2年前にメンバーになったまっちゃんは、福井県で代々続く旧家の出身です。
実家はお父さんが農事組合法人を率いるなど、地域でも大きな役割を果たし、
まっちゃんは長男として、跡を継ぐことを期待されて育ちました。
けれどもメンバーとしてここに移住したことで、
「実家に対する後ろめたさが常にあった」といいます。
そんなまっちゃんと実家との関係に、この春、大きな変化がありました。
福井での出版記念イベントの帰りにメンバー14名がまっちゃんの実家を訪れ、
ご両親と話し合ったことで、新たな展開が生まれたのです。
今回は、そんなまっちゃんの物語をご紹介します。
■ ■ ■
僕は福井県福井市の杉谷町というところで育ちました。
家の裏は山。前は視界いっぱいの田んぼ。
子どもの頃は、冬になると凍った田んぼの上を歩いて学校に行ったりしたなぁ。
川が好きで、高校生の時は、学校の帰りにいつも川を眺めてた。
だけどある時工事が始まってね。
その川がコンクリートで固められて、それまで泳いでいたカモもいなくなっちゃった。
その頃かな。「環境」について考えるようになったのは。
大学卒業後は、大阪で会社員をやりながら、
環境保護団体に入っていろんな活動をしたよ。
ビオトープを作ったり、クワイの産地を再現したり、
2年間一生懸命だった。
ところがある日、その活動の拠点がお金のために売られて、
あっさりと老人ホームに変わっちゃったの。
えーっ、こんなに簡単になくなっちゃうのーってびっくりした。
ちょうどその頃に部署替えがあって、僕は福井に戻ることになったんだ。
大阪で自分がやってたことって何だったんだろう、
って想いを抱えながら実家に戻った時に、
目の前にものすごく豊かな自然が広がっていることに初めて気付いたんだ。
それで思った。どこか遠くに行って環境保護を訴えるのではなく、
自分の足元を大切にすることなんだ、って。
だけど僕らは、あまりに知らなすぎる。そして簡単に道路を作る。
そこで、子どもたちと一緒に地元の自然を観察する活動を始めたんだ。
そして、この地元の良さを共に伝えていく仲間を集めようと思った。
仲間が欲しかったことには、もう一つ理由があったの。
僕は長男で、子どもの頃から跡取りとして育てられてた。
特に母親は、何をおいても家が大事という人。
でもね、正直、荷が重かった。
父親は地域のリーダー的存在で、何かと役割の大きいあの家を
僕一人で継いでいくのは、精神的にも経済的にも無理って思ってた。
ちょうどそんな時に木の花に出会ってね、
そうだ、福井でもエコビレッジを立ち上げよう!って思ったの。
みんなで一緒に福井の未来を考えて、
食や森林、エネルギーなどの問題に取り組んでいく中で
この家の環境も継いでいったらいいんじゃないか、って。
大好きな故郷の暮らしを、僕一人でつないでいくことはできなくても、
みんなと一緒ならやれる。
そうすれば両親の願いもかなう。
そこで仲間を集めて、「あまてるの里」という名前で活動を始めたんだ。
そして父親に、自分の想いを話した。
僕は、木の花ファミリーのようなものをここでつくりたいんだって。
でもね、父から返ってきたのは、「そんなことは無理」という返事だった。
やるなら他でやれ、って。
子どものころからずっと、父親とは腹を割って話せなかった。
父には人をまとめる力があって、社会的にはすごく尊敬していたけど、
何か話しても全部見透かされているようで、僕はいつも緊張してた。
その父に「無理だ」と言われて、
僕は自分の中のフィールドがなくなっちゃったような気がしたんだ。
「あまてるの里」も、いざ自分がみんなを引っ張る立場になってみたら
どうしていいかわからなかった。
それで、改めて木の花を訪れてみた。
そしてここでエコビレッジの教育プログラムを受講したりして
みんなと生活を共にしていくうちに、「やっぱりこの生き方が大切なんだ」と思い、
悩んだ末に、移住を決意したんだ。
家を出る時、父親からは、「二度と家の敷居をまたぐな」って言われた。
僕は、それは彼流のプレゼントだったと思ってる。そのくらいの覚悟で行け、と。
それで、「わかりました」と言って、家を出たんだ。実家との縁は捨てようと思った。
ところが、ここに来てみていさどんから「勘違いしてるよ」って言われたの。
「何者も、大切な人とのつながりをわざわざ絶つ必要はない。
もしも縁がなければ自然に切れるのだし、それはただ流れを頂くだけ。
あなたの家族は木の花の家族でもあるのだから、
血縁を自ら捨てるなんてことは誰も求めていないよ」って。
ああそうか、って思った。
本当は、父親一人で田植えはどうするんだろうって気になってたの。
それで、実家に電話したんだ。必要なら声をかけてよ、って。
その後、田植えの時期になると母親から電話が来るようになったんだ。
それ以来、年に数回、忙しい時だけ実家に手伝いに帰るという生活を続けてきた。
