真夜中の女子会

木の花ファミリーは、とってもいいところです。
ごはんはおいしいし、みんな仲良く支え合って生きてるから子育てや老後の心配もいらないし、自給自足で何でも豊かにあるからお金のためにあくせく働かなくてもいいし。

みんなで支え合う豊かな暮らし
木の花ファミリー

ところが、いいところ過ぎて、ぬるま湯につかったカピバラのようにボケちゃうことがあります。

カピバラさん
カピバラさん

(注:本物のカピバラさんはボケているわけではありません。)

豊かな暮らしは自分たちの満足のためにあるわけではなく、余分な心配をしなくていいからこそ一人ひとりがしっかりと心を磨いて、そこを訪れる人が癒されていくような場を築いていく ――― つまり、人のためにあるわけですが、ぬるま湯にぬくぬくとしているうちにいつの間にやらその豊かさに甘んじて、自ら場創りしていくことを忘れちゃったりするのです。

そんな「すぐ忘れちゃう症候群」をいったいどうしたらいいのか。昨夜も大人ミーティングで長~い話し合いをして、誰かが誰かを指摘して言われた人は「どよ~ん」と落ち込んでその場全体をさらにどよ~んと暗くしてああこれの一体どこが菩薩の里なのと思いながらどよ~んとした場は延々続いてそういえば昨日は土曜日なのでした。<チーン♪>
 

はいここからが本題。

そんなどよ~んな大人ミーティング後、洗面所の床に座りこんで歯を磨いていたら、みっちゃんが隣りに座りました。
みっちゃんは、現在介護ヘルパーとして介護老人保健施設に働きに出ています。(以前の記事「みっちゃんの想い」をご参照ください。)「すぐ忘れちゃう症候群」になるのは、やっぱりなぜこの生き方をしているのかが自分の中で腑に落ちてないからかねぇ、と話し合う中で、みっちゃんは今自分が感じていることを語り始めました。
 
毎日施設で、死が間近に迫ってきている人たちを見ている。
体のあちこちが痛いという人がいる。病気で苦しいという人がいる。鬱になっている人もたくさんいる。痛い、苦しい、と言って、迷いの中で死んでいく。
木の花では、痛みや苦しみを、メッセージとして受け取る。その痛みを通して、もっと大きな何かに気付かせてもらうために、そこから学んでいく。学んだ時、そこには喜びが生まれる。そしてその喜びを、みんなで分かちあう。
施設の人たちにとって、痛みは痛みでしかない。その人たちを目の前にして、自分にできることはないだろうか、と思う。だけどどんなに言葉で語っても、私には痛みがないから、相手は「あなたにはこの痛みはわからない」となるだけ。言葉が大事なわけじゃない。ただ自分がそこにいることで、相手が自然と何かを感じて、その結果痛みが和らいでいくような、そんな存在になろうと思う。

だから私は、毎日ここに帰って来る。みんなと接し、人にとって本当に大切なものは何かを学び、そのエネルギーを自分の中に取り込んで、また次の日に施設に向かう。

施設のお年寄りたちの1日は、ご飯を食べて、お風呂に入って、時々リハビリをして、あとは自由。何をしてもいい、つまり、何もすることがないという自由。
することがないから、とりあえずテレビを見る。週刊誌を読む。折り紙を折る。職員はやることがたくさんあるので、相手をしているヒマがない。ご飯の支度も掃除も何もかもをしてもらって丸1日ぼーっと過ごして、入所したばかりの頃は自分で何でもできていた人が、どんどん何もできなくなっていく。どんどんボケていくのが目に見えてわかる。ボケの生産施設だ、と思う。でも同じような施設が、あちこちにどんどん建っていく。政治家は「自分は○件施設を建てました」と胸を張る。私が毎日見ている人たちの、何万倍、何百万倍という同じ境遇の人たちが、日本中にいる。

木の花の年寄りたちは、毎日忙しい。掃除に洗濯、料理に子育て、お花を活けたり漬物漬けたり「この人じゃなくっちゃ」という役割がそれぞれにあってみんなからあてにされて、働き疲れて大人ミーティングでは口あけて寝てたりする。だけど、誰もボケてない。「ありがたい」って言いながら、毎日楽しそうに、せっせと働いている。

ここ(木の花)では、それが当たり前のように暮らしてる。施設の現実を目の当たりにしながら、その当たり前のことがどれだけ大切なことかを、感じている。
外に出れば、私は一人。何もできなくて、無力感にさいなまれる。でも、だからこそ、たとえ一人でもここが大事にしている「心」を表現できる存在になろう、と思う。

みっちゃん
みっちゃん

 
みっちゃんがそう語っていると、こはるちゃんがやって来て隣りに座りました。
看護師として訪問看護の仕事をし、同じく人生の終末を迎えた人たちと日々接しているこはるちゃんも、みっちゃんの話を聞いて語り始めました。
 
仕事をしていて、日々矛盾を感じている。今の医療は、傷口に絆創膏を貼るような対処療法。症状に対処するだけで、根本的な解決にはなっていない。
もっと本当の意味で人のためになることができないだろうか、と思う。同じように思っている人も職場にいるのに、その思いが活かされない。どこかで割り切らなければ、仕事ができない。

矛盾を感じて自分の意見を言ったら感情的になってしまったり、まだまだ未熟。こんなできていない私に言われたくないって思う人もいるかもしれない。だからこそ、職場での自分と日常の自分を一致させていく。そしてそれができるのも、ここの暮らしがあるからだと思う。
そう思って帰って来て大人ミーティングに出たら、自分はできていませんでしたって反省モードになって自分ごとにはまってる人がいっぱい。そんな自分の反省にエネルギー使うくらいなら、自分は人のために、社会のために何ができるかって考えたらいい。

こはるちゃん
こはるちゃん

 
と、こはるちゃんが語っていると、さっちゃんがトイレに起きてきました。
このブログにもたびたび登場するさっちゃんは、一昨年乳ガンであることがわかって以来「はたして人は心が変わればガンが治るのか」人体実験に取り組んでおり、上がったり下がったりしながら日々ガンから学び、「ガンになってよかった」といつも言っています。
こはるちゃんの隣りに座ったさっちゃんは、寝ぼけ顔のまま黙ってこはるちゃんの背中をさすっていました。そして、苦しんでいる患者さんたちに何ができるかと話し合うみっちゃんとこはるちゃんの話を聞きながら、『ガンのすすめ』っていう本でも書こうかな、と笑ってました。

さっちゃん
さっちゃん

 

そんなこんなで、洗面所の床に座り込んで語る女子4人。時刻は夜中の2時。
 

ともこ
ともこ

 
みっちゃんも、こはるちゃんも、さっちゃんも、自分の中から湧き上がってくる想いがあるんだって言います。人生の終末を迎えた人たちと接してみて、自分自身が病気になってみて、この生き方が本当に大切なんだということを、ひしひしと感じている。だからただ、その生き方を実践していく。
そしてそれが必要かどうかを判断するのは、社会です。時にあやしいカルト団体などと批判されたりもする木の花ファミリー。いくら自分たちがこれが大切だと思っていても、ひとりよがりじゃしょうがない。そもそも自分たちの満足のためにやっていることではないので、社会から必要ないと判断されれば、消えるだけなのです。
 

そういえば、今日は日曜日。
どよ~んな土曜日は、去ったでー(Saturday)。<チーン♪>
 
 
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