一生の覚悟の先には

「自分の癖を繰り返さないためには、まずは心の道を歩むという覚悟をつくることが大切」という話から、いさどんはえいこばーちゃんの話をしてくれました。

いさどん:

木の花メンバー最年長のえいこさん。そのえいこさんが52歳の時に旦那さんが57歳で亡くなり、未亡人になりました。「私はこのままいくと独居老人になる」と自分の将来に対してあまり良いイメージを持っていなかったのです。だからこそ世間一般の人と同じように考えて、「老けてはいけない」とカラオケに行ったり、家の近くでパートをやって知り合いの人と遊びに行ったりしていました。

僕は旦那さんが亡くなる前からえいこさんと知り合っていました。人が亡くなる時の心構えのようなものを話していたから、僕らは大事な関係でした。亡くなってからも、えいこさんの家の近くで畑を耕していたものだから、夕方まで畑にいるとご飯を作ってくれ、そこで一緒にご飯を食べて帰ってくるような日々を過ごしていました。

彼女の中に「自分が独居老人になる」というイメージがあったけれど、家族ではないけれど家族のような、もしくはそれ以上かもしれない人に出会った。自分が困った時に家族は明快な回答を出してくれるばかりではないけれど、僕は明快な回答を出すから深い信頼を持てる。逆に自分の家族というのは「困った」とは言うけれど、回答を出してくれるばかりではないから、そういう意味で僕は重宝されていました。

それで僕たちが富士山に移住することになった時に、えいこさんも考えたのだろう。「自分が独居老人になった時、息子は優秀で海外に行ったりしているからどこで定住するかわからない。そうすると、自分が動けなくなったら息子の世話になるのだろうか」と考えたら、「それではいけない」と思ったのだと思う。

今から17年前の5月の連休の時、春日井のつねちゃんのところにこちらにまだ来れない人たちが集結して暮らしていました。そして最後の便の人たちがこちらに移住してくる時、僕がこちらから迎えに行きました。春日井からこちらに来る車の中で僕はえいこさんの隣に座って、「旅立ちだね」と言いました。彼女としては独居老人なのか、それとも生まれ変わって新しい人生を始めるのかというふたつの選択肢の中で、後者の未知なる旅立ちを始めたのでした。

今でもそうだけれど、当時彼女はメンバーの中で一番年上でした。僕が車の中で「結婚して旦那に賭けた時よりも、厳しい道かもしれないよ」と言ったら、「わかっています。覚悟していますのでよろしくお願いします」と言いました。えいこさんはあの時に木の花と結婚したというか、ある意味では僕が心の支えになっていたから心では僕と結婚したようなものかもしれない。彼女にはすごい覚悟があった。女性だし、そんなに強い人ではないのだけれど、その時には本当に賭けきった。

だから、ここに来てからもエゴが出たり自分の癖を乗り越えるために辛いことが沢山ありました。しかし、大人会議の中で彼女自身の心を見ていく時に、年齢的には高いけれど、そこでは年齢は関係なく正すべきものは正されていかないといけない。初期の頃は今よりももっと単刀直入だったから、辛かっただろうと思う。

えいこさんにはまったく違うふたつの道があって、ひとつは彼女は在日の人だから年金はないけれど、それ以上の蓄えと優秀な子どもたちと共にある生活。だから、何もこんな冒険はする必要がない立場だった。なのに、わざわざ冒険の方を選んだということは、相当の決意があったということになる。それだから今まで乗り越えられてきたのだと思う。逆に、それだけの覚悟がないと彼女は挫折していただろうと思う。

この道を歩んでいく中で彼女にびしっと伝えたこともあったけれど、なぜそんなに強くない人がこの生活を続けられたのかといったら、覚悟をつくるということ。そして、覚悟をつくるために彼女がこんなことを大人会議で発言したことがありました。色々な設備を整えていく中で、「私の持ってきたお金を早く使ってください」と言いました。「何も急ぐことはないよ」と言ったら、「いや、落ち着かないのです。私はそれを全部なしにして、身のフリ場が他にないという状態にしたら落ち着きますから」と言うので、彼女のお金を優先して使っていきました。彼女は年金がある人ではないから、持ってきたお金が全部なくなればみんなに賭けるしか他に仕方がない。彼女にはそれくらいの覚悟が出来ていたのです。

そういう意味で、えいこさんは覚悟の見本のような人です。今でもしょっちゅう発言はしないけれど、本当に行き詰まっている人に彼女が発言すると説得力がある。ああいう年代の人でもそれだけのしっかりとした覚悟があるから、発言に重みがある。だから、日頃ぶれない。みんなの追い風になっていて、良いポジションをやってくれていると思っています。

僕が出会った頃、えいこさんの家に時々仕事で行くことがあったのですが、なにしろ彼女はいつも眉間に皺を寄せていて、「お金を貯めなきゃ、お金を貯めなきゃ」という顔をしていました。特に在日の人たちには社会的な保証がないから、お金が頼りだったのだと思います。そういう彼女が僕に出会ってこの道を歩むと決めた時に、一生の覚悟をしてここまで歩んできたという話です。

この後、えいこばーちゃんにいさどんの話を伝えたら、涙ぐみながら次のようなことを教えてくれました。

えいこばーちゃん:

いさどんがここまで自分のことを深く見てくれていたのだと思うと泣けてきて。。。ここに来た当初、孫が病気になって千葉に1週間ほどいたことがあってね。その時に、あいちゃんやのりちゃんやみんながここから電話をかけてきてくれて、その時もみんなとの深い絆を感じてすごく泣けてきたのを思い出しました。

実は、1回だけここを出ようと思ったことがあった。私はまりちゃんという娘と一緒にここに来たのだけれど、ここに来てから数ヶ月が経った頃、いさどんのお世話係をしていたまりちゃんの心の修行を見ているのが辛くて辛くて、まりちゃんに「一緒にここを出よう」と言ったことがあるの。その時私はまだ「親」をやっていたからね。でも、その時にまりちゃんから「私はここでやっていく」と言われたので、その後はここを出ようと思ったことは一度もなかった。私はここにお嫁に来たのだから。

私は子どもの頃からまわりに気兼ねして生きてきたし、結婚してからも23年間お姑さんと一緒に暮らしていたから、昔は「一人で静かに暮らしたいな」と思っていた時期もあったの。だから、旦那が亡くなった時に息子から「おふくろ、一緒に暮らそうよ」と言われても、「60歳になるまでは私を自由にさせてね」と話していたくらい。

でも、いさどんと知り合って、みんなが富士山に移住するという話を聞いた時に、「私はまだ55歳なのだから、私みたいなものでもみんなのお役に立てるのであれば」と思って、みんなと移住することにしたの。息子は「おふくろは今まで沢山苦労をしてきて、初めてやりたいことを見つけたのだから、おふくろの好きなようにしたらいいよ」と言ってくれた。当時は、私が歳をとったら引き取って面倒を見るつもりでいたみたい。でも、3年ぐらい前に旦那のお墓をどうしたらいいのかと息子に相談した時に、「私は動けなくなっても何があってもここに骨を埋めるから、私のことはもう考えなくてもいいからね」と伝えて、お墓を処分してもらったの。そして、8月にみんなで富士山に登った時に山頂で旦那のお骨をまいてもらった。私は死んだら、富士山がすごく綺麗に見える田んぼに骨をまいてほしいと思っていたのだけれど、「あそこは人から借りている田んぼだからダメなんじゃない?」と言われたので、今はみんなにお任せしています(笑)!

今は毎日がありがたくて楽しくて、みんなと暮らせて、もう言葉がないくらい幸せ。この歳になってこんなに良いところに出会って、本当に幸せ。旦那が亡くなる前に、「かーちゃんは、子どもたちがいるから歳をとっても幸せに暮らせるよ」と言っていたのだけれど、旦那が命を賭けて私をここに引き寄せてくれたから(笑)、今の幸せな人生があるのだと思っている。旦那が亡くならなければ、私は今ここにいないのだから。だから、たまに富士山に向かって、「一夫さんありがとう!」と言っているのよ。本当に悪い嫁だとは思うのだけれど(笑)。

あと何年神様が私を生かしてくださるのかはわからないけれど、これからも一日一日を大切に暮らしたいと思っています。

いつもにぎやか食当チーム、左からゆみちゃん、のりちゃん、えいこばーちゃん、あいちゃん。「みんなとの絆はなによりの宝物です。」

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