今というトキ 木の花ファミリーというトコロ

みなさん、こんにちは、まりねえです。久しぶりのブログ投稿となります。

今、あわちゃんやしゅうくんなど、木の花ファミリーの自然療法プログラムの卒業生で精神的な病を克服した後、メンバーとなったり、長期滞在してファミリー同様の生活をしている人達が中心となって、こんなイベントを企画してくれています。

題して,『ニート・引きこもりも鬱も希望の光』~初めの一歩が未来を創る~https://www.npo-greengrass.org/?p=49

ということで、様々な行き詰まりを乗り越えてきた企画者達の経験を交えながら、「こんな考え方があるんだ!?こんな生き方もあるんだ!?」というような、今まで知らなかったような視点や生き方を提示していくことで生き生きできる生き方を探っていくという趣旨のイベントです。

これは、木の花ファミリーが母体となり14年前から活動しているNPO法人「ぐりーんぐらす」(旧「青草の会」)で企画運営されるものですが、企画の中心となる彼らは、実際に精神的な病と診断されましたが、自分の内面と向き合うことで、自らの進むべき道を自らの意志で切り開いていこうとするエネルギーに変え、企画者の先頭に立って活動しています。

さぁ、飛ぶぞ~

さぁ、飛ぶぞ~
あれれ~?
あれれ~?

また他のイベントとして、【鬱も統合失調症もプレゼント】ということで、ファミリー同様の親しい関係にあるけいご君が主催している「出張木の花塾」が、5月17日に千葉県の船橋で開催されます。これも今回のテーマは「自然療法プログラム」で、現在生きづらさを抱えている人達が生き生きと暮らせるための仕組みについて語り合うものです。(詳細はhttp://khfm.us/ib150420や、フェイスブックのhttps://www.facebook.com/events/882502535120641/をご覧ください。)

 

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先日いさどんが、「世の中に行き詰っている人達のニーズを知るには、ここに来た経緯を各自が探っていくことにヒントがある」と言っていたので、私の場合はどうだったかを振り返ってみようと思いました。そして、メンバーとなった私のような事例も見知らぬ誰かの参考になるかもしれないと考え、ブログとして書くことにしました。

私は教育大学を卒業してすぐに公立中学校の教諭となりました。教師になって1年目の冬に、風邪をきっかけに原因不明の病気(診断書に記載された病名は、「不明熱」)を発病し、意識不明の危篤状態にまで至りました。その時両親は医者から、「死ぬか頭が狂うかです」と伝えられ、父は、意識を失った私の枕元で大泣きし、当時信仰していた宗教団体の人から、禍の元になっているから燃やすようにと言われたものを全て燃やしたそうです。ICUに移され、40度を超えていた熱も数日後には突然下がり、その後転院し、1か月の検査入院をして、原因不明のまま退院しました。主治医に「何が原因かを教えてほしい」と尋ねたところ、「逆にこちらが教えてほしい」と言われたことが今も記憶に残っています。

これが勤めて1年目の24歳の時で、以来同じ症状で病院はいろいろ変わりましたが、4、5回の入退院を繰り返し、全て病名は「不明熱」でした。こんな病名があること自体驚きで笑ってしまいますが、どの医者もお手上げということだったのでしょう。

これはストレスから来ているのではないかというのが全ての人に共通の認識でしたが、今から考えると、概ね生徒たちとは信頼関係で結ばれ、学級経営も良好であったので、大人(同僚教師や保護者)との人間関係に違和感を感じたことと、元来持っていた性格とものの捉え方の癖により起こった現象だったと思っています。

このように捉えられるようになったのは、ここ木の花ファミリーというところで、ありのままの自分というものがどんなものかを知っていったからです。そして、全てが善意であり、どんな出来事も、学び成長していく為に与えられた愛によるものだということを、ここでの偽りのない生活を通して確信していったことによります。

そのことを具体的な事例として以下のように整理してみました。

 

私がメンバーになる前、木の花ファミリーに惹かれたのは・・・

1)幼少期からずっと「明朗活発」「明るくておもしろい」と言われていた自分が、「森の中の洞窟」といわれるほど実は暗い性質であると言われ、それをそのまま受け取って考えてみると、なるほど思考の方向性が全てネガティブで暗いということに気付いたこと。
(これはメンバーになる前だったので、帰ってしばらく経ってから腑に落ちたことです。)

このようなことは名前から読み取れると知り、質問して、メモをして帰ったくらい興味を持った。そして、自分は変わり者だから理解されないのだと知ってとても納得し、安心した。
(これは今では名前講座として体系化され、誰でも学ぶことができます。因みに近々では、全3回シリーズ『宇宙おじさんの人生講座1』(こころのかたちを知る)が、5月2日から4日まで開催されます。定員に達したためキャンセル待ちになりましたが、第2回目以降も開催されますので、詳細については、http://khfm.us/nw150426 をご覧ください。)

宇宙おじさん

2)ここの人達は正直で100%信じられる人達だと確信したこと。社会の『本音と建前』という常識に疲れていたので、メンバーから言われる言葉一つ一つが新鮮であり、何の利害関係もないのだから、言われていることは全部その人が実際に思っていることだろうと信じられた。そしてこれは、メンバーになる前に大阪から通っていた10年以上の間、どんな光景を見ても、聞いても、揺るがず信じ続けられた。

