東洋の叡智が花開く時代 〜 雑誌「世界建築」より

昨年末、中国の清華大学と「エコシティとグリーンビルディング(環境に配慮した建築)」編集局によって主催された日本視察ツアーにて、25名の専門家の方々が木の花ファミリーを訪れました。
最先端のデザインや技術を学ぶツアーの最終日に木の花へやって来たみなさんは、2日間の滞在を通して「どんなに立派な建築を建てることよりも、大切なのはそこに暮らす人々の“心”だということを知った」と語り、帰国後も感動のメールが寄せられたり、報告会の様子を教えてくれるなどの交流が生まれたのでした。

日本視察ツアー参加者の皆さんと
言葉の壁を超えて心がつながったウェルカムコンサートにて

*感動のウェルカムコンサートの動画を、こちらからご覧いただくことができます。

そんな中、中国、香港、台湾で発行される『World Architecture(世界建築)』という雑誌に木の花ファミリーについての記事を掲載したいとの依頼があり、ようこちゃんが英語で記事を執筆しました。
先方の事情により、雑誌には一部を省略した形での掲載となりましたが、以下にその全文の日本語訳をご紹介します!(英語と中国語はこちらのページをご覧ください。)
  
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今から約10年前、ある中国人女性が日本の富士山麓にある木の花ファミリーを訪れ、興奮しながらこう言いました。「私は中学校で理想の共産主義について学びました。それ以来、私はそのような世界を夢見てきましたが、実際に出会うことはありませんでした。しかし今日、共産主義の中国から資本主義の日本を訪れ、資本主義の日本に存在するここ木の花ファミリーでとうとう理想の共産主義に出会ったのです!」

1981年以降、創設者・古田偉佐美はインスピレーションを受け、様々な社会問題について相談に乗るようになりました。ほとんどの人は自らの問題が解決されると離れていきました。しかし、私たちの心やこの世界の仕組みに興味を持ち始めた人々が集うようになり、心の勉強会が形成されました。そのうちの多くの人は創立メンバーとなりました。また、彼は人間の営みが美しい地球を傷つけてきたことから、自然や地球上のすべての生命と調和して暮らすことが重要だと気付いたのです。

1992年、世界の天教山である富士山の頂上にて、彼はインスピレーションを得ました。「あなたが天から学び会得したその心、日の本の国全体に説きなさい。」日の本の国とは日出ずる国・日本だけではなく、世界全体のことです。地球上のすべての生命は、一つの太陽・一つの大地・一つの水・一つの空気・一つの風のもとに生きています。富士山をアンテナとしてこの一つの精神を世界全体に発信するために、1994年、20名のメンバーが木の花農園を創立し、その後木の花ファミリーと改称しました。「木の花」という名は富士山の主神「コノハナサクヤヒメノミコト」に由来しています。

コミュニティ発展のプロセスは決して簡単ではありませんでした。現代社会の人々は自らの意志のみで生き、自らの欲望を満たそうとし、それを幸せだと考えてきました。しかし、真の意味で、個人の幸せは家族の幸せ、国家の幸せ、人類の幸せ、そして地球の幸せと一致すべきなのです。また、現代の人々は自らの心を含めた所有物を共有する心構えができておらず、それは創立メンバーにも言えることでした。そうした状況を克服するためには、人間のエゴを超え、広い世界観を持つことが必要です。そのために創立以来木の花ファミリーが最も大切にしてきたことは心を磨くことです。宇宙を生きるとは、果てしない進化・成長・変化の道を歩むことです。メンバーのひとりひとりは日常生活の中で自らを観察し真剣に向き合うことで自我を超えようと努めてきました。

現在、私たちは血縁を超えた80名のメンバーとゲストを合わせた100名近い人々が一つの大家族としてつながり、互いに助け合う共有性の高いコミュニティを確立しました。私たちに蜜蜂の飼い方を教えてくれたある養蜂家はこう言いました。「木の花ファミリーの生活はまさに蜜蜂社会のようですね!」それは個が自己主張せず、一生に渡って全体のために存在する世界です。その後、マルクスは蜜蜂のコミュニティに興味を持っていたことを聞き、共産主義のもとになる原始共産主義の精神は蜜蜂の理想社会から来たのではないかと想いを馳せました。

