東北地方太平洋沖地震が発生してから数日後、道代ちゃんがいさどんに今回の地震に絡めて色々と質問する機会がもたれました。たっちゃんやヤマギシからのゲスト、やっちゃんもその場にいあわせました。
道代ちゃん:
今回の地震や原発の爆発などを機に日本全体に暗いイメージがあり、木の花でも体調不良の人、体が重い人がいる。それをどのように捉えて、今後に生かしていけばよいのでしょうか?
いさどん:
重いのには2つ理由がある。人類の未来に展望が開けない。次の時代に向けた新たな姿勢がとれない限りは展望が開けないから、それを希望している人にとっては暗い印象になる。展望が開けないのは、見えないから開けない人と、見えているけれど現象として顕れないから暗い人がいる。それは結局プロセスだと理解できれば明るくなる。僕はそのタイプ。でも、現実にプロセスだと思っても、動きが悪いなということで暗くなることもある。
体調が悪いのは地震の波動が破壊の波動であり、結果として人間にネガティブをもたらす要因になっている。ネガティブをもたらす結果として、そこにはうめきがあり未練を残す死に方をした人たちが多く発生する。ゆえに敏感な人にとっては無念の想念が地球を強く刺激するので、それが個人の体調に現れてくることは当然ある。感覚的に鋭い人たちはそれを受けてしまう。
道代ちゃん:
地球暦の観点から、今回起こった地震などを人類としてどのように捉えたらよいのか?
いさどん:
「地震を人類としてどう捉えるか?」だが、日本には世界的にも評価される自然と調和した精神性がありながら、現在は世界的な経済大国である。特に戦後物質的至上主義の道を歩んできて、その結果、原発も日本の代表的技術として世界に広めてきたようなところがある。そういう物やお金、資源を食い尽くすテクノロジーの終焉を予告するようなものとしてあるということ。
そうすると、次の時代は宇宙エネルギーの世界に入っていくだろう。それは何かというと、例えば飯島さんの言うようなフリーエネルギーであって、それは太陽と惑星の関係のようなものである。太陽系全体が動いているときに、誰がその百億年にもなる持続可能なエネルギーを供給しているのか、どういうところでエネルギーを発生させて、どのように供給しているのかということを考えると、これは無から有が生まれて、有から無が生まれていくような発想でしかあり得ない。つまり、それは宇宙の根本原理にあるもの。そうすると、地球上で資源を食い尽くすようなものの発想とは違うレベルになってくる。そういうところから考えたら、そろそろそちらへ行く時が来ているからこそ、物質至上主義のような有限な資源を有限に使っていく価値観、テクノロジーは破壊されるということ。そういったものがすごく危険をはらんでいたり、何よりもサステイナブル(持続可能)でないということが示されたという意味で、大きな扉が開いたということになると思う。
もう一つ感じたのは、死んでいく人と生き残った人の違いを観たときに、死んでいく人が不幸なのかということである。死は生からの救済であり、生きている人々は助かったがために悲惨なところをトラウマとしてもってしまうことにもなる。例えば、地震などで狭いところに閉じ込められたことなどで、後にうつ病になったりする。それどころか、この破壊されたところからの出発として、元の欲望を持ったままの人たちは、欲望を捨てきれないから生活を元へ戻そうと思ったときに、積み上げてきたものを失ったことの大きさに気づいてうつになっていく。これからその苦痛の中で生きていくとしたら、生きていた方が良かったのか、死んでしまった方が良かったのかを考えると、死をいただいたことのほうが苦痛から開放されると言う意味では良かったと捉えることも出来る。死をもってそれまでの生により積み上げてきたものをニュートラルにするチャンスなのである。生きているものにとって死は避けるべきものであり、生こそが希望であるという捉え方があるが、その死生観すらひっくり返さなければならないときが来ているとも言える。これからの時代、さらに物質時代から精神時代に進んでいくだろうときに、物質が優先されている時代の死生観と精神が優先される時代の死生観とではとことん変わってくる。
その時に、個人の中から湧き出してくるカルマであったり、欲望から来る死生観は、個の側から観る捉え方である。それは個から見て足りないものを埋めていくという考え方で、それに対して自分を捉える時に、もうひとつ、自分の外側から自分を観る捉え方がある。それは宇宙の構造の根源から始まって、そのプロセスの延長に地球が出来、生命が出来、人類が誕生し、私たち個につながってきているという観方である。個が世界を動かしているのではなく、この世界の生命としての、地球としての、宇宙としての歴史の延長に私たち個があるという捉え方である。地球暦から見てとれるのは、現在の宇宙の仕組みそのものが個を存在させていると見るもので、それは宇宙から自分という個に到達する観方である。
さらに、自分の中は小宇宙であり外は大宇宙であり同じものであるという捉え方もある。これは宇宙を今の天文学のように広げていく形での捉え方から、自分の内に入ってミクロの世界、素粒子の世界まで、そういう両極のマクロ的かつミクロ的に見ていったときに、自分は生きているのかと考えると、宇宙的仕組みの中に生かされているということがわかる。それもどれほどの仕組みかというと、広大でかつ緻密で芸術的であり、表現の仕様がない、あっぱれとしか言いようのない世界の中に私たちがいるということを示してくれている。私たちの小さな概念の欲望の延長に、この世界を捉えていることがいかに馬鹿げたことかということ。そういうことがわかったときに、個というものの執着を取り払うことができる。これこそ人を悟りに導く捉え方なのである。
道代ちゃん:
今回の地震はそういうことを人々に気付かせるきっかけになるの?
