那須に生まれた繋がり Part.2

前回のBLOGで紹介したように、はたかくんの縁で那須を訪問しました。
今回、那須を訪れて一番良かったことは、震災後の那須の人たちの生の声を聴けたことです。
それは思っていたよりも厳しいものでしたが、だからこそ、真摯に生きる姿勢が伝わってきました。
那須の放射能レベルは福島県のいわき市より高いそうです。風の影響からそうなっているのですが、
行政の対応が福島より後手に回っている現状があったようです。
小学校の校庭の除染も市民が動くことで始めて行政が動いたため、
結果、郡山の小学校より数値が高くなっていた時期もあるようです。

「那須は放射能に右往左往しましたが、最近は少しずつ落ち着きを取り戻しつつあります。
震災、原発事故、恐怖、別れ、不安、焦り、怒り、嫉妬…昨年はほとんどパニックでした」

これは主催者の女性がくれたメールから抜粋した言葉です。
震災を受けて、那須を離れる人、那須に残る人、
それぞれがそれぞれのベストの選択をしているのだけれども複雑な感情が起こり、
残った人の中にも様々な心の動きがあって、その中から学びを深めていく姿勢には尊さを感じました。

今回、宿泊先として豊穣庵さんにお世話になりました。
豊穣庵さんは牛を飼っていて、1ha以上の牧草を育てていますが、
放射能の数値が高いためあげることが出来ず、輸入したものを与えています。
野菜や米はあまり放射能を吸わないため食べることも出来ますが、
キノコ類は食べることが出来なくなったといいます。
見た目な同じなのに、豊かな自然の恵みをいただけない。そんな寂しい状況がこれからも続きます。
そんな現状の中、彼らは懸命に生きていました。
そして、彼らは初めて木の花ファミリーの取り組みを知りました。
そして、この暮らしに希望を見出しています。
この暮らしがさらに広がるように。これからの彼らとの交流を楽しみです!

豊穣庵さんの田んぼです。家のすぐ側にあります。
豊穣庵さんのところの牛さんです。
豊穣庵さんところのわんちゃん。4匹いました。
豊穣庵さんのロケットストーブ。
薪の消費量が通常の1/5で済むそうです。

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