地球上の生命が変化し進化し続けるように、木の花ファミリーは20年に渡って驚くほど変化し進化してきました。私たちのライフスタイルはもはや環境に優しく社会的に持続可能なだけではなく、従来のエコビレッジの概念を超えています。私たちは、前代未聞の私たちのライフスタイルに対して「天然循環法」というオリジナルの言葉を作りました。これは約13000年前に日本に存在していたカタカムナ文明の宇宙物理学がベースとなっています。カタカムナの80あるウタイは宇宙の発生・発展・消滅を48音の響きで表現しています。カタカムナ人の最大の特徴は、全ては響きでできていることを理解し、直観とともにコミュニティの中で暮らしていたことです。

天然循環法は、農・食・経済・社会関係・教育・子育て・環境・芸術・医療と私たちの日常生活におけるすべての分野に反映されています。木の花ファミリーは農的共同体であり、カタカムナ的視点から農という漢字を見てみると、欲望を満たしお金をもうけようとする人間の歪んだ想いによって元の生命力を曲げることを意味します。ですから、農は本来の自然の姿ではないのです。

天然循環法を発展させるまで、私たちは農薬や化学肥料を使わない有機農業を実践してきました。畑で鶏糞を用いるため鶏を飼い始め、堆肥の発酵・作物への葉面散布・家畜への餌や飲み水に用いるためEM(有用微生物群)をベースにしたオリジナルの木の花菌を培養し始めました。その結果、悪臭のない健全な環境を実現し、安全な作物を生産できるようになりました。しかし、低い生産量や病気予防の点で、この栽培方法は私たちの理想からはほど遠いものでした。その後、ある自然農法研究センターとのつながりや緑肥・炭素資材・ワカメ等の使用を通して、私たちの農法は着実に発展していったのです。信じられないかもしれませんが、現在私たちの食料自給率は1000%です!それは、私たちが実際に消費する10倍の量を生産しているということです。そして2013年、とうとう私たちはカタカムナとの運命の出会いを果たし、宇宙の仕組みの奥を理解するようになりました。

私たちは天然循環法を通して、潜象界からの元の宇宙の響きを畑(現象界)に響かせ、作物を育てることを通して宇宙の仕組みを学んでいます。その結果、生命力あふれる美しい作物をいただくことができるのです。私たちは畑のみならず、すべてのものが美しく生き生きと活性するよう、料理、味噌・醤油作り、掃除、子育て、養蜂や養鶏、オフィスでの仕事、コミュニティミーティングの前に意識合わせをするときなど、日常生活の至るところで元の宇宙の響きを響かせています。人々が日々の中で心を磨き、宇宙の仕組み―潜象界と現象界で成り立つ宇宙全体の中ですべてのものは螺旋を描き循環する仕組み―を理解して初めて、元の響きを感受する直観が人の意識の中に開花されます。カタカムナとの出会いを通して、私たちは心を磨くことがこの世界のすべてのベースであることに気付き、精神性を最優先にする私たちの生き方の重要性を確信しました。

中国人女性が木の花ファミリーで理想の共産主義に出会ったとき、私たちは彼女にこう伝えました。「私たちのコミュニティは共産主義の精神から確立されたものではありません。これは宇宙の星々の関係や地球生態系の姿・私たち人間の体の構造を日常生活の中に表現した世界なのです。そして、これこそが全人類が最終的に到達するすべての宗教やイデオロギーを超えた理想世界なのです。」

私たちは21世紀を迎え、地球規模で社会・環境・経済・心の面で多くの困難に直面しています。人間の求める幸せの結果、人間の営みは地球に何をもたらしてきたのでしょうか。地球上の問題を引き起こしてきたのは人の心です。どんなに高度なテクノロジーを発展させ、どんなに優れた建築物を建てたとしても、人の心次第でそれは有益にも有害にもなるのです。

私たちは宇宙を旅する地球という星の上に生きています。そして、私たちは一つの太陽・一つの大地・一つの水・一つの空気・一つの風のもとに生きています。なによりも私たちは時代を共有して生きています。つまり、私たちは一つのいのちの兄弟であり、天然循環の中で地球という一つのいのちの一部を担っているのです。このように、私たちは人智をはるかに超えた大いなる宇宙の仕組みの元に生かされています。

これはホリスティックな視点である東洋の叡智であり、カタカムナ的世界観です。カタカムナ文明がアジアに渡ったとき、日本列島はまだアジア大陸とつながっていました。そして、カタカムナは中国を通ってインドへと渡り、インドで仏教として発展した後、中国で道教が加わり、そしてまた日本へ返ってきました。つまり、カタカムナと木の花ファミリーの共同体の精神は、すでに中国的共産主義の理想の中にあるのです。そのため、中国人女性は木の花ファミリーで理想の共産主義を感じ取ったのでしょう。

