「週刊文春掲載を経て、今思うこと」第4弾は、影に日向にみんなの暮らしを支える縁の下の力持ち、センター&子育てチームがお届けします!
さっちゃん
今通っているがんセンターの待合室に、ムンクの「叫び」みたいな、言いようのない恐怖や不安を抱えた人がいっぱいいるんだけど、この雑誌の中にも同じものを感じたよ。何だかわからない不安に追われていて、昔自分もそういう中にいたな、と思った。
みんな性のことは隠しごとにしていて、自分の欲も出してはいけないと思ってる。だけどほんとは興味があるからこういう週刊誌とかを見て、うわさ話みたいに「見た?」と言い合って、自分はそれとは違うような顔をしてる。自分の中にやましさがあるからこそ、自分はそれとは別物ですよ、というふうに装うんだよ。
だけど、いさどんは明るかった。何もコソコソすることなく堂々としていて、ここでは性のこともこういうふうに発信していけるんだ!って思った。それで使命感に燃えて、緊張して、ちょっと固くなりました(笑)。
でこちゃん
世間の興味は性のことにばっかり集中してるけど、今回のことを通して、私は自分がずっと何を求めてきたのかが明快になった感じがあるの。
結婚していても、愛がない性なんていくらでもあるでしょ。それで生まれてくる子どももたくさんいる。昔、結婚を勧められても、どうしてもその制度の中に縛られる気になれなかったの。それよりも、もっと心と心が裸で付き合える、本物の信頼関係が欲しかった。もっとほんとうの意味で愛があって、その中に行為がある。結局結婚も出産もしたけど、そういう体験をすることはなく、ずっと何かが足りないと思って生きてきたの。それで最後にここに出会ったんだよ。
ここでは、本当のことをやっている、と思った。だから何を言われても「だって本当のことだもの」と言えるし、相手にも「あなたはどう?」って聞ける。そういうことを、もっとみんなで突っ込んで話し合ってみない?
ラブちゃん
思ったのは、どうしても人に理解してもらおうと思いがちやけど、そうじゃなくて、ただ自分がこの生き方をまっとうすることやな、って。私は心にブレが出やすいけど、みんなで生きてるといろんな考えの人がいて、心は一つだけどその中にブレる人もブレない人もいて、全体で進んでいく。ブレるのも、みんなその過程。私は物事を点で見がちやけど、今は流れの中の一つと見るように心がけてる。そういうことを、ここで日々学んでる。
ここがやっているのは、みんなで一つを表現すること。それって一人じゃできない。個がありながら、他者と一つになっていく。そのために自分を観たり、人を想ったり、細かいことを日々やってるんだよね。昔は「こんな自分じゃダメだ」って、こうじゃない自分になることが心磨きだと思ってやってきたけど、そうするとどんどん疲れてきて、おかしいな〜、って(笑)。でもどんどん進んでいく中でターニングポイントがあって、ガラッと変わる時があるんだよね。自分はこのままでいいんや、って、すごく軽くなった。それで自分を出すようにしたら、どんどん違う展開になっていくのね。
この間、「忘れてたな」って言葉が降りてきたの。みんなここに来ることになってたんやな、って。それぞれにいろんな想いがあるけど、一つなんやな、って。そうしたら、日々の小さいことなんてもう、どうでもいいやんね。
ヤスエさん
私は難しいことはわかんないから、みんなの言う通りだなーと思うだけよ。記事に対しては、いいとも悪いとも思わない。あとはそれを読む人がどう思うかだけのことで、こちらには何もないもの。
この間実家に帰った時に、行きの電車の中では文春の広告があったんだけど、向こうに着いたらもう店頭には置いてなかったの。ものごとはどんどん進んでいくんだから、いつまでも同じところに想いを留めておくのはいいことじゃないよね。今回のことは、みんなが本当に考えるいい機会になったと思うよ。
トシちゃん
今回のことで、木の花のことがより良くわかって逆に学びになったよね。ここには決まった経典も制度もなくて、その時その時の場、人でことが流れて、いいも悪いもない。そして自然におさまっていく。
