【木の花のたより 】酵素があるから生きている

おなかの中から元気になろう!

その5
酵 素

カフェ&ショップ ロータスランドのブルーベリー酵素ジュース

さてさて、1ヶ月ぶりのお便りです。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
こんな時代だからこそ、お腹の中から元気になって本物の免疫力を高めよう!と始まったこのシリーズ、今回のテーマは酵素です。

酵素って なに?

詳しいことは知らずとも、多くの人が「酵素は体に良い」というイメージをお持ちなのではないでしょうか。

では酵素とは何かと申しますと、ズバリ、私たちの生命活動を維持する物質です。動物も植物も微生物も、すべての生命は体内で酵素を作り出しており、人間の体内には実に5000種もの酵素が存在すると言われます。そのひとつひとつがそれぞれに独自の役割を持ち、私たちの体内で起こる様々な化学反応をスムーズにする働きをしています。例えば食べたものを分解する、分解された養分を吸収する、有害なものを排出するといった消化や代謝機能の他、見る、聞く、味わう、歩く、話す、呼吸する、さらには笑う、泣く、怒るなどの感情表現や思考に至るまで、私たちの生命活動は、体内で起こる様々な化学反応によって成り立っており、そのすべてに酵素が関わっているのです。

つまり酵素とは、太陽や土や水や空気と同じように、私たちが生きるために無くてはならない存在なのです。

現代人は酵素が不足

人間が一生の間に作り出す酵素の量は、人それぞれに決まっていると言われ、私たちは体内で酵素を作る他にも、日々食べ物から酵素を取り込んでいます。
酵素は、あらゆる野菜や果物、そして味噌や醤油、納豆などの発酵食品に多く含まれています。食べ物から取り込まれた酵素は、体内の酵素に代わって、私たちの様々な生命活動を助けてくれるのです。
ところが現代を生きる人々は、化学物質の添加された加工食品やジャンクフード、アルコールや薬品などの過剰な摂取、そして自然の摂理から離れたストレスの多い生活などにより、酵素が不足するようになったと言われます。
酵素が不足すると、消化や代謝の機能が弱まり、免疫力が落ちて、病気にかかりやすくなります。また、冷え性やむくみ、頭痛、肩こり、便秘、倦怠感、不眠などの症状につながる他、イライラしたり精神的に不安定になることも。

どんなに「体にいい」食べ物を食べたとしても、その栄養素を体内でしっかり分解し、吸収できなければ意味がない。酵素不足はまさに万病の元と言えるのです。

酵素をつくろう!

さて、ここからは木の花ファミリーのお話です。

養蜂で活用している木の花菌と酵素

木の花のたより第3号にてご紹介した通り、木の花ファミリーでは創立後間もない頃から、微生物の働きを暮らしの中で活用することを大切にし、地元の植物を利用して「木の花菌」という独自の微生物群を培養してきました。
それはとても有効なものですが、木の花菌を仕込むには「種菌(EM菌)」が必要であり、それは現在も外部から購入しています。木の花ファミリーには世界中からゲストが訪れ、「ぜひ自分の国でも木の花菌を広めたい」と仕込み方を学んで帰る人も少なくないのですが、では実際に帰ってから種菌が手に入るかと言うと、なかなか難しい現実がありました。

そこで、「その土地にあるもので作ることのできる、有効なものはないだろうか?」と模索していた中で出会ったのが、酵素なのです。

大量に収穫できたレンコンを皮や節ごと漬け込んで作ったレンコン酵素

すべての植物は、酵素を持っています。しかし酵素は熱に弱く、42℃以上に加熱をすると壊れてしまいます。そこで植物を、1.1倍の分量の砂糖に漬け込むと、砂糖の浸透圧によって植物内の酵素を壊すことなく抽出できるのです。

この酵素液がすごいのは、普通なら使えないようなものでも、余すことなく活かせること。例えば夏の終わりには、秋冬の作付けに向けて畑を整理するため、シーズンを終えたトマトの木を片付けるのですが、この時に熟しきらない青いトマトの実がたくさん取れます。

そこでこの実にお砂糖を混ぜ ───

毎日かき混ぜていると、微生物の力で発酵が進み、やがてブクブクと泡が出てきます。

お砂糖は微生物のエサとなってエネルギーへ変換され、夏場なら1〜2週間、冬場なら2週間〜1ヶ月ほどで、酵素液が出来上がります。

そして液体を絞った後の固形物は、ボカシ(有機物を発酵させた肥料)にして畑の循環の中へと還し、また次の作物の栄養となっていくのです。

ボカシ

これならば、それぞれの土地にあるものを活かして、その土地ならではのものを作ることができる。
そこで数年前から木の花ファミリーでは、酵素液作りの探求が始まりました。以前から、酵素玄米や生食などを取り入れた酵素食は実践していたのですが、酵素液はうまく発酵すれば腐ることなく長期間保存でき、人間のみならず農業や養鶏、養蜂などにも活用できるのです。

現在は100種類以上の野菜や果物、穀物、野草などを使い、数十種類の酵素液を仕込んでいます。

ただ今熟成中の様々な酵素たち。絞ったものは冷蔵庫へ保管します。

この酵素液の仕込みを一手に引き受けているのが、メンバー歴21年目のきょうこちゃんです。

野菜苗作りのスペシャリスト、きょうこちゃん

大学卒業後、有機農法を学んでお百姓になる道を選んだきょうこちゃんは、メンバーになって以来、主に野菜の育苗を担当していました。きょうこちゃんが育てる苗はとてもしっかりした良い苗だと評判で、県外からわざわざ買いに来るお客さんもいるほどでした。

そんなきょうこちゃんですから、酵素仕込みも常に素材を観察し、作物ごとにそれぞれ異なる特徴を掴んで、より良いものができるよう工夫を重ねながら進めています。
「基本は素材1に対して砂糖が1.1だけど、素材によってはもっとお砂糖を減らした方が素材そのものの風味が生きてくるので、味を見ながら調節してるよ」ときょうこちゃん。
そして酵素液を絞るタイミングは、仕込んでから何日と決まっているわけではなく「今だ」と感じた時。中にはいくつもの酵素をミキサーにかけて混ぜ合わせ、2年越しで仕込んでいるものもあります。

2年越しで熟成中の酵素への櫂入れ(かき混ぜること)
熟成したやさしい香りがします

その他にも、個性的な酵素がいろいろあります。
例えば、昨年12月に行った新穀感謝祭と、今年の2月4日に行った立春正月祭のお供え物は ───

昨年12月の新穀感謝祭の祭壇

「新穀感謝・立春正月酵素」というなんともありがたい酵素に変身。

野菜だけでなくお米や豆類も入った「新穀感謝・立春正月酵素」

とにかく何でも活用できるのが、酵素仕込みのいいトコロ(^^)
多少形が不恰好だったりしても、すべての植物の中に健康の元が詰まっているのです。

健康とは、元気であること。元気とは「元の気」──── 即ち、自然そのものです。自然は、私たちをおなかの底から元気にしてくれる宝物に満ちています。
その豊かな恵みに感謝しながら、これからも作物や、酵素や、その他のたくさんのものを通して、皆さんに「元気」をお届けしていきますね!

(ともこ)

 

 


メンバー日記🗒

きょうこちゃんの巻


ファミリーメンバーたちが日々の暮らしを綴る「メンバー日記」始めました!

木の花ファミリーでは、メンバーたちは田んぼや畑、キッチン、建築、子育てなどなど、それぞれの個性に応じた役割を担っています。

上で紹介している役割は全体の一部。他にもいろーんな役割があるのです。そしてその全てが、自分よりも他者や全体を大切にする心 ─── 即ち「菩薩の里の精神性」でつながることにより、コミュニティの暮らしが成り立っています。

毎日の食事と大人ミーティング(毎晩大人メンバー全員が集まって開催するミーティング)の場ではメンバーたちは必ず顔を合わせますが、その他の1日の過ごし方は役割によって様々です。そこでこのメンバー日記では、メンバーたちがそれぞれの立場からファミリーの暮らしを紹介し、次のメンバーへと繋いでいきます!

トップバッターは、ハイ、先ほどご紹介しましたきょうこちゃんです。

きょうこちゃんは酵素仕込みの他、午前中は毎日カフェ&ショップ ロータスランドで、モーニングセットの調理を担当しています。他にもロータスランドの鯉や花のお世話をしたり、育苗の後継者を育てたり、木の花楽団でギターを弾いたりと、いろいろな役割をしています。

そんなきょうこちゃんが今から21年前にメンバーになった理由は、「木の花ファミリーに出会って初めて、“人が生まれてきた目的は心を綺麗にしていくこと” だと知り、この大切な生き方をしていこうと決めたから」。

「小学校3年生の時に広島原爆展を見に行った時から、人間はどうして戦争をするのか、どうして戦争が終わらないのかをずっとどこかで思っていました。また、現代の物質的に豊かになった社会が、そしてその中で生きている自分自身の暮らし自体が、自然を破壊していることを知り、自然に近い暮らしをしようと思い、有機農業を始めました。でも、どこか違う・・・と思っていたところ、木の花ファミリーと出会ったのです。」

どんなに良いと思われることをしても、心の中に対立や嘘の心があったら本当の平和は訪れない。自分一人分美しくなることが、この世界を美しくする。小さな頃からずっと探し求めていたものがこの生き方にある、と思ったきょうこちゃんは、メンバーになり、心磨きの道を歩むことを決意しました。

ところが2015年4月、きょうこちゃんは子宮頸ガンとの診断を受けます。そして翌年10月には意識不明の危篤状態に陥り、何度も生死の境をさまようこととなりました。

入院中のきょうこちゃん

心磨きの道を歩もうと決意してメンバーになったものの、「自分はいいものだとどこかで思う心があり、根本的に人間性を変えることができていなかった」と振り返るきょうこちゃん。
そうして心の中に嘘が積み重なり、それがガンを引き起こしたのだと気付いた時、きょうこちゃんに奇跡が起こりました。危篤状態から劇的な復活を遂げ、いつの間にかガンが消えて無くなっていたのです。

まさかの退院

今きょうこちゃんは、「ガンという病気をもらったことで、やっと自分の心にメスを入れることができた」と言います。

「何度も死にそうになりましたが、ファミリーみんなの応援もあり、今こうして生かされています。健全な心で生きることが、健全な世界を創ることを思いながら、日々を過ごしています。」

*きょうこちゃんの物語を、木の花劇団がお芝居にして紹介しています。芝居後には実際の闘病中の映像も流れます。どうぞご覧ください。
木の花劇団「いただきます物語2019」

そんなきょうこちゃんが、酵素液を仕込むための野草を摘みに、長野県大町市にある「木の花ファミリー大町ビレッジ」へ出かけました。以下、きょうこちゃんの日記をご紹介します!

木の花ファミリー大町ビレッジは、長野県の木崎湖畔にあります

大町ビレッジでの1日

早朝4時30分、日の出前に大町ビレッジメンバーと一緒にヨモギを摘みに出発。まだ朝露に濡れたヨモギがキラキラ光っています。

野草摘みは日の出前から始まります

お日様が出て光合成を始める前の、エネルギーをたっぷり蓄え生命力に満ちたヨモギを黒糖で漬け込み「天恵緑汁(てんけいりょくじゅう)」を作ります。

とてもエネルギーが高い大町の野草
天恵緑汁

「天恵緑汁」とは、植物や動物を健康に育てるための農業資材で、ヨモギと黒糖と天然微生物によって抽出される黒褐色の液体で、有用な菌が生きている植物活性剤(酵素液)です。土着微生物の採取方法のひとつでもあります。

これを野菜の苗を育てるときや畑の野菜に薄めて葉面散布します。ヨモギは薬効成分も高く、お灸のモグサの原料にもなっています。一面に生えている生命力のあるこのヨモギのエネルギーをいただく。まさに天の恵みの汁ですね。

こんなにたくさんのヨモギが採れました〜!

また、日中はたくさんの野草を採取し、野草酵素も仕込みました。
今年は44種類もの野草を採ることが出来ました。大町は野草の宝庫で、見渡す限りの野草!本当に宝物だらけ。






でも畑だと「雑草」とされているものもたくさんあります。

畑の作物という視点だけから見ると邪魔ものになってしまいますが、視点を変えると「宝物」なんです。

車で走っていても、歩いていても、あれも、これもと道端の草が今までと違った見え方をするのには自分でもびっくりです。

酵素作りの良いところは、捨てるものが一つもないこと。普通捨ててしまう皮や種も全部丸ごと漬け込みます。じつは皮こそ酵素がたくさん含まれているのです。

収穫した野草をまるごと刻んで ー
次々と桶に仕込んでいきます

そして普通は食事として食べないような、ビワの葉や桑の葉、その他たくさんの植物の酵素が、こうして酵素ジュースにすることにより摂取できるようになるというのは素晴らしいことだと改めて思います。

作業の合間にみんなでひと休み

こうして自然からの贈り物を採取し、砂糖に漬け込んで、毎日手でかき混ぜ、もともと植物がもっている酵素を抽出します。発酵が進むにつれ、色も香りも変化していき、酵素液が生きているのを感じます。
微生物たちはとても小さく微細な存在。だからこそ、それに接する自分は、いつも良い波動を持つ者であるように心掛けています。

全ての命は、他の命によって支えられ、生かされている。
この野草摘みに来ると、そのことを強く思い起こさせてくれます。

ガンで一度は死んだかもしれないのに、生かされている今。
酵素作りという役割をいただいて、まだまだ手探りであり、もっと進化させていく途上ではありますが、人も野菜も元気になるような酵素を作っていきますよ!!

(きょうこ)

自然の宝物に囲まれて

 



次回のメンバー日記は、ファミリー最年長のみんなのアイドル、えいこばあちゃんです。
きょうこちゃん曰く、「こんな年のとり方をしたいな」。


 

 

7月1日(水)より

ロータスランドのカフェ(店内飲食)部門を

営業再開します

蓮の花(ロータス)もいよいよ咲き始めました

お待たせしました!
新型コロナウィルスの影響等により、しばらくの間お休みを頂いておりましたロータスランドのカフェ部門を、7月1日よりいよいよ営業再開いたします。

再開に伴い、営業形態が以下の通り三部制となります(^v^)

🔹 モーニングタイム 8:00〜10:30(ラストオーダー)

🔹 ランチタイム 11:00〜14:00(ラストオーダー)

🔹 カフェタイム 14:00〜17:00(ラストオーダー)

従来は、11時以降は同じメニューをご用意しておりましたが、その時々の旬の食材を、より良いかたちで皆さんに楽しんでいただきたい!ということで、モーニングタイムにはモーニングメニュー、ランチタイムにはランチメニュー、カフェタイムにはカフェメニューと、それぞれ独自のメニューをご用意することとなりました。そして、試作に試作を重ねた新メニューも登場しますよ〜〜✨✨ どうぞお楽しみに!

きょうこちゃんが仕込んだ酵素は、ジュース、スカッシュ、豆乳ドリンクの3つの味でお楽しみいただけます
大好評の酵素シロップも引き続き販売します♪

📍 カフェ部門再開につき、7月1日以降はお弁当の販売はお休みとさせていただきます🙇‍♂️

📍 営業時間が従来の19時閉店から18時閉店へ変更となりますので、ご注意ください。

📍 定休日は毎週月曜日のままで変更はありません。

 

皆さまのお越しをお待ちしております

 

 


「必死」とは「必ず死ぬ」と書く ~ きょうこちゃんの「どこまでもいただきます」物語

去年の4月、子宮頸がんであることがわかったきょうこちゃん。その後がんが進行し、今年の10月26日、大量出血のため市立病院へ急遽入院することになりました。きょうこちゃんのパートナーのこうちゃんは、きょうこちゃんが入院中、病室で寝泊りしながらずっときょうこちゃんに付き添っていました。生死の境を何度もさまよいながら、入院してから48日後の12月12日、きょうこちゃんは市立病院を退院し、今後は沼津のがんセンターでの治療を視野に入れて体力の回復を図っています。以下は、きょうこちゃんの入院中、お見舞いに行ったときのいさどんとの会話をようこがまとめた「きょうこちゃん物語」です。

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10月26日。あっちゃんから連絡があり、お昼にいさどん、まりちゃん、ちなっぴと一緒に重篤状態のきょうこちゃんのところへ向かった。処置室にいたきょうこちゃんは「やりきっていないことがたくさんある」と言って涙を浮かべていた。でもいさどんに「あなたは正直なところ、自分でどう思うのか?」と聞かれたきょうこちゃんは「まだ死ぬ気はしない」と答え、いさどんは「そうだろう?それはあかんわ」と言った。また、きょうこちゃんは、「わたしの生き様を観て、皆のお手本になったらいいね。そういう役割をしていくね」とも言っていた。

その翌日の10月27日。いさどんとわたしは再びきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは、「わたしとしては、生きる方向に心を向けていくだけだなと思っている」と言い、いさどんは「それはそうだ。それにしても、わざわざ波が高いほうを選んだ」と伝えると、きょうこちゃんは「大分高いほうを選んだね。今は過去がどうだったかというよりも、ここまでいただいてきた道だから、ここから先をどう生きていくかだと思っている」と答えた。それに対しいさどんは、「あなたがいないところでいろいろ考えると、あまり希望が湧いてこないのだけど、あなたを観ると希望が湧く。本人が一番元気だ」と伝えた。また、「わたしたちは時代人です」の最新版メッセージを途中まで読んでいたきょうこちゃんは、「時代人・時代主義なんて、新しい言葉だね。これは世界初の言葉かもしれないね。今、わたしはこんなに狭い部屋にいるけど、そういう心で時代と共にあるのだと思っている」と言っていた。

その後、面会に来ていたきょうこちゃんの両親にいさどんは涙を流しながら次のように話した。
「彼女のことを思うと、前向きに考えられないのですが、そうかといって人に前向きに生きるように伝えてきた立場として、どのように言葉をかけたらいいのかと思うのです。意外と本人のほうが一番元気ですよ。まだ早いでしょう?と本人も言うのです。昨日、きよちゃん(きょうこちゃんの娘)と話したのですが、あの子はここのような環境で育ったこともあって、しっかりしている子です。『わたしはきょうこちゃんのことを思って、別に毎日泣いているわけではないけど、そういうことがあるかなと思うと、時々泣くこともある。でも小さい頃からね、生きるのは死ぬためにあるんじゃないのと思っていた。だから、死ぬことは嫌だけど、人はいつか死ぬことを知っているよ』と言うのです。『僕はきよが元気がなかったらいけないと思って、きよがどのように考えているのかなと思って呼んだんだよ』と伝えると、『大丈夫だよ』と言うのです。そのようにきよは育ったのだと思いました。きょうこちゃんには、『これから世界に向けてのプロジェクトがたくさんあるのだから、あなたもそれを一緒にやっていく仲間だよ。未来の答えはわからないのだから、精一杯やっていこう』と伝えました。まだ、触るとあたたかいですからね。未来はまだあるわけです。結論は出さずに付き合っていこうと思っています。木の花には外で緩和ケアの所長をしている看護師もいて、『やっぱり病院にいるのは変だと思う』という話をするものですから、今きょうこちゃんにも『もしあなたが望むのなら、木の花に戻って皆の顔を見ながら過ごすこともできるよ』と伝えたのですが、『それは先に考えるかもしれないけど、今はわたしはまだ先があることを考えているから』と言うのです。それで僕も、『そっちのほうがいいね』と伝えました。だから、本人が一番元気なのです。僕も、人を元気にさせるのが自分の役割なのに、ついつい望まないことを思ってしまうのです。」

いさどんの話を聞いていたきょうこちゃんのご両親は、「本人は意外と元気なもので、我々も安心しました。今日はひとまずこれで帰ろうと思っています」と話されていた。

そして10月30日の夕方。明日きょうこちゃんは沼津のがんセンターに移動になるかもしれないということで、いさどん・みかちゃん・ちなっぴと一緒にきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは「いつも眠りから目覚めると、『まだ生きている』と思う。いつも死と隣り合わせなんだよね。いつもこういう気持ちで生きていられたらといいと思う」と言い、いさどんは「それを必死と言うんだよ。必死は必ず死ぬと書く」と伝えた。それに対しきょうこちゃんは「いさどんがインドへ行ったときのことを思い出しちゃった。いさどんがインドへ行く前に逆流性食道炎と胃潰瘍、十二指腸潰瘍になって、人生で初めてのステロイドも服薬したら結構顔もはれちゃって、でも『負けへんで!』という気概というか、いさどんの気合を思い出した。あれは気迫があったね。あの気迫をもって生きていくことだよね」と言った。

それからきょうこちゃんは、「この前は皆にも引き戻してもらったし、いさどんにも会いたいなと思っていたら、夢で会えた」と話し、いさどんは「この世界では愛が大事で、情が絡むと毒になる。しかし、旅立つ人を引き戻すには情が引き戻す。その執着が引き戻すんだよ。愛ではだめなんだよ。愛ではそのままを受け入れてしまうからね。だから、情が引き戻す。情が深い人ほど、引き戻す」と言い、わたしが「いさどんは情が深いからね(笑)」と言うと、いさどんは「愛と情を使い分けないといけないんだよ」と言い、みかちゃんは「すごいね!愛と愛情を使い分ける!」と言っていた。

きょうこちゃんはまた、「こんなにスリルにあふれる毎日を送れるなんて。昨日はさくやがつねちゃんたちと一緒に来てくれて、その後れいかから電話があって、それからせいたろうからも電話がかかってきてね。木の花で育った子どもたちはいい子たちだなと思った。家庭教師時代があったな、なつかしいなと思って、せいたろう物語があったなあと。それこそ、皆の力だね。」と言っていた。

その後、「花よ天まで」をみかちゃんが歌い、それを聞いたきょうこちゃんは「皆で桃源郷を創ろう!本当に役に立つ者に生まれ変わって生きる!今、歌を聞いていたら、皆で本当に桃源郷を創るんだ、と思って・・・生きるぞと思っても、わたしもどうなるのかなと思って、気持ちがつい弱気になったりもするけれど、皆と一緒にやるぞ。そうだ!」と泣きながら言い、わたしたちが来たときは顔色が黄色く、熱があったきょうこちゃんの顔色が変わってきて、熱も下がったようだった。そして、皆で笑いながらばか話をしているのを聞いていたきょうこちゃんは、「いつも笑いがあっていいねえ」と言っていた。

翌日の10月31日の朝、3年前にいさどんが夢の中で天に問われて、それに対して答えた文章のことを久しぶりに思い出した。「少しでも光のほうへ」という文章をきょうこちゃんと一緒に読みたいという想いが湧き、プリントアウトして持っていって、いさどん・きょうこちゃん・こうちゃんの前で読み上げた。

――

「闇からの卒業にあたって」

卒業式にあたって、自分の歩む道の方向性をつけるのに、どのような心構えをしたらいいでしょうか、という質問があったので答えます。まず、自分が歩む方向についてですが、自分が思う方向に進めばいいと思います。もし、思う方向が定まらなければ、自分に近い人が教えてくれる方向に進めばいいと思います。その自分が進む方向が決まったら、今度は、それがより健全で正しい道を選ぶことです。この世界にある物事はすべて、必ず善と悪に仕分けることができます。それを比べたときに、必ず片一方が少し劣っており、もう一方が少し優れているというように仕分けられます。それがあまりにも同じようでわからないときには、それを細かく捉えていって観れば、必ずそこでは優劣があるものです。そうしたら、ほんの少しでもいいから優れている方向へ進めばいいわけです。そして、選んでいった結果、最後に残ったところ、それが自分の進むべき道です。

これは「闇からの卒業」であり、「愚かからの卒業」であり、「神様へ進む道」です。

次に、この道を歩む縁をもらったものは、その道には道にふさわしい色々な困難があるものです。そして、それを歩む人には人にふさわしい迷いがあるものですが、この道を歩むものはまず、この道に縁があったことを歓びとして感じていくことが大切です。善いとか悪いとか、そういう判断をするのではなく、この道を歩めることを最大の歓びにすれば、どんなことがあっても、この道を歩むことから外れることはありません。そして、その選び方は、消去法でほんの少しでも光のほうへ、ほんの少しでも善意のほうへ、ほんの少しでも愛のほうへ、ほんの少しでも調和のほうへ、ほんの少しの違いがあってもより尊きほうへ道を歩めば、必ずその道は最後には人の行くべき最終到達地点につながっていることでしょう。

道は、人の目には観えないものですが、心の眼があるものには、その眼が愚かしいを避けて、正しいほうへ導いてくれるでしょう。心の眼を開けるためには、自らの内側にある本当の想いが天のほうへ眼を向けて、天のほうへ向かっていく。まっすぐに向かっていく道を意識したときに、眼はより良く観えるようになります。誰の中にもあるその眼は、全く揺るがないものであるのです。その眼が自らの中にあることを信じ、歩んでいけば、迷うことは全くなくなるのです。そして、過去に自らが迷ったことを思い出して、その迷いの愚かしさ、辛さを思えば、なおさらその真理への道を歩むエネルギーと追い風になってくれるはずです。

迷っているときは、あなたの我が自らをたったひとりにして、まわりのものから遠ざけてしまうものですが、真理への道は必ずまわりのものをしっかりと見出し、助け合い、調和し、歩むように眼を開いてくれます。それは、楽しく希望ある豊かなものになるでしょう。

――

この文章を聞いたきょうこちゃんは以下のように語った。

ようこちゃんたちが来るちょっと前に夢を見ていてね。そうしたらお釈迦様の手が上から現れてね。『さあ、立ちなさい』と言って、立たせてくれたの。顔は見えないのよ。『おまえはな、肉の眼は見えるかもしれないが、心の眼は盲目であったな』と言われて、『心の眼が見えるにはどうしたらいいのですか?』と聞いたときに眼が覚めたんだけど、すごいね。この話がすぐに出てくるとはね。ついさっきだよ。

昨日の(フェイスタイムで聞いていた)子どもミーティングでのいさどんの話もすごく良かったよ。うそつきは病気になるんだよって。わたしはうそつきだったな。本当にそうだったなって思うと、楽なんだよね。改めて楽になってさ。それにしても、ようこちゃんの文章はすごいタイミングだね。びっくりしちゃった。『どうしたらいいのですか?』と聞いて夢が終わっちゃったから、『ああ、続きが見たいなあ。もう一回見られないかなあ』と思っていた。それが現実となってすごいね。

そして、いさどんは次のように語った。

「僕の正直な気持ちは、早く行きたい。早く行きたいけど、率先して行くものでもない。物事の本質やことの成り行きがわかってしまうと、繰り返しの出来事に出会って毎日が退屈なんだよ。からくりがわかってしまうとね。やることがあればいなければいけないと思うけれど、生きることに囚われることはない。それこそ、長生きすることが良いことのように思われてきたけれど、世の中のものたちがそういうことをわかってしまえば、長生きすることだけが大切ということはなくなる。逆に、それならこの世界がむなしいわけではないから、別に長生きしてもいいわけだ。要はどちらでもいいんだよ。今は世の中がわずらわしいから、その矛盾のところと付き合っていることから早く離れたいと思う心もあり、そんなに早く行ってはいけないと思う心もあって、結局どうでもいいことになる。」

そこできょうこちゃんは「皆はわたしを見て、早く気が付いてほしい」と言い、いさどんは「そういう意味ではあなたがその学びを皆にもたらしてくれた。こんなことがなくても、皆が目覚めればいいのだけど、それは役割というものでもあるのかもしれない。でも、そこで気合が入りすぎてはいけない。気合が入りすぎると力が入りすぎるから、それはまた間違う。揺るぎのない自覚を持っていくだけだ」と伝えて、わたしたちは病院を後にした。

翌日の11月2日。白光のニコルやカタリナたちが来ていて昼にコンサートがあった。コンサートが終わり、ニコルたちと湧泉閣で話していたとき、いさどんから「今、僕たちは銀河のテーブルを真ん中に置いて、そこを囲んで銀河を眺めながら話をしているようだね。宇宙を旅する乗り物は「ユニバス」だ(チーン♪ みんな笑)!皆でいつか宇宙会議をしましょう」という話が出た。そこでジェニーが「そこには白光の五井先生や孟子たちもいるね」と言い、いさどんは「そうなのです!そのときにはトキを刻んでいる時代の枠を取り払いますから、トキを超えて高い魂が集まることになるのです」という話をしていた。

翌日の11月3日。朝、こうちゃんから電話があり、きょうこちゃんが結構出血しているということを聞き、いさどん、まりちゃん、みかちゃん、ちなっぴ、ともちゃん、ひとみちゃん、まりねえ、あさちゃん、きよ、すまと一緒に病院へ向かった。こうちゃんから電話があったとき、後ろできょうこちゃんが「ああ、ああ」とうめいている声が聞こえ、「まるでお産のようだ」とわたしが思っていたら、きょうこちゃんも、「出血すると、本当にお産のときのように子宮がぐわっと開いた感じになってね、思わず声を出しちゃうのよ。声を出すと楽なのよ」と言い、こうちゃんは「ああ、と言うんだよ。カタカムナでアは高次の響きだよね。人は苦しいときに、ああ、なんだと思ってすごいなあと思った。だいたい出血があると寒気と痛みが来るのだけど、その痛みはお産の痛みを10とすると6~7ぐらいなんだって」と言っていた。

それからきょうこちゃんは、「10月26日、29日、今日とあれから3回も大量出血をして、『もう1回大量出血したら』って言われていたけれど、まだ生きている。びっくりしたあ!もう3回だよ(笑)そのたびに覚悟はするけど、こうして生かしてもらっている」と言い、いさどんは「じゃあ、何回行けるか挑戦してみよう!どっちにいてもホームレスにはならへんぞ。居場所がある。今、ホームレスは病室のソファがベッド代わりのこうちゃんだと思ってさ(笑)」と言って、皆が笑った。

 病室にはいつも笑いがあった
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その後みかちゃんとちなっぴが「太陽の導き」を歌い、いさどんはこう語った。

「昨日ジュラシックワールドという映画を皆で観たけれど、DNAというのは何を刻んでいるのかというと、過去の経験を刻んでいる。経験の情報がすべて図書館のようにして刻まれている。
我々は大きな世界の中の小さなものだけど、大きなものは小さなものによって成り立っていて、小さなものは大きなものを支えている。小さなものにはここからここまでという枠があって、ロックがかかっている。そのロックをはずすと、実は宇宙の物質は消えることはないことが観えてくる。はじまりから今まで消えることなく、ただ変化しながらそのサイクルを経験しているだけだ。そのサイクルの経験をDNAがすべて記憶している。そうすると、ロックをはずしてやれば、我々の中にある物質的DNAと霊的DNAは解放される。自らの枠を超えて、自分自身のルーツでも巨大な宇宙原理でも、自らの中から湧き出てくるようになる。
だから、『太陽の導き』の歌の中に出てくる『あなたという小宇宙がもっと大きな大宇宙の中で』というのは、これはまったくの真理だ。自分という自我のロックをはずしてやれば、大きなところへ行って自分が消えたように観えてもいいんだよ。そして自分にそれが返ってきて、自分の小さな枠の中に戻してやれば、また元の自分がそこにいる。だから、自由自在だということ。微細な宇宙も巨大な宇宙も、実は探究は同じで、それは大きく拡大するか小さく拡大するかというだけのこと。タガがはずれると、そのような発想が湧いてきて、それが真実になっていく。
だから、我々は現象界で生死に縛られているようで、死ぬことを恐れたりするけれど、行ったり来たりしているだけなのだ。タガがはずれればどうってことはない。昨日もニコルたちと三次元の話をしていたけれど、心は異次元だった。そして、トキを超越していた。」

きょうこちゃんは「やっぱり皆と話すと、世界が大きくなって、宇宙にまで意識が飛ぶね。生きているとか死んでいるとか、そこにこだわる必要もないし、だけど希望を失わないということなんだけどさ。そういうところにこだわる必要はない。いつも皆と一緒なんだと思っている」と言い、いさどんは「それはお互いさまだよ。電話が来るとそれはいかんわと思うけれど、こうやって話していれば、やはりロックをはずすべきだと思う」と伝えた。

最後に、きょうこちゃんが放射線治療の二択についてどうしたらいいか、いさどんに尋ねると、いさどんは、「どっちでもいいんだよ。だいたい変だと思ったのは、これがいいと思っている医者の案があるのに、二つも選択肢を提示すること自体間違っている。それでこちらが伝えたことに対してクレームをつけるくらいなら、最初から一つだけを言えばいい。さっきの話をまとめていくと、何でもいいんだよ。行ったところが道だから。とても複雑そうに観えても、実は当たり前にこっちだな、こっちだなと進んでいくだけのこと。最初からその道だけを言われると強制されて難しそうに感じるけれど、今を観て、こっちだな、こっちだなと進んでいけば、どんなに不可思議な道でもちゃんと行けるものだ」と言い、きょうこちゃんは「昨日の判断状況と今朝の判断する状況が違うからね」と言うと、いさどんは「そういう意味でいったら、『まだ自分で選ぶか?』ということだ。」と言った。
こうちゃんも、「僕もそう思った。結局選んだものの反対、反対の現象がずっと来る。だから、選ぶこと自体がいただいていないと思って、もうやめようと思った」と言い、きょうこちゃんが「ここまで来ても、常にいただく心がやりきれてないね。まだ自分の我が勝っている」と言うと、いさどんは「選択肢がないのなら、もしくは選択肢を捨てなさいというプログラムなら、最初から選択肢なんか与えなければいいのに、と天に言うと、天は『そういうものはあそこにおるぞ。植物や動物は選択肢がない状態でおるぞ』と言われる。だから、天は人間だけに選択肢を与えたんだよ。なぜなら、その意志を共有したいからだ」と言った。それできょうこちゃんは「どこまでもいただく精神だね」と言い、わたしたちは病院を後にした。

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11月6日の朝9時過ぎ。3日ぶりにいさどん、みかちゃんと一緒にきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは「いさどんが『人が変わると景色が変わってきた。きょうこちゃんからみほさんに担当が変わって、倉庫まわりが整理されてきた』と言っていた話をこうちゃんから聞いて、いろいろと振り返ることがある」と言うと、いさどんは「先にそういったことをすべて振り返って整理しておくと、もし向こうに行ってもやることがないから、来なくてもいいよ、ということになる(みんな、笑)。だいたい、ほとんどの人々はそういったことに気が付かずに向こうへ行って、向こうで振り返ることになるのだから。だから、生きている間に本当は振り返らないといけない」と言い、わたしは「それが心磨きだよね」と言った。
それからきょうこちゃんは、「昨日の夢にみかちゃんが出てきて、振り返りが足りないよねって言われたんだ。自分が過去にしてきたいろいろなことの映像が浮かんできたり、中神倉庫で作業をしている夢を見たりね。久しぶりに中神で作業をしちゃった。こうやって生きているうちにいろいろと振り返らないといけない。入院してからのこともそうだし、これ以前のこともそうだし、親に対しても生意気だったなって」と言い、いさどんが「それだけ振り返って復活したら、使い物になるぞ!僕はそれを楽しみにしている」と言うと、きょうこちゃんは「これだけのことがあったら多少使い物にならないとねえ」と言い、皆で笑った。それからいさどんは「今、世の中は面白くなってきたぞ!」と言い、それから30分くらい話をして病院を後にした。

しかしその後、午後2時前にこうちゃんから電話がかかってきて、きょうこちゃんの意識が遠のいているということを聞き、いさどんとわたしは再度病院へ向かった。わたしたちが到着したときはまだ意識が遠いところにいたきょうこちゃんだったが、意識が戻ってきたときに「皆、ありがとうね」と言い、「意識がある・・・ああ、自分はまだ生きているんだって。今度こそ行っちゃうのかなって・・・皆に出会えたことに、この生き方に出会えたことがありがたい。後悔は何もないし、ありがたいなあという想いだけ。皆に出会えて良かった。いろんなことに出会ってきたけれど、全部感謝だな。いろんな人に出会ってきたけれど、感謝だな。ありがたい」と言い、いさどんは「そういう気持ちになれるのが目標だからね。生きているということは、なんでもありがたい。不満を言っているうちは、まだ本当がわかっていない。また来てほしかったら、また緊急の状態になればすぐ来るから(笑)」と言い、皆で笑った。

翌日の11月7日。いさどんと楽団の皆と一緒にきょうこちゃんのところへ行った。午前中に輸血を行い、午後には初めての放射線治療を受けたきょうこちゃんは昨日とは打って変わり、生命力にあふれていた。いさどんは開口一番、「また会えたね。昨日は緊急事態にならないと来ないぞと言ったのに、今日は運転手として雇われてきた。日当なしで来たぞ(笑)」と言い、皆で笑った。みちよんが昨晩大人会議の冒頭に皆で輪になってカタカムナの63首を歌ったことを伝えると、きょうこちゃんは「いつもは結構しんどいのだけど、今日は珍しく一日落ち着いていた。夕方ゆみちゃんが来て、みかちゃんのメールを読んでくれてね。自分の中に奇跡を起こす力があることを信じることだね」と言った。

みかちゃんのメールには、昨晩のいさどんの言葉が書かれていた。「きょうこちゃんを復活させるのに奇跡があるとしたら、それは医者が『なぜ復活したのかわかりません』という奇跡だ。しかし、今の流れだと医者の力なんだよ。それは奇跡とは言わない。あれは医者が話している可能性と医者が話している奇跡の話だ。奇跡を見せないと、人間はその奇跡の方へ、天の方へ心を向けない。でも、今までそれをやってきたから間違いも起きた。昔はそういう奇跡があって、それを信じたものたちが天をあがめて、信者と化した。結局、根本的に人間の心を変えたわけではない。その見苦しい亡者の姿が再発して今ピークを迎えている。」そこでわたしは「その奇跡こそがカタカムナの現象化だものね。でも、それは奇跡というか道理であり、いのちの仕組みだから」と言い、いさどんは「それが神秘として隠されているんだよ。それをその通りだと思えば通っていくのだが、その通りを悪くしている思考回路がある」と言った。

そこからいさどんはチャイナブルーという中国のある社長のドキュメンタリーの話やフランスの人口学者の話、アメリカ大統領選、フィリピンのドゥテルテ大統領の話、パククネ大統領の話、福島原発の話など多岐に渡る話をして、「もう、世の中のどこを観ても世紀末だ。今、新たな世紀が始まり、新たな価値観が湧いてきている。人口学者のエマニュエル・トッドさんは現状を分析し近未来を予測して『価値観の大転換が必要です』と言っているが、どうしたら価値観が大転換できるのか、その回答はない。今までは分析する人はいなかったけれど、今、分析する人は現れるようになった。しかし、実際にどうしたらいいのだろう?というと、その回答はここにしかないんだよ。この間の『時代人』の話がその答えだ。(そしてきょうこちゃんに向かって)死んでいる場合じゃないぞ!(みんな、笑)」と言い、きょうこちゃんは「本当だねえ(笑)。復活しないとねえ。いろいろな意味で本当にここには回答がある。ここにしかない」と言った。さらにいさどんは、「死んでいる場合じゃないぞ!」と言い、きょうこちゃんは「本当に死ぬかと思ったわ(笑)」と言うと、いさどんは「昨日はだいぶ呪いの呪文を唱えたよ(笑)。行かせん、行かせん、おまえのいいようには行かせん♪」と言い、皆で笑った。
最後にいさどんが「今は世の中が混乱の極みだ。だから、死んでいる場合じゃないぞ!安定している時代ならば、まあ別にそう大して変わらないから、さよなら~って行ってもいいけど、これぐらい激動だったらちょっと眺めていたほうが面白いぞ」と言うと、きょうこちゃんは、「これからますます世の中が面白くなっていくね!今日は激動の世界を駆け巡ったわ。また元気になった!」と言い、わたしたちは病院を後にした。

その2日後の11月9日。夜中に大量出血があったということで、いさどん、みかちゃん、ちなっぴと一緒に午前中、病院へ向かった。実は昨日、「久しぶりに木の花ファミリーブログとして掲載されているきょうこちゃんの心のシェアを読んでみたい」と閃き、今日そのブログを2つプリントアウトして持っていった。そこには、「すべては善への旅である」も引用されていた。

病院へ着くと、いさどんは「今から勉強会をやるからね」と言い、まず、きょうこちゃんブログを読み上げた。その後いさどんは「短くても長くても充実していることが大事だ。あなたの人生は充実はしていたね」と言い、きょうこちゃんは「良い人生だったよ」と言うと、いさどんは「過去形にするな(笑)」と言って皆で笑った。きょうこちゃんは「今、わたしは医療の技術によって生かされているけれど、最終の最終地点では結局わたしの信じる力がすべてを左右するということを感じている。そこのみ」と言い、いさどんは「結論は出して出せないものだから。最終的には自らの寿命と出会うということと、その答えはいただくものだということ。それをいただく心になったときに、ふさわしく善意で物事が与えられていたことに気付く。企めば企むほど、裏が来るからね(笑)。想いは勝手にいくらでもまわるから」と言い、きょうこちゃんは「たとえいのちが短く終わっちゃったとしても、それでも善意だなと思う」と言った。

