毎日が天国

今日は、オフィスチームのまりねえがブログに初投稿です!

先月の「恵みいただきます」でサリーを纏い、皆と記念撮影するまり姉(右端)
先月の「恵みいただきます」でサリーを纏い、皆と記念撮影するまり姉(右端)

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昨日の朝、メンバーのともちゃんから、「伝える側に立っている」とか、「自意識が強い」「自己アピールしている」「自分目線」という私の癖を伝えられました。それらの言葉はその時の私にはとても応え、落ち込みました。それまでも自分の傲慢さが全く観えていなかった自分の実体を知り、立て直しをしていたつもりだったので、まだそんな自分であることにショックを受けたのです。ともちゃんの私を想って伝えてくれた善意を信じて受け取ろうとしましたが、「受け取らなければ・・・」という気持ちには無理がありました。

その後いろいろなメンバーとそのことについて話しているうちに、「あ~、そういうことなんだ!」と突然腑に落ち、すっきりしたのです。
要は、私は相手の都合より自分がしてほしいことを優先していたのだ。人の為に、はたをらくにするために、「傍楽(はたらく)」を意識していたはずなのに実際は逆のことをしている。そして、相手が自分の思うようにしてくれないことを不満に思っていたのにその自覚さえなかった。また、教師を長年していた私だから身についたのか、それとも元来の性質によるのか、「教えてあげよう」という気持ちが強く、それがたとえ善意であっても言われた人には押しつけや上から目線に感じるのだということに改めて気付いたのです。

これらのことは今までいろんな人が何度も伝えてくれていたことでした。それを思うと感謝があふれ、とても幸せな気持ちになりました。そして伝えてくれたメンバーやともちゃんに「ありがとう」という言葉を伝えハグしました。それまでともちゃんとの関係がぎくしゃくしていたのはこの喜びを神様が与えてくれる為だったのかもしれないと思うと、涙が出そうでした。(ほとんど、たぶん一度も?木の花で泣いたことのない私なので、「泣きそう」というところで止まっちゃいました・・)
それと同時に自分の課題が明確になって、「これで、また変われる!」と確信でき、光の方向が見えたようで嬉しかったのです。自分一人の変化であっても、全体を変化させることができるのだから、それを思うとますます楽しくなりました。課題なのだからそんなに簡単には乗り越えられないかもしれないけど、一歩一歩積み重ねていこうと思います。

ある日私が書いた「今日はとても実りの多い一日だった。そしてとても気持ちよく送れました。」という文章に対していさどんは、「本当は、毎日我々はそんな世界で暮らしているのです。」とコメントしてくれたのですが、それを最近よく実感します。不満を感じたり不幸だと感じるのは自分がそうしているだけで、本来は愛あふれる世界に私たちは暮らしているのです。それを思うと、感謝しかありません。
全ての人たちがそんな想いを持つことができれば、地球の問題事である戦争、飢餓を始め、異常気象でさえも全て解決するのだと思うのです。そして全ての人が生き生きと輝いて暮らすことができるのです。

最近何度も私が繰り返して読んでいる「いさどんブログ(全ては善への旅である)」をここで改めて紹介したいと思います。
「全ては善への旅である」

どんなに真理を得ようと思っても、どんなに真理を生み出そうと思っても、それを受ける器がなければ真理は降りてこない。真理への道は無限にあるが、そこに行く意思がなければ意味がない。道を語ろうと思っても、聞く者がいなければ語れない。信じる者は救われる。求める者に道は開かれる。歩む者に目的は現れる。
世界に痛みの伴う秩序があるのは、まっすぐ立つことへの指針である。道があっても目的地のない道は無意味である。曖昧な道を歩んでは目的地には到達しない。

世界に秩序があるのは目的地に人をいざなう為にある。秩序に溺れて漂う為に秩序があるのではない。世界の秩序を感じなさい。それはあなたを目的に導く道である。秩序が観えない者は目的地に行くことができない。秩序は世界の法である。秩序は世界のすべてに喜びを与える。世界は秩序の海である。秩序の中にあって内から自我を発する者は、法に反する者である。

内なる自我に捉われず、外の秩序に従うこと。内なる自我を取り去ることで内なる鏡が磨かれて、外の秩序が映し出される時、外の秩序が内の秩序になる。自我を捨てることではない。それは、自我を描くこと。そして自我の鏡に外なる秩序を映しなさい。そうすれば自我は消え、内なる秩序は無限の秩序となる。
世界には秩序が蔓延している。道があることを知らぬ者に道はない。道を歩まぬ者に道はない。道を求めぬ者に道はない。道を待つ者に道はない。道を観る者に道は観える。道を歩む者に道は開かれる。道を歩む者に目的は観える。この世界には秩序がある。

この秩序が観えるか?すべてを繋ぐ秩序。織物のように紡がれ、無限に連鎖する。連鎖とは繋がり。目的はひとつ。すべてはひとつであること。ひとつであることは区別がないこと。その元には善意、愛、調和。その姿は真、善、美。世界を紡いでいるのは善意。愛に基づいた善意。美に基づいた善意。それが真理。
世界に善を見いだせない者は内に濁りがある者。世界に悪を見る者は内に悪を持つ。世界の実相は善意。世界のすべてに善を観なさい。出来事は世界の真理、善を見るための情報。すべてに善を観ぬ者は内に悪を持つもの。すべてに善を観なさい。世界のどこにでも善を観なさい。

世界に善を観ない者は内なる悪を持つもの。汚れを取り去り、美しくしなさい。それを鏡としなさい。そして真理、善を内に映しなさい。その者は世界を照らす者。内なるものも外なるものも善を創るもの。この世界に悪などありはしない。悪があるとするならば、それは善への道しるべ、善を顕す為にある。すべては善の為にある。善という美であり、真理である。すべてに善を観なさい。

計る心に悪が生まれ、計る心に善が生まれ、計る心にすべてが生まれ、計らなければすべてが消える。

愚か者に悪が生まれ、光への旅に善が生まれ、光への旅に喜びが生まれ、光への旅に愛が生まれ、光への旅に調和が生まれ、光ヘの旅に真理が生まれる。

見えぬ者は内なる鏡の汚れに気づき、自らの盲目に気づきなさい。

真理を観る目を育てなさい。真理を観ようと努力しなさい。そして信じなさい。世界が善意で創られていることに目覚めなさい。愚かしいと思えることのすべては善の為にある。

すべては善への旅である。すべては善への旅である。すべては善への旅である。
すべては愛への旅である。すべては愛への旅である。すべては愛への旅である。
すべては調和への旅である。すべては調和への旅である。すべては調和への旅である。

その心が世界を美しくするのです。有難いことです。有難いほどの真理の元に、この世界の秩序がある。それに気づいたならば、どうして世界に不足など生まれましょうか。ただ有難いと思って生きるのみ。有難いことに気づいたならば、有難い神秘が世界に紐解かれ、有難いが現れる。
有難宇御在益。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
 


流れをいただく 〜 フリーな心 〜

木の花ファミリーでは、カタカムナの世界観を取り入れ、目に見える世界の奥にある波動や響きを感じる「天然農法」に取り組んでいます。
今日は、田んぼの機械除草を終えて午後のおやつをしながらの、かとけん、ゆうくん、長期滞在中のあわちゃん、ひろきくんの会話をご紹介します。

田植え後の田んぼ
田植え後の田んぼ

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かとけん「除草機を使うと水がはねるんだよね。そうすると光が当たって宝石みたいに見える。」

あわちゃん「あ~」

かとけん「その草(雑草の事)が手のひらに見えて、その手は斜め45度上を指している。光の方角に向かいなさい、というようなことを言っているような気がした。周りを見ると稲しか無い。イーネ、イーネ、イーネ。」

