木の花と社会の架け橋として

今週末はNPO法人サステナビリティ日本フォーラムの方がファミリーを訪れました。持続可能な社会実現に寄与するために組織に働きかけていくことを目的としたNPO法人であり、2002年より活動されているそうです。「今までの価値観を変える幸せ指標とは?」について3回シリーズの勉強会を開催し、その総括の場として今回のファミリー訪問に至りました。

1泊2日の滞在ということで、初日はファミリーの施設見学とプレゼンテーションに参加、そして2日目にはいさどんと座談会の場がもたれました。その座談会に参加したエリーは、次のような感想をシェアしてくれました。

この座談会は木の花ファミリーの運営する旅館「木の花庵」の談話室で、朝8時から昼の12時まで持たれました。木の花ファミリーからはいさどんと私、そしてサステナビリティ日本フォーラムからは8人の方が参加しました。若い人は30代、40代、年輩の人は60代、70代、ともに地域、社会で相当な活躍をしておられる方々でした。木の花ファミリーを訪れる人々が、どちらかというと社会に行き詰まって新しい生き方を求める目的があるのに対し、今回の参加者、特にシニアの世代は、社会の勝ち組であった、また現在もあり続け、社会を支え社会を新たにリードしようとする意識の持ち主であることが、木の花への社会のニーズの多様性を感じさせ、新鮮なものでした。

ここでは精神性、宗教、環境、教育、パートナーシップなど多岐にわたる話題がアトランダムに飛び交いました。環境問題について考える人々の中では、「環境とモラル」という切り口がやっと認められるようになった、という話がありました。その発言に対し、モラルという言葉は確かに一般人に受け取りやすいが、ここは直に(妥協しないで)「スピリチュアリティー」を使ってはどうか、という発言もありました。

宗教(定義にもよりますが)のない我が国において、そうした宗教性をほのめかす用語が人々のアレルギー反応を引き起こす現状の中、それでもあえて「スピリチュアリティー」を出すか、「モラル」にとどめるのか。このやりとりは、木の花ファミリーの在り方を先進的なら先進的なままで提示することと、一般社会の理解度に応じてアレルギー反応を極力抑えることのどちらが賢明であるかを考えさせる大切な機会でした。

私は木の花ファミリーのメンバーとして、ここと社会の架け橋になりたいという希望を持っています。それ故に上記のような問題意識を絶えず持っています。宗教的風土の薄い我が国でクリスチャンとして、社会の偏見を増幅させないよう、人々をつまずかせないよう生きてきた者として、どうしても妥協的に生きる道を選択して参りました。どの様に先進的な生き方を世に伝えるのか、所有しない生き方、プライバシーのない生き方をどうあやまたず伝えられるかが私の今の課題です。

木の花の実践は、日々営々と行なわれています。そうした重みのある日常をどうわかりやすく伝えられるか。それは今回の参加者のような外で活動する方々とつながることが一つの道であると確信致しました。

沢山の気づきを与えてくれた今回の会合は、生き物のように生成発展する木の花に一つの活力を与えてくれたもののようです。

エリーの相棒まりん(1歳)と。「エリーがみんなとおはなししているときは、いいこにしてまってるからね!」

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