木の花ファミリーでは、カタカムナの世界観を取り入れ、目に見える世界の奥にある波動や響きを感じる「天然農法」に取り組んでいます。
今日は、田んぼの機械除草を終えて午後のおやつをしながらの、かとけん、ゆうくん、長期滞在中のあわちゃん、ひろきくんの会話をご紹介します。
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かとけん「除草機を使うと水がはねるんだよね。そうすると光が当たって宝石みたいに見える。」
あわちゃん「あ~」
かとけん「その草(雑草の事)が手のひらに見えて、その手は斜め45度上を指している。光の方角に向かいなさい、というようなことを言っているような気がした。周りを見ると稲しか無い。イーネ、イーネ、イーネ。」
あわちゃん「あっ、イーネ、イーネって?あ~」
かとけん「そう、そんな世界イイネってそんな感じがした」
あわちゃん「面白いね」
かとけん「午前中はだるかった。排気ガスが・・・」
ゆうくん「そういえば、かとけんが除草していた田んぼ、終わって見てみたら凄い疲れているように感じた。後で元気にしてあげないと。」
あわちゃん「えっ、それってかとけんが入ってたからってこと?」
ゆうくん「うん。その人の波動が思いっきり伝わる」
あわちゃん「あ~」
かとけん「午後は全然排気ガスが気にならなかった」
あわちゃん「排気ガス?」
ゆうくん「機械除草を行う時に排気ガスが出る。でも、午前も午後も同じ作業をしているのに、違う反応をしている。その人の心とかものの捉え方によってそれだけ世界が違ってくるだね。」
あわちゃん「ほんとだよね~」
かとけん「なんかさ、前こうちゃんが言ってたんだけど、その~放射能あるじゃん。あれとかもテネモス理論とかあって、要は電子の一部を取ると無害化になるんだって。放射線も無害化していく装置みたいのがある。それを装置じゃなくて人間でもできるんじゃないかと思った。なんかそれを思ったら、排気ガスが来てるけど全然苦しくなかった。午前は排気ガスが頭の中に溜まっている感じがした」
あわちゃん「何が違ったの?今回は?」
かとけん「なんか見え方が違ったんだよね。やたらとキレイに見えたんだよね」
あわちゃん「なんでだろうね」
ゆうくん「ものの波動ってあるじゃん。全てのものは波動を発してるんだけど、人が疲れて波動が下がっている時にそのものの影響(波動)を受けちゃう。」
あわちゃん「そもそも、そこの田んぼは波動が弱くて・・」
ゆうくん「というよりも、機械は天然のものから思いっきりゆがめらたれたものなんだよね。天然のものから自然のもの、自然のものから人工のものへと。波動自体大分低くなっている。排気ガス自体、もっと波動が低いもの。かとけんが疲れていて波動が下がっていたから、そこに共鳴して思いっきり排気ガスの波動を受けて」
あわちゃん「あーそれがそのまま広がっていくってこと」
ゆうくん「かとけんもその波動を受けて、それが稲に伝わる。でもさっきのかとけんは機械の波動に影響されないような状態になっていたから、それに見合った世界が見えてくる。」
あわちゃん「なんで波動が高かったの?」
ゆうくん「高かったというか、元(元気)に戻ったんでしょ?。午前中変な思考をまわしながら作業をしていたんじゃない?」
あわちゃん「あっ、そういうこと?」
ゆうくん「余分な思考」
かとけん「それもある。さっき作業をしている途中で、カタカムナを歌おうと思ったら太陽が消え雲がかかった。なんでそうなるか天に聞いたら、あるがままを見るだけで良いという思いが湧いた。そしたらまた太陽が出た。カタカムナを歌わなくてもそこに意識を向ければ、本来あるべきものが見える。楽になった。どっかで力むところがあった。
カタカムナを奏上しよう!とか無意識のうちに力んだとき、自然体じゃない自分がいる。そうじゃなくて、自然体でみれば本来の姿が見えてくる。いさどんが言っていたように、力を使ってぴょんぴょん飛び跳ねて天に近づくんじゃなくて、すぐそばにある。それは自然体で楽なこと。