カタカムナは6000年間封印されていましたが、闇のピークである2012年12月21日の銀河の冬至とともに、今とうとうその封印が解かれました。それは時代が西洋の物質文明から東洋の精神文明へ移行したということです。「コノハナ」の「ハナ」は日本語で花を意味します。ここでの花は、桜(人の命の美しさ)、梅(健康の美しさ)、そして桃(桃源郷の美しさ)を表し、それらは日本・韓国・中国という国を代表する花でもあります。本来、私たちは兄弟の国なのです。ですから、私たちがまた一つにつながり、理想の東アジア圏を確立し、共に世界の見本となっていくことが大事なのです。日の本の国全体は、日本、中国、韓国、アジアから世界全体へと広がっていくのです。
21世紀は、東洋の叡智が世界で花開く時代です。

  
 


のんちゃんの「ありがとう」の物語

今日は「木の花菜食レシピ」でお馴染みの、キッチンスタッフののんちゃんの物語をご紹介します。

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小学5年生の時に、自分の誕生日にケーキがない、ということがあったの。
私は1月2日が誕生日でしょ。昔だし、田舎だったから、1日に買っておかないとお店が閉まっちゃうの。だけどその年は1日に買うのを忘れていて、2日になってから「あ!ケーキがない!」って。他の兄弟はそんなことないのに私だけ忘れられて、自分は愛されてないんだって悲しくなった(笑)。でも、なかったら自分で作ったらいいなって思って、本をめくって、ロールケーキを作ろうとしたんだ。
だけどロールケーキって難しくてね、結局きれいに巻くことができなくて、ただのジャムサンドケーキみたいになっちゃった。それを「できたよー」ってみんなに食べてもらったら、みんながおいしいって喜んでくれたんだよね。今となってはそれが本当においしかったのかどうかわからないけど、自分がしたことで人が喜んでくれるんだと思ったら、嬉しかった。

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新作のスコーンを焼くのんちゃん

それから、お菓子を作るのが好きになったの。もともと食いしん坊だから作るのも食べるのも好きだったけど、とにかく作るのが好きになった。夜中にも作ったりしてるもんだから、家族から「また作ってるよ」って呆れられたりしてね(笑)。お菓子って、ごはんと違ってあってもなくてもいいでしょ。でもあると嬉しいよね。好きな時に作って、自分の気持ちがそのまま表現できる。そしてそれを食べた人たちが喜んでくれる。そうやってみんなが喜んでくれるのが、嬉しかったんだよね。

木の花に来る前も、カフェやレストランで働いてた。食べることに携わるのが好きなのは、食べものって、食べたら終わりでしょ。それがある意味、いさぎよいなって思うの。ほんと一瞬なのに、その一瞬のためにみんなが一生懸命作ってる。だけど食べたものは確実に血となり肉となり、その人を作っていく。見えなくなるけどその人を作っていくのが、なんかおもしろいなー、って。

そうやって好きなことやって暮らしてて、それなりに満たされてはいたんだけど・・・なんかね、つまらないな、って思い始めたの。
経済的にも、一人で電気とかガスとか使ってもったいないなーって思うし、何より、自分のために生きててもおもしろくなかった。それで、もっとたくさんの人で一緒に暮らせる場所が、どこかにあるんじゃないかって思ったの。
その時はまだエコビレッジなんて言葉も知らなかったし、何の根拠もないんだけど、そういう場所があるんだってなぜか確信してた。それで、ちょうどその頃に何年かぶりに偶然会った友だちに、こういうところを探してるんだって話したら、それなら有名なところがあるよって教えてくれたのが木の花ファミリーだったの。

6年前の体験ツアーで初めて木の花を訪れる
6年前の体験ツアーで初めて木の花を訪れる

さっそく体験ツアーに参加してみて、すごいなー、と思った。だけどなぜか、その時はここに住もうとは思わなかったんだよね。それで、友だちのお母さんがカフェを開くというのでそれを手伝うつもりだったんだけど、その話が頓挫したり、いろんなエコビレッジを見て回ろうとしたら今度は動けなくなるくらいのひどいぎっくり腰になったりして、その時に「ああ、自分はみんなで暮らそうと決めて、そういう場所に出会ったのに、まだ自分の欲で他のことをやろうとしてたんだな」と思って、ここに暮らすことにしたの。そしたら、不思議なことに、腰痛も消えてなくなくなっちゃった。

