゃん、ふみみんは
我々にとって、とても縁の深い魂と思っている。
しかし、人には歩みがある。
しんちゃんたちに
「木の花の敷地の中に住んだらどう?」と提案したのは、
一番手軽で簡単な方法で
移住してくることができるから。
しんちゃんたちなりの
ファミリーとの距離の置き方として提案した。
ふみみんたちを取り込もうとしているわけではないのだけど、
こちらの提案がなかなか伝わらない。
ファミリーの人たちは、みんな自立していて、
自分の意志で歩んでいる。
同じように、しんちゃんたちも自分で決めればいい。
そこが、なかなか伝わらないなぁ、というのが感想。

それから、他のみんなから出てくる感想というのが、
「正解」「不正解」としてコメントしているような
印象があって、ちょっと気になっている。

ここには「正解」「不正解」は全然ない。
彼らが考えることは全くふさわしいことだし、
そういう考え方はあってもいいこと。

そこを互いに分かり合っていった結果として、
「距離が近かったね」という風になれば
いいのかなと思う。

だから、今のままでいい。
だけど、こちらの伝えようとしていることは、
伝わると良いなぁとも思う。
育てていけばいい関係かなと思う。

いさお:

「正解」「不正解」はない、というのは大事なことだと思う。
タイミングを逃して送れなかったメールに
「話し合い続けて、お互いに良い方にいけるといいね」と
書こうとした。

それから、今まで僕やみちよちゃん、よしどんが
ミーティングの内容をまとめて返信した中で、
「正解」「不正解」というニュアンスで
伝えてしまった部分があったのではないかと反省している。

よしどん:

自分の勝手な枠で判断して返信した傾向があると思う。
今後気をつけていこうと思う。

いさどん:

今後、こうしたやり取りが増えてくる。
僕らの意向に沿うことが「正解」で
そうでないことを「不正解」とするというようなことには、
今後気をつけていきたい。

いさお:

(送れなかったメールには)
語り合って、みんなで真理を見つけていくことが大事だから、
語り合って行こうねということを書いた。

いさどん:

僕らも意向は持っているが、
相手側にも相手側の思いがある。それもわかる。
わかるからこそ、それを超えて、
みんなで世の中を見直していく機会にしていくことだと思う。

社会のみんなの考えを全部入れることはできなくても、
そうした総意を取り入れて決めていく。

みかこ:

木の花を宣伝したいわけではなくて、
地球にとっていいことをしていこう、ということだと思う。
それがどうして伝わらないのかなと思うときに、
わたしたちがみんなに伝えるときに、
語り口や心のどこかに、伝え切れないところがあるのは、
どうしてなのかな?と考えている。

いさどん:

それは、どこかに「正解」「不正解」というところが出ているからだろう。

みかこ:

自分たちが「正解」という風になりがちだよね。

いさどん:

我々もどこかで、
木の花を所有している心があるのかも。

木の花の考え方、というものはなくて、
僕らが表現しているのは
この世界の自然観・世界観であり、
この世界の実態なのだから、
誰もが持っていること。

木の花の言っていることだったり、
いさどんの言っていることだったりするのではなく、
誰もが共通して持ち得る価値観。

僕らの中にも、
「自分たちが正しくて、相手が間違っている」
という考えがある。
そしてそれは我々の考え方だけの問題ではなく、
外の人たちにも、そんな風に思う人がいるから、
双方の問題でもある。

僕らは自分たちを唯一の見本と考えているのではなく、
自分たちなりにこの世界を一生懸命とらえて、
とことん実践を試みてきたひとつの実例ですよ、
ということだと思う。

ひろっち:

しんちゃんのメールに対して思うのだけど、
目的と手段、結果がごっちゃになっている。
僕らが手段としてこうした生活をしているのを
目的と勘違いしてしまいがちなのかも。

しんちゃんの件も、
形を目的としてしまっているのかな?と思う。
その目的を追い求めていった結果として
この近くに暮らしたい、っていうことなのかなと思う。

そのように目的をはき違えると、
難しくなってくるのではないかと思う。

いさどん:

今のひろっちの話は、まったくその通り。
でも、人には段階がある。

僕らの今の状態を見て、これを目的として、
「ああなりたい」ということだと思うけど、
我々自身も将来の本当の目的は見えていないでしょう?
そこが、まだ本当に共有するには難しいところ。

だからこそ、我々が気がつかなければいけないのは、
そこに気づいていなかったり、
特定の目的を掲げている人たちに対して
「違う」と言ってしまうようなこと。

まり姉:

誰でも自分の色で見るから、自分の見方で
「ここはどんな色でやっているんだろう?」と
一般では考えるんだろうな。

いさどん:

ちょっと違う切り口から見ていくと、
誰でも正解はどこにあるか、と闇の中を歩いているようなもの。
そこで今の延長に答えを求めていくことのかというと、
わたしたちは自分の意志で生きているのではなく、
役割も、生も、与えられたものであるわけでしょう?

そこに戻って行け、ということなんだろうなと思う。
そこをみんなと共有したいなと思うし、
ふみみん、しんちゃんとも共有したい。

でも、それは二人が未熟だということではない。
最終目標は同じ。それも含めて、
僕らも、今の自分たちの意識を
「正解」にしないということだと思う。

みかこ:

存在するすべては神様の片割れ。
わたしたちはお互いに学び合っている。
わたしたちはふみみんたちから学ぶところがあるし、
どんなことからも学べる。

問題ごとはプレゼント。
それゆえにわたしたちは学んで進化していける。
仮にふみみんたちの意志が叶わなかったとしても、
双方がそこから学んでいけばいいことだと思う。
今は見えないことも、互いの歩みを尊重しながら歩んでいくと
そのうちに見えてくるんだなと、
今の話を聞いていて思った。

自分を知り、人を知るというプロセスの中にあるんだな。
ということ。

いさどん:

いい感じだな、ということだよね。

いさお:

道代ちゃんが今日のオフィスチームのミーティングの中で
「外の人との板ばさみにあってしんどい」と言っていた。
僕もそう思う部分はある。
でも、それは自分の心の中で作り出していることだと思う。

ひろっち:

目的をはっきり打ち出すと、相手もわかりやすいのかなと思う。

いさどん:

それをやると、「よくわからない」という人が出てくる。
でも、わからなくても付いてくる人もいる。理屈ではない。

のりちゃん:

これは、順番につながって起きている現象。
つながってきているからこそ、これは途中のこと。
いい悪いではなく、つながっていることが大事。
何かを決めることが大事なのではない。

いさどん:

人は同じ視点に出会うと、
「同じだね!」と言って手を結ぶ。
でも何かをやると、違いが見えてくる。
そうなると、「違うじゃないか」ということになる。
互いの違いを認め合うこと、
それは最終的には、みんな別々で、
それでひとつの世界を作っているということなのだと思う。

最終的には、木の花でも、なんでもいい。
森羅万象の仕組みにならって生きていくことは
当たり前のことで、元々そうなのだし、
我々はそこから生まれてきた。
人間は高い能力を得て、
一時的にそこから外れた生き方をしてきたけど、
それは、結構笑えること。
「実は何も難しくないじゃん」、「違いもないじゃん」
と笑えること。

みかこ:

しんちゃんたちには、
木の花の近くで生きなければならないという
気負いがあったのかな?

いさどん:

気負いでもなんでもない。色々な人がいる。
距離が近くても遠くても同じこと。
木の花と関係ないところで同じ生き方をしている人も同じ。
この生き方は手段にすぎないし、
木の花にとらわれる必要もない。