いさどん:
そう、そのきっかけになる。価値観の転換になるし、これほど多くの破壊をもらったということはゼロからのスタートになるのだから、当然そういう意識は生まれてくるだろう。多くの人たちはまた今の生活を取り戻そうとするけれど、賢明な人たちはそうした新たな発想を当然するから、扉は開くということだね。
道代ちゃん:
それに対して、「私たちが出来ることはないのかな?」と考えたときに、日々の暮らしを淡々とすることも一つだし、支援できることを一生懸命やることも一つだと思うのだけど、その辺はどう考える?
いさどん:
支援することはそんなに重要ではない。大切なのはみんなで分かち合っていくこと。その心を育てていくこと。これから日本が立ち直っていく過程として、必要なのは全体でやっていくことだから、個別に考えることではない。次の時代をどう考えていくかということを確立し、それを提示していく活動こそ重要だと思う。なぜなら、物理的支援などはこれほどの物理的大国だから、いずれ立ち直ることは出来る。立ち直っていくときの精神が大切なのである。必要だったら日本は援助大国だったから外国からも支援が来る。だから、私たちにとってもっとも大切なことは、次のステージの捉え方なのである。今までの社会のあり方を教訓にして考えていくということ。そして、実行のモデルを提示することが大切だと思う。
道代ちゃん:
この間もGENOAの月例会の際にメンバーと話したのだが、こうした暮らしのベースの大事な要素を集めて教育プログラムにして、地方や海外のコミュニティの再生を担っていく人材の教育プログラムとして組み込んでいってはどうかという話になった。
いさどん:
僕が個人的に考えていることだが、現在のエコビレッジの教育プログラム、EDEでもそうだけど、現在日本で進められているプログラムは戦略的である。つまり人間の概念が先に立ってしまって、今日の地球歴の話のように宇宙が意思を持っている、それも人間の人智を超えた意志を持っているところを無視をしているようなところがある。私たちがそことちょっと違うのはあくまでも宇宙意識の表われである。流れ、リズム、そういったものを大切にして生活しているということ。だから、決して目標を作ってそれを達成しようとしない。それがこれからの時代のあり方であり、宇宙意識のあり方とはそういうもの。だから、教育プログラムにしていくことは今の流れだからツールは必要だが、それはボチボチ今までのようにやっていけばよい。もしそれが戦略的であれば、そうであるほど必ず行き詰る。今、ここで地震が起きているのも、私たちがここでこうしたことを語る環境になっているのも、根本を捉えていけば、日本国や人類のためだけではなく、宇宙の意思であり、地球の意思であり、地球の歴史である。そうすると、流れというのは全てプロセスとしてあるものだから、そのプロセスに私たちは呼応して、そこからもらった精神性に相応しい役割を表現するということだけで良い。それ以上のことを持つとそれは欲になってしまって、せっかくの情熱が結局戦略的なものになれば、無駄なエネルギーになることにもなるし、無理解なところに伝えようとすることになって、それこそ無駄なことになる。
私たちが今、何をすべきかと言うと、今までと同じようにただ自分たちの中から湧き出てくる大事をやり続ける。その時に援助することもあるし、物理的な交流をすることもあるが、大切なのは常にそれをやり切れるだけの精神を磨いていくこと。これは一人ひとりが魂磨きをしてあるところまで到達したら、物理的なことなどは自動的に出来てしまうようになる。しかし、魂磨きをしないで物理的なことを先にするから、事がならないということになってしまう。そこのからくりをそろそろ人々は知る必要がある。目の前に現れたことは、物理的であろうがテクノロジーであろうが必要だからあることだけれど、もっと大事なことは精神性を磨いていくこと。そして、それに相応しい精神性になること。その背景を知って、それに相応しい行動につなげるということ。それが大事である。
僕が今のエコビレッジ運動が充分ではないと考えるのは、そこに原因があると思う。「いただく」、「生かされている」という精神がない。ところが、それを「いただくことが大事だから、あなたたちは間違っている」と言うのは違う。今、顕れていることは全て必然なので、そのことを大事とする人たちはそのことを顕す人たちと認め、それも多様性の一部と理解すること。そして、私たちはそこで気付けない人たちと違い、気付いている側として、その人たちと連動しながら自分たちができることをやっていく。その立場に常に立つということである。
やっちゃん:
ということは、戦略的にヤマギシはやってきたから、こういういただきもの(問題事)ができたということですね?