畑に出られるのが嬉しかった
畑に出られるのが嬉しかった

ここに来て、最初は畑隊だったね。
今までレストランで働いたりして、おいしいものを作る現場にはいたけど、その野菜がどんなところから来ているのかを知らないのが自分自身で嘘っぽいなと感じてたから、いつかは畑をやりたいなと思ってたの。だから土に触れられて嬉しかったよ。
1、2ヶ月くらい経った時にメンバー同士の結婚式があって、キッチンに人が必要になったので入ってねと言われた時には「えーっ」という感じだった(笑)。
それからは、ずっとキッチンスタッフとしてやってきて、今に至ります。

毎日キッチンでお料理してて・・・飽きないね。ほとんど同じことしてるのにね。何で飽きないんだろうね。やっぱり、同じようで、同じことはしてないんだろうな。毎日、何かしらいろんなことが起きてるもんね。
   

ここに来て、自分の何が変わったか ――――― ?
   

一番変わったのはね・・・

(涙で言葉が止まる)

感謝ができるようになったことかな。
   

なんか、私、自分がここで生活してて、人に伝えられることって本当に何もないんだけど・・・
ただ、感謝のことしかないな、って。

ここに来る前も、言葉としては「ありがとう」ってよく口にしてたみたい。お家が何か商売してるんですかって聞かれたこともあるくらい。
自分でも、自分は感謝してるんだって思ってた。生きてることが好きだったし、幸せだと思ってたし、ありがたいなって思ってた。だけど、私は「ありがとう」ということが全然わかってなかった。

2年前の木の花祭りの時に、みんなが自分の過去を振り返るということがあって、私も本当の自分の姿と向き合うために、いさどんにたくさんエネルギーをかけてもらった。あの時に、教えられたの。
ちょうどこんな冬で、夜に空を見上げたら、星がぶわーって、いっぱい浮かんでた。その時に、自分もあの星の一つのように生かされてるんだ、って思ったの。そうしたら、本当の意味での「有り難い」ということの意味が、わかったんだよね。

何でかわからないけど、「ありがとう」ということへの見方がまったく変わったんだと思う。
それまでは、自分が生きてること、自分が幸せなこと、自分から見た視点で、ありがたいなって思ってたの。だけどその時は、夜空の星から見てた。あの星も自分なんだ、と思ったら、そこに存在しているということがすごく貴重で、生かされているんだってことがわかって、本当に、ありがたかった。

でもね、その「ありがたい」につながるためには、本当の自分を知ることが必要なんだと思うの。自分がこれまでにしてきたことを一つひとつ振り返って、自分がどれだけ愚かだったかを知ったことで、そういう自分もここに生かされてるんだ、ってことがわかったら、もう、感謝しかなかった。生かされていることへの感謝。
そして、そういう自分もこの宇宙の一点をつくってるんだ、って思ったら、責任感というか、なんだか背筋が伸びたのを覚えてる。
   

今、キッチンで心がけてるのは、感じること。野菜とかお米とかに、どうしてほしいかなって聞く。わからなければ、みんなに聞く。

130728-112746野菜を見てると、おもしろいよ。今日もキッチンでわたるくんと話してたんだけど、大根てあんまり主役にならないよね。大根ステーキとかもできるけど、今夜は大根ステーキだよって言って「やったー」って喜ぶ人もあんまりいないしね(笑)。だけど大根おろしとか、大事な役割があって、いろんな使われ方がある。なんか、人間見てるみたいだよね。

よく主役になる野菜もいればならない野菜もいて、同じ大根の中でも本当にいろんな形があるよね。特に自家用でキッチンに届くのは個性的な形が多いから(笑)、みんなで「これ見てー」って笑って、この子をどうにか生かそうって考えたり。
野菜はそういう役割として、人間が使いたいように使われてるんだね。決して文句も言わずにね。それでみんなが食べたら、「ありがとう」って言って、体の中に入っていく。

今思ったんだけど、野菜って人間みたいだなと思ってたけど、私たちも、神さまに使われる野菜みたいだね。使ってくれてありがとう、って。

何を作るかを決める時に、前は本とかを見て、ちょっと変わった料理とか、味がおいしいといいなとか思いながら選んでたんだけど、そういうのも、今はないね。今はどうやって決めるかというと、まずみんなが食べたいものでしょ。それから、たくさんある野菜をどう使うか。

あとはね、きっと、その時、その野菜に、「これになりたい」っていうのがあるんだよ。
りょうちんが木の花祭りの鬼の面を作っていて、実はもう作る前から面の完成形は決まっていて自分はそれに沿っていくだけだって話してたけど、野菜にも「これになる」っていうのがあるんだと思う。

今ね、自分の頭で考えてメニュー決めてること多いなって反省した。
神さまにとって人間が野菜だったら、野菜にとって人間は神さまだよね。それなのに、この子はこうやったら一番活かされるっていうのを、野菜と対話をしないで勝手に決めたら、台無しにしちゃうよね。
きっと、ただ相手を感じて、何も考えずに野菜を洗ったりしてると、どうしたらいいかが自然と湧いてくるんじゃないかな。
 

――――― 最後に一言?

そうだね・・・・自分が活かされてないって思う人は、感謝が足りないです。
自分がこの世界に生かされてることがわかったら、そういう気持ちで生きていたら、きっと自然とその人らしく活かされていくよね。

私も、感謝が足りないことがわかったからって足りるようになったわけじゃなくて、まだまだだけど、でも、それをここで積み重ねていけるようになったのが、本当にありがたいなって思ってます。
 

料理をする時、一番思うのは、やっぱりありがとうの気持ち。喜びの気持ちです。
ありがとうございます。
  

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2年前の夏、富士山にて

   
 


さっちゃんの、乳ガンの3カ月定期検診に行って来ました

続・さっちゃんからのレポートです。

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今日はガンセンターの定期検診の日。
3カ月前、予約日を決めた後に、1月20日は確か何か大事な日だったような気がして、ひまわりに帰ってからあっちゃんに聞いたら、何の日でもないよ、大丈夫だよと言われ、ホッとした。
そして昨日になり、日和の誕生日だったじゃん!と気付いた。

日和は自宅出産で産まれた子。そして出産の立会いメンバーに、何故か私も含まれていた。
16年前、その頃の私は出産経験は2回あったものの、赤ちゃんを産む時はたらいにお湯がいるんじゃないか、テレビでそんな場面を観たナ・・・という知識ぐらいしかなかった(今もたいして変わらないけど)。
日和はニュルッと出てきた。
大寒だというのにとても暖かい日だった。
今日もニュースで、大寒なのに暖かい日なので各地で雪解けに注意してくださいと言っていた。いつも冷たくて乾いたのかどうかわからない洗濯物があたたかくて、うれしかった。

そんな事を思いつつ、いつもの不器用さで、出かける1時間前になってから借りるつもりのIフォンが使用中なのに気付き、お昼御飯に集まっている人達に「誰かIフォン貸してください」とお願いし、みさちゃんが使う予定だったIフォンを貸してもらい、あわちゃんに食事中に使い方を聞き、ようやく出発したが、Iフォンのナビがしゃべってくれず、すぐに画面が消えてしまい、途中で路肩に止まって設定しなおしてもダメで、「高速代節約のため国道で行こう!」計画を中止し、いつも通り高速を使って早めに病院に着いた。
そしたら、予約時間のエコーの前に採血検査もあったので、あわてず、余裕を持ててちょうど良かった。ドキドキしたけど、これが流れというものかな。無理しなくていいんだね。
ちなみに帰ってからくにさんに設定ボタンを1こ押してもらったらIフォンはしゃべり始めたのでした。

採血室に入るとゴミ箱にきれいな薄手のゴム手袋がたくさん捨ててあった。うちで作業に使っているゴム手袋より立派なやつで、私の採血をした看護師さんのゴム手袋もはずされて、そこに入った。当たり前だけど針も1回1回捨てちゃうんだよナー。(使いまわしはもっと困るけど。)
いつも目にしていた光景だけど、うちではゴム手袋、穴が開いてボロボロになるまで使うナ・・・まりちゃんは、使い捨てのマスクの鼻の部分の針金を外して可愛い手作りマスクを作ろうとしてくれている。

エコー室に入り、ベッドに横になってから採血で使った絆創膏を技師さんに「捨ててください」とお願いしたら快く捨ててくれたけれど、技師さんはもう一度手を洗い直して、ペーパータオルで手をふいた。後で自分で捨てればよかったのにとても申し訳ない事をした、と思った。技師さんの手間はもちろんだけど、使わなくてもいいペーパータオルを使わせてしまった。この病院のためだけに年間何本の木が切られているんだろう・・・なんて思ったらキリがない。

