20年目の覚悟 〜 いさどんからのメッセージ

5年前に書かれた「15年目の合格」というブログを読み返してみて、改めて創立メンバーのまりちゃんが今の想いを語った「20年目の告白」を先日ご紹介しました。
今日は、それを読んでのいさどんのメッセージをご紹介します。

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木の花創立前のまりちゃん(中央)といさどん(左)
木の花創立前のまりちゃん(中央)といさどん(左)

この「15年目の合格」というエピソードとは5年前に出会い、それがまたこうやって発掘されて、今回読むのが3回目になりますが、その度に涙が出ます。
こうやって、ここのメンバー一人ひとりに対しての僕の想いと木の花物語が紡がれているのだと思うと、ある意味まりちゃんは、僕の木の花人生の作品第1号なのです。まりちゃんは元々キャパがそれほど大きい人ではありませんし、どちらかと言うと的外れなことをやる人でした。それを、何があっても揺るぎのない人に変える作業は、僕にとって初めてのことでもありましたし、なかなか至難の業でした。

鶏の世話をするまりちゃん

では、なぜそれが必要だったのかというと、この中にも書かれていましたが、彼女には万能選手をやってもらわないと当時はここがまわっていかなかったのです。それは、ここを運営するということが目的なのではなく、こういった生き方へと船を漕ぎだし、その船が進む中で出会う色々な出来事は、こちらが予定をして出会ったものでもなければ、戦略的に仕組んでやってきたことでもなく、それを出港したがために出会った出来事でした。ですから、その旅を進んでいくときに、何があってもそこに立ち向かって崩れない人が一人でもいる必要があったのです。

そして一人から始まって、順番に一人ずつそういった作業をしていったことを思い出しました。

夏祭りにて
今や阿吽の呼吸でお笑いもこなす二人

それは大変だったとは思いません。具体的に当時のことを想えば、真剣だったし、大変だと言えば大変だったのかもしれませんが、今ここに到達するためのプロセスだとしたら、それは必要なことだったのです。そして、今現在がこのような状態にあって、これから先、我々の歩みが私たちの目的を超えて世の中にとって大事であることがわかればわかるほど、大変だとは全く思わないのです。

それは、前もってわかっていたら絶対にやれないことであり、やれないようなことをやってきたと思います。だから、「あの時ああだったから、もう一度こういうふうにやり直そう」ということは、ありえないのです。そうやって歩んできた結果、今があるのですから、出会ったこと全てが必要だったと思っています。そして、これから先も我々は同じように歩んでいきます。この20年は、そのことをいつも肌で感じ合ってきた歩みでした。

みんなに囲まれての誕生日
みんなに囲まれて誕生日を迎えたまりちゃん

まりちゃんのような姿になっている人のことを、「揺るぎない」人ということのだと思います。しかし、まりちゃんよりもさらに揺るぎない人がいて、それは僕です。そして、さらにもっと揺るぎないのは天の存在です。そのように、ランキングがあるのです。
揺るぎないことは僕にとっては当たり前のことです。この道に出会ってしまったら、脇目をふることはないし、どんなに揺さぶられてもその価値がわかっているからぶれることはありません。自分の中から何を捨てても、この道を選んだ限りはこの道を外すわけがないのです。

それを想うと、少なくともそれを共有できる人が1人、2人、3人・・・80人と、今はこれだけ多くの人たちがいるわけです。特にここのところ、全体が大きく揺さぶられて、そのおかげでみんなの絆が強くなって安定してきています。

これまでの歩みを振り返ってみると、本当に色々なことがありました。なぜ色々なことがあったかというと、「来るものは拒まず」ということで本当に色々な人を受け入れてきましたので、事件が沢山あったのです。まりちゃんも言っていましたが、思い返してみれば、ケア滞在の人とプロレスをしながらお風呂へ入れたという話もありました。10年もお風呂に入っていなかった人をお風呂に入れたのですから、犬を洗ったときのような臭いがしましたね。