だけど、自分の感情や過去の記憶といったフィルターを通してみると、本当の世界が見えてこない。そして、その感情が自分自身に染みついているからなおさら気付けない。自分の感情の最初の一歩目が分からない。だけど、話しているうちに無意識に余分な力が入っているなぁということは分かった」
あわちゃん「確かに力が抜けるのはわかる。さっきの作業中、ふとお昼の時の話を思い出して、色々みんな発信していこうという話になった。自分は外部者としてのスタンスで木の花を発信していくことに価値がある。それがいただくこと。意識的にそうやろうと思って発信しようというより、たまたま話しているときにそういう場があって役割をもらって、それを思い出したらスーッとして、パーッと目の前が開けた感じ。」
かとけん「それが昨日いさどんが言っていた、風を感じる、流れを感じる、流れのにおいを感じること。見分けられる人になったほうがいい。特にその場にいた時に、そういう何かに出会って役割をもらった時に、そうだなとやっていく。」
あわちゃん「そこで“いただく”という姿勢が大事。そこで力んだりこうしなきゃと思うとだめ。そこは自然に。」
かとけん「長期滞在中のNちゃんが昨日シェアしていた。『ゆみちゃんのように、いさどんのところに学びに行こうと思ったけど、目の前のことをいただいていくことが大切なんだってわかったりました』って。そのとき、拍手があったけれど、僕はどういうこと?と、よく理解できなかった。だけど、今あわちゃんの話を聞いてわかった!」
ゆうくん「あわちゃんの何気ない話が相手のためになっているね」
あわちゃん「まりねえも言ってた。メンバーとかメンバーじゃないとか関係なく、全部が活かされる。」
ゆうくん「そういう場が自然にできる。なんのとらわれもなくて、フリーな心の状態の時、そのとき自然に流れがくる。昼の木の花劇団での集まりの場でもそうだった。流れは常にあるんだけど、心の状態によって、感じられたり感じられなかったりする。今は自然のようにクリアーな心の場。だから今はいい場。」
あわちゃん「それはある。さっき作業しながらふっと湧いてきた」
かとけん「お昼は排気ガスが頭を回ってて、そういうことが全然自分に入ってこなかった。だけどあわちゃんが蚊にさされて抵抗力がつくみたいな話をしてくれて、排気ガスに対しても抵抗力がついた。場と自分の心とメンバーがそろったとき、昼食のときの話の流れとか、そのときのことは後からわかる。そのときにはよくわからないけど、後からわかる。」
あわちゃん「それが“いただく”、目の前のことをやっていくこと」
かとけん「何か人に伝えてそのときはわからなくても、あとからあの人が言ったことはこうとわかるときがくる。だからそのときに伝わらなくてもあせる必要ない。それは種まきだから。早い遅いじゃない。早く気づけばいい訳じゃない。人それぞれの歩みがある。風を感じるとか流れを感じるってことが、自然の中で作業することでよりクリアになっていく。お昼に話していたときは、なんとなくわかる、という感じだった。それから自然の場に来た。自然にふれて、より自分の感度が高まったら、より理解が深まって、さらにこういう場がある」
あわちゃん「お昼話して、車の中で話して、この場でみんなで写真とったりして、作業でのきづきがあって、今この場がある。いい流れを感じる。」
ゆうくん「体感することでさらに深まる」
あわちゃん「面白い。流れが見える」
ゆうくん「次の作業では、さっきまでとまた違ったように見えてくるよ」
かとけん「宇宙の法則は面白いことが好き」
あわちゃん「宇宙の法則??わからない・・」
ゆうくん「全部宇宙の法則の中にある」
あわちゃん「そうだよな!でもそうだ!さっきそういいながら、その気づきがあったときめっちゃ天を感じてた。それが宇宙だよね。それやってたよカタカムナ歌いながら」
かとけん「今まで観えなかったものが観える。その人の意識の段階や心の状態で観えるようになる」
あわちゃん「なんか面白いね(笑)、ウルルン滞在記で木の花村にきたみたい。面白い♪」
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「あわちゃんのウルルン木の花ファミリー滞在記」