目の前に炎で焼けて煤けた真っ黒な大釜が在る。威風堂々。使おうとして向き合う時いつも圧倒される。心が怖気付く。
「できればこのまま触らずにおきたい。」
すくみそうになる想いを気合と覚悟でねじ伏せる。
こんな時は何でも可能にする魔法の言葉を唱える。あなたにも教えてあげよう。
「よし、やるぞ!」
今、左手の中に小さな木屑を握っている。これからスタート。
全ての始まりは小さな事から。急いては事を仕損じる。以前、100円ライターで太い木に直接火を点けようとしている人が居たが、それでは焦げるだけで絶対火は点かない。
小枝、細木、中太木、太い木とバトンタッチしながら火を大きく育てていく。
はじめの小さな火。時には火力が上がる様、風を送り勇気付けてやる。また時には強風で消えてしまわぬ様、風を防いで守ってやる。空気を送る。空気の通り道を作る。向こうから欲しいもの、要らないものを伝えてくる。必要なのは目の前の火に耳を傾けるだけ。ただそれだけ。
薪が太くなるにつけて火は安定していく。それに伴い僕の心も安定していく。やっと一息。
今回も何とか上手くできた様だ。「上出来。よくやった。」独りごちる。炎が釜底を舐めるように這い回り、焚口からも溢れ出してくる。「ああ、何て美しいのだろう。」ほんの一瞬たりとも同じ形、状態をとどめない炎。その場、その時の条件により常に変化し続ける様子は、何時間見ていても飽きる事を知らない。
その特別な調理器具で、様々な調味料、料理を作る。味噌。醤油。干し芋。もち米を蒸して、おこわやお餅。お味噌汁。麺類を茹でる。スープ、芋煮、カレーをコトコト煮る。饅頭を蒸かす。その他色々。
何を作ってみても一味どころか全然違う。先月の「恵みいただきます」のうどん出し汁。味が今一つ決まらず行き詰まってしまい、もう打つ手なしというところで釜戸に御登場願いました。
「よろしくお願いします。」
数時間後、甘みとコクのあるまろやかな出し汁が完成しました。
釜戸調理は「火」と「水」の共同作業。カミの働き。
天に全ておまかせで僕はただ手伝わせて頂くだけ。
美味しくできるのも失敗するのも、神の采配だもの。とても気が楽です。
時代に逆行している様で、その実、今できる最高の贅沢。おこげが香ばしいつやつやふっくらごはん。基本月1回行われる防災デーに炊きます。
なぜこんなに美味しいのだろう。
おかずが要りません。
遠赤外線効果?それなら高級炊飯器にも機能が有ります。
何か科学的にどうだからこの味になりました、というのは当てはまらない味の違い。
そうです。
やはりそこに神が宿っているとしか言い様の無い味なのです。
子どもたちもいつもよりおかわりの回数が増えます。みんなの笑顔。煙が目に沁みたのかなあ。鼻がぐしゅっとするよ。至福の時間。
「ごちそうさまでした。」ああ、心の奥の方が満足したと言っているよ。良かったね。