そうやってこれまで色々なことがあったとしても、今こうやってここに落ち着いたことを想うと、そろそろ来るべき段階に至っていると感じています。それは最終到達地点ではありませんが、この歩みの延長にここが仕上がっていくのを確信しています。

ここは安定してきていますが、これから世の中はますます厳しくなっていきます。ですから、みなさん、これからも心して世の為人の為に歩んでいきましょう。

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20年目の告白

田んぼ隊のまりちゃんは、みんなの頼れる姉貴的存在。20年前、「富士山のふもとに“菩薩の里”を創ろう」という想いだけを頼りにやって来て、右も左もわからないままゼロから木の花ファミリーを立ち上げた創立メンバーたちの中で、農作業や家事はもちろんのこと、心の病を持つ人を受け入れるケア滞在のサポートや、事務作業から大工仕事、写真撮影にみんなの床屋さんまで、たくさんの役割を一手に引き受けてきました。
今も日々田んぼを切り盛りしてるかと思えば誰かの服を縫っていたり、おなかがすいたな〜と思ったらいつの間にかまかないを作っていたり、かゆいところにサッと手が届いて「まりちゃんがいてくれれば大丈夫!」と、みんなからも深〜い信頼を寄せられています。

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そんなまりちゃんも、昔はとても我が強く、相手が喜ぶだろうと思い込んで的が外れた行動を取りながら、外れたことにすら気が付かない状態だったといいます。今のまりちゃんからは想像がつかない!のですが、先日の大人ミーティングで、創立からのまりちゃんの歩みをシェアする時間がありました。菩薩の里を目指しながらもそれが何なのかわからず、不調和だらけだった創立メンバーたちの中で、いさどん曰く「最初に追い風に変化した」のがまりちゃんでした。

以下は、5年前に書かれたまりちゃんの『15年目の合格』というブログ記事です。
  
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『15年目の合格』 ー 2009年8月21日

創立間もない頃のまりちゃんといさどん
創立間もない頃のまりちゃんといさどん

私は毎朝、キャスターハウスで精米をしていますが、時々いさどんが粉挽きに来て、一緒になります。そんな時は必ずといっていいほど、心の話になり、今朝も例にもれずそんな時間になりました。

この前の創立メンバーヒアリングの話題はいさどんの家出話でしたが、その時期は丁度、私の「集中心のトレーニング期間」で、毎日いさどんとマンツーマンで心のやり取りをしていました。本当に出来が悪かった。まれに何も滞りのない1日が過ぎようとしていても、「今日は何か心配りをしたのか」のいさどんの一言から始まり、「正直、素直」が身についていない私は、正解を出そうと悪戦苦闘、最後は自分の正直が何なのか、分からなくなってしまう始末。丁度、昔のジャッキー・チェンの映画で、師匠は全部を語らず平然としている中で、師匠にへばりついて痛い目をしながら技を学んでいく、あんな感じです。

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その日々の中で、いさどんに言われてきたのは、「空気のような存在にならなければいけない。そこに居るのかいないのか分からないが、なしでは生きていけないものだ」。つまり、自己主張するのでもなく、でしゃばりもせず、しかしそこにいて、この道には欠かせない者になれ、ということ。

いさどんは今のように全部を語らないので、私が自分で考えようとしない時には、「勘違いするな、寄り添っていくのが似合う魂と、一人で立つ魂がある」、つまり私は後者であるということ。

「グレードは違うが、俺と同じコンピューターをもっている」。つまり、的外れをなくし、いさどんと同じものの解釈ができるようになるはずだということ。

私はこの3点をいつも心に留めて、学び続けました。いつの間にか、毎日言われない日々がやってきて、私がどう変わったから集中トレーニングが終わったのか、その時はわかりませんでした。しかし、今のようにいさどんの秘書や助手として活躍するようこちゃんやひろみちゃんはいなかったので、その後は、いさどんの助手として、書き物をするのも、ハウスを建てるのも、ケアを担当するのも全部私でした。過ぎてみると、必要だったなあ、ということが実感です。集中トレーニングが終わったからといって、心の鍛錬が終わったわけではありません。助手をする中でも、色々な出来事からも皆で学び続け、「続けること」を教えられました。

