今月の「木の花ファミリー通信」の『メンバー紹介』に登場したまゆちゃんは、この夏から始まった“禊”(8月15日の記事「あなたがあなたのままで出来ることがあります」をご参照ください!)を経て、現在は子育てチームとして、日々子育てに奮闘しています。
今日は、今から少し前、まだまゆちゃんが禊のまっただ中で思うように体が動かなかった時に、まことの家の一室からみんなに送ったメールをご紹介します。これまであまり自分の体験を語ってこなかったまゆちゃんが、禊を機に、少しずつ自分の想いをシェアし始めたのでした。
==== 1通目 ============================
みんなへ
前回と前々回の禊で、
自分が思った以上に体力と
筋力が落ちているのに
驚いています。
(軽くショック。)
頭と気持ちは、以前(それ以上に)より
元気で、動ける気満々なのですが、
体がついて行かないという
アンバランス状態です。
本当の自分に戻って行く
過程でもある気がしますが、
座り作業をさせてもらいながら、
休み休みの状態でいます。
ただ、気持ちはスッキリしていて、
ここまで身体的に削ぎ落とされないと、
こびりついたアカ、自分一人で
何でもできるという錯覚、傲慢さを
捨てられなかったと思います。
昨日の午後のおやつの時に
倉庫でみほちゃんやきょうこちゃん
みっちー達と話をしていて、
まだ自分には隠していたいと
思っているという気持ちが
あることに気がつきました。
今こうして、霊的な事をみんなに
伝えるようになって、
「以前からもあったの?」
という質問に、どうしても
すっきり答えない自分がいます。
答えは
「はい。」
です。
3、4歳くらいの記憶に、
たくさんの光や、銀河や、
星々や、音や言葉やイメージを
たくさん観ていました。
物や動物や小さな草花、
多くの神々様達とお話を
普通にしていました。
でも、最初からではありませんが、
それを変なことだと思っていました。
そして両親もそれを望んでいないことを
観じていましたし、観た物や聞こえる物を
伝えても、嘘として、怒られたり、
子供の言うことと流されたり。
自分が変なのだと思い、
その映像や音やメッセージを
観じなくなるように、
4、5歳くらいの時には、
自分の頭を柱に打ち付け、
目覚まし時計やおもちゃで、
自分の頭を殴っていました。
(もちろん親や兄弟から隠れてですが。)
そうすると、痛みの方が強くなるので、
そういったメッセージや映像に
気や心を向けなくてすむようになるからです。
その後も、体が動かなくなったり、
音を聞いたり、人の想いが突然聞こえてきたり。
でも、その頃は、テレビや漫画のお陰で、
それはお化けや幽霊で怖いもの、良くない物。
とりつかれて変になる。観ない方が良い。
と解釈していました。
実際大きくなるに連れ、そういう観覚は
現代社会の中では邪魔でした。
親や先生に気に入られるように生きてきた私は、
勉強や競争に勝って、いわゆる資本主義社会に
適応した優秀な人を目指していました。
神様の意向や人の想いや自然の声などは、
切り捨てて行く方が、良いと。
能力、いわゆるお金を沢山生み出し、
競争に打ち勝ち、人より上になろうとし、
でも人格者で尊敬される人であり、
うわべだけは人や自然を想う人を
装うという汚れに汚れた人でした。
そちらにひた走って行く中でも、
神様はちゃんと事あるごとに
私に見えない世界があることを
観せられました。
映像として、音として、
光として、人や人でない姿で、
UFOとして。
たまにふざけ半分でそういうのを
観じるんだと打ち明けると、大抵、
恋愛相談
悩み相談
怪談話
心霊スポットor写真
オーラ見える?
当たるの?
今見える?
UFOよべるの?
除霊して
などという興味本位な話や反応に、
驚きと、ただ私は自分の観える景色を
共に共有したいだけなのだけど、
まあ、ほとんどはお酒の席のいっせきに
笑いや盛り上げ話で披露するという
とてもお粗末な物でした。
まれに多少そういうことに知識や
興味のある人に打ち明けると、
今度はそれを妬まれたり、
羨ましがられたり、否定されたり、
変に持ち上げられたり、憧れられたり。
大学まで出て、現代社会にどっぷりだった
私の心も頭も汚れで一杯でしたし
当然の事と言えば当然の事です。
ただやはり、時々頂くメッセージや体験は
とてもリアルで、見えない世界を完全に
否定しきる事は結局できず、
そういうことは隠しながら、
でも心の奥深く、
魂では渇望していたのだと
思います。
ここに来て、それをしていい、
神とつながり、心を磨き、生きていいと、
神様とのつながりをこんなにも自分が
求めていたのかと、自分でも驚き、
涙したことも多々ありました。
まだまだ神様とストレートにつながるには
汚れ、くせ、余計な思考、無駄な知識が
たくさんあります。
まだまだ道理を、この宇宙の仕組みを
深く理解出来ていません。
隠さず出すことで、綺麗にして行きます。
みんなとの調和の中で、共に学びながら、
少しでも役にたてるようにやっていきます。
こうして自分を出せる場、
受け止めてくれるみんなに感謝します。
ありがとうございます。
まゆこ
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このメールへともことあやが返信し、
それに対して再びまゆちゃんからメールが届きました。
==== 2通目 ============================
ともちゃん みんなへ
ともちゃん、あやちゃん、ありがとう。
実際は、観えるとか観えないとかいうのが
自分でも良くわからないのです。
自分には普通に観えたり聞こえたりする中で、
他の人にはどれが観えてなくて、
どれが聞こえていないのか。
そして、私には観えないもの、聞こえないものが、
みんな一人一人個性的に普通に観えて、
聞こえているはずなんです。
なぜなら、みんなそれぞれ役割や得意分野が違い、
それぞれ神様から頂いて(自分で選んで)きているからです。
それぞれが担当しているところで、
みんなの観えている景色や、受けているメッセージ、
聞こえるものを私も知りたいと思っているし
それが表現されることで神様はとても喜びます。
それが神様の世界を創っていくということだから。
「霊的」とかそういう表現を使わなくても、
本当はもっと自然にそういう観覚で、
普通に生活して表現して、そういう風に
みんなと暮らしたいと思っています。
いさどんや、ようこちゃんや、私とかが、
特別なのではなく、みんながそうなんです。
あ、いや、私やいさどんや、ようこちゃんが
特別なように、みんな一人一人特別なんです。
みんなにも観えていて聞こえているはずなんです。
観えない、聞こえないともし想うなら、
それはただの汚れです。
自分とは違うところに、それがあると、
もし思っているなら、それは錯覚です。
同じところにあるんです。
そこら中に、みんなと共に。
役割として必要なことはしていきます。
でも、一人一人が天とつながり、内なる神様を
一人一人が表現することが最も大切なことで、
今私たちはそのためにここにいます。
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