みかちゃんは「この前ね、ハワイのネイティブの人のマナカードを引いてみたの。とかく人間は白か黒かをはっきりさせたいものだけど、グレーというのが大切で、先を決めないで常に瞬間瞬間の白でもなく黒でもないところを感じていき、瞬間の波に乗っていくことの大切さというカードだったの。それはいつもいさどんが言っていることだと思った」と言うと、いさどんは「その立ち位置に立つからこそ、いただくことができる」と言い、わたしは「今回、奇跡って何だろう?と思ったときに、『奇跡』はその人の『軌跡』・その人の歩いた跡だから、奇跡をその人にとっての最高の境地だとするならば、奇跡とはそこに至るまでのその人の歩みにしかすぎないんだよね」と言い、いさどんは「それはDNAだからね。DNAは体験したことが記憶してある情報にしかすぎない。だから、自分がぶれなくてもいいんだよ。自分を観て、ぶれていたら、揺れている自分がいるなと思うだけだ。そしてそこをどうしていくかという歩みが一つの生きるエネルギー源になっていく。そのままでいいなら、皆あっさりと向こうに行っているはず。そこにもだえ、苦しみ、抵抗し、そこで何かを掴んで人は成長していく。世の中にはもだえ、苦しみ、抵抗しただけで終わり、学びが一切なく、転げ落ちていく者もいるから、いろいろだ。今日はもうひとつプロジェクトがあるけど、大丈夫か?」と言い、昨晩出発(たびだち)プロジェクトチームが仕上げた出発アンケートをきょうこちゃんにシェアした。

いさどんは、「我々がこの道を生きることにおいて、極めて重要なことの掘り起こしやそれを考えるきっかけをつくっているのは、あなただ。これも、あなたのような往生際の悪い者だからこそ、そうなれた。見本みたいな人がそうなったって、『あれは当たり前だよね』という話になるだけだ。それを超えるとき、人は見本になれる。それで、あなたもメンバーなのだから、こうやって語り合えるうちに出発アンケートを共有しておこうと思っているわけだ。まだ過去形にはなっていない(みんな、笑)。
こういったものがすべて共有できるようになると、奇跡の下地はできる。さっきのグレーの話ではないけれど、結論は出さなくてもいただく精神によって、我々が出したがる右か左というものではないものが出てくる可能性がそこにある。そこは無所有の境地。そこは何かの枠を取っ払って、死生観でいう生死を越えたところで観ないといけない。どこにも恐ろしいと思うことなしに、ただ現状を情報として観て、淡々とその流れに沿っていく」と言うと、きょうこちゃんは「つい結果を想像していろいろ考えちゃうけど、まっさらに、ただただいただくということを今は学ばせてもらっているなとすごく思う」と言った。
こうちゃんは「覚悟がないと、奇跡を起こそうという今までと同じ欲の延長になっちゃう。でも覚悟があって、いつでもいただきますという精神に至って初めて、奇跡を起こす側の立場になるのかなと昨日から思っていた。自分はどうかな?と思いながら」と言い、いさどんは「自分の想いを行動に移してみると、すべてつぶされていくでしょ(笑)。それでもう一回振り返ってみると、想っても仕方がなかったことがわかる」と言うと、こうちゃんは「輸血のことでも、輸血は1回だけだと言われて、僕としたら当然前回と同量くらい輸血するのだと思っていたら、前回の3分の1の500ccだけで、そこでひとつ外れたなと思ってさ。そうすると、自分の中に『あと1リットルくらい輸血してくれるだろうな』とか『なんでそんな話になったのだろうか』という想いが湧く。それで今日の夜中に500cc以上出血したものだから、どんどん手放していけということだと思った。自分では手放しているつもりでも、想いは湧いてくる。だから、一つ一つ現象が教えてくれている」と言い、わたしは「きょうこちゃんの魂が、きょうこちゃんが言葉では一時『すべてがありがたい』と言っても、『本当にあなたはすべてをありがたいと思っているのですか?』と問うてくれたのだと思った。だから昨日、『何かが違う』と伝えてきた。単に輸血して放射線治療を受けて、物理的に一時安定してそれでよかった、という浅いところではなく、魂の価値のことを教えてくれていた。ありがたいにしても、どんどん深みが増していく」と言った。
きょうこちゃんは「さらに自分の想いを本当になしにしていくというかね。いただいているつもりでも、まだいただいていなかったり、そういうことを日々学んでいると思う」と言い、こうちゃんは「本当に不思議だよな。だからといって、考えなくていいというわけではない」と言うと、いさどんは「それが生きているということだ。だから、生きているということは、あるものとコミュニケーションをとっているということ。この世界にはあるものというものがあるんだよ。秩序として、厳然たる不動のものがね」と言った。

さらにこうちゃんは「数日前から思っていたのは、どこまで行っても深くなる一方だから、どこまで行ったらということはとりあえず肉体を持っている限り、ない。感謝でもいただくでも、どんどん奥がある」と言うと、いさどんは「ということだ!わかったか(笑)。結論は何もわからん」と言い、わたしが「それがこの世界の実体だものね。人間にわかっちゃいけないんだよ」と言うと、こうちゃんは「生まれたときから死ぬときまでぜんぜんわからないことの連続だから」と言い、わたしが「生きているということはわからないことがわかるということ」と言うと、いさどんは「わかるを自分の側に置こうとするからいかんのだ。やはりいただいていく精神だ」と言った。
こうちゃんは「深いね。だって、探求してわかろうと思う想いがなかったら、ここには至らないしさ、けど・・・」と言うと、いさどんは「わかろうと思って、わかったら違うんだよ」と言い、もう言葉では表現できず、どうでもよくなる、という結論に至った。きょうこちゃんも「深いね!」と言い、いさどんは「生きていても死んでいてもいいんだよ。この間ここへ来たときは『死んでいる場合じゃないぞ!』と言ったけど、そんなことはどうでもいいんだよ」と言い、こうちゃんは「もしかしたら次の計画を先に練りだしているかもしれないし(笑)」と言い、いさどんは「『おまえ、こっちで手が足らんから早く来い!』と言われているかもしれない(笑)。それで行ってみたら、なんてことはない、こっちよりももっと親しい人たちがいたりしてな。『あっちに囚われている場合じゃなかった!これがわかっていたら早く来たかった!』ということになるかもしれない」と言い、皆で笑った。

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最後にこうちゃんは「なかなか病院で笑っている人たちはいないよ(笑)」と言い、きょうこちゃんは「ほんと、ほんと!死ぬかもわからないけれど、面白い人生をもらっているなと思ってね。だって、この間せっかく血が入ったのに、もう全部出ちゃったもの!」と言うと、みかちゃんが「木花咲耶姫様のモットーは潔く生きて潔く散るということだからね」と言い、いさどんは「その散り際の美しさが木花咲耶姫の個性だ」と言い、皆で病室の窓から雪の王冠をかぶった美しい富士山を見た。きょうこちゃんは「一言では言えないけれど、良い時間だった!どこまで覚悟ができているかはわからないけれど、もう何度もそういう場面が来ているから、ある意味覚悟はできているなと思う。そこまで腹をくくっちゃうと、面白いな。ありがたいとかいただくことの深みを日々学ばせてもらっているな」と言い、いさどんは「ありがたいも深みがあるんだよ。『いただきます』だから、いただき(頂き)・・・頂上まである」と言うと、みかちゃんは「頂き増す!どこまで行っても頂きが増していくんだよ」と言い、こうちゃんは「登山に終わりはないってことだ」と言い、皆で拍手して病院を後にした♪

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その翌日の11月10日。朝、きょうこちゃんが大量出血し、意識が遠のきそうだという連絡がこうちゃんから入り、いさどん、みかちゃん、まりちゃん、ちなっぴ、ともちゃん、きよ、すまと一緒に病院へ向かった。病院へ到着すると、きょうこちゃんは「いろいろあるねえ」と言い、いさどんは「それにしても、もうこれ以上血液が減ってはいけないと言われているのにさ」と言うと、こうちゃんは「落ち着いているでしょ(みんな、笑)。今までになくすごく穏やか。血色も良いし(笑)」と言い、わたしは「血液がなくても生きていける境地になった。新種が木の花に現れた(笑)」と言うと、いさどんは「マイナスだったりしてな(笑)」と言い、皆で笑った。

きょうこちゃんは「夢の中であうんの会があってね。今、やじーが毎日そばを打ってくれるのだけど、『このそばは命を蘇らせる本当のそばですよ』って皆で泣きながら食べているの・・・今、わたしは生きているなって。元気になったんだって・・・そう思いきや、朝になったらドバーッと(笑)」と言い、こうちゃんは「本当に面白いよ(笑)。今までは子宮がぐちゃぐちゃしている感じがあったんだって。だけど、放射線のせいかそういう感覚がなくなったんだって。良い感じかなときょうこちゃんが言っていたら、その直後に出血(笑)!面白いね。本当にどこまで行っても、いただきますだ」と言い、きょうこちゃんも「もうびっくりしたよ!今までで一番出血の量が多いよ。でも、意識が切れないじゃんって(笑)」と言い、こうちゃんも「意識が行きそうだと言うからいさどんに電話したけど、1回も意識が飛ばないね(笑)」と言った。わたしが「きょうこちゃんの中でそばが生きているから(笑)」と言い、いさどんは「つなぎが良かった(チーン♪笑)」と言って、皆で笑った。

それからいさどんは「今、アメリカで起きていることは、皆、今までを基準にしてものを考えるだろう?まさか、『こういうふうになるとは』とか『もうこれ以上は』と言うけれど、行けば行くほど、その次の世界がある。結局、所有しているだけなんだよ。自分の枠の中で限定しているから、『これ以上行ったら考えられない』というものが皆あるんだよ。次から次へとある。ただそれに自分の思考が追いつかないだけ。だから、思考しないでいただいていく姿勢になれば、自由自在になれる。限定する自分に囚われがあると、『いやだ!』とか『考えられない!』となるけれど、どちらにしても考えられるわけがないんだよ(みんな、笑)」と言った。