そんなことを、いさどんと振り返っていて、3ヶ月くらい前でしたか、ミーティング後にいさどんが「まりこの物の見方や信仰心は俺にそっくりだなあ」って言ったんです。「ははっ」って言いながらその場を離れましたが、「15年かかったぁ」と心の中でつぶやきながら、涙が止まりませんでした。このまま続けていけばいいんだな、まっすぐ神様に向かって、お仕えすることだけを考えていけばいいんだなと、15年目の合格をひとつもらって、思いました。しばらく泣いて、「私、自分ごとで泣いてるじゃん」と思って、そのまま流してしまったことなのですが、思い出していさどんに話したら、いさどんも泣いて、久しぶりに2人で泣きました。

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それから5年。
今もまりちゃんは田んぼにまかないにみんなの衣装作りにと多忙な毎日を送っています。
創立から20年を迎え、今の想いを改めてまりちゃんに聞いてみました。
  

こんなブログ記事があったなんて、忘れてたよ(笑)。
昔は本当にいろいろなことがあって、ケアでもすごい人がたくさん来て、週に2日寝られればよかったりとか、プロレスしながらお風呂に入れたりとかいうこともあったよね。今は時代も変わってきて、外からの目線も入れて学びながら、みんなとの絆はますます強くなってきているのを感じるよ。

この5年間も、いろんなことがあったねえ。私の中で何か変化があったかって? う〜〜ん・・・・何もなくなった、って感じかなあ。何がなくなったんだろう。欲しいものが何もない、足りないものが何もない。自分の中にいろいろあったものが、なくなったような感じなんだよ。

昔は、人から言われたくないとか、失敗したくないとか、そういう心があったよね。良かれと思ってやることもほんとハズレてて、しかもそのことに気付かないの(笑)。何で変わったか?言葉ではうまく言えないんだけど、価値を知っていったからかな。神の愛の。
神さまは、自分のことは考えないでしょ。だから私たちがその心を表すとしたら、そこに自分なんかいらないんだよ。自分なんてとことん「ゲッ」と思うことやってきたし、神の価値を知れば知るほど自分の小ささやしょうもなさが見えてきて、そりゃぁ当然価値ある方を選ぶようになるよね。
自分をなくす、と言うとすごい苦行みたいに聞こえるかもしれないけど、違うよ。自分がもっと増えて、豊かになるんだよ。そしてそこに心を向けさえすれば、誰でも行けるんだよ。

昔は気分が上がったり下がったりしてたけど、今はそういうのもないね。人に対してもっといろいろやってあげたいな、という気持ちはあるけど、それも自分の欲でそう思ってるわけでもないんだよね。やってあげる流れが来たらそれは必要なことだったんだな、と思うし、やってあげられなかったらそれは必要がないことだったんだな、って思うだけ。
自分が何かをしたいというのはなくて、ただみんなが良くなっていくことが嬉しいね。不安定だったともちゃんが安定してきたり、今滞ってるみさちゃんが目覚めていったり、いさどんがあんこ食べて幸せそうな顔したりとかね(笑)。
とにかく、今は何の不足感もないです。

でもね、これも全部、いさどんに教えてもらったんだよ。
この道は本当に尊い道だと思う。私には、それを教えてくれる人がいて、一緒に泣いたり笑ったりしながら支えてくれる仲間がいたんだよ。
だけどね、いさどんは、それを一人でやってきたの。自分の拳で自分の頭を殴って、一人で泣いて、超えてきたんだよ。

いさどんはいつも、私たちがこの道を求めるから手を貸してきたんだよ。だけどそこを超えられなかった者は、超えられない自分と向き合うことから逃げていさどんを悪者にしちゃう。それは人間によくある心理だから、彼らを責める気はないよ。そこを超えた時に初めて観える景色があるだけだから。今は、いさどんがいなくなった時のために、私たち自身が鍛えられてるなとも思ってるよ。