検査はとても丁寧で、途中2度技師さんが画像の確認に席を外して、全部で1時間くらい、そこにお乳はないんじゃないかと思う所まで左右のお乳、お乳の間、わきの下、首と細部にわたり慎重に調べてくれた。そんな長い時間をかけてもきっとエコーの診療報酬は変わらないだろうに、有難い事だと思った。
検査が終わると分厚く折った高級そうな漂白していない茶色いペーパータオルを2束左右の胸に当ててくれ、その上ホットおしぼりまでいただき、胸に付いたゼリーをふかせていただいた。おしぼりのビニール袋とペーパータオルが分別のゴミ箱につまっていた。

高級な対応に、ありがと♡ありがと♡と心の中で唱えて診察室で久しぶりに先生に会った時も、ありがとうございますの気持ちだった。
「採血結果、腫瘍マーカーも異常なしでいいですね。腫瘍は横幅だとめちゃくちゃ大きいですが、厚さは1㎜大きくなったかどうか・・・なんでいいでしょう。」
「感じはどうですか?」と訊かれ、「やわらかくなった気がします」と言ったら、「そうでしょうね」「また変わりあったらモゴモゴモゴ」「受付、行ってね」と言われ、診察室を出ました。
3か月後の次回の予約をとるために座ったソファーのガラス越しの中庭がきれいに手入れしてあって『ご苦労様です』の気持ちになった。

先生に横で計るとめちゃくちゃ大きいと言われた私のガンさんですが、今も右胸の左側に鎮座されていまして、以前は硬くて当たると痛い思うくらい存在を主張されていた感じでしたが、今はチーズがとけたようなベタッとした感じで、あなたは私、私はあなた的に変化されております。
先生、めちゃくちゃ大きいなんて、使う言葉をまちがっちゃったんではなかろうか・・・

検診を終えて、患者さん1人が出すゴミの量は相当なものだと思った。
母は、週3回透析をしていたけれど、1回の透析に出るゴミの量は超すごかった。母よ、早く亡くなってくれてありがとね♡
と、思うと、病院に通う事もどうかな~と思うけど、ブログのネタなくなっちゃうしね・・・

待合室のテレビの画面の中では、魚をさばいていた。
木の花に来て、肉、魚を食べなくなっただけでも、この世の浄化にかなりの貢献をしているのではないか・・・と思った。私が暮らしていた清水は、しらすや桜エビがおいしくて、この1口でいくつの魂をたべているのかと思いながら、おいしくいただいていた。肉、魚なしでおいしい食事ができるなんて思えなかった。(今でも一人じゃできない。)

木の花では「石鹸を使わない生活」を目指しているが、この間お風呂で6歳のなおの頭を石鹸で洗おうとしたら(子どもは時々石鹸を使います)、「お魚さん、死んじゃってもいいの?」と目を大きく見開いて私に訴えたので、石鹸を使うのをやめた。いつも大人の言う事を聞かない問題児のなおが、立派なお方に思えた。

夕方に木の花へ帰って来て、日和はいなかったけれど、Iフォンで日和にハッピーバースディを歌った。
「おめでとう」とみんなで言ってから、まゆちゃんが日和に何か一言どうぞと言うと、日和は「ありがと」と言った。じゃあ二言と言うと「ありがと、ありがと」と茶化してから、「もっと人を大事にしていきたいです」と言った。恐るべしっ16歳!!
日和は勉強ができなくて、嫌いで、中卒で木の花に就職したが、毎日100人分近いおやつをケロッと作る。基本、うるさくてふざけているけれど、やる事はやる。やらない事はやらない。はっきりしていて気持ちいい。時々おやつも分けてくれる♡そして必ず「あげないヨ」と言ってから、くれる。

根暗な私は秘かに日和を目指したいと思っている。日和は日蓮大聖人様の生まれ変わりと言われたが、神様もおもしろい日蓮大聖人を連れて来たものだ。
日和は言う。「日和の前に生きていた人に感謝してるよ。そのお蔭で楽に生きられる。誰かが自転車で転んだという話を聞くと、自分はそれを学んで転ばない事ができる。」
人のふり見て自分も転び、忘れた頃にまた転ぶ私にとっては羨ましい限りだけど、そんな自分でも、「ま、面白いからいっか!」と日和を見ていると思える。
日和は「いつ死んでも悔いないヨ」と言う。

