続・大町ビレッジのカトケンより

ただ今大町ビレッジ滞在中のカトケンの、ある日の心のシェアです。

カトケン
カトケン

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大町隊のカトケンです。

今日、岐阜大納言という小豆をみんなで収穫していた時のことをシェアします。

僕が小豆を収穫していて、収穫カゴがいっぱいになったので、土手に紙袋を敷き、小豆を拡げようとしたその時、

「私を流さないでね」

というやさしい声が聞こえました。小豆を置こうとした場所には、土手の近くに水路があり、そこにあまり意識がいっていなかったせいか、小豆が教えてくれました。

この声から発せられる響きは、とても美しく清らかで、僕のすぐ作業的になりやすい心とは対照的なものでした。その後も、小豆から「私を大事にしてね」「私を信じて」「大丈夫だから」「私はここにいる」と次々と優しい響きが聴こえてきました。その響きを感じていると、その響きが心の深い部分にまで染み渡っていくことが分かります。僕には、すぐ不安になったり、正解探しする癖があるけれど、その癖を含めて愛されている感覚でした。これが正しい、これが悪い、これが美しい、これが汚いとかそういった二元論ではなく、僕のあるがままを見続けてくれている愛の深さ。そのとき、自分のあるがままの心を認められ、心を知っていくプロセスの面白さ。喜びに気付いたときの開放感。今ある苦しみも、喜びに出会うための苦しさと捉えることができる持続性。

木の花を出る前は、何か言われたり、怒られたりすることで自分自身がコントロールできなくなることが恐怖だった。だけど、今は、それが自分自身の精神性を鍛えてくれていると想うと、心の筋肉トレーニングをしてくれていると解釈できるから楽しくなる。

草花や石ころ、川の流れ、さわやかな風から発せられる響きのように、人間という肉体を持つ者からも、そういう響きを発せられるようになりたいという想い。その想いの実現の為に大町にいると思うと、僕の周りにふさわしくメンバーが配置され、たくさんの学びがちりばめられていると感じています。それは、人智ではとうてい真似することのできない秩序が瞬間瞬間、展開されていています。全ての人の幸せ(誰もが平等に学べる喜び)を願う視点。この視点に立つために、数えきれない程の学びをしているんだなと思うと、最近になって、全て大丈夫なんだって思う。
 
今年の5月9日。木の花ファミリーに戻るために乗ったバスの中で天に問いました。

カト
「なぜ、僕が木の花へ戻るのですか?(もっと心の逞しい人を送れば良いじゃないですか・・・)」


「面白いだろ」

カト
「(たった、それだけで・・・面白いこと、面白くないことなんてどうでもいいでしょ・・・)」


「・・・」

 
僕が木の花ファミリーにカムバックして半年が経とうとしています。このやりとりの意味がようやく分かってきました。僕から観える天の意向は完璧な人よりも、どっちかっていうと僕のようなできが悪く、あんまり信仰心がなく、人の言うこと聞かない、自分勝手で、光を見ようとしない。歩もうともしない。ぐずぐず言っていって、恐がりで、だけど、なぜかちょっぴりハンサム(笑)そんないい子じゃない人間が光に向かって歩み続けることが大事なんだって。僕とは違って真っすぐ行く人もいる。それはその人の歩みとして、一人一人歩み方や個性があるから、いろんなダンス、ステップをふむ。それを見ていると「面白い」って想うよ。その人の役割だからね。だから僕は僕ができる役割をすればいいと思っています。

大町では自分の心の特徴を知って、相手の心の特徴も知って、お互いが生かし合えるよう、思ったことを伝え合いながら日々を過ごしています。大町からみんなが生かされていくことを願っていますよ♪
 

大町ビレッジメンバー:左からカトケン、あいちゃん、くにさん
大町ビレッジメンバー:左からカトケン、あいちゃん、くにさん

 
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おまけ:
カトケンが大納言小豆を土手に置いた時、あいちゃんはそれを見ていて「危ないな」と思ったのだそうです。小豆のことを想ったらすぐに場所を変えるようにカトケンに伝えた方がいいな、でもこのまま何も言わずに小豆が水路に落ちて、カトケンがそこから自分で学んでいく方がいいのかもしれない・・・・そんなふうにあいちゃんが伝えるか伝えまいかを迷っていたら、カトケンは小豆の声を聞き、小豆が落ちないように意識してやさしく拡げたのだそうです。
あいちゃん曰く、「以前は気が付いたことはすぐ伝えるようにしていたけれど、今はカトケンという人を研究中です。」

収穫された岐阜大納言。とても美人です。
収穫された岐阜大納言。とても美人です。

 


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