まあ、今わからなくてもいいじゃん!みんな死ぬ時には答えをもらえるんだから。
人生は、自分を知る旅だからね。
 

昨日誕生日を迎えたまりちゃん。「皆の役に立つことが生きがいです。これからも使ってください。」
昨日、木の花で21度目の誕生日を迎えたまりちゃん。             「皆の役に立つことが生きがいです。これからも使ってください。」

 


さっちゃんのトマト定植

先日木の花ファミリーブログの「さっちゃん物語 〜乳ガンをいただいて」にてご紹介したさっちゃんが、トマトの苗木の定植をしました。

素手に裸足で定植をするさっちゃん
素手に裸足で定植をするさっちゃん

この定植、見ての通り、素手に裸足で行っています。これは、ウラジーミル・メグレ著『アナスタシア』という本を読んだ、育苗隊のきょうこちゃんの提案によるものです。

『アナスタシア』はロシア発の世界的ベストセラーで、日本でも第3巻までが出版されています。シベリアの森の中に住むアナスタシアという女性が、既存の社会の価値観を超えて人間の存在とは何かを伝えてくれる物語で、インターネットのレビューには「感動で涙があふれた」「すべての人に読んでほしい」などの言葉が並んでいます。その世界観は木の花の日々の暮らしとも深く通じていることから、ただ今メンバー(特に女性)たちの間で密かなブームになっているのでした。

この『アナスタシア』の中に、植物について書かれている章があります。
植物の実には人間が作るどんな薬よりも病と戦う力があり、実になる前の種に自分の体の状態を知らせておくと、種は宇宙や地球からその人に必要なエネルギーを吸い込み、その人がお世話をしていくことで、その人持つ病を癒やす力のある実を実らせる ――――
そこで、普段はおひさまハウスひまわりで家事をしているさっちゃんが、トマトの播種(種まき)からやってみよう、ということになりました。

口に含んだ種を両手で包み、その種を空に向けて天体に見せる。その瞬間、種は発芽の時期を決め、全ての惑星がその新芽が必要とする光を降り注いで、手助けをするのだそうです。そうして蒔いて、育てた苗木を、今度は畑に植え替えます。

定植は、素手に素足で行いました。

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体の病に関する情報を含んだ物質は足から汗として流れでて、苗木はその情報を取り込み、実に運んで、病と戦う力を蓄えるのだそうです。だから時々畑を裸足で歩くといいのだとか!
 
品種は「まほうのトマト」です。

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さっちゃんに感想を聞いてみると、
「すごくリッチな気分(笑)。自分のためのトマトなんて、贅沢だと思わない?それをみんなが手助けしてくれるんだよ。みんながいろいろ用意してくれて、私は種まいて定植するだけ。自分の頑固さからガンになったのに、こんな特別待遇でよろしいんでしょうか(笑)。
植物はその人の情報を取り入れて、その人に足りないものを実らせてくれるみたい。植物って、与えるばっかりなんだって。やさしいね。人間は、もらおう、もらおうってするのにね。」

 
いつも長靴を履いて畑を歩いていたきょうこちゃんも、さっちゃんと一緒に裸足で歩いたらとても気持ちよかったのだそうです。
 
 
さて、さっちゃんのまほうのトマトは、どんな実を実らせるのでしょうか。
これからも、皆さんにお伝えしていきますね!
 
 


さっちゃん物語 〜 乳ガンをいただいて

2年前にメンバーになったさっちゃんは、家事と子育てが担当。16年前にもメンバーになりましたが、一度ここを離れ、再び帰ってきた“出戻り組”でもあります。
昨年10月に乳ガンであることがわかり、大きく変化しつつあるさっちゃんを、今日はご紹介します。

さっちゃん
さっちゃん

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木の花のことを最初に聞いたのは、子どもの幼稚園で一緒だったお母さんから。無農薬で農業をやっていて、子どもも一緒に農作業できて、ごはんも食べられるよって教えてくれたの。それで子どものためになるかと思って来てみたんだ。
そのころ、私は育児で悩んでて。子どもが学校でなかなかみんなについていけなくて、問題があるのかと思って精神科に行ったら「お母さんがおかしいんです」って言われて、でも自分ではどうしていいのかわからなかった。それでここに来て、いさどんからも「問題があるのは子どもではなくあなた自身」と言われてびっくりしたの。話を聞いてみて、面白いことを言う人だなあと思った。それで、ここに通うようになったんだ。

時々来ては農作業を手伝ったりしていて、ある日お昼寝をしてる時に、夢を見たの。黄金のお釈迦様が雲に乗って現れて、目の前に来たところでパチっと目が覚めた。
そのことをいさどんに話したら「おまえはお釈迦様の弟子だよ」って言われたの。それで舞い上がっちゃった。自分は素晴らしいものなんだ、って勘違いした (笑)。

友だちのあきちゃんにも紹介をして、二人でいさどんの話を聞きに通い続けたんだ。そしたらそのうちにあきちゃんが移住することになって、私もライバル意識で、移住することにしたの。家族は反対したよ。でも追いかけては来なかった。
その少し前にね、30年後の自分を想像してゾッとしたことがあるの。このまま主婦やって、毎日ぐうたら昼寝して、何も変わらないまま年を取っていく自分の人生を想像して、ゾッとした。
そこから逃げたい気持ちもあったんだよ。PTAの役員も面倒だし、周りとの人間関係もうまくいかないし。そういうことから逃げたかった。それで離婚して、二人いた子どもの一人だけを連れて、ここに来たんだ。
  
120410-111544移住して、最初の頃は楽しかったよ。心の話がすごく楽しくて、大人ミーティングで寝てる人を見ると、何で寝てるんだろうって思った。
でも実際に生活していくうちに、だんだんしんどくなって、ミーティングでも眠くなるようになったの。だけどいいかっこしいで、正直な気持ちを言えなかった。作業でも失敗ばかりで、自分を良く見せようと嘘をついたりして、それに対してみんなが伝えてくれる言葉も、責められてるようにしか思えなかった。誰にも相談できなくて、絶望的な気持ちだった。

私のようすがおかしいので、みんなから「出て行った方がいいよ」って言われたの。私はこの生き方をするために生まれてきたから、ここを出ることはできない、と思ってたんだけど、いさどんから、それはあなたの思い込みだよ、ここを出ても自分にふさわしい幸せな道があるのだから大丈夫だよ、と言われて。
それで、メンバーになって3年で、ここを離れたんだ。
  
実家に帰って、最初は泣いてばかりだった。自分は根性なしで嘘つきで、みんなみたいに人のために働くことができなかったって、挫折感でいっぱいだった。
でもね、恨む気持ちはなかった。ただ怖かったの。みんなに責められているようで、正直が出せなかった。それでも、ここのみんなが私のことを一番よく考えてくれている、ということだけは、よくわかってた。

木の花だけが道じゃない、とヤマギシ会に行ってみたり、宗教をやってみたりしたけどそれも続かなくて、自分は本当にダメな人間だと思ってた。いつもイライラしてて、不安定で、毎日が辛くて、なんとか生きがいを見つけようと空手を始めたの。大会に出て、自分の弱いところと向き合って成長しようと思った。
だけどね、ダメな自分ばっかり出てくるの。勝ちたいっていう欲が強くて、結局簡単なミスをして負ける。試合に勝ちたい、かっこつけたい、人から羨ましがられたい。だからかえって転ぶ。そういうパターンだった。
情けなかったよ。その仕組みがわかってるのに、それを繰り返しちゃう自分が、情けなかった。余計な欲がない時は勝てるのに、それがわかってるのに、どうしてもそっちに行けなかった。だから、負けるのは当然だと思ってた。
  