帰るたびに、母親からは戻ってきてほしいと泣かれた。
父親との会話は・・・記憶にないや。ほとんどなかったんだと思う。
親の願い通りにできなくて、自分の中に常にどこか後ろめたさがあったよ。
それが、この春に木の花のみんなと実家を訪ねたことで、大きく変わったんだ。
イベントの帰りに、いさどん始め14人のメンバーと実家を訪ねて、両親と話したの。
両親が木の花のメンバーに会うのはほとんど初めてのこと。そこでいろんな話をした。
まず、父親に僕が木の花に移住したことをどう思うかを聞いてみると、
「跡を継いで欲しいとは思うが、息子の人生は息子の人生。強制できるものではない」と。
そして、今この地域全体の後継者問題に取り組んでいることを語りだしたんだ。
僕の家に限らずどの家も跡取りがいなくて、68歳の父親と同世代がやめたら終わり。
だけどこの農村を、国土を守っていきたいから、
父親は、みんなで協力してやっていこうと農事組合法人を立ち上げた。
そして非農家の人たちにも入ってもらい、町内全体で運営していこうとしてる。
より管理しやすいように田んぼの畔を取り払ったり、農協に掛け合ったりしながら、
将来的には6次産業化も目指しているんだって。
父親は、すごく生き生きと、本音で話してた。
僕は、そんな風に話す父親の姿を初めて見たんだ。
木の花のみんなも父の話に聞き入りながら、自分たちの体験も語って、
父の中にあるものをどんどん引き出している。
父は、自分の家のことだけじゃなくて、地域全体や、そのもっと先にある
この国のあり方についてまで考えてた。
一通り父親が話した後、母親にも、僕が木の花にいることをどう思うかを聞いてみた。
そうしたら、母親は
「我が家には魅力がないんだと思って、悲しくなりました」
と言って、泣いたんだ。
その時にいさどんが、そうではありませんよ、
まっちゃんを木の花に留めるつもりはありませんよ、と話し始めた。
僕自身、実家が嫌で木の花に行ったのではなく、
好きだから守っていきたい、でもどうしていいかわからない、と思って移住した。
いさどんは、その問題はみんなで考えるものだし、
木の花ファミリーはそれをサポートするためにあるんですよ、と。
僕も、その話を聞いて、力が抜けたよ。
僕の中にはずっと、実家や故郷の問題が重くのしかかってた。
だけどそれは僕一人で背負い込まなくていいんだってことがわかって、
すごく楽になったの。
それは両親も同じだと思う。
僕が家を継ぐ継がないということではなくて、日本全体のことをみんなで考えていく。
それは、木の花のメンバーにとっても、自分たちの役割を確認する場だったと思うんだ。
今どんなに父が法人を立ち上げて奮闘していても、結局は後継者問題は付きまとう。
その時に、僕たちはそれをサポートしていくことができるんだよ。
父がね、おもしろいことを言ったの。
その場にいたメンバーのひろっちが、
「これからは血縁を超えて協力し合っていく必要がある」と言ったら、
「地権者意識がなくなっていけば、それもあり得ますね」って。
これまで、父の口からそんな言葉を聞くことはなかった。
今ね、人がどんどん高齢化していって、誰も山に入れなくなって、
どこまでが自分の土地かわからなくなってるの。
父も正確には境を知らないと思う。
だから地権者意識も何も、結局みんなで管理せざるを得なくなるんだよ。
近い将来、きっとそうなる。血縁を超えて、みんなで協力し合う時代が来るんだよ。
最後にね、みかちゃんが『安里屋ユンタ』を歌ってくれたんだ。
歌詞の「沖縄」のところを「福井」に変えてね。
その時の、父と母の表情が、すごく穏やかになってた。
そうそう、帰る時にね、僕、父親と握手したの。「じゃあ」って言って。
そんなこと、生まれて初めてだったよ。
ずっとね、志があったんだ。
みんなでこの生き方を学んで、たんぽぽの綿毛のように、
必要とされるところにどこへでも飛んでいって、それを伝えていく。
自分があの家に生まれたことにも、きっと意味があると思うんだ。
もしもいつか僕が帰る流れが来たら、木の花ファミリーの一人として帰って、
ここで学んだことを生かしていく。
そして、そこで学んだことをまた持ち帰ったり、そこからさらに広めたり、
そんなふうにこの生き方が広がっていったらいいなって、心から思ってる。
そのために、今、ここでとことん学んでいるんだよね。
他人事とは思えない思いで、読ませていただきました。
代々続いた農家の長男で、背負いきれない責任の重圧に、
今、ひとりで途方にくれている人が、たくさんいるんですね。
うちの主人も、村のご長男さんたちも同じです。
その支援の道を、木の花ファミリーでも、話し合われているんですね。
探し求めていた相談窓口が、やっと見つかった・・と妻の私は
救われる思いが、しました。
ビシャママさん
コメントありがとうございました!
