20年目の覚悟 〜 いさどんからのメッセージ

5年前に書かれた「15年目の合格」というブログを読み返してみて、改めて創立メンバーのまりちゃんが今の想いを語った「20年目の告白」を先日ご紹介しました。
今日は、それを読んでのいさどんのメッセージをご紹介します。

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木の花創立前のまりちゃん(中央)といさどん(左)
木の花創立前のまりちゃん(中央)といさどん(左)

この「15年目の合格」というエピソードとは5年前に出会い、それがまたこうやって発掘されて、今回読むのが3回目になりますが、その度に涙が出ます。
こうやって、ここのメンバー一人ひとりに対しての僕の想いと木の花物語が紡がれているのだと思うと、ある意味まりちゃんは、僕の木の花人生の作品第1号なのです。まりちゃんは元々キャパがそれほど大きい人ではありませんし、どちらかと言うと的外れなことをやる人でした。それを、何があっても揺るぎのない人に変える作業は、僕にとって初めてのことでもありましたし、なかなか至難の業でした。

鶏の世話をするまりちゃん

では、なぜそれが必要だったのかというと、この中にも書かれていましたが、彼女には万能選手をやってもらわないと当時はここがまわっていかなかったのです。それは、ここを運営するということが目的なのではなく、こういった生き方へと船を漕ぎだし、その船が進む中で出会う色々な出来事は、こちらが予定をして出会ったものでもなければ、戦略的に仕組んでやってきたことでもなく、それを出港したがために出会った出来事でした。ですから、その旅を進んでいくときに、何があってもそこに立ち向かって崩れない人が一人でもいる必要があったのです。

そして一人から始まって、順番に一人ずつそういった作業をしていったことを思い出しました。

夏祭りにて
今や阿吽の呼吸でお笑いもこなす二人

それは大変だったとは思いません。具体的に当時のことを想えば、真剣だったし、大変だと言えば大変だったのかもしれませんが、今ここに到達するためのプロセスだとしたら、それは必要なことだったのです。そして、今現在がこのような状態にあって、これから先、我々の歩みが私たちの目的を超えて世の中にとって大事であることがわかればわかるほど、大変だとは全く思わないのです。

それは、前もってわかっていたら絶対にやれないことであり、やれないようなことをやってきたと思います。だから、「あの時ああだったから、もう一度こういうふうにやり直そう」ということは、ありえないのです。そうやって歩んできた結果、今があるのですから、出会ったこと全てが必要だったと思っています。そして、これから先も我々は同じように歩んでいきます。この20年は、そのことをいつも肌で感じ合ってきた歩みでした。

みんなに囲まれての誕生日
みんなに囲まれて誕生日を迎えたまりちゃん

まりちゃんのような姿になっている人のことを、「揺るぎない」人ということのだと思います。しかし、まりちゃんよりもさらに揺るぎない人がいて、それは僕です。そして、さらにもっと揺るぎないのは天の存在です。そのように、ランキングがあるのです。
揺るぎないことは僕にとっては当たり前のことです。この道に出会ってしまったら、脇目をふることはないし、どんなに揺さぶられてもその価値がわかっているからぶれることはありません。自分の中から何を捨てても、この道を選んだ限りはこの道を外すわけがないのです。

それを想うと、少なくともそれを共有できる人が1人、2人、3人・・・80人と、今はこれだけ多くの人たちがいるわけです。特にここのところ、全体が大きく揺さぶられて、そのおかげでみんなの絆が強くなって安定してきています。

これまでの歩みを振り返ってみると、本当に色々なことがありました。なぜ色々なことがあったかというと、「来るものは拒まず」ということで本当に色々な人を受け入れてきましたので、事件が沢山あったのです。まりちゃんも言っていましたが、思い返してみれば、ケア滞在の人とプロレスをしながらお風呂へ入れたという話もありました。10年もお風呂に入っていなかった人をお風呂に入れたのですから、犬を洗ったときのような臭いがしましたね。

そうやってこれまで色々なことがあったとしても、今こうやってここに落ち着いたことを想うと、そろそろ来るべき段階に至っていると感じています。それは最終到達地点ではありませんが、この歩みの延長にここが仕上がっていくのを確信しています。

ここは安定してきていますが、これから世の中はますます厳しくなっていきます。ですから、みなさん、これからも心して世の為人の為に歩んでいきましょう。

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20年目の告白

田んぼ隊のまりちゃんは、みんなの頼れる姉貴的存在。20年前、「富士山のふもとに“菩薩の里”を創ろう」という想いだけを頼りにやって来て、右も左もわからないままゼロから木の花ファミリーを立ち上げた創立メンバーたちの中で、農作業や家事はもちろんのこと、心の病を持つ人を受け入れるケア滞在のサポートや、事務作業から大工仕事、写真撮影にみんなの床屋さんまで、たくさんの役割を一手に引き受けてきました。
今も日々田んぼを切り盛りしてるかと思えば誰かの服を縫っていたり、おなかがすいたな〜と思ったらいつの間にかまかないを作っていたり、かゆいところにサッと手が届いて「まりちゃんがいてくれれば大丈夫!」と、みんなからも深〜い信頼を寄せられています。

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そんなまりちゃんも、昔はとても我が強く、相手が喜ぶだろうと思い込んで的が外れた行動を取りながら、外れたことにすら気が付かない状態だったといいます。今のまりちゃんからは想像がつかない!のですが、先日の大人ミーティングで、創立からのまりちゃんの歩みをシェアする時間がありました。菩薩の里を目指しながらもそれが何なのかわからず、不調和だらけだった創立メンバーたちの中で、いさどん曰く「最初に追い風に変化した」のがまりちゃんでした。

以下は、5年前に書かれたまりちゃんの『15年目の合格』というブログ記事です。
  
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『15年目の合格』 ー 2009年8月21日

創立間もない頃のまりちゃんといさどん
創立間もない頃のまりちゃんといさどん

私は毎朝、キャスターハウスで精米をしていますが、時々いさどんが粉挽きに来て、一緒になります。そんな時は必ずといっていいほど、心の話になり、今朝も例にもれずそんな時間になりました。

この前の創立メンバーヒアリングの話題はいさどんの家出話でしたが、その時期は丁度、私の「集中心のトレーニング期間」で、毎日いさどんとマンツーマンで心のやり取りをしていました。本当に出来が悪かった。まれに何も滞りのない1日が過ぎようとしていても、「今日は何か心配りをしたのか」のいさどんの一言から始まり、「正直、素直」が身についていない私は、正解を出そうと悪戦苦闘、最後は自分の正直が何なのか、分からなくなってしまう始末。丁度、昔のジャッキー・チェンの映画で、師匠は全部を語らず平然としている中で、師匠にへばりついて痛い目をしながら技を学んでいく、あんな感じです。

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その日々の中で、いさどんに言われてきたのは、「空気のような存在にならなければいけない。そこに居るのかいないのか分からないが、なしでは生きていけないものだ」。つまり、自己主張するのでもなく、でしゃばりもせず、しかしそこにいて、この道には欠かせない者になれ、ということ。

いさどんは今のように全部を語らないので、私が自分で考えようとしない時には、「勘違いするな、寄り添っていくのが似合う魂と、一人で立つ魂がある」、つまり私は後者であるということ。

「グレードは違うが、俺と同じコンピューターをもっている」。つまり、的外れをなくし、いさどんと同じものの解釈ができるようになるはずだということ。

私はこの3点をいつも心に留めて、学び続けました。いつの間にか、毎日言われない日々がやってきて、私がどう変わったから集中トレーニングが終わったのか、その時はわかりませんでした。しかし、今のようにいさどんの秘書や助手として活躍するようこちゃんやひろみちゃんはいなかったので、その後は、いさどんの助手として、書き物をするのも、ハウスを建てるのも、ケアを担当するのも全部私でした。過ぎてみると、必要だったなあ、ということが実感です。集中トレーニングが終わったからといって、心の鍛錬が終わったわけではありません。助手をする中でも、色々な出来事からも皆で学び続け、「続けること」を教えられました。

そんなことを、いさどんと振り返っていて、3ヶ月くらい前でしたか、ミーティング後にいさどんが「まりこの物の見方や信仰心は俺にそっくりだなあ」って言ったんです。「ははっ」って言いながらその場を離れましたが、「15年かかったぁ」と心の中でつぶやきながら、涙が止まりませんでした。このまま続けていけばいいんだな、まっすぐ神様に向かって、お仕えすることだけを考えていけばいいんだなと、15年目の合格をひとつもらって、思いました。しばらく泣いて、「私、自分ごとで泣いてるじゃん」と思って、そのまま流してしまったことなのですが、思い出していさどんに話したら、いさどんも泣いて、久しぶりに2人で泣きました。

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それから5年。
今もまりちゃんは田んぼにまかないにみんなの衣装作りにと多忙な毎日を送っています。
創立から20年を迎え、今の想いを改めてまりちゃんに聞いてみました。
  

こんなブログ記事があったなんて、忘れてたよ(笑)。
昔は本当にいろいろなことがあって、ケアでもすごい人がたくさん来て、週に2日寝られればよかったりとか、プロレスしながらお風呂に入れたりとかいうこともあったよね。今は時代も変わってきて、外からの目線も入れて学びながら、みんなとの絆はますます強くなってきているのを感じるよ。

この5年間も、いろんなことがあったねえ。私の中で何か変化があったかって? う〜〜ん・・・・何もなくなった、って感じかなあ。何がなくなったんだろう。欲しいものが何もない、足りないものが何もない。自分の中にいろいろあったものが、なくなったような感じなんだよ。

昔は、人から言われたくないとか、失敗したくないとか、そういう心があったよね。良かれと思ってやることもほんとハズレてて、しかもそのことに気付かないの(笑)。何で変わったか?言葉ではうまく言えないんだけど、価値を知っていったからかな。神の愛の。
神さまは、自分のことは考えないでしょ。だから私たちがその心を表すとしたら、そこに自分なんかいらないんだよ。自分なんてとことん「ゲッ」と思うことやってきたし、神の価値を知れば知るほど自分の小ささやしょうもなさが見えてきて、そりゃぁ当然価値ある方を選ぶようになるよね。
自分をなくす、と言うとすごい苦行みたいに聞こえるかもしれないけど、違うよ。自分がもっと増えて、豊かになるんだよ。そしてそこに心を向けさえすれば、誰でも行けるんだよ。

昔は気分が上がったり下がったりしてたけど、今はそういうのもないね。人に対してもっといろいろやってあげたいな、という気持ちはあるけど、それも自分の欲でそう思ってるわけでもないんだよね。やってあげる流れが来たらそれは必要なことだったんだな、と思うし、やってあげられなかったらそれは必要がないことだったんだな、って思うだけ。
自分が何かをしたいというのはなくて、ただみんなが良くなっていくことが嬉しいね。不安定だったともちゃんが安定してきたり、今滞ってるみさちゃんが目覚めていったり、いさどんがあんこ食べて幸せそうな顔したりとかね(笑)。
とにかく、今は何の不足感もないです。

でもね、これも全部、いさどんに教えてもらったんだよ。
この道は本当に尊い道だと思う。私には、それを教えてくれる人がいて、一緒に泣いたり笑ったりしながら支えてくれる仲間がいたんだよ。
だけどね、いさどんは、それを一人でやってきたの。自分の拳で自分の頭を殴って、一人で泣いて、超えてきたんだよ。

いさどんはいつも、私たちがこの道を求めるから手を貸してきたんだよ。だけどそこを超えられなかった者は、超えられない自分と向き合うことから逃げていさどんを悪者にしちゃう。それは人間によくある心理だから、彼らを責める気はないよ。そこを超えた時に初めて観える景色があるだけだから。今は、いさどんがいなくなった時のために、私たち自身が鍛えられてるなとも思ってるよ。

まあ、今わからなくてもいいじゃん!みんな死ぬ時には答えをもらえるんだから。
人生は、自分を知る旅だからね。
 

昨日誕生日を迎えたまりちゃん。「皆の役に立つことが生きがいです。これからも使ってください。」
昨日、木の花で21度目の誕生日を迎えたまりちゃん。             「皆の役に立つことが生きがいです。これからも使ってください。」