ちなみに、先日出産したやすこちゃんの赤ちゃんは、日和と同じ誕生日。どんな魂なんだろう。
30時間のお産のあと、やすこちゃんは「楽しかった」とコメントした。お産のたびにもう子どもはいらないと思った私にとっては、「ありえへん」。

なんと素晴らしい魂達がゴロゴロ転がっているんだろう。そういう魂が次々に生まれてくる。輝かしい未来が待っている気がします。戦争で大型ゴミ出して、人殺ししている場合じゃないヨ。

自然療法プログラム、もとい、天然療法プログラムが、世界に広がって、病院のいらない世界になることを願いつつ、次回は4月21日に受診予約をしてきました。ありがとうございます。
 
―追伸―
昨日ラブちゃんがビワ灸したら?とおっしゃるので、「そうだね」と実は私としては、めんどくさいとウッとしながら答えました。
なので、ガンは心だから・・・といっていた私でしたが、ビワの葉を患部に当てて、その上からアイロンを当てる温熱療法をさせていただこうと思っております。
ちなみにラブちゃんはこのブログの下書きを暖炉の前で読みながら、この紙(下書き)燃しちゃったら、さっちゃん泣くかな・・・?とうれしそうに笑っておりました。
そんな事しなくても私はすぐ泣くよ。
それでも笑っていられる私になったら、世界が変わるかな?
  

今は家事や子育てを担当しているさっちゃん。1歳のいさなと一緒に。
今は家事や子育てを担当しているさっちゃん。1歳のいさなと一緒に。

  
 


さっちゃんの、私がガンになった理由

一昨年の10月に乳ガンであることがわかって以来、「心でガンは治るのか」人体実験中のさっちゃんからのレポートです!

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私が乳ガンになってからしばらくしてからのことだったと思う。
その頃同室だった民ちゃんが、自分も以前乳ガンだったという話をしてくれた。(民ちゃんのガンは小さく、治療で完治した。)そして自分の夫に対する卑屈な想いがガンを作ったとわかってから、もう私はガンにならないだろうと確信したと言った。いつか私も自分がガンになった理由がわかるといいナ・・・と思っていた。

最近の私の悩みは、(だいたい、全ての出来事を学びとして“いただく”心を大事にしている木の花で、悩みがあること自体、自分の我が強いということなのだが・・・)胸が痛くなったり、息が上がって足がふらついて思うように体が動かない、起きていることが辛いということでした。そんな時は休んだらと言われ、休むけれど、そんな自分を情けなく思い、孤独になってまたみんなの所に戻ると、好きにしたらと言われる。ガンセンターの先生は、胸が苦しくなったり、体力がなくなるのは、ガンの末期ならありえるが、今の私の状態ではそうならないと言った。だから、「こんなはずではない」という想いが湧いてくる。

今月末に開催される木の花祭りの練習で踊っている時や、大人ミーティングで宇宙意識になった時、何かに夢中になった時に胸の痛みがうそみたいになくなる時がある。この間、ミーティング前の木の花祭りの練習中に洗濯物を干すのをできるだけ終わらせようと頑張っていたら、胸が苦しくなり、体が思うように動かなくなった。またか~と思いながらもボチボチ干していると、みさちゃんが「踊ってきたら?」と言ってくれた。頑固な私だから、素直になろうと言われた通りに参加した。練習が終わって息を切らせながら、みさちゃんに「踊っていたら、気分がスッキリして胸が痛くなくなったヨ。天とつながるんだね♡」と言ったら、「洗濯してても何をしてても、天とつながることはできるんだヨ♡」と言われた。そうなんだねと言いながらも、胸が痛かった。

日々のミーティングでは、「ここは自分を捨てて他者のためにはたらく者達の場所」と話し合う。よく「自分の事ばかり考えてるね」と言われる私としては胸が痛い。そんな汚れた自分だから、ただ一生懸命はたらこうとやってきた。
それが、体が動かない。面倒くさいという心が湧く。
「これじゃあいかん!」と苦しみながらやっていると、ラブちゃんに、「さっちゃんのありえへん事は働かない事じゃない?」と言われる。(注:「ありえへん事」とは、自分の枠を超えるために日頃の自分にとってあり得ないことをやってみよう、という意味。)
素直に言うことを聞こうと休むけれど、それじゃあ私はここにいらないんじゃあないかと思えてきて辛くなる。
「さっちゃんは頑固だね。人の言う事を悪くとる。性格悪いねー」と言われ、へこむ。ラブちゃんはそんな事を言いながらも、お前もそうだという声が聞こえてくる、と笑った。さっちゃんにはさっちゃんの役割があるんだヨとも言ってくれた。

