組織宗教の時代から一人ひとりが仏陀となる時代へ 〜 きたじゅんの気付き・第二弾

きたじゅんの心の気付き・第二弾!今年の5月3日、長年患ってきた眼精疲労が消え、新な道を歩み始めたきたじゅんが、改めて自身の半生を振り返りました。


組織宗教の時代から
一人ひとりが仏陀となる時代へ

創価学会の家に生まれる

僕は創価学会3世の家に生まれました。母方の祖母の頃から学会に入会しており両親も同じように入会し学会活動していました。創価学会は約800年前に日蓮大聖人が法華経の教えに基づいて開いた日蓮正宗を本家とした宗教団体です。物心つく前から学会の中で育てられたので、会合や祈りなど宗教的な活動に何の疑問も持たず自然と受け入れていました。祈りというのは日蓮大聖人の生命が現された御本尊(ごほんぞん)様に向かって「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」とただ唱えるだけです。御本尊様に向かって祈ることで日蓮大聖人の生命と一体になり自らの内にある仏性を引き出し、宿命を乗り越え幸福になれると聞いていました。

孤独な高校時代

初めて自ら祈ってみようと思ったのは高校生の時でした。当時は、中学時代に受けたいじめから人間不信になっており、友人を一人も作ることができず孤立していました。あまりにも孤独で時間を持て余していたので、それを逆手にとってある実験を思い付きました。それは学校で1日中一言も話さない日が何日続くか。結果、約40日続きましたが最後は挨拶されたときつい挨拶を返してしまい実験は終わってしまいました。もう少し記録を伸ばしたかったなと思う反面、それほど深い孤独な時間を過ごしてきました。自分の気持ちをずっと抑え続けてきたので、いつしか喜怒哀楽の感情がなくなりそのストレスで慢性的な腹痛に悩まされました。とても苦しくて将来に全く希望が持てない状況でしたが、そのとき僕の心を支えてくれたのが創価学会第三代会長の池田先生でした。池田先生が書いた高校生向けの本には仏法の生命観・死生観・宇宙観などが分かりやすく書かれており、人間の無限の可能性が説かれていました。そのおかげでどんなに絶望的な状況に置かれても、自らの命を粗末にするような行為は絶対にしてはいけないと思っていたことを覚えています。その後、僕は池田先生の創立した創価大学に入学し、自らの人間性を変えることを目標として高校生活を送りました。慢性的な腹痛のため試験で100%実力を発揮できないことに悩みましたが、真剣な努力と祈りで試験本番までに腹痛が治まり、無事創価大学に合格できました。これが初めて祈りが叶った体験でした。

人間関係に恵まれた大学時代

創価大学では、良き先輩・同期・後輩に恵まれ多くの友人ができました。周りの人はほぼ全員が創価学会員であり、学会活動は日常的に活発に行われていました。大学生になると祈りの他に、日蓮大聖人が弟子に対して書き残したお手紙「=御書(ごしょ)」を学ぶこと、友人に仏法を語り広める折伏(しゃくぶく)を行うなど仏法者として欠かせない活動に本格的に取り組み始めました。学会活動の目的は、一人ひとりが自身の宿命(カルマ)を乗り越えて幸福になり、その輪を社会全体に広げ世界平和を実現することです。それを理解した上で、僕は自他共の幸福を目指して真剣に活動に取り組んできました。でも、僕の本心はまず自分が救われたいという思いが強く、他者の幸福を願うということからはかけ離れていました。それでも、学生時代は池田先生の度重なる激励や多くの先輩たちのサポートによって大学院の進学や就職を勝ち取ることができました。自分の本当の実力が試されたのは社会に出てからでした。

社会からの脱落

就職後に、僕が創価学会との関係を見直すきっかけとなった出来事が起こりました。それは2011年2月から2012年2月までの1年間の期間に学会の中の人材育成大学校に入っていた時のことです。当時は、職場で人間関係がうまく築けずいつしか孤立するようになり、ストレスからよく体調を崩すようになっていました。ある時、あの孤立した高校時代と同じ状態に戻っていることに気付いた僕は自身の根深い宿命を感じました。このままではまた自分を駄目にしてしまうのではないかと危機感を覚えました。今こそ宿命を乗り越え根本的に自分を変えるときだと決意し学会活動に真剣に取り組みました。時間があれば出来る限り友人の幸せを祈り、休みの日には毎週のように友人に仏法を語りました。しかし、当時の僕は相変わらず自分が救われたいという思いが先行していることに気付いていなかったため、すべて失敗に終わり結果は散々でした。反対に、友人に思いは伝わらない、自身の願いも叶わない状態が続き頑張れば頑張るほど苦しくなっていきました。最後まであきらめず友人に仏法を語りましたが、結局結果を出すことができず、大学校の卒業式を迎えました。自分の生命を根本的に変えたいと思い、本気で学会活動に取り組んできたのに結果が出せなかった。そんな自分に対して情けなく悔しい思いが込み上げてきて、卒業式の間ずっと涙が止まりませんでした。どれくらい泣いたか覚えていませんが涙をすべて出し切った後、なぜかすっきりした気持ちになっていました。これだけ頑張って結果が出なかったのだから仕方がないという何か吹っ切れた気持ちになり、それ以降学会活動から遠ざかっていきました。その後、眼精疲労で休職に追い込まれ、それがきっかけで2015年2月に木の花ファミリーと出会いました。

木の花ファミリーとの出会い

木の花ファミリーでは今まで聞いたことのない話がたくさんありました。特に驚いたのは話のスケールの大きさと深さです。例えば、太陽の一螺旋の25800年というサイクルがあり、12900年ごとに精神的な光のピークと闇のピークを交互に迎えるという話です。そして、2012年12月21日に闇のピーク(銀河の冬至)を迎えたことで宗教の時代が終わり、これからは自らが自らを救い尊き者となる時代、それは一人ひとりがイエスとなり仏陀となる時代に入ったということが説明されていました。その他にも、時代の流れに沿って天体と人間の活動は常に連動して長い歴史を作ってきたことを知りました。しかし、当時は木の花で話されていることの方が、スケールが大きくて道理が通っていると感じても、創価学会への執着があり簡単には受け入れられませんでした。その執着というのは今までの池田先生に対する恩です。木の花で語られている道理を受け入れてこのまま創価学会を辞めることは池田先生を裏切ることになるのではないかと深く悩みました。その後、宗教のことを否定される度に早く木の花から出て行きたいと思いましたが、眼精疲労でまともに仕事ができない状態だったため、木の花に残る以外に僕の選択肢はありませんでした。

変化した宗教観

それから時間はかかりましたが、僕の宗教観は大きく変わりました。創価学会に対する執着がどのようにして無くなっていったのか。そのポイントは2つあります。
1つ目は、事実を客観的に観て受け入れたことです。学会活動に一生懸命に取り組んだのに完全に行き詰まったという事実。そして宇宙的スケールで銀河の冬至を迎え、宗教の時代が終わったという事実。これらの事実を冷静に受け入れることで学会のことを客観的な視点で観ることができるようになりました。
2つ目は、自らの想いを手放していったことです。自分の宗教に対する捉え方や疑問などを他の人に話し、相手の意見を取り入れることで新しい視点が入り自身の宗教観の狭さや偏りが認識できるようになりました。
今、僕は次のように理解しています。中国の天盤の巡りによると、約6400年前に青陽期という一国の王が民衆を支配する王の時代が始まった。そして、約3000年前に紅陽期という聖人の時代が始まり、お釈迦様やイエス・キリストなどの一人の聖人がその他大勢の民衆を救うという形で宗教が生まれた。それから正法→像法→末法と時代の経過と共に人々は正しい法を忘れ、一部の人間にとって都合の良いように解釈が歪められ様々な宗派に分かれていった。その後、1927年から白陽期という民衆が主役となる庶民の時代が始まった。しかし、未だに心が濁り深い迷いの中にいた人々は闇のピークに向かって2度の世界大戦を起こすなど最も愚かしい時代を経験してきた。2012年12月21日の闇のピーク(銀河の冬至)を迎え、末法が終わりを告げ宗教の役割が終わった。そして、いよいよ庶民の目覚めの時代が本格的に始まった。大まかですが、このように振り返るとその時代ごとにふさわしい人々の心があり、その必要性に応じて様々な教えが広まっていったことが分かります。その時代の流れの中で宗教はある一定の役割を果たしてきたのだと思います。

宗教の弊害

一方で、世の中の混沌とした現状を見ると、今までの宗教が世界にもたらしてきた弊害が見えてきました。それは主に3つあります。
1つ目は、自分が所属する宗教を唯一正しいと解釈していることです。皆が自分の所属している宗教が絶対正しいと主張し合えば、それは争いにつながります。実際に、過去から現在にかけて世界中で起きている戦争や争いごとの背景には必ずと言っていいほど宗教対立があります。自分が正しい側にいるという意識では客観的な視点で物事の本質を観ることはできません。
2つ目は、ご利益をうたって人々を集め組織化したことです。ご利益をうたうことで人々の欲望を刺激し、願いを叶えることで自我をより拡大させてきました。そのことが現状の世の中の混乱につながっていると感じます。
3つ目は、経典を持つことで宗教の精神性を固定してしまったことです。紙で教えを固定化し、経典を唯一の指針とすることはいつまでも古い時代の教えに執着し、その経典の精神性を超えることはありません。それは、みんなで同じ指針に従っていけば救われるという画一的な道を示しており、民衆一人ひとりがオリジナルに悟りを開き個性を存分に発揮していく道を奪ってきたといえます。宇宙は常に変化変容し続けており、その宇宙の法を説く法華経の精神性の表現も新しい時代にふさわしく変化していくことが本来の姿だと思います。

人生の本当の目的

このように自分の人生にとって縁の深かった宗教の本質が見えてくると、今まで出会ったすべての出来事の意味が見えてきました。いじめ、孤独、病気、宗教、社会からの脱落・・・様々な問題にぶつかり悩みながら人生の本当の目的を探し求め続けてきたこと。それは、小さな自我から解放され大いなる天の意志に寄り添って生きることに目覚めることであり、そのためにこの地球に肉体を持って生まれあらゆる経験を通して魂を磨きに来たのだと今は理解しています。また、その経験はすべて他者に生かすために自ら望んで学習してきたのだと実感しています。

5月3日を原点として歩む

2018年5月3日。この日は僕の人生にとって大きなターニングポイントとなりました。木の花ファミリーにとっては創設者のいさどんの誕生日であり、今年は生前葬から質的転換の7年を迎え「いさどん」から「ジイジ」へと生まれ変わった日でした。その日ジイジは、時代はいよいよ大質的転換を迎え、これからは今まで語ってきたことが本格的に現象化されていく段階に入ったということを話してくれました。また、創価学会の本家である日蓮正宗を開いた日蓮大聖人が一人立ったのは32歳であり、創価学会第三代会長の池田先生が会長として一人立ったのは32歳の5月3日でした。そして自身も32歳で迎えた5月3日。とても不思議な縁を感じつつ僕は心の中で次のように決意しました。

「5月3日を原点として自分も先人たちに続いて一人立つ時が来たんだ。それは日蓮正宗でも創価学会の後継でもなく、一人ひとりが仏陀となる時代の先駆けとしてまず自らが実践する。先人たちと現状の未熟な自分を比べると、とてもおこがましい話かもしれないが、この道を生涯歩み続ける意志と覚悟はある。それにふさわしい者として歩み続けよう」

このように決意してから約1ヶ月が過ぎました。時代は常に休むことなく先へ先へ進み、今という時はすぐ過去になり未知なる世界へと向かっていきます。5月3日の決意を常に新鮮なものとして心に留め、僕は今日も自我から湧いてくる想いを手放し、いつどんな時も天の意志を「いただきます」の精神で歩んでいきます。

 

 


病気が導いてくれた八番目の聖者への道 〜 きたじゅんの気付き

きたじゅんは、1年半前にメンバーになり、現在は長野県の大町ビレッジに滞在しています。日ごろ、あまりみんなの前で話すことのないきたじゅんが、ある日の大人ミーティングでこんなシェアをしました。以下、全文をご紹介します。

きたじゅん

病気が導いてくれた八番目の聖者への道

2013年5月、僕はカーテンを閉め切った真っ暗な部屋の中に閉じ込もっていました。当時は、水力発電所の設計をしていましたが、長時間残業と人間関係のストレスから眼精疲労になり休職を余儀なくされてしまいました。今まで無理に無理を重ねてきたため、パソコンやテレビのようなデジタル機器から照明や太陽の光までまぶしく感じ、強い痛みを伴うため、日常生活を送ることが困難な状態になっていました。このときから僕は常に帽子とサングラスが手放せなくなり、出口の見えない長くて暗いトンネルの中にいるような日々が始まりました。その後、一度は職場復帰できたものの、2015年1月、再びパソコンを見ることができなくなり2度目の休職を余儀なくされ完全に行き詰まってしまったのです。

そんな中、出会ったのが木の花ファミリーでした。そこで参加した1ヶ月間の真学校で本当の自己を知り、自身の30年間の歩みを振り返りました。真学校では、自分の癖・性分が病気を作り出していること、そしてその癖・性分を手放すことで自ら発している病気の響きが変わり元の気が入ってくる、つまり健康体を取り戻すことができると学びました。しかし、それは頭だけの理解に留まり、実践を伴った本物の理解に至るまでには、さらに長い時間が必要でした。なぜなら、自身の根深いカルマをなかなか超えることができなかったからです。

僕のカルマの性質を挙げてみると、常に他人の評価が気になる、被害妄想が激しい、思い込みが強い、人の意見や出来事を素直に受け止めないなどネガティブな思考ばかりです。このネガティブを安定してやり続けるのが純一というカルマの特徴です。自分でも本当に面倒臭いなと思うし、これと向き合って変えていくのは大変な作業でした。例えば日々の作業の中で、体調を崩しているのに人の評価を気にして本音が言えず、つい無理をして頑張ってしまうことがよくありました。そしてまた体調が悪くなる。でも他人に自分の弱さを見せることができない。さらに苦しくなる。余計なプライドが邪魔をしてこの悪循環からずっと抜け出せずにいました。それでも、木の花のみんなのサポートのおかげで、曲がりなりにも1年間ヘルパーを続けることができました。体力に自信がついたのと木の花ファミリーの生き方がこれからの時代にとって本当に大切だと実感できるようになったため、2016年11月、正式にメンバーとなりました。

帽子とサングラスが手放せなかった頃

その後、2017年4月から4人で大町ビレッジでの生活が始まりました。一人ひとりが個性の花を開きみんなで調和した桃源郷の世界を大町でも目指そうと最初は意気込んでいたものの、また自身のカルマに飲まれていってしまいました。自分の未熟さや生活態度、不調和な空気など立て続けに指摘されるようになり、あまのじゃくで幼稚な僕の心は次第にみんなから遠ざかっていって、いつしか自力で抜け出せないほど深みにはまってしまいました。そんな中、人身事故という大きな出来事をもらい、ますます現実を受け入れられなくなって底の底まで心は落ちていきました。

「こんなに苦しむくらいなら、自分と向き合うことから今すぐ逃げ出してしまいたい」

自分でも愚かな選択だと分かっていながら、何度も逃げたい気持ちがわいてきました。ただ、その度に僕を木の花に引き止めてくれたのは眼精疲労でした。
今の目の状態で一般社会に戻ってもまともに働くことができないのは分かっていました。確かに苦しくて逃げ出したい気持ちはある。でも逃げ出せない現実がある。僕は何のために病気で行き詰まって木の花と出会い、今こうしてみんなと桃源郷を目指して日々真剣に過ごしているのか。何度も何度も自分に問いかけました。

「一度完全に行き詰まったのだから、自分のカルマと向き合わずここから逃げ出すのは生きることを放棄するのと同じだ。僕は必ずこのカルマを乗り越えて世のため人のために役立つ者に生まれ変わるんだ」

こうして自分の本当の気持ちを確認し、それを現実化するために行動し始めました。

女郎囃子を舞うきたじゅん(左)

その後、大町から富士宮に戻り転機が訪れました。2018年1月、木の花ファミリーにとって最も重要な「富士浅間木の花祭り」が開催されました。僕の役割は女郎囃子のおかめ役でした。今回、舞うこと自体が初めてで、さらに女役になりきってアドリブで舞うというのは自分にとってかなり苦手意識が強くハードルが高いと感じていました。人前で目立つことをしたり、笑わせるようなことをするのは自分の性に合ってないし、中途半端な舞をすれば余計恥ずかしい思いをすることは分かっていました。でも必ずみんなの役に立つ者に生まれ変わると決めたのだから、どうせやるなら思いっきり悔いなく舞おうと思いました。そして当日、自分を捨てて思いっきり舞ったところ、お客様もメンバーもみんな喜んでくれてとても楽しい場を作ることができました。僕自身はなぜか心の中がとてもすっきりした感覚があり、今まで感じたことのない感情が湧き上がってきました。

「みんなと時間・空間を共有し、心を一つにして何かを成し遂げるということが真の喜びであり本物の豊かさなんだ」

舞い終わった後、女郎囃子の仲間たちと一緒に

そう思うようになってから僕の心はどんどん広がっていき、自然と新しい視点が心の中に入ってくるようになりました。

このように、心が変化し始めてからもう一つ転機がありました。それはケア滞在や長期滞在の人たちと一緒に作業をしていたときのことです。普段から彼らの言動を観察していると、彼らの癖・性分が自分を自らの内に閉じ込め病気を引き寄せていることに気付きました。これは真学校で学んだ心と病気の仕組みを彼らが見せてくれているのだと思いました。そしてその視点を自分自身に当てはめてみました。すると、僕は長い間体調不良が続いていてその状態が一番落ち着くというおかしな状態になっていることに気付きました。そのことに気付いた時、自らの思いを手放していけば元の気が入ってきて健康体に戻れるのではないかと思いました。それは、回復をあきらめていた目も例外ではないかもしれないと思いました。

そして、2018年4月から2度目の大町ビレッジの生活が始まりました。僕は常にわいてくる自らの思いを徹底的に手放すよう心がけました。自分の限界は決めない、体調は予測しない、自らの思惑をすべて手放して結果を頂くことに努めました。すると、体に変化が現れ始め、サングラスではなく普通のメガネや裸眼で過ごす時間が徐々に増えていきました。あるときふと気付くと、自分のことはどうでもよくなっていて、それよりもみんなともっと時間を共有したい・空間を共有したい・心を共有したい。その想いがより一層強くなり、自分と他者の区別が無くなっていくのを実感するようになりました。

そうして迎えた5月3日。この日は木の花ファミリーにとって重要な節目の日でした。それは創設者のいさどんが生前葬から質的転換の7年を迎え、ジイジという新しい名前を天から頂き再スタートする日だったので、1日だけ大町から富士宮に戻りました。僕は「富士宮のみんなとしばらくの間また会えなくなるから、せめて今日だけはサングラスをやめて笑顔でみんなと過ごそう」と思い、できる限り普通のメガネで過ごすことにしました。すると、普通のメガネにしても特にまぶしさは感じませんでした。試しにサングラスをかけてみるととても暗く感じました。もしかしてと思ってサングラスと帽子を両方とってみるとなんともありませんでした。今日はたまたま調子が良いだけなのかなと不思議な気持ちになりつつ、そのまま「誕生祭」を迎えました。そして、ジイジとして初めて語る中で、最後にこのように話してくれました。

誕生祭でのジイジときたじゅん

「あなたの人生をどうするかはあなたの責任です。これからこの時代をみんなで共に役割として作っていく集いの場に私たちはいますが、魂の歩みはそれぞれ別々です。そこはシビアに、私はみんなを救おうなどとは思いません。それは初めて人間が救われるという解釈から自らの価値を高め自らを救済する。やっと自分が尊き者になる手段が自分の手の中にある。それが人生の勝利者です。今までは木の花という役割の場所を維持するのが目的でしたからみんなに寄り添ってきましたが、これからはしません。私はどんどん先に進みます。そのうち、後ろを見たら誰もいないかもしれません。それでもいいのです。その生き方が大事です。今日のジイジの誕生祭は私の誕生祭ではありません。あなたたち一人ひとりのビジョンが始まったのです」

ここまで聞いた時、これからは一人ひとりがイエスとなり仏陀として生きる時代になるという八番目の聖者の話を思い出し、次のような想いが湧き上がってきました。

「今日まで本当にいろんなことがあったけれど、僕はこの道に出会うために今この場所にいるんだ。本当に愚かな自分ではあったけれど、個人の意志に関係なくもっと大いなる意志が僕を八番目の聖者の道へ導いてくれたんだ。その案内役が病気だったんだな」

そう思ったとき、僕の両目から痛みがすっと消え去っていきました。

「疫病神さん、今までこんな自分に付き合ってくれてありがとう。
 そしてお役目ご苦労さま」

と心の中でつぶやき、そっと天へとお返ししました。

 

 

八番目の聖者への道のりは続く!

 

 


「必死」とは「必ず死ぬ」と書く ~ きょうこちゃんの「どこまでもいただきます」物語

去年の4月、子宮頸がんであることがわかったきょうこちゃん。その後がんが進行し、今年の10月26日、大量出血のため市立病院へ急遽入院することになりました。きょうこちゃんのパートナーのこうちゃんは、きょうこちゃんが入院中、病室で寝泊りしながらずっときょうこちゃんに付き添っていました。生死の境を何度もさまよいながら、入院してから48日後の12月12日、きょうこちゃんは市立病院を退院し、今後は沼津のがんセンターでの治療を視野に入れて体力の回復を図っています。以下は、きょうこちゃんの入院中、お見舞いに行ったときのいさどんとの会話をようこがまとめた「きょうこちゃん物語」です。

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10月26日。あっちゃんから連絡があり、お昼にいさどん、まりちゃん、ちなっぴと一緒に重篤状態のきょうこちゃんのところへ向かった。処置室にいたきょうこちゃんは「やりきっていないことがたくさんある」と言って涙を浮かべていた。でもいさどんに「あなたは正直なところ、自分でどう思うのか?」と聞かれたきょうこちゃんは「まだ死ぬ気はしない」と答え、いさどんは「そうだろう?それはあかんわ」と言った。また、きょうこちゃんは、「わたしの生き様を観て、皆のお手本になったらいいね。そういう役割をしていくね」とも言っていた。

その翌日の10月27日。いさどんとわたしは再びきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは、「わたしとしては、生きる方向に心を向けていくだけだなと思っている」と言い、いさどんは「それはそうだ。それにしても、わざわざ波が高いほうを選んだ」と伝えると、きょうこちゃんは「大分高いほうを選んだね。今は過去がどうだったかというよりも、ここまでいただいてきた道だから、ここから先をどう生きていくかだと思っている」と答えた。それに対しいさどんは、「あなたがいないところでいろいろ考えると、あまり希望が湧いてこないのだけど、あなたを観ると希望が湧く。本人が一番元気だ」と伝えた。また、「わたしたちは時代人です」の最新版メッセージを途中まで読んでいたきょうこちゃんは、「時代人・時代主義なんて、新しい言葉だね。これは世界初の言葉かもしれないね。今、わたしはこんなに狭い部屋にいるけど、そういう心で時代と共にあるのだと思っている」と言っていた。

その後、面会に来ていたきょうこちゃんの両親にいさどんは涙を流しながら次のように話した。
「彼女のことを思うと、前向きに考えられないのですが、そうかといって人に前向きに生きるように伝えてきた立場として、どのように言葉をかけたらいいのかと思うのです。意外と本人のほうが一番元気ですよ。まだ早いでしょう?と本人も言うのです。昨日、きよちゃん(きょうこちゃんの娘)と話したのですが、あの子はここのような環境で育ったこともあって、しっかりしている子です。『わたしはきょうこちゃんのことを思って、別に毎日泣いているわけではないけど、そういうことがあるかなと思うと、時々泣くこともある。でも小さい頃からね、生きるのは死ぬためにあるんじゃないのと思っていた。だから、死ぬことは嫌だけど、人はいつか死ぬことを知っているよ』と言うのです。『僕はきよが元気がなかったらいけないと思って、きよがどのように考えているのかなと思って呼んだんだよ』と伝えると、『大丈夫だよ』と言うのです。そのようにきよは育ったのだと思いました。きょうこちゃんには、『これから世界に向けてのプロジェクトがたくさんあるのだから、あなたもそれを一緒にやっていく仲間だよ。未来の答えはわからないのだから、精一杯やっていこう』と伝えました。まだ、触るとあたたかいですからね。未来はまだあるわけです。結論は出さずに付き合っていこうと思っています。木の花には外で緩和ケアの所長をしている看護師もいて、『やっぱり病院にいるのは変だと思う』という話をするものですから、今きょうこちゃんにも『もしあなたが望むのなら、木の花に戻って皆の顔を見ながら過ごすこともできるよ』と伝えたのですが、『それは先に考えるかもしれないけど、今はわたしはまだ先があることを考えているから』と言うのです。それで僕も、『そっちのほうがいいね』と伝えました。だから、本人が一番元気なのです。僕も、人を元気にさせるのが自分の役割なのに、ついつい望まないことを思ってしまうのです。」

いさどんの話を聞いていたきょうこちゃんのご両親は、「本人は意外と元気なもので、我々も安心しました。今日はひとまずこれで帰ろうと思っています」と話されていた。

そして10月30日の夕方。明日きょうこちゃんは沼津のがんセンターに移動になるかもしれないということで、いさどん・みかちゃん・ちなっぴと一緒にきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは「いつも眠りから目覚めると、『まだ生きている』と思う。いつも死と隣り合わせなんだよね。いつもこういう気持ちで生きていられたらといいと思う」と言い、いさどんは「それを必死と言うんだよ。必死は必ず死ぬと書く」と伝えた。それに対しきょうこちゃんは「いさどんがインドへ行ったときのことを思い出しちゃった。いさどんがインドへ行く前に逆流性食道炎と胃潰瘍、十二指腸潰瘍になって、人生で初めてのステロイドも服薬したら結構顔もはれちゃって、でも『負けへんで!』という気概というか、いさどんの気合を思い出した。あれは気迫があったね。あの気迫をもって生きていくことだよね」と言った。

それからきょうこちゃんは、「この前は皆にも引き戻してもらったし、いさどんにも会いたいなと思っていたら、夢で会えた」と話し、いさどんは「この世界では愛が大事で、情が絡むと毒になる。しかし、旅立つ人を引き戻すには情が引き戻す。その執着が引き戻すんだよ。愛ではだめなんだよ。愛ではそのままを受け入れてしまうからね。だから、情が引き戻す。情が深い人ほど、引き戻す」と言い、わたしが「いさどんは情が深いからね(笑)」と言うと、いさどんは「愛と情を使い分けないといけないんだよ」と言い、みかちゃんは「すごいね!愛と愛情を使い分ける!」と言っていた。

きょうこちゃんはまた、「こんなにスリルにあふれる毎日を送れるなんて。昨日はさくやがつねちゃんたちと一緒に来てくれて、その後れいかから電話があって、それからせいたろうからも電話がかかってきてね。木の花で育った子どもたちはいい子たちだなと思った。家庭教師時代があったな、なつかしいなと思って、せいたろう物語があったなあと。それこそ、皆の力だね。」と言っていた。

その後、「花よ天まで」をみかちゃんが歌い、それを聞いたきょうこちゃんは「皆で桃源郷を創ろう!本当に役に立つ者に生まれ変わって生きる!今、歌を聞いていたら、皆で本当に桃源郷を創るんだ、と思って・・・生きるぞと思っても、わたしもどうなるのかなと思って、気持ちがつい弱気になったりもするけれど、皆と一緒にやるぞ。そうだ!」と泣きながら言い、わたしたちが来たときは顔色が黄色く、熱があったきょうこちゃんの顔色が変わってきて、熱も下がったようだった。そして、皆で笑いながらばか話をしているのを聞いていたきょうこちゃんは、「いつも笑いがあっていいねえ」と言っていた。

翌日の10月31日の朝、3年前にいさどんが夢の中で天に問われて、それに対して答えた文章のことを久しぶりに思い出した。「少しでも光のほうへ」という文章をきょうこちゃんと一緒に読みたいという想いが湧き、プリントアウトして持っていって、いさどん・きょうこちゃん・こうちゃんの前で読み上げた。

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「闇からの卒業にあたって」

卒業式にあたって、自分の歩む道の方向性をつけるのに、どのような心構えをしたらいいでしょうか、という質問があったので答えます。まず、自分が歩む方向についてですが、自分が思う方向に進めばいいと思います。もし、思う方向が定まらなければ、自分に近い人が教えてくれる方向に進めばいいと思います。その自分が進む方向が決まったら、今度は、それがより健全で正しい道を選ぶことです。この世界にある物事はすべて、必ず善と悪に仕分けることができます。それを比べたときに、必ず片一方が少し劣っており、もう一方が少し優れているというように仕分けられます。それがあまりにも同じようでわからないときには、それを細かく捉えていって観れば、必ずそこでは優劣があるものです。そうしたら、ほんの少しでもいいから優れている方向へ進めばいいわけです。そして、選んでいった結果、最後に残ったところ、それが自分の進むべき道です。

これは「闇からの卒業」であり、「愚かからの卒業」であり、「神様へ進む道」です。

次に、この道を歩む縁をもらったものは、その道には道にふさわしい色々な困難があるものです。そして、それを歩む人には人にふさわしい迷いがあるものですが、この道を歩むものはまず、この道に縁があったことを歓びとして感じていくことが大切です。善いとか悪いとか、そういう判断をするのではなく、この道を歩めることを最大の歓びにすれば、どんなことがあっても、この道を歩むことから外れることはありません。そして、その選び方は、消去法でほんの少しでも光のほうへ、ほんの少しでも善意のほうへ、ほんの少しでも愛のほうへ、ほんの少しでも調和のほうへ、ほんの少しの違いがあってもより尊きほうへ道を歩めば、必ずその道は最後には人の行くべき最終到達地点につながっていることでしょう。

道は、人の目には観えないものですが、心の眼があるものには、その眼が愚かしいを避けて、正しいほうへ導いてくれるでしょう。心の眼を開けるためには、自らの内側にある本当の想いが天のほうへ眼を向けて、天のほうへ向かっていく。まっすぐに向かっていく道を意識したときに、眼はより良く観えるようになります。誰の中にもあるその眼は、全く揺るがないものであるのです。その眼が自らの中にあることを信じ、歩んでいけば、迷うことは全くなくなるのです。そして、過去に自らが迷ったことを思い出して、その迷いの愚かしさ、辛さを思えば、なおさらその真理への道を歩むエネルギーと追い風になってくれるはずです。

迷っているときは、あなたの我が自らをたったひとりにして、まわりのものから遠ざけてしまうものですが、真理への道は必ずまわりのものをしっかりと見出し、助け合い、調和し、歩むように眼を開いてくれます。それは、楽しく希望ある豊かなものになるでしょう。

――

この文章を聞いたきょうこちゃんは以下のように語った。

ようこちゃんたちが来るちょっと前に夢を見ていてね。そうしたらお釈迦様の手が上から現れてね。『さあ、立ちなさい』と言って、立たせてくれたの。顔は見えないのよ。『おまえはな、肉の眼は見えるかもしれないが、心の眼は盲目であったな』と言われて、『心の眼が見えるにはどうしたらいいのですか?』と聞いたときに眼が覚めたんだけど、すごいね。この話がすぐに出てくるとはね。ついさっきだよ。

昨日の(フェイスタイムで聞いていた)子どもミーティングでのいさどんの話もすごく良かったよ。うそつきは病気になるんだよって。わたしはうそつきだったな。本当にそうだったなって思うと、楽なんだよね。改めて楽になってさ。それにしても、ようこちゃんの文章はすごいタイミングだね。びっくりしちゃった。『どうしたらいいのですか?』と聞いて夢が終わっちゃったから、『ああ、続きが見たいなあ。もう一回見られないかなあ』と思っていた。それが現実となってすごいね。

そして、いさどんは次のように語った。

「僕の正直な気持ちは、早く行きたい。早く行きたいけど、率先して行くものでもない。物事の本質やことの成り行きがわかってしまうと、繰り返しの出来事に出会って毎日が退屈なんだよ。からくりがわかってしまうとね。やることがあればいなければいけないと思うけれど、生きることに囚われることはない。それこそ、長生きすることが良いことのように思われてきたけれど、世の中のものたちがそういうことをわかってしまえば、長生きすることだけが大切ということはなくなる。逆に、それならこの世界がむなしいわけではないから、別に長生きしてもいいわけだ。要はどちらでもいいんだよ。今は世の中がわずらわしいから、その矛盾のところと付き合っていることから早く離れたいと思う心もあり、そんなに早く行ってはいけないと思う心もあって、結局どうでもいいことになる。」

そこできょうこちゃんは「皆はわたしを見て、早く気が付いてほしい」と言い、いさどんは「そういう意味ではあなたがその学びを皆にもたらしてくれた。こんなことがなくても、皆が目覚めればいいのだけど、それは役割というものでもあるのかもしれない。でも、そこで気合が入りすぎてはいけない。気合が入りすぎると力が入りすぎるから、それはまた間違う。揺るぎのない自覚を持っていくだけだ」と伝えて、わたしたちは病院を後にした。

翌日の11月2日。白光のニコルやカタリナたちが来ていて昼にコンサートがあった。コンサートが終わり、ニコルたちと湧泉閣で話していたとき、いさどんから「今、僕たちは銀河のテーブルを真ん中に置いて、そこを囲んで銀河を眺めながら話をしているようだね。宇宙を旅する乗り物は「ユニバス」だ(チーン♪ みんな笑)!皆でいつか宇宙会議をしましょう」という話が出た。そこでジェニーが「そこには白光の五井先生や孟子たちもいるね」と言い、いさどんは「そうなのです!そのときにはトキを刻んでいる時代の枠を取り払いますから、トキを超えて高い魂が集まることになるのです」という話をしていた。

翌日の11月3日。朝、こうちゃんから電話があり、きょうこちゃんが結構出血しているということを聞き、いさどん、まりちゃん、みかちゃん、ちなっぴ、ともちゃん、ひとみちゃん、まりねえ、あさちゃん、きよ、すまと一緒に病院へ向かった。こうちゃんから電話があったとき、後ろできょうこちゃんが「ああ、ああ」とうめいている声が聞こえ、「まるでお産のようだ」とわたしが思っていたら、きょうこちゃんも、「出血すると、本当にお産のときのように子宮がぐわっと開いた感じになってね、思わず声を出しちゃうのよ。声を出すと楽なのよ」と言い、こうちゃんは「ああ、と言うんだよ。カタカムナでアは高次の響きだよね。人は苦しいときに、ああ、なんだと思ってすごいなあと思った。だいたい出血があると寒気と痛みが来るのだけど、その痛みはお産の痛みを10とすると6~7ぐらいなんだって」と言っていた。

それからきょうこちゃんは、「10月26日、29日、今日とあれから3回も大量出血をして、『もう1回大量出血したら』って言われていたけれど、まだ生きている。びっくりしたあ!もう3回だよ(笑)そのたびに覚悟はするけど、こうして生かしてもらっている」と言い、いさどんは「じゃあ、何回行けるか挑戦してみよう!どっちにいてもホームレスにはならへんぞ。居場所がある。今、ホームレスは病室のソファがベッド代わりのこうちゃんだと思ってさ(笑)」と言って、皆が笑った。

 病室にはいつも笑いがあった
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その後みかちゃんとちなっぴが「太陽の導き」を歌い、いさどんはこう語った。

「昨日ジュラシックワールドという映画を皆で観たけれど、DNAというのは何を刻んでいるのかというと、過去の経験を刻んでいる。経験の情報がすべて図書館のようにして刻まれている。
我々は大きな世界の中の小さなものだけど、大きなものは小さなものによって成り立っていて、小さなものは大きなものを支えている。小さなものにはここからここまでという枠があって、ロックがかかっている。そのロックをはずすと、実は宇宙の物質は消えることはないことが観えてくる。はじまりから今まで消えることなく、ただ変化しながらそのサイクルを経験しているだけだ。そのサイクルの経験をDNAがすべて記憶している。そうすると、ロックをはずしてやれば、我々の中にある物質的DNAと霊的DNAは解放される。自らの枠を超えて、自分自身のルーツでも巨大な宇宙原理でも、自らの中から湧き出てくるようになる。
だから、『太陽の導き』の歌の中に出てくる『あなたという小宇宙がもっと大きな大宇宙の中で』というのは、これはまったくの真理だ。自分という自我のロックをはずしてやれば、大きなところへ行って自分が消えたように観えてもいいんだよ。そして自分にそれが返ってきて、自分の小さな枠の中に戻してやれば、また元の自分がそこにいる。だから、自由自在だということ。微細な宇宙も巨大な宇宙も、実は探究は同じで、それは大きく拡大するか小さく拡大するかというだけのこと。タガがはずれると、そのような発想が湧いてきて、それが真実になっていく。
だから、我々は現象界で生死に縛られているようで、死ぬことを恐れたりするけれど、行ったり来たりしているだけなのだ。タガがはずれればどうってことはない。昨日もニコルたちと三次元の話をしていたけれど、心は異次元だった。そして、トキを超越していた。」

きょうこちゃんは「やっぱり皆と話すと、世界が大きくなって、宇宙にまで意識が飛ぶね。生きているとか死んでいるとか、そこにこだわる必要もないし、だけど希望を失わないということなんだけどさ。そういうところにこだわる必要はない。いつも皆と一緒なんだと思っている」と言い、いさどんは「それはお互いさまだよ。電話が来るとそれはいかんわと思うけれど、こうやって話していれば、やはりロックをはずすべきだと思う」と伝えた。

最後に、きょうこちゃんが放射線治療の二択についてどうしたらいいか、いさどんに尋ねると、いさどんは、「どっちでもいいんだよ。だいたい変だと思ったのは、これがいいと思っている医者の案があるのに、二つも選択肢を提示すること自体間違っている。それでこちらが伝えたことに対してクレームをつけるくらいなら、最初から一つだけを言えばいい。さっきの話をまとめていくと、何でもいいんだよ。行ったところが道だから。とても複雑そうに観えても、実は当たり前にこっちだな、こっちだなと進んでいくだけのこと。最初からその道だけを言われると強制されて難しそうに感じるけれど、今を観て、こっちだな、こっちだなと進んでいけば、どんなに不可思議な道でもちゃんと行けるものだ」と言い、きょうこちゃんは「昨日の判断状況と今朝の判断する状況が違うからね」と言うと、いさどんは「そういう意味でいったら、『まだ自分で選ぶか?』ということだ。」と言った。
こうちゃんも、「僕もそう思った。結局選んだものの反対、反対の現象がずっと来る。だから、選ぶこと自体がいただいていないと思って、もうやめようと思った」と言い、きょうこちゃんが「ここまで来ても、常にいただく心がやりきれてないね。まだ自分の我が勝っている」と言うと、いさどんは「選択肢がないのなら、もしくは選択肢を捨てなさいというプログラムなら、最初から選択肢なんか与えなければいいのに、と天に言うと、天は『そういうものはあそこにおるぞ。植物や動物は選択肢がない状態でおるぞ』と言われる。だから、天は人間だけに選択肢を与えたんだよ。なぜなら、その意志を共有したいからだ」と言った。それできょうこちゃんは「どこまでもいただく精神だね」と言い、わたしたちは病院を後にした。

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11月6日の朝9時過ぎ。3日ぶりにいさどん、みかちゃんと一緒にきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは「いさどんが『人が変わると景色が変わってきた。きょうこちゃんからみほさんに担当が変わって、倉庫まわりが整理されてきた』と言っていた話をこうちゃんから聞いて、いろいろと振り返ることがある」と言うと、いさどんは「先にそういったことをすべて振り返って整理しておくと、もし向こうに行ってもやることがないから、来なくてもいいよ、ということになる(みんな、笑)。だいたい、ほとんどの人々はそういったことに気が付かずに向こうへ行って、向こうで振り返ることになるのだから。だから、生きている間に本当は振り返らないといけない」と言い、わたしは「それが心磨きだよね」と言った。
それからきょうこちゃんは、「昨日の夢にみかちゃんが出てきて、振り返りが足りないよねって言われたんだ。自分が過去にしてきたいろいろなことの映像が浮かんできたり、中神倉庫で作業をしている夢を見たりね。久しぶりに中神で作業をしちゃった。こうやって生きているうちにいろいろと振り返らないといけない。入院してからのこともそうだし、これ以前のこともそうだし、親に対しても生意気だったなって」と言い、いさどんが「それだけ振り返って復活したら、使い物になるぞ!僕はそれを楽しみにしている」と言うと、きょうこちゃんは「これだけのことがあったら多少使い物にならないとねえ」と言い、皆で笑った。それからいさどんは「今、世の中は面白くなってきたぞ!」と言い、それから30分くらい話をして病院を後にした。

しかしその後、午後2時前にこうちゃんから電話がかかってきて、きょうこちゃんの意識が遠のいているということを聞き、いさどんとわたしは再度病院へ向かった。わたしたちが到着したときはまだ意識が遠いところにいたきょうこちゃんだったが、意識が戻ってきたときに「皆、ありがとうね」と言い、「意識がある・・・ああ、自分はまだ生きているんだって。今度こそ行っちゃうのかなって・・・皆に出会えたことに、この生き方に出会えたことがありがたい。後悔は何もないし、ありがたいなあという想いだけ。皆に出会えて良かった。いろんなことに出会ってきたけれど、全部感謝だな。いろんな人に出会ってきたけれど、感謝だな。ありがたい」と言い、いさどんは「そういう気持ちになれるのが目標だからね。生きているということは、なんでもありがたい。不満を言っているうちは、まだ本当がわかっていない。また来てほしかったら、また緊急の状態になればすぐ来るから(笑)」と言い、皆で笑った。

翌日の11月7日。いさどんと楽団の皆と一緒にきょうこちゃんのところへ行った。午前中に輸血を行い、午後には初めての放射線治療を受けたきょうこちゃんは昨日とは打って変わり、生命力にあふれていた。いさどんは開口一番、「また会えたね。昨日は緊急事態にならないと来ないぞと言ったのに、今日は運転手として雇われてきた。日当なしで来たぞ(笑)」と言い、皆で笑った。みちよんが昨晩大人会議の冒頭に皆で輪になってカタカムナの63首を歌ったことを伝えると、きょうこちゃんは「いつもは結構しんどいのだけど、今日は珍しく一日落ち着いていた。夕方ゆみちゃんが来て、みかちゃんのメールを読んでくれてね。自分の中に奇跡を起こす力があることを信じることだね」と言った。

みかちゃんのメールには、昨晩のいさどんの言葉が書かれていた。「きょうこちゃんを復活させるのに奇跡があるとしたら、それは医者が『なぜ復活したのかわかりません』という奇跡だ。しかし、今の流れだと医者の力なんだよ。それは奇跡とは言わない。あれは医者が話している可能性と医者が話している奇跡の話だ。奇跡を見せないと、人間はその奇跡の方へ、天の方へ心を向けない。でも、今までそれをやってきたから間違いも起きた。昔はそういう奇跡があって、それを信じたものたちが天をあがめて、信者と化した。結局、根本的に人間の心を変えたわけではない。その見苦しい亡者の姿が再発して今ピークを迎えている。」そこでわたしは「その奇跡こそがカタカムナの現象化だものね。でも、それは奇跡というか道理であり、いのちの仕組みだから」と言い、いさどんは「それが神秘として隠されているんだよ。それをその通りだと思えば通っていくのだが、その通りを悪くしている思考回路がある」と言った。

そこからいさどんはチャイナブルーという中国のある社長のドキュメンタリーの話やフランスの人口学者の話、アメリカ大統領選、フィリピンのドゥテルテ大統領の話、パククネ大統領の話、福島原発の話など多岐に渡る話をして、「もう、世の中のどこを観ても世紀末だ。今、新たな世紀が始まり、新たな価値観が湧いてきている。人口学者のエマニュエル・トッドさんは現状を分析し近未来を予測して『価値観の大転換が必要です』と言っているが、どうしたら価値観が大転換できるのか、その回答はない。今までは分析する人はいなかったけれど、今、分析する人は現れるようになった。しかし、実際にどうしたらいいのだろう?というと、その回答はここにしかないんだよ。この間の『時代人』の話がその答えだ。(そしてきょうこちゃんに向かって)死んでいる場合じゃないぞ!(みんな、笑)」と言い、きょうこちゃんは「本当だねえ(笑)。復活しないとねえ。いろいろな意味で本当にここには回答がある。ここにしかない」と言った。さらにいさどんは、「死んでいる場合じゃないぞ!」と言い、きょうこちゃんは「本当に死ぬかと思ったわ(笑)」と言うと、いさどんは「昨日はだいぶ呪いの呪文を唱えたよ(笑)。行かせん、行かせん、おまえのいいようには行かせん♪」と言い、皆で笑った。
最後にいさどんが「今は世の中が混乱の極みだ。だから、死んでいる場合じゃないぞ!安定している時代ならば、まあ別にそう大して変わらないから、さよなら~って行ってもいいけど、これぐらい激動だったらちょっと眺めていたほうが面白いぞ」と言うと、きょうこちゃんは、「これからますます世の中が面白くなっていくね!今日は激動の世界を駆け巡ったわ。また元気になった!」と言い、わたしたちは病院を後にした。

その2日後の11月9日。夜中に大量出血があったということで、いさどん、みかちゃん、ちなっぴと一緒に午前中、病院へ向かった。実は昨日、「久しぶりに木の花ファミリーブログとして掲載されているきょうこちゃんの心のシェアを読んでみたい」と閃き、今日そのブログを2つプリントアウトして持っていった。そこには、「すべては善への旅である」も引用されていた。

病院へ着くと、いさどんは「今から勉強会をやるからね」と言い、まず、きょうこちゃんブログを読み上げた。その後いさどんは「短くても長くても充実していることが大事だ。あなたの人生は充実はしていたね」と言い、きょうこちゃんは「良い人生だったよ」と言うと、いさどんは「過去形にするな(笑)」と言って皆で笑った。きょうこちゃんは「今、わたしは医療の技術によって生かされているけれど、最終の最終地点では結局わたしの信じる力がすべてを左右するということを感じている。そこのみ」と言い、いさどんは「結論は出して出せないものだから。最終的には自らの寿命と出会うということと、その答えはいただくものだということ。それをいただく心になったときに、ふさわしく善意で物事が与えられていたことに気付く。企めば企むほど、裏が来るからね(笑)。想いは勝手にいくらでもまわるから」と言い、きょうこちゃんは「たとえいのちが短く終わっちゃったとしても、それでも善意だなと思う」と言った。

みかちゃんは「この前ね、ハワイのネイティブの人のマナカードを引いてみたの。とかく人間は白か黒かをはっきりさせたいものだけど、グレーというのが大切で、先を決めないで常に瞬間瞬間の白でもなく黒でもないところを感じていき、瞬間の波に乗っていくことの大切さというカードだったの。それはいつもいさどんが言っていることだと思った」と言うと、いさどんは「その立ち位置に立つからこそ、いただくことができる」と言い、わたしは「今回、奇跡って何だろう?と思ったときに、『奇跡』はその人の『軌跡』・その人の歩いた跡だから、奇跡をその人にとっての最高の境地だとするならば、奇跡とはそこに至るまでのその人の歩みにしかすぎないんだよね」と言い、いさどんは「それはDNAだからね。DNAは体験したことが記憶してある情報にしかすぎない。だから、自分がぶれなくてもいいんだよ。自分を観て、ぶれていたら、揺れている自分がいるなと思うだけだ。そしてそこをどうしていくかという歩みが一つの生きるエネルギー源になっていく。そのままでいいなら、皆あっさりと向こうに行っているはず。そこにもだえ、苦しみ、抵抗し、そこで何かを掴んで人は成長していく。世の中にはもだえ、苦しみ、抵抗しただけで終わり、学びが一切なく、転げ落ちていく者もいるから、いろいろだ。今日はもうひとつプロジェクトがあるけど、大丈夫か?」と言い、昨晩出発(たびだち)プロジェクトチームが仕上げた出発アンケートをきょうこちゃんにシェアした。

いさどんは、「我々がこの道を生きることにおいて、極めて重要なことの掘り起こしやそれを考えるきっかけをつくっているのは、あなただ。これも、あなたのような往生際の悪い者だからこそ、そうなれた。見本みたいな人がそうなったって、『あれは当たり前だよね』という話になるだけだ。それを超えるとき、人は見本になれる。それで、あなたもメンバーなのだから、こうやって語り合えるうちに出発アンケートを共有しておこうと思っているわけだ。まだ過去形にはなっていない(みんな、笑)。
こういったものがすべて共有できるようになると、奇跡の下地はできる。さっきのグレーの話ではないけれど、結論は出さなくてもいただく精神によって、我々が出したがる右か左というものではないものが出てくる可能性がそこにある。そこは無所有の境地。そこは何かの枠を取っ払って、死生観でいう生死を越えたところで観ないといけない。どこにも恐ろしいと思うことなしに、ただ現状を情報として観て、淡々とその流れに沿っていく」と言うと、きょうこちゃんは「つい結果を想像していろいろ考えちゃうけど、まっさらに、ただただいただくということを今は学ばせてもらっているなとすごく思う」と言った。
こうちゃんは「覚悟がないと、奇跡を起こそうという今までと同じ欲の延長になっちゃう。でも覚悟があって、いつでもいただきますという精神に至って初めて、奇跡を起こす側の立場になるのかなと昨日から思っていた。自分はどうかな?と思いながら」と言い、いさどんは「自分の想いを行動に移してみると、すべてつぶされていくでしょ(笑)。それでