2月3日に行われた節分のお祭りでのいさどんのお話です。
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2月3日は農の大晦日と言われます。そして2月4日がお正月です。新しい年が始まり、啓蟄という虫が動き出す季節でもあり、農作業がこれから始まろうとする時です。立春正月の前日である大晦日は、「季節を分ける」ということで「節分」と言われています。
一般にどこでも節分の行事があり、鬼が出てきて人間たちは「鬼は外、福は内」と言います。それは、「嫌なものは出ていきなさい、良いことだけ来なさい」という人間たちの心が反映されて、そういう行事になったようです。
木の花には心や体の問題、いろいろなことで行き詰った人が訪れます。そういった人たちは、自分の心の中にある問題の種を見直し、また自分の家や社会に戻っていきます。その時に、以前の問題あった心がきれいになっていることに気づくのです。とかく人間は、自分に都合の良いことばかり起こると、それ以上成長しようとせず、これでいいのだと思ってしまうものです。
節分の行事では鬼が出てきて、人間たちに追い払われます。しかし、鬼がどこにいるのかといったら、人間たちの心の中にいるのです。そして人間は、地獄、地の国、つまり地球にいます。「自分さえ良ければいい」という人の心が対立を生み、自分の心や体を壊していると考えると、何となくこの世の中が地獄のように観えてきませんか?
地の国にいて自分だけの願いを叶えようと地獄を味わっている人たちは、その心によって間違った行いをします。そうすると、この世界ではその間違った行いは痛みとして表われるようになっています。地獄には閻魔様という鬼の親分がいて、それが日本神話でいうところの国常立という地球の神様です。国常立が、私たちの心をきれいに清めてくれることによって、私たちは天国に上がっていくことができるのです。
そういった正しい心を忘れてしまって地獄にいる人間に、鬼は「心を改めて天の国へ行きなさい。それがあなたのもともといた場所、帰る場所ですよ。天の国へ戻るために、この地の国へ生まれてきたのですよ」と言って、私たちの内から出てくるのです。
そうすると、問題事は自分の心が間違っていることを教えてくれるありがたいものであり、嫌なことをなしにしようとして、「鬼は外、福は内」と言うのはおかしな話です。本当は、「鬼は内、福も内」であるはずです。つまり、鬼の心が自分の中にあり、それを表わしています。自分を正し、きれいな心になって、当たり前に福が自分のもとへ訪れるようになってきます。
これから心が大切になってくる時代に、この生き方、考え方はとても大切です。こういった考えをこれから広めていくということが、このことに気づいた私たちの役割なのではないかと思っています。こうやって農を通じて芸能ができ、そして世の中が豊かになっていくという、大変幸せな時間を皆で過ごすことができた今年の節分祭でした。