登山でもいろんな道があるでしょ。疲れて途中で休んだり、まっすぐ登ってるつもりが道に迷ったり、つかまるつもりもないのに目の前に紐があるからつかまったらそれは誰かのリュックで一緒に転げ落ちたり。でも最終的にはみんな登るんだよ。
答えが今あるというよりは、その時その時で湧いてくるものなんじゃないかな。まあみんな一度来てみてよ、という感じ。
あっちゃん
感想は、ついに木の花も全国誌に載ったな!と。宣伝もしてないのに(笑)。
子どもたちは普通の学校に行ってるから、ああいうのを先生や父兄が見ていじめにならないかという心配もあったけど、その時はその時。それに、近所の人たちにも思ったより理解してくれている人がいて、それも自分の想像外だったから、今ごちゃごちゃ考えるよりも、まあ先に行ってみるだな、と。問われてるのは、自分たちの揺るぎない心だよね。
今回の件で、子どもたちと接するのにも心で伝えていく姿勢が問われるな、と改めて思う。その成長の機会を与えてもらってるね。
あさちゃん
難しくてわかんないよ。世の中の人はそういうもんで判断してるんだなー、と思うくらいで。それはそれでいい。
別にここはここでやってるんだから、それで外の人がどう言おうと、淡々とやってれば、わかる人はわかってくれるものね。
みさこ
最初はひどい書き方だと思った。だけど後から、A氏(記事に出てくる元メンバー)が役割をしてくれたんだな、と思った。私たちが何もしなくても、ここのことが広がっていくんだから、ありがとう、って。あとは、自分がしっかりしなきゃな、と思った。この記事に限らず、日常のどんな場面でも、神さまはいつもいろんな現象を通してメッセージを送り続けてくれているから。
子どもがいじめられないかということも気になって、守れる自分にならなきゃ!と思ったんだけど、話してみたら子どもたちの方がずっとしっかりしてた。子どもたちの魂の方が、ずっと上にいるよね。
みほさん
自分たちは揺るがない心でこの生き方をやっているけれど、それを一般の人が理解するのは難しいだろうなと思う。いつの時代も、そういうふうにして進んできたんじゃないかな。時代は後からついてくるもの。私たちはこの生き方を続けていくだけだよね。
もしも本当にこの生き方のことを知りたいと思ってもらえるなら、ここに来てくれたらいいなと思います。
ゆかりちゃん(ケア滞在卒業後、木の花に長期滞在中)
人の数だけ価値観があり、人は自分の価値観に基づいて物事を判断するということを以前に人が言っていたことを思い出して、自分と違う価値観があることを知った時にどう反応するのか、どういう感情が出てくるのか、自分はどういう価値観を持っているのだろうかということをしっかり見ることが必要だなと思った。記事に書かれていることは一体どうなのだろうか・・・と改めて考えたけど、今ここにいるみんなが表現していることを見てみようと思った。このことで、関心がある人は足を運ぶし、そうではない人は離れていく。
私は、『この星の上で』という曲にもあるように、「起こりゆくことのすべては善きことの為にあると♪」ということを思って、起こった出来事からそれが一体何だったのかを振り返って学び、みんなと共にそれを淡々と続けていくだけです。
こはる
この道を生きる心がまえが、より明確になった。信じて、確信を持って生き生き過ごしていれば、今はわからない人たちもいずれわかる日が来るでしょう。
同じ感覚の人が集まってくるスピードも、増している感じがする。どこにでも、心で響きあえる人はいる。みんな、もともとはつながっていたんだから。
私は毎日訪問看護師としていろんな人と接してるけど、その人の心の中にある種が芽生えていくための媒体になれるように、自分自身を磨いて、アンテナを高めていこうと思ってる。そういう日々を送れることがありがたいです。押し付けるのではなく、相手の視点の方向を見ながら関わっていこうと思う。
多くの人は物事を一方の側からだけで見ていて、ちょっと視点を変えることを怖がるんだよね。過去の自分もそうだった。ここで視点を変えることを教えてもらってありがたいし、ここでは日常の中に、それを実際に表現する舞台がある。そしてそれが、これから外の舞台とどうつながっていくのかが楽しみです。