いさどん:
そうそう。ヤマギシはすごい実験をしてくれた。B君(ヤマギシ育ちの30代男性)が、「木の花もいずれヤマギシのように大きくなるのですか?」と木の花に来たときに聞いてきた。僕は、「それは違うでしょう。なぜなら、ヤマギシにはヤマギシの歩み、木の花には木の花の歩みがあって、同じものでないのだよ」と答えた。その後ヤマギシの人たちが来て「木の花が200人になったらヤマギシの苦しみがわかりますよ」と言った。でも、僕はそれは違うと思う。なぜヤマギシが先だったのか、そして、なぜ木の花が後から始まったのか。それは、私たちがヤマギシの二の舞を踏まないために、そして私たちが次の時代を表現するためにあるとしたならば、ヤマギシは何のために大いなる実験をしてきたのか。それはこの実験を通して次の時代のためのバトンを渡すためにあったのだから」と言った。すべては繋がっていくものだから。ヤマギシが間違っていて木の花が正しいのではなく、歴史はそうやって生かされていけばよいということ。ヤマギシもそのことを教訓にして学び、これからまた変身すればよい。
道代ちゃん:
今回の地震をきっかけに、原発の問題が出てきて、地震もずっと続いているのは、その出来事を通して神様が多くのことを人間に気付かせようとしている働きかけなのだろうか?
いさどん:
人間的に捉えた神の意思としては、そういうことだね。この世界は織物のように縦と横があり、今回縦の扉が開いた。それで次に横の扉まで開けたら大変だよ。本来ならば、この前、神の戸が(神戸で)開いた。あの時に気付くべきことなのに、喉元をすぎるとまた元通りになってしまった。だから縦の扉が今回開いたのだけど、横の扉まで開けて気付くようでは人類もダメだよね。痛みをもらって気付くのではなく、常に出来事から謙虚に学び、小事を大事に捉えていくのが賢明な発想である。もっとも、小事ももらわないで学び、捉えていくことが一番大事である。そういった意味で今、刺激としての地震が分散して起きているということは、そうであって欲しいとは思うが、人々があまり気付かないようであれば大きなことになって現れる。
道代ちゃん:
横というのはどこ?
いさどん:
東南海だから、今度は関東から九州までのプレートのことだね。ここには4大工業地帯がある。今回の地震では工業地帯は全部外れている。次のは日本が戦後積み上げてきたものが全て破壊される可能性がある。これは零位に戻してやり直すチャンスでもある。
もう一つ懸念されることは、今まで原発を推進する側も、それに対して反対する側も、非常に疑心暗鬼で心がとても汚れていて自分の側にだけ正義があると捉えている。もっとまっすぐなポジティブ・スパイラルでこの問題を探っていきたい。今、ネガティブな疑いと対立の渦の中に入っている。だから、何でも正面から深く捉える在り方が大事である。
道代ちゃん:
正面から捉えるって、例えばどんなふうに捉えたらいいの?
いさどん:
どんな問題事も善意として捉える。とことん善意を探していく。宇宙の根本は善意だから。
たっちゃん:
それは視点を上げないと見えないよね。表面で話し合っているのが今の賛成派・反対派の行動。これを縦方向に意識を拡大しないと。
いさどん:
そう、見えない。今の産業構造や市民生活は原発を必要としているにもかかわらず、批判派も同じレベルにいる。だから、いつまでたっても対立がある。もともと対立をなくすために作ったものなのに、対立になっている。
ここにうつ病のケアで来ているMちゃんやS君は、今後の自分を良くするために今までの自分を捨てなければならない。そのトレーニングに慣れないがためにそれを苦痛に感じて、そこから逃げようとしている。しかし、逃げることで自分をさらに苦痛に追いやる。自分を楽にしたいから逃げようとする意志が働くのだが、大本の苦痛がそこでは待っている。このからくりを彼らのように幼いものだけではなく、人類自体が理解しないで歩んできた。地球人類が幼いので人類を高めるために今、太陽系で一番安定している金星の力が必要になってきている。金星が表現する精神は、まさしくこれからの人類が目指している世界。
たっちゃん:
金星は、感覚、五感、美しさ、愛、喜び、豊かさ、楽しみ、芸術、女性性の世界。
いさどん:
どちらにしても時代は動いている。一人の人間が必要だから一生懸命やるとか、一つの団体が「これが大事だから推進しましょう」とか、そういう時代はもう古い。次の時代はみんなが連携して、一人ひとりの目覚めのネットワークによって事がなっていく時代だから。個人や団体の取り組みに捉われずに連携していけば、新しい姿が見えてくると考えた方が良い。事は自然に起きてくるから、目の前にあることを粛々と正攻法でやっていくだけ。
S君やMちゃんでも、ここにこうした癒しの場所があってその中に漬物のように入っているわけだから新しい道を切り開けるけれど、ここに一人でも二人でも不調和な人がいれば、彼らはたちどころに不快に感じていなくなるよ。ここに善意と愛と調和の場が出来ているからこそ、その心地良さに触れて自らを改善しようとするのである。僕の投げかけがきついと思っても、場が調和的だからこそそれが出来る。だから、理屈の前に、一人ひとり自分自身が調和の場を作ることが大切である。