農村というコミュニティーの崩壊という問題は、もはや一つの家族や村、町だけで解決できる問題ではない。
そのことに気づいていながらも、なかなか打つ手が無いままに時が過ぎ、いつしか限界集落となっていった
地域が日本中にたくさんあると思います。
私たち一人ひとりが縁を頂いた地域と繋がり、そこの地域コミュニティーを護り次世代に伝えていくこと。
それが国土を守り、ひいては地球を護ることに繋がっているのだと思います。
同じ思いを持つ人や地域とつながって、それぞれの役割を果たしていくサポートをしあえる関係を築いて
いけたら、きっと楽しくて心強いですよね!
木の花の世界観は、とかく自分の地域だけに収まりがちな視野を、地球や宇宙にまで広げてくれます。
そんな心を広めながら、共に、地に足のついた活動をやって行きましょう♪
まっちゃん、この記事読んで、なんかすごく暖かい気持ちになったよ。
そして今後の社会のことや、一人一人の将来について、みんな悩んでいるけど、その問題を別々に分けて考えるから限界があるんやね。
みんなのこととして、みんなでとりくんでいけば、一緒に解決していくし、またそういうのって楽しそうやなって思ったよ。
今現在、お互いのフィールドは違うけど、気持ちは同じと思ってます(^^)
よんちゃん
コメントありがとうございます!
そうですね。
僕も「分離感」が今の社会の行き詰まりの根本にあると感じています。
これからは「一体感」をベースとした時代に移行していくと思います。
場所は違えど心は一つ。
いっしょにその心を育てていきましょう!
まずは自分から、ですね^^/
まっちゃん
お父さんとの握手、おめでとうございます^^
お父さんもまっちゃんと握手できるの嬉しかったでしょうね。
なんか、息子が自分を超えていってくれる予感と嬉しさみたいな
感情が想像できました。
みんなが地域を自分の庭だと思えば、盆栽やめて間伐するよね 笑
公園にごみ落ちてたら拾うしね、自分の庭だから 笑
これからつながる楽しさをいただく時代がやってきますね!!
覚悟を決めて楽しみましょう^^
あっきー
コメントありがとう♪
思い返せば、僕だけでなく、その場にいた皆の中に想いが共有されたのを、
父もメンバーも感じてたなと思います。
種が播かれたことを、播いた方も、播かれた方も自覚した時間でした。
”超える”というより、想いが”引き継がれていく”という予感と嬉しさなのかな^^
>みんなが地域を自分の庭だと思えば、盆栽やめて間伐するよね 笑
>公園にごみ落ちてたら拾うしね、自分の庭だから 笑
視野が広がると自然に行動が変わってくるよね。
>これからつながる楽しさをいただく時代がやってきますね!!
>覚悟を決めて楽しみましょう^^
覚悟は大事ですねー。
肚が決まると、人は自由に本当の自分を表現できるように思います。
そんな仲間が集まってワイワイやるから、楽しみも、成長もあるんだろうなと
思います。
まずは自分から!ですね^^/
久しぶりに、この花さんのHP拝見しこの記事に出会いました。
このような形に現れた」この花さんの真価をとても嬉しく感じております。
日本は地方から変わる。実態が意識の変革を促す。催促されているのだと思います。
所有という幻想が地方から崩壊する。そしてそれをケアできるのは、ワンネスの生き方の実践者以外に出来ません。
熱いものを感じてます。
木偶さま
こんにちは。
コメントをどうもありがとうございます。
この福井での出来事以来、
木の花ファミリーの意識にも何か変化が生まれているように感じています。
この生き方がこの先にどんな意味を持つのか、私たちもわかりませんが、
未来が楽しみです。