それで10年くらい経ったのかな。
131116-171233やっぱりね、木の花を恋しく思うの。おいしいごはんを思い出したり、えいこばあの里芋の煮っころがしが食べたいな、とかね。それで、夏に1度来てみたの。
玄関を開けたら、ちなっぴーとかずこちゃんがいてね。当たり前のように「さっちゃん、おかえりー」って言われたの。まるでほんの何日か旅行に行っていただけのように。びっくりしたよ。
それでいさどんに会ったら、「帰ってきたか」って。それでね、昔とまったく同じことを言うの。それがすごく不思議だった。だって毎日毎日いろんなゲストが来て話をしていて、10年前に私に何を言ったかなんて覚えてるはずがないでしょ。それで、やっぱり本物なんだ、って思った。嬉しかった。
  
私ね、いつか自分はここに戻るんじゃないかって、ずっと思ってたの。だから、離婚した時に本籍を木の花の住所にしたんだけど、実家に戻ってからもずっとそのままにしてた。今はまだ、自分の人間性がふさわしくないから戻れないだけなんだ、って、心のどこかで思ってた。
何度か遊びに来るうちに、あきちゃんから「諦めなければいいんだよ」って言われたの。こんな私でも、諦めなければ何とかなる。それで、もう一度来ようと思ったんだ。
  
本当はね、まだまだ普通の生活に未練があったんだよ。ファーストフードが食べたいとか(笑)。でも仕事を辞めたり母親が亡くなったりしてトントン拍子で移住の流れが進んで、心が定まらないまま再びメンバーになっちゃった。
そんな状態だから、やっぱりいろんなことが起きたよ。本当は外に未練があるのに、またいいかっこして頑張ってるふりをしてるから、無理が生じていろんな現象をもらった。食欲もなかなかコントロールできなくて、食養生(砂糖や熱した油を摂らず少食にする)を始めたの。それでもなかなか欲が抑えられなくて、覚悟ができずに気持ちがグラグラしてた。そうしたらその1か月後に、乳ガンであることがわかったの。
   
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ガンだと聞いた時、びっくりはしなかった。どこかで、そうなる気がしてたから。
自分にはそれが必要、っていうのかな・・・・自分の思い通りにならない方がいいんじゃないかって思いがあったの。ちょうど食養生をやめようかと思ってた時で、胸にしこりを見付けて病院に行く時に、このままガンじゃなくて食養生やめられることになったら変だよな、と思った。だって、それでは自分の「こうしたい」って欲が通っちゃうことになるでしょ。それが満足させられる道はおかしいなって思った。
  
考えてみると、自分の思いが通るっていうのは、人生で経験したことがない。思いがすっと通る人と通らない人がいて、私の場合通らないのが当たり前だった。なぜかって、欲が強いから。それはわかるの。
だから、ガンだと言われた時にも、自分にはそれが必要なんだ、ってどこかでわかってたんだ。
   
131231-232400なぜガンになるのかという心の仕組みも、ここで学んだ。頑固な人や、心の中に恐怖や怒りを溜め込んでいる人はガンになりやすいって。
だから、ガンになったことをみんなに伝える時には、蔑まれるんじゃないかって、内心隠したいような気持ちだったの。そうしたら、みんなの反応は全然違った。「いいものいただいたね」って。お気の毒に、という人は一人もいなかった。あっけらかんとして、じゃあ食養生続けるといいねー、って。みんなが、やさしかった。
   
私ね、昔から、いつもどこか焦ってたの。自分は人より遅いとか、頭が悪いとか、仕事ができないとか、コミュニケーションがうまく取れない。そういう劣等感を何とか挽回しようと思って、いつも焦ってたの。今でも時々、やることがいっぱいになると息が苦しくなってハアハアしてくるの。でも周りから「ハアハアしてるよ」と言われると、はっと我に返って、やめられる。前はやめられなかった。いつも呼吸が苦しかった。
   