きょうこちゃんは「この生をいただいている。本当に皆に出会えてよかった」と言い、いさどんが「昨日の話で、もしここで別れて向こうへ行ったら、『なんだ!こちらのほうが近かった!』という話は面白いと思ってね。『向こうも近いと思ったけど、なんだ、こっちのほうがもっと近い!』と僕は思うんだよ。なぜここへ来てこのような生き方をしているのかと思うと、そこに出会うわけがある。それで戻っていったら、戻っていったで、『向こうのわけはこちらに元があったんだ!なんだ、ばかばかしい。あっちのほうが大本だった』ということになる。すべてあちらで操作している」と言うと、こうちゃんは「向こうで操作するのも面白そうだし、こっちでアップダウンしながら操られているのも結構面白い(笑)」と言った。

それからいさどんは窓から富士山を見ながら、「窓の外の景色を見ると、昨日の景色も今日の景色も天気が違うから多少違うように見えるけど、同じように見えるだろう?あれをじっと観ていると、ドーッと何かが流れている。移り変わっている。移り変わっているということは、今この部屋の中では毎日いろいろな出来事があって一喜一憂するわけだ。そこで気持ちは一喜一憂しながら、『まだ生きていたよ』などと言っているけれど、この世界全体がドーッと動いている。自分が意識したところはダイナミックで過激なように見えるけれど、実はそこら中ダイナミックで過激で、すべて同じなんだよ」と言い、こうちゃんも「本当に流れているだけだな。流れがそこにあるだけだなって思っていた」と言い、きょうこちゃんは「世界は面白くなるねえ。フリーな立場でいれば本当に面白いね」と言った。

その後、看護師さんが何度か部屋に来たときにいさどんは「あの人たちが入ってきてさ、僕を見て、『トランプさんがなぜここにいるのだろう?』となぜ聞かないのか(笑)。ヘアスタイルが違うからか(笑)」と言い、皆で笑って、わたしたちは病院を後にした。

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11月14日。いさどんとわたしは4日ぶりにきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんの顔を見るやいさどんは、「えらい良い色になったな!この世のものとも思えんような(笑)。悪くならないものだから、見に来なかったぞ(笑)。毎日来てほしかったら、毎日危篤状態になればいいんだよ(笑)」と言い、皆で笑った。

その後わたしは、「せっかく久しぶりにきょうこちゃんのところへ行くのだから、何かプレゼントを持っていきたい」と思ってプリントアウトしていった「胸突き八丁」の話をきょうこちゃんにシェアした。

――

 「胸突き八丁」

いさどん:
富士登山では九合目を超えたところに、胸突き八丁(約872m)が来る。胸突き八丁は九合目の上にあるんだよ。気持ち的にはもう一息どころか、二息いかないと、頂上へは行けない。「もう九割来たのだから」といって、もう行けたと思ったら、それで断念することになる。ダンネンでした(チーン♪)。そこを行き切るのは、心で行ける。そのときに、心で行ける見本となれるし、物理性が伴わなくても、人間は精神というもので究めることができる。これは人間以外のものには与えられていない。心で生き切るということは、植物や動物には与えられていない。他のものは心は関係ないのだから。

ともこ:
胸突き八丁を超えることは、今までと質が違う感じがする。

いさどん:
そう。富士登山でいう胸突き八丁というのは、物理的な辛さとの戦いだ。しかし、この胸突き八丁は目覚めるか、目覚めないか。真理を観るか、観ないかの差だから、だいぶ違う。

ともこ:
それまではわりとストイックな世界だったけれど、ある意味自分と向き合ってきた者がその延長線上だと、そこは登れないのだろうなと思う。

いさどん:
なぜかというと、それは「人智」だからだよ。胸突き八丁の向こうはすべてを捨ててしまって、すべてをお任せという境地。そういった精神状態になれば自分も何もありません、という心境だ。きょうこの言う、「わたしって囚われていた。いのちというものはもっと必死にならないといけない」ということだ。生きることに真剣になって、がむしゃらにあがくことが生きることの証だよ。だから、瞬間瞬間生きることは真剣だ。そのことに気が付くと、生命力が湧いてくる。胸突き八丁は、ただ生命力に任せて、ただ前に出る足に従って行く境地だ。

人には人智を超えた生命力に出会える可能性がある、と僕は考えている。

――

文章を聞き終えたいさどんは、「胸突き八丁の胸は胸板のことだからね。だから、心のことだ」と言い、きょうこちゃんは「人智を越えたところに湧き出してくる。富士山を登ると、本当にあとちょっとというその最後が苦しいんだよね。もう目の前に上が見えているのにさ。よく行ったもんだねえ」と言った。いさどんは「初めて登ったときは配分がわからなかったから、最後のところは死んでもいいから登ろうと思った。死んだら登れんというのに(みんな、笑)。ご来光登山だったから、上が渋滞して亡者のようになってしまった登山者たちが動けずにいて、その間を踏んでいくような感じだった。途中であいこさんとはぐれてしまい、必死になって上がったら、あいこさんは上にいた(みんな、笑)!あんなに必死になって来たのに(笑)。『ちょっと大変だったろう?』と言って迎えてあげようと思っていたら、あいこさんのほうが『来れたねえ』と言うんだよ。僕が120%の力を出しても、草取りではあいこさんに絶対負ける!」と言い、こうちゃんが「負けるよね(笑)。競争するのが馬鹿らしくなっちゃう」と言い、さらにいさどんが「まりこと蕎麦刈りしてみろ!腹が立ってくるに(笑)」と言い、皆で笑った。

それからいさどんは、「新しい宇宙の分析をしたから、それをフランス人の人口学者のエマニュエル・トッドとヨーロッパの最高頭脳と言われているジャック・アタリに送ってあげないといけないと思ってね。エマニュエル・トッドにはようこちゃんがすでにメールしたよ」と言い、わたしは「彼に時代人のメッセージを送りたいと思ってね。『日本であなたが特集されている番組を観て、あなたが気に入ると思いましたので、時代主義のメッセージを送ります。もっと知りたければ、ぜひ富士山麓の木の花ファミリーに来ていただき、前人未到のディスカッションを地球と全人類のために行いましょう♪』というメールを送った(笑)。本当に来たら、彼にプレゼンしてあげないとね」と言った。

また、いさどんは、「結構良い色になってきたな。血がないはずなのに(笑)」ときょうこちゃんに向かって言い、こうちゃんは「どこかでスイッチが入ったのか。何かが起きているのだろうか(笑)」と言い、きょうこちゃんが「これから先も本当わからないなと思って」と言うと、いさどんは「覚悟しすぎて損しただろう?」と言って、皆で笑った。さらにいさどんは「人間が想定できるうちは、奇跡ではない。人間がダメだと判断したところから奇跡が起きる」と言い、こうちゃんは「胸突き八丁の話と同じで、本当に一線があるんだなと思ったよ。手放すということはこういうことかなって」と言った。きょうこちゃんは「やろう、やろうとしているときはダメだけど、手放したときに何かが起こる」と言い、いさどんは「妥協しているうちはダメだ。こういうふうだから、今度はこうと妥協しているうちはね。妥協も何もなくなってしまわないといけない」と言った。

そしていさどんは、「また来るから。次は3年後(笑)!来てもらいたかったら、危篤になること(みんな、笑)!こうちゃんから連絡があってここに来るときには、これで終わりかと覚悟して来るのだから」と言い、こうちゃんは「帰るときは皆で笑っているもんな(笑)。もう7回くらいそういうことがあったよ」と言い、皆で笑って、わたしたちは病院を後にした。

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――

その後、きょうこちゃんの状態が安定してきたため、いさどんは一週間に一度きょうこちゃんのところへ行って雑談をしては、きょうこちゃんがよく笑い、11月28日に15回の放射線治療の最終日を迎え、12月12日の退院に至ったのでした。きょうこちゃんの退院にあたり、「こんな日が来るとは思えませんでした」とこうちゃんは言っていました。

 退院して、みんなと再会。
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 こうちゃんに付き添われ、2ヶ月ぶりに畑へ。
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木の花ファミリーに戻って2週間が経った今、きょうこちゃんは現在の想いを次のように語ります。

――

この48日間のことを思うと、ものすごく貴重な体験をさせてもらったと思います。生死を彷徨うような状態であったけれど、振り返れば面白い体験でした。もうあちらの世界に行ってしまうかも知れないというのに、病室にはいつも笑いがありました。生きていても、死んでも、どちらでもいい。もともと大本はあちらの世界にいたのだから。そんな、囚われのない心になれると、いつも笑っていられるのだと思うのです。

とにかく、どこまでいっても「いただく」ということを学ばせてもらいました。手放すことで、奇跡が起きることも見せてもらったのです。

自分の今までの心は間違っていたことにやっと気付き、自分の心の眼が見えていなかったことにも気づかされました。やっていきます、と宣言はたくさんしてきたけれど、本当のところは、自分の心を見ることから、逃げてばかりいました。けれど、間違っていた自分を認めてしまうと、すごく楽なのです。ものが見えるようになるには、まず見えていないことに気づかないと始まらない。バカだと気が付かないと、バカも治らない。当たり前のことだけれど、その当たり前が、自分が強いばっかりに、やれなかったのです。

血も入れ替わりました。通常私の体の大きさだと、約3200ccの血液が体にあるそうですが、今回2160ccも輸血したのにそれ以上の出血があったのです。体が緊急事態を察知して、普段とは違う方法で血を作ってくれたとしか思えません。放射線治療の副作用で、腸炎を起こして、10日間何も食べられず、胃も腸も空っぽになりました。下痢がひどく、オムツをし、液状のものから始めて、だんだんと柔らかい離乳食のようなものになり、徐々に普通に食べられるようになっていきました。そして、一カ月以上も寝ていると、歩くこともできないのです。まずは座ることから、次は立つこと、そして少しずつ歩けるようになりました。つまり、肉体的には死ななかったけれど、体は、まるで赤ちゃんからスタートして、一から始めているのです。

心も一からスタート。そんな気持ちでいます。

だから、今の私は、私であって、私でないもの。不思議な感覚です。もともと、自分が生きている要素なんてどこにもないのですが、頭で分かっていただけで、本当には分かっていませんでした。知れば知るほど、「分からない」ということが分かる。本当にこの世界は奥深い。