3)ミーティングが終わってからいさどんに個人的に聞いた宇宙の話や目に見えない波動の話などにより、今までにない感覚を覚え、何かが目覚めた気がする。例えば、帰りの電車で、なぜか人の足に目が行き、突然個々の魂とその背後の想いを感じたことがあった。

4)自分の思考パターンの分析を、いさどんに手伝ってもらいながら進めていった。加えて、言語の背後にあるいさどんの真意を探ったり、感じたりすることもおもしろかった。特にいつも自宅に帰る間際に伝えられた「お土産の言葉」がピンポイントの的を射たもので、帰ってからの自分の指針となった。今から考えると、それが自分の寄る辺の「柱」になっていた気がする。

5)全てが善意と愛からなる神様ゲームであるということを信じることで楽になっていった。

6)いろいろ不思議な事が起こった。そして、それはその時の自分の状態に相応しい形で体現され、今も今の段階に相応しく不思議な事は起こり続けている。けれど、これは宇宙原理であり、誰にでも相応しく起こるべくして起こる必然の出来事であり、奇跡などではないことを知った。

7)自分の日常では出会うことはないであろう人達とも出会えた。また、いろいろな人達の真の姿を見られたことで、「人って実体はこんな風なんだ!」ということを知れるのはおもしろかった。

8)「カルマ」という存在を知れたことや、人との深いかかわりや現象を通して、自分が変化していくことを実感していくことができた。もともと自分は成長欲が強く、変化できないことが不安であったことにも気付いていった。

9)「正直、素直、信じる」ことさえできればいいと言われて自分の目指す方向が明確になったことで、ファミリーメンバーのような気持ちになり、より居心地よくなった。

・・・・・・・う~ん、他にも伝えたいことは山ほどあって、とても書ききれません。
私はそんな欲深な人間なので、直接会ってお話ししましょう。

う~ん
う~ん

 

私は、ここで自然療法プログラムを受けた訳ではないけれど、このように自分の心の癖や思考の傾向を知っていくことによって、どうして自分が原因不明の病気になっていったのかの構造がほぼ解明できました。逆に言えば、思考の進め方次第で以前の病気になることもできるということです。

24歳という年齢で危篤になったことで、人はストレスというような漠然としたもので、命を落とすこともあるのだということを知りました。死はそれ以後私にとって身近なものとなり、いつ死んでもおかしくないという実感が持てたこと、だからこそいつ死んでも悔いのない生き方をしたいと思えたことは、今でも大きな財産となっています。

このような経験をさせてもらったことの意味はまだわかりきれていません。けれども、今の自分があることの意味を、自分の為だけでなく、誰かの為に役立てたいと思っています。私は6年前に教師を早期退職し、ファミリーメンバーとなったのですが、退職前から、よく知る教師が鬱やストレスによって死亡するケースを少なからず見てきました。それには現代の社会背景が大きな起因としてあるでしょうが、全ての出来事は個人に与えられた人生のテーマなのです。一人でも多くの人達がその意味を知り、人生を生き生きと生ききれることを願っています。

また、そんな心の学びや成長は、誰しもが感動したことの一番に挙げる「美味しい食事」(「1ケ月間の真学校」にある、台湾から受講したぶんちゃんのコメント「木の花ファミリーの問題点」http://konohana.sixcore.jp/shingakko/?p=571も参考にご覧ください)と、個性的でかわいい子供達の存在によっても支えられています。

美味しい食事と子供達とともに
美味しい食事と子供達とともに

けれども、何より私がファミリーメンバーになったのは、心を徹底的に観て、人と関わり繋がりあうことを私自身子どもの頃からずっと望んでおり、おそらくそれは生まれる前からそうだったからだと思っているからです。それは、誰しもが心の奥底に真の目的として持っているものなのではないでしょうか。そこに気付いた者達が、自分の癖や汚れを、他のものに向けるのではなく、自らの内側に観て、それと正面から向き合っていくことで調和が生まれ、世の為人の為になっていくのだということを感じられることは、魂が震えるような喜びであり、それは、おそらく木の花を知らなければ、感じられなかった幸福感だと確信しています。

この社会に矛盾を感じているのがむしろ正常だと私は思っていて、その矛盾がなくなる時代がもうそこまで来ていることを実感しています。少数派が一気に多数派になり、価値観も変わり、逆転現象が起こるのだ!! そんなふうに考えると、先が楽しみで仕方がありません。

誰が理解してくれなくても、この生き方を誇れる気持ちに揺るぎはありません。死は必ずやってきて、その時に後悔しない美しい生き方や心を、これからも自己責任で選択して進んでいきます。瞬間瞬間が選択の連続です。「今を生きる」というのはそういうことだと思うのです。
謙虚さをすぐに忘れてしまう自分ですが、一歩一歩自己と向き合っていきます。

私達はいろんな意味で自分達のことを「変態集団」と称しているのですが、それがいよいよ時代の潮流になるのです。

嬉し嬉し、楽し楽しの幕開けじゃ~
嬉し嬉し、楽し楽しの時代の幕開けじゃ~

 


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