今朝起きた時、「そうか、私はガンだったんだ!」と気付いた。道理でみんな無理しないで休んだら?と言うはずだ。それを他の人はどうだから・・・と言って受け入れようとしない。まさしく私は頑固だった。
同じ事をあきらめずに伝え続けてくれて、ラブちゃん、みんな、ごめんね。そしてありがとう。

でも私のガンは、今、増殖が抑えられている。通常では、ありえへん状態。体の中で何かが起きている。悪い細胞と(悪い細胞と書いてガンさん、スミマセン(^^ゞ)良い細胞が体の中で戦っているのか?そちらに力が使われていると思えば、休む事も大事だね。
昨日から私はインフルエンザ疑惑で寝込んでいる。確かにインフルエンザのあすか(4歳)と一緒に休んだ時に、菌をもらったのかもしれない。微熱も吐き気も頭痛もあった。だけど私はインフルエンザにならないと思う。病気は気が病むと書く。今の私は気が病んでいない。ある人は「魔」というのはあちこちにあって、それを自分が取るか取らないかだけだと言った。そしていい「気」を自分が選べば良い。

昨日から絶食して(気持ち悪くて食べられなかっただけだけど)休養して体内のエネルギーがインフルエンザ退治に全力を尽くせるように環境を整えている。ガンも一緒だと思った。
食べ過ぎちゃ、いかん!!

本当に自分がガンになった理由が理解できた時、私の右胸のガンさんは、きっと役目を終えて潜象界(目に見える現象世界の奥にある、全ての源となる世界)にお帰りになられるだろう。

「ここは誰もが安心して暮らせる菩薩の里である。」

追伸:明日はガンセンターの3カ月検診の日です。
結果は神のみぞ知る、だね。(笑)
  

どんど焼きの日、みんなと手をつないで踊るさっちゃん
どんど焼きの日、みんなと手をつないで踊るさっちゃん。さて、検診の結果やいかに!

 


全国のパワースポットのお水をお送りください!

1月31日、木の花ファミリーでは第3回富士浅間木の花祭りを開催します!

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「富士浅間木の花祭り」は、愛知県奥三河地方の東栄町で700年以上続いていると云われる国の重要無形民俗文化財「花祭り」に由来しています。

舞庭の中央での「湯立て」
舞庭の中央での「湯立て」

花祭りは、舞庭(まいど…舞を舞う神聖な場)の中心に設けられた「湯釜」で湯を沸かし、天地創造の型を表現し、神人和合を表すお祭りです。釜に入れた「水」と、それを焚く「火」が融合して「火水(かみ)」となり、陰陽の和合が起きる。そこで舞庭に立ち昇る湯気に神々様が集まり来て、舞庭で人と神様が共に舞い踊る。その神聖な湯立ての水を、各地の聖水にて執り行いたいと思います。
昨年も、多くの方々から全国各地の神社仏閣の水をお送りいただき、それらを合わせて湯立てを行いました。様々な土地の水が、一つの釜の中で融合することは、その土地土地のエネルギーが融合することです。「時・所」を超えて、全ての命が、「元はひとつ」であったことに目覚め、分離と闘争の時代から、和合と共生の時代へと変遷していく祈りを込めて、祭りの中心にある「釜」の中でその型を顕します。その趣旨に共鳴される有志の方々より、今年も各地の聖水をお送りいただけることをお待ちしております!(祭りの詳細につきましてはこちらをご覧ください。)

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昨年届いた各地の聖水

下記サイトにて、全国の聖水スポットが紹介されています。
  ↓
「 水と気 YGO-JAPAN 」

上記サイトにて紹介されている場所以外でも、「これは!」と思われる神社や滝などのパワースポットがありましたら、境内にある手を清める水や川の水などをどうぞお送りください。
 
【送り先】
〒419-0302
静岡県富士宮市猫沢238-1 木の花ファミリー(担当:田中宏之) 宛
電話:0544-66-0250

1月29日(木)必着。
お水はごく少量でかまいません。
  小さめのペットボトルなどに入れ、必ずどこのお水かご明記いただいた上でお送りください。

 

皆さまのご協力をお待ちしています!

140201-162711