まだ、みんなには話していないけれど、放射線治療をするとき、汽車が走るような音がします。まるで、銀河鉄道に乗っているような感覚になるのです。そして、宇宙空間に、蓮の花の上に横たわる私の姿が見えるのです。最初は妄想かな、と思ったけれど、何度も何度もその映像は出てきて、出血で苦しいときも、熱が出てしんどい時も、うつらうつらと眠っているときも、やっぱりこの映像が出てくるのです。何か大きな存在が、私が生きるべく、体を癒し、いつも見守ってくれている・・・。けれど、それは、私に限らず、全てのものがそうやって生かされている存在なのです。

そう感じました。

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これから、次の治療が始まりますが、いつまで生きられるか、それこそ分かりません。だから、今、私がやれることを精一杯やっていこうと思っています。体はまだ思うように動かすことが出来ないけれど、私がやれること、私にしかできないことがあるはず。こんな私でも何か役に立ちたい。そんな風に思って日々過ごしています。

今は、ゆっくりと療養させてもらって、本当にありがたいです。神様の愛と、みんなの愛をいっぱい感じている毎日です。ありがとうございます。

そして、今日はクリスマス。イエス・キリスト様のお誕生日ですね。私たちはいつもいつも、神様からたくさんプレゼントを頂いているのだけれど、今回のことは本当に大きなプレゼントをいただきました。頂いてばっかりなのですが、私に何か出来るとしたら、「病気」は決して不幸なことではなく、「神様からのプレゼント」だということを多くの人に伝えられたらいいなと思っています。

そして、シリア、イエメンなど未だに内戦が続いています。破壊しつくされた町や栄養失調でやせ細った赤ちゃんの映像を見ると、本当に心が痛みます。彼らがこの日をどう過ごしているのか、想いを馳せてみるのです・・・。本当に世界が平和になる日が来るように祈るとともに、その暗闇の元が自分の中にもあることを見詰め続けていくことだと思っています。

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――

そして、きょうこちゃんをずっと見守ってきたいさどんは、次のように語りました。

――

「きょうこちゃんが市立病院に入院しているときは、『あなたの枠を取りなさい。いただきなさい』と伝えてきょうこちゃんはここまで来たのですが、きょうこちゃんがここに戻ってきたときには、『これから沼津のがんセンターに行く前に、健康な心になりなさい。そして体に残っている病気に対処しなさい』と伝えました。そうしたら、病気は格段に早く改善されることでしょう。

今はきょうこちゃんに会うたびに、『生きていたね』と改めて思うのです。何度か手放してきましたからね。そうすると、きょうこちゃんがただそこにいるだけで奇跡が起きていると思うのです。実は奇跡とは、当たり前のことなのです。奇跡が起きるのは、神秘が現れたのです。神秘とは、神の秘密です。それを秘密と捉えず、観えるようになってくれば、この世界は奇跡だらけなのです。そして、『奇跡』だらけで生きると、それがその人の生きた『軌跡』となるのです。

本当は、このような現象をもらわなくても、生きていることの意味を深く感じられたらいいのですが、人は滞りがない毎日を送っていると、日常に当たり前にあることがありがたく思えないものです。そう思えない人は当たり前にあることに対して意識しないので、想いが叶わないことに対して不満を言うようになります。きょうこちゃんからのメッセージにシリアやイエメンのことが書いてありましたが、昔のきょうこちゃんだったらそのようなことに想いを馳せることもなかったことでしょう。病気になることは歓迎することではありませんが、どこからでも学ぶ気になれば、良い体験になるのです。しかし、ならないほうがいいものはならないで学べることが一番良いですね。日々起きる出来事がわたしたち自身を教えてくれているのですから、いかに小さなことで気付けるか――、それが、日々どのような姿勢で生きているのかの証です。

しかし、小さな滞りで自らを振り返らなければ、出会う現象はどんどん大きくなっていきます。そして、最終的には命が懸かっている段階にまで至るのです。そこで、必死という境地に至るのですが、そのように必死になったときに、必ず死が訪れることを教えてもらうのです。わたしたちは必ず死ぬのです。ですから、丁寧に自らの心の在り様や出来事の意味を見つめ、常に理解する必死さがあれば、大きな現象をいただいて慌てなくてもいいのです。そして人に不満を言わなくてもいいのです。

最近きょうこちゃんの顔を観ると、顔つきには癌の相はなく、表情は健康体です。きょうこちゃんが癌になり、医者もダメだろうというところにまで行って、こうちゃんは7回もダメだとあきらめました。7というのは、カタカムナで質的転換を表しますから、良い数字ですね。体にはまだそれだけの現象の余韻が残っていますが、きょうこちゃんの心はもはや癌ではありません。昔は、きょうこちゃんの体は健康に見えましたが、心が癌をつくる響きを発していました。

木の花の自然療法プログラムを受けるために面談に来た人に、僕はこう伝えることがあります。『あなたは病気ではありません。あなたの心が病気を引き寄せる心をしているだけであって、実際は病気ではないのです。ですから、病気ではない心の姿勢を保っていけば、霊主体従といって健全な精神に健全な肉体が宿るのです。つまり、心が先にあって、それにならって現象が起きるのです。』そこで、そう思えるかどうかです。自分は運が悪いのだとか、自分は病気だから仕方がないのだと言っているようではダメですね。その心が自分の中に病気をつくり、病気を引き寄せるのですから。ある意味、病気になっている人はかわいそうでもあるのですが、冷静に客観的に観れば自業自得なのです。そこで、客観的に自分を観て、それを引き寄せた自分自身に気付けるかどうか。

きょうこちゃんは次のように書いています。

ものが見えるようになるには、まず見えていないことに気づかないと始まらない。バカだと気が付かないと、バカも治らない。 

そこで、何がバカだったのか。大切なことはそこなのです。人からそれを伝えられるときには、まだわからないものです。しかし、人と自分の区別がなくなると、人の言葉がそのまま自分の中に入ってきます。それが、我が小さくなるということです。そのようになってくると、人の言葉が直接入ってくるので、人からの目線が自らの目線となり、客観視点ができて、それを取り入れられるのです。そうすると、他者と共有し合う豊かな世界ができます。そしてそれが、イエス・キリストをはじめ、過去の聖人たちが説いてきた境地なのです。

あなたも別人になれますよ♪別人といっても、別の人になるわけではありません。あなたがあなたではなくなるということはないのですから。ただ、あなたを存分に活かすことはできます。その道は万人に与えられています。そのことに気付き歩み始めた人々は、人としての最高の喜びを知ることでしょう。そういったことを、わたしたちはこの世界からクリスマスプレゼントとして約束されているのです。

 
 12月24日 クリスマス会
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 木の花楽団に復帰し、新曲「花よ天まで」を弾くきょうこちゃん
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きょうこちゃんの物語は、続く!

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みのるん物語1 〜 チャンスのヒビキ♪

木の花ファミリーの自然療法プログラム(通称ケア滞在)では、滞在者は定期的にケアのメインサポーターであるいさどんと面談をします。今月ケアを卒業したみのるんといさどんとのやり取りは、その都度「いさどんのいただきます人生ブログ」にて公開されていましたが、改めてその全容をお伝えします。日に日にアトピーが良くなっていったみのるんの歩みを、どうぞご覧ください!
 
■     ■     ■
 

昨日から、
自然療法プログラムをスタートしたみのるん。

面談の際、いさどんから、
「アトピーになるあなたの中には、
アトピーになる細胞のヒビキがあるのです。
そのヒビキをアトピーではないものにしていくことが大切ですね」と
伝えられたみのるんだが、
「そうですね。
ただ、自分ではどうしたらいいのかわからないのですが・・・。」

そこで、
いさどんはこう語った。
 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 

たとえば、
うつ病の人はうつ病のヒビキを持っています。

がんの人はがんのヒビキを持っています。

最近、きょうこちゃんが子宮頸がんを持っていることがわかったのですが、
僕は前から
「あの人はあやしいな~」と思っていました。

それで、
「お医者さんへ行ってきたらいいよ」と伝えていたのですが、
そのときはまだ、
「今はグレーですね」と言われていたらしいのです。

そして最近になってから、
きょうこちゃんがまた具合が良くないと言っていたので、
「お医者さんに行っておいで」と伝えたら、
早速お医者さんのところに行ったきょうこちゃんは、
ステージの3か4だと伝えられたのです。

でも、
きょうこちゃんの心には覚悟がないから、
きっと自分ががんだと聞いたら、
それこそ、が~ん!!!となって、
「わたしは死ぬのかしら?」と思うだろうと
僕は思ったのです。

僕ならば、
「これはチャンス!!」と思って、
「よーーし!!切らずにこのまま行ってみよう!!!」となったら、
がんのほうが、
「そんな人のところにいたくないよ!!」となって、
いなくなったりしてね♪

それで僕は、
「きょうこちゃん、あなたは覚悟がないから、
切ってしまいなよ」と伝えました。

最初、
きょうこちゃんは臆病になっていたので、
「切ってしまおう」と思っていたようでした。

だから僕は、
「それでいいんじゃない?
別に気にすることはないよ。
あなたらしいのだから、いいと思うよ」と伝えたのです。

でも、
そこからきょうこちゃんはいろいろと考えたようで、
「やっぱりそんなことではいけない」と思ったようでした。

それは何かというと、
自分ががんを増殖させる性質を持っているのに、
そのままにして
ただ切ってしまったら、
それでは意味がない、と。

それで、
本人の決断としては、
「わたしは切らないでいきます。
なぜ自分ががんをいただいたのかと自分を振り返ってみたら、
それはがんになるだろう、と思う」と言うのです。

僕は前から、
「あなたはへそ曲がりだね~」と伝えていたし、
がんになってからは、
「あなたはがんになってふさわしいね~
だから、自分を変えなよ」と伝えてきたのですが、
最近まできょうこちゃんはなかなか自分を変えませんでした。

もし、
自分のこころががんを作る性質だとしたら、
人生にとって最大のチャンスなのですよ!

お医者さんに切ってもらったら、
がんを作る性質を持って
死んでいくのです。

僕が笑ってしまったのは、
きょうこちゃんはがんになった途端に、
「わたしは死ぬかもしれないと思った」と言うのです!

それって、
すごくおかしな話じゃないですか??

「あなたはがんにならなければ、
死なないと思っていたの??
そこがすごいね!!!」と伝えたのですが、
人は必ず死ぬのです。

僕は、
いつでも死を意識しながら、
今を真剣に生きていますし、
死ぬために日々を生きているのです。

ところがきょうこちゃんは、
「がんになって初めて、死ぬかもしれないと思った」と言うのです!

本当のことを言うと、
ここが少しまぬけなところなんですよね。

でも、
物事にはこういった捉え方があるのです。

あなたのアトピーは、
あなたのこれまでの経緯や今のあなたの表情からすると、
心因性のものです。

ストレス性と言ってもいいですね。

ストレスは、
会社に行って会社の業務がどうだとか、
ブラック企業だからどうだとか、
とかく人は環境のことをいろいろ言いますが、
そういった環境に縁があったのも、
そこに居続けるのも、
そこでそういう人間関係を作り出すのも、
すべて自分が原因になっているのです。

そこで、
あなたが本当に、
自分がアトピー体質を持っていることを納得したときに、
アトピー体質は消えていくのです。

でも、
今のあなたは「どうしたらいいのかわからない」と言っていますね。

わからないということは、
自分の中にまだその性質があって、
アトピーのヒビキを作り続けているということなのです。

だから、
その性質がある限り、
外で仕事をガンガンやっていてもそれがストレスになりますし、
仕事をしないで家でブラブラしてもストレスになりますし、
良いお嫁さんがいて一生懸命世話をしてくれても、
それがストレスになるのです。

口では「ありがたい」とは言うものの、
「俺ってこんなことでいいのだろうか?」ということになるわけです。

それはすべて、
自らの性質が作っているのです。

これは、
生まれもっての性質であり、
いつもサングラスをかけているようなものですから、
サングラスをはずさないことには、
そのサングラスの色から離れて
ものを観ることはできないのです。
 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 

そこで、
みのるんはすかさず、
「それをするためには、
どうしたらいいのでしょうか?
こころ磨きですか??」
 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 

こころ磨きというのは、
木の花用語ですが、
それしかないですね。

それはなにも、
木の花のためにあるのではなく、
生きているということは、
いわば、自らを知る旅をしているのです。

そうすると、
生きていると何が起きるのかというと、
生きるということは、
自分自身の性質がこの世界に放たれるのです。

いろいろな出会いによって、
あなたの人間性が
外へ放たれるのです。

そうすると、
この世界は鏡ですから、
それが返ってくるわけです。

そして、
それに対してあなたが反応し、
また返ってくるのです。

そのやりとりによって、
この世界はできています。

そうすると、
返ってくるということは、
アトピーであっても、
あなたの中にその性質があるのです。

出会う人も、
あなたが出会うべきして出会っているのです。

それをよく理解するということは、
自らを知るということです。

自分が先に何を発しているかによって、
何が返ってくるのかが決まるのですから。

こころ磨きとは、
そういったことを言うのです。

たとえば今、
あなたはアトピーというテーマをいただいているのだとしたら、
「アトピーはまさしく自分から発していた!」と気付き、
発していたアトピー的性質は、
どういうところで、
どんなふうに微妙に巧妙に発していたのかを知ることが大切です。

そして、
同じ場面が毎日いろいろなところで来るのです。

そのときに、
それをやらないようにしていくのです。

それが、
こころ磨きです。

そうすれば、
おのずと種は蒔かないので、
ある程度の期間のうちに
アトピー的体質は消えていきます。

アトピーであっても、
これはある意味精神病なのです。

それがうつになるのか、
もっと複雑な統合失調症のようなものになるのか、
精神的な病はいろいろありますが、
それがアトピーとして体に出ただけのことで、
これは同じことなのです。

最後にひとつお伝えしたいことがあります。

あなたは、
自分に対して興味が強いので、
狭い世界を生きています。

そういう意味では、
今回アトピーをいただくことによって、
自分の世界を広げるチャンスでもあるのです!

考えてみたら、
良いチャンスですよね。

今のあなたはお尻に火がついて、
このままほっておけない状態になっているのですから、
これはある意味追い風なのですよ♪
 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 

いさどんが発するチャンスのヒビキを感受し、
自然療法プログラムをスタートさせたみのるん。

これから、
みのるんの中に
みのるん本来のヒビキが目覚めていくことを願って。
 
 
 


さっちゃんの「今度こそ乳がんが小さくなりました。(3mmだけどネ!)」

「はたして心が変わればガンは治るのか」人体実験中のさっちゃんより、久々のレポートです!

今年も“ガンに効くトマト”の種まきをするさっちゃん
今年も“病を癒やすトマト”の種まきをするさっちゃん

 
■     ■     ■
 
報告がかなり遅れましたが、4月21日にガンセンターに乳がんの3ヶ月検診に行って来ました。

エコー検査の後の診察で、「胸の腫瘍がやわらかくなってきているのは、どういう事でしょうか?」と先生に聞きました。そして私が、「ガン細胞が変化しているような感じがするんですが・・・」と言うと、先生は「すごい事がわかるんですね」と笑った。
私は「先生でもないのに、すみません」と笑い、看護師さんも笑った。
先生はそれからエコーの結果を見ながら、
「厚さが17mmから14mmに減ってきている。細胞の成分が脂肪に変わって中がスカスカになってきている。食事とアイロン治療の効果が出ているのではないか・・」と言った。
実は今は何もやっていませんが・・・(笑)

2013年の10月に右乳房上内側部乳癌と診断されてから1年半。
はじめは右乳を全部切除する予定だったのが、うそみたいに、ふつうにみんなとお風呂に入っている。
右胸さん、あの時、さよならしなくて良かったね♡
そして、いろんな気づきをありがとう♡

まだまだ自分の心の本当がわからず、上がったり下がったり、胸が痛くなったりの私だけれど、そんなおばかな自分も好きだナーと思えるようになってきた。
みんなと一緒だからね。

そして次回は、7月21日に受診します。
 

トマトの種まきを終え、同じくガンのきょうこちゃんと一緒に
同じくガンを通して日々たくさんの学びをいただいているきょうこちゃんと一緒に

 


「明日死ぬかもしれない」〜 きょうこちゃんの発見

きょうこちゃんの心のシェア・第2弾。

木の花には「きょうこ現象」という言葉があります。何か失敗をしては反省するけどすぐに忘れてまた同じことを繰り返す。そんなきょうこちゃんが、ガンをいただいたことで変化し始めています。
一昨日は自然療法をテーマとした出張木の花塾に参加し、昨日はパートナーのこうちゃんと一緒にガンセンターへ行ってきたきょうこちゃん。ガンを切らないことについて家族の了承が得られているかをお医者さんから確認され、そのことのリスクを説明された上で改めて、手術はしない意向を病院に伝えました。
そしてその夜の大人ミーティングで、以下の文章をシェアしました。

出張木の花塾で、自身の想いを語るきょうこちゃん
出張木の花塾で、自身の想いを語るきょうこちゃん

 
■    ■    ■
 
昨日は「出張木の花塾」だった。
最後に私の事例がとりあげられた。改めて自分の状況を皆の前で発表したのだが、こうして公に意思を表明していくことで、さらに覚悟をさせてもらったと感じている。

昨日の出会いでよかったのが、判事を退職されたIさんと話せたことだった。Iさんは、「もう私も死が近いといつも思っている。だから、人と会うといつも、もうこれが最後かも知れないと思って会うのだ」と言っていた。ある意味、私も余命宣告されたわけではないが、体にガンという爆弾を抱えているのは事実で、いつ死がやってきてもおかしくない。
ひまわりに帰って、ミーティングが終わって、ホールを出るとき、これがみんなに会う最後かな・・なんて思うと、なんとも言えない感謝の気持ちが湧いてきて、泣きそうになってしまった。これは、何か感傷的になるとういことではなく、すごく良いことだと思った。

明日死ぬかもしれないと思って、ことに接すると、いつもと違ったものが見えてくる。
あるのが「当たり前」、そして次の瞬間も明日も「当たり前」にあるのだと思っていたものが、「今」「この時」にしか出会えないものであることをすごく感じることが出来た。考えてみれば当然で、時空を移動している私たちなのだから、二度と同じトキ、トコロはありえないのだが、そうは思えていなかったということ。ミーティングでもいつも話されていることだが、頭で理解していただけで、やっと「そういうことか」と実感できたのでした。
出張木の花塾に来てくれた方から「また会えますよね」と言われたことに対して、何も考えずに「また会いましょう」と返した私でしたが、そんないい加減なことを言ってはいけないと反省したのでした。
「明日、死ぬかも知れない」と思って生きることって、実はとても新鮮な日々を送る秘訣なのかもしれないなと、新しい発見だった。

今日から、苗チームで新しい試みを始めた。朝一番に中神のハウス全体を皆で一緒に見て回る事。苗全体の様子を、チームの皆が把握で来るようにすることで、情報の共有と、苗を見る目を養う事、私がいなくても全体がスムーズに回っていくようにするために思いついたので、まずは始めてみた。私がいないと分らない、という状態はある意味私が作って来たもので、「人を育てる」という視点も欠けていた。一人で抱えこむ癖から、情報が全体に行き渡らず、滞りを生む原因にもなっているのだから。

これも「明日、死ぬかもしれない」ということから出てきたことで、いろいろなことを手放していくことは、人の為になったり、全体の為になったりするはずなのだ。「あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ」と段取りばかり頭の中を巡っているのでは、直観など入り込む余地がないはず。
人一倍失敗したくない私は、人に任せるのがすごく苦手。その割には、大きく外して「きょうこ現象」をもらって、またまた反省・・・。矛盾だらけで、しかも当然起こるべくして起こる結果。

負のスパイラルを断ち切ろう。何か新しいことやってみよう。失敗するかもしれないけれど、いただいて次に行けばよい。
良い流れを作っていくぞ~!

 

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追記:
きょうこちゃんが手術しないことを知った娘のきよ(小学4年生)は、それ以来たびたびきょうこちゃんに「手術しないの?死んじゃうの?」と聞いていたのですが、昨日の夕食時、とことこときょうこちゃんのところにやって来て、こう言ったそうです。
「そっか。こころ磨き、するんだね。」

 

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出張木の花塾は、下記サイトにて動画を公開しています。
 → 出張木の花塾「人は変われる〜宇宙視点の自然療法」

*ファイルは全部で6つあります。
5月19日現在まだアップロード中ですが、2日以内に全動画をご覧いただけるようになります。

*次回出張木の花塾は、6月7日(日)、同じく船橋にて開催します。
単なる病気の話ではなく、人が生きることの本当の意味を探る、すべての人にとって大切なお話をします。どなたさまもどうぞお越しください。

 → お申し込みはこちら!
  event★konohana-family.org
  (★は@に置き換えてください)

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