それができるようになったのは、みんなのことを信じられるようになったから。みんなが、善意で言ってくれてるのがわかるの。そして、できない自分を認めてくれているのがわかるの。
ガンになって崖っぷちに立って、初めて自分の弱さを出せるようになったんだ。だって、もう後がないから。ここで自分の心を正直に出さなかったらガンはよくならない、と思って、思い切って、自分の中にあるこれまで出せなかったものを全部、出せるだけ出したの。そうしたら、みんなは私を蔑むんじゃなくて、そんなことたいしたことないよ、みんな同じだよ、って。ホッとした。なんだ、自分だけじゃないんだ、って。
今までは、自分の汚れを認めるのが怖かったの。みんなにそっぽ向かれるんじゃないかと思って、ずっと隠してきた。でも、実はそんなことみんなは知ってたんだね。なんだ、バレてたんだ、って(笑)。
大事なのは、その汚れた心を持っていることを肝に銘じて、その自分を超えるために歩んでいくこと。それがわかったんだ。
   
140423-191620もしもここに来ていなかったら、ガンだってわかった時に、きっと絶望して、恨んで、人にあたったりしてたんじゃないかなって思う。何でガンになったのかを振り返ることもなかったろうし、周りも当たらず触らずの扱いで、木の花のみんなのように心の中に踏み込んでくることはしなかっただろうと思う。
自分の心は重たいままで、絶望の中で暮らしてたんじゃないかな。
   
今はね、みんなが自分を後押ししてくれたり、言葉をかけてくれたりした時に、胸のところに、ちょうどガンのあたりに、ほっと明かりが灯るような感じを、よく感じるの。昔は顎関節症になるくらい、いつも緊張してたのに。
包まれてるような感じがあるの。ああ、これが愛なんだな、って。ずっと、自分は本当の愛を知らないと思って生きてきたんだけど、愛って、本当に自分の目の前にあるんだよ。それに気付いたら、もう怖いものは何もないね。嬉しいね。
   
今、体が疲れやすくなってるから、朝に疲れがなくスッキリ起きられるとすごく嬉しいんだ。夜寝る前に、明日もスッキリ起きられますように、ってお祈りするの。そうしたら、みんなのために働かせてもらえるから。
疲れて大人ミーティングに出ないで寝ちゃった時は、翌朝がっくりして、また寝ちゃった、って情けなくて涙が出てきたりもする。疲れると、こんなんじゃダメだ、何で自分はできないんだ、って思い始めるの。だから、そういう時は休む。そして元気になって、空気の良い自分でいられるように。
こんなにバカな私でも、こんなに元気に生きられるんだよってことを伝えたいんだ。病気で苦しんでる人や、孤独を感じている人や、頑張りすぎている人に。
   
131201-010328 のコピーカタカムナ勉強会の時に、講師の芳賀さんに言われたんだ。「大丈夫ですよ。人はガンで死ぬんじゃなくて、寿命で死ぬんですよ」って。そうなんだよね。
ガンがわかって、始めの頃はシモンとかにんにくエキスとかビワの粉末とか、治療に効果があるって言われるものを大量に摂ってたけど、今は全然摂ってないんだ。自然になりたいな、と思って。何かで治療するとかじゃなくて、心で治っていくといいな、というか、心が良くなっていけばいいなって。寿命で死ぬだけだから。
必要になったら、またその時に始めればいいんだしね。
   
ガンがわかった時、最初に病院で、手術よりも食養生で治したいと言ったら、そんなことをやったって良くなる人なんていないって言われたの。それで、手術をする方向で話を進めていて、私もその通りにするつもりだったんだ。
だけどこの間検査に行ったら、ガンの状態がすごく穏やかで落ち着いてるから、自分がやりたい治療をやっていいですよ、って言われたの。それで、今自分がやっていることを先生に伝えたら、病院だってガンを切ることを目的にしてるわけじゃなくて、要は患者さんが治ればいいんです、って言ってくれたの。最初はお説教されたのにね(笑)。それがすごく不思議。
   
昔、「おまえはお釈迦様の弟子だ」って言われて自分は特別なんだって有頂天になってたけど、もうね、そういう時代じゃないなって思う。誰かが特別とかじゃなくて、みんなで響きあうというか。私がそう言われたことも、ここに来るための一つのアイテムに過ぎなかった、というかね。
今カタカムナを学んでいることも、みんなの中にあるものが開かれていく、一つのきっかけなんだと思う。
みんなの中に、すごく、愛がたくさんあるんだよ。
  

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