あわちゃん「あっ、イーネ、イーネって?あ~」

かとけん「そう、そんな世界イイネってそんな感じがした」

あわちゃん「面白いね」

かとけん「午前中はだるかった。排気ガスが・・・」

ゆうくん「そういえば、かとけんが除草していた田んぼ、終わって見てみたら凄い疲れているように感じた。後で元気にしてあげないと。」

あわちゃん「えっ、それってかとけんが入ってたからってこと?」

ゆうくん「うん。その人の波動が思いっきり伝わる」

あわちゃん「あ~」

かとけん「午後は全然排気ガスが気にならなかった」

あわちゃん「排気ガス?」

ゆうくん「機械除草を行う時に排気ガスが出る。でも、午前も午後も同じ作業をしているのに、違う反応をしている。その人の心とかものの捉え方によってそれだけ世界が違ってくるだね。」

あわちゃん「ほんとだよね~」

かとけん「なんかさ、前こうちゃんが言ってたんだけど、その~放射能あるじゃん。あれとかもテネモス理論とかあって、要は電子の一部を取ると無害化になるんだって。放射線も無害化していく装置みたいのがある。それを装置じゃなくて人間でもできるんじゃないかと思った。なんかそれを思ったら、排気ガスが来てるけど全然苦しくなかった。午前は排気ガスが頭の中に溜まっている感じがした」

あわちゃん「何が違ったの?今回は?」

かとけん「なんか見え方が違ったんだよね。やたらとキレイに見えたんだよね」

あわちゃん「なんでだろうね」

ゆうくん「ものの波動ってあるじゃん。全てのものは波動を発してるんだけど、人が疲れて波動が下がっている時にそのものの影響(波動)を受けちゃう。」

あわちゃん「そもそも、そこの田んぼは波動が弱くて・・」

ゆうくん「というよりも、機械は天然のものから思いっきりゆがめらたれたものなんだよね。天然のものから自然のもの、自然のものから人工のものへと。波動自体大分低くなっている。排気ガス自体、もっと波動が低いもの。かとけんが疲れていて波動が下がっていたから、そこに共鳴して思いっきり排気ガスの波動を受けて」

あわちゃん「あーそれがそのまま広がっていくってこと」

ゆうくん「かとけんもその波動を受けて、それが稲に伝わる。でもさっきのかとけんは機械の波動に影響されないような状態になっていたから、それに見合った世界が見えてくる。」

素足で田んぼに入るゆうくん
素足で田んぼに入るゆうくん

あわちゃん「なんで波動が高かったの?」

ゆうくん「高かったというか、元(元気)に戻ったんでしょ?。午前中変な思考をまわしながら作業をしていたんじゃない?」

あわちゃん「あっ、そういうこと?」

ゆうくん「余分な思考」

かとけん「それもある。さっき作業をしている途中で、カタカムナを歌おうと思ったら太陽が消え雲がかかった。なんでそうなるか天に聞いたら、あるがままを見るだけで良いという思いが湧いた。そしたらまた太陽が出た。カタカムナを歌わなくてもそこに意識を向ければ、本来あるべきものが見える。楽になった。どっかで力むところがあった。
カタカムナを奏上しよう!とか無意識のうちに力んだとき、自然体じゃない自分がいる。そうじゃなくて、自然体でみれば本来の姿が見えてくる。いさどんが言っていたように、力を使ってぴょんぴょん飛び跳ねて天に近づくんじゃなくて、すぐそばにある。それは自然体で楽なこと。
だけど、自分の感情や過去の記憶といったフィルターを通してみると、本当の世界が見えてこない。そして、その感情が自分自身に染みついているからなおさら気付けない。自分の感情の最初の一歩目が分からない。だけど、話しているうちに無意識に余分な力が入っているなぁということは分かった」

あわちゃん「確かに力が抜けるのはわかる。さっきの作業中、ふとお昼の時の話を思い出して、色々みんな発信していこうという話になった。自分は外部者としてのスタンスで木の花を発信していくことに価値がある。それがいただくこと。意識的にそうやろうと思って発信しようというより、たまたま話しているときにそういう場があって役割をもらって、それを思い出したらスーッとして、パーッと目の前が開けた感じ。」

かとけん「それが昨日いさどんが言っていた、風を感じる、流れを感じる、流れのにおいを感じること。見分けられる人になったほうがいい。特にその場にいた時に、そういう何かに出会って役割をもらった時に、そうだなとやっていく。」

あわちゃん「そこで“いただく”という姿勢が大事。そこで力んだりこうしなきゃと思うとだめ。そこは自然に。」

かとけん「長期滞在中のNちゃんが昨日シェアしていた。『ゆみちゃんのように、いさどんのところに学びに行こうと思ったけど、目の前のことをいただいていくことが大切なんだってわかったりました』って。そのとき、拍手があったけれど、僕はどういうこと?と、よく理解できなかった。だけど、今あわちゃんの話を聞いてわかった!」

ゆうくん「あわちゃんの何気ない話が相手のためになっているね」

あわちゃん「まりねえも言ってた。メンバーとかメンバーじゃないとか関係なく、全部が活かされる。」

ゆうくん「そういう場が自然にできる。なんのとらわれもなくて、フリーな心の状態の時、そのとき自然に流れがくる。昼の木の花劇団での集まりの場でもそうだった。流れは常にあるんだけど、心の状態によって、感じられたり感じられなかったりする。今は自然のようにクリアーな心の場。だから今はいい場。」

あわちゃん「それはある。さっき作業しながらふっと湧いてきた」

かとけん「お昼は排気ガスが頭を回ってて、そういうことが全然自分に入ってこなかった。だけどあわちゃんが蚊にさされて抵抗力がつくみたいな話をしてくれて、排気ガスに対しても抵抗力がついた。場と自分の心とメンバーがそろったとき、昼食のときの話の流れとか、そのときのことは後からわかる。そのときにはよくわからないけど、後からわかる。」

あわちゃん「それが“いただく”、目の前のことをやっていくこと」

かとけん「何か人に伝えてそのときはわからなくても、あとからあの人が言ったことはこうとわかるときがくる。だからそのときに伝わらなくてもあせる必要ない。それは種まきだから。早い遅いじゃない。早く気づけばいい訳じゃない。人それぞれの歩みがある。風を感じるとか流れを感じるってことが、自然の中で作業することでよりクリアになっていく。お昼に話していたときは、なんとなくわかる、という感じだった。それから自然の場に来た。自然にふれて、より自分の感度が高まったら、より理解が深まって、さらにこういう場がある」

あわちゃん「お昼話して、車の中で話して、この場でみんなで写真とったりして、作業でのきづきがあって、今この場がある。いい流れを感じる。」

ゆうくん「体感することでさらに深まる」

あわちゃん「面白い。流れが見える」

ゆうくん「次の作業では、さっきまでとまた違ったように見えてくるよ」

かとけん「宇宙の法則は面白いことが好き」

あわちゃん「宇宙の法則??わからない・・」

ゆうくん「全部宇宙の法則の中にある」

あわちゃん「そうだよな!でもそうだ!さっきそういいながら、その気づきがあったときめっちゃ天を感じてた。それが宇宙だよね。それやってたよカタカムナ歌いながら」

かとけん「今まで観えなかったものが観える。その人の意識の段階や心の状態で観えるようになる」

あわちゃん「なんか面白いね(笑)、ウルルン滞在記で木の花村にきたみたい。面白い♪」
  
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*あわちゃんが木の花ファミリーでの日々を綴ったブログはこちら!
  ↓
「あわちゃんのウルルン木の花ファミリー滞在記」

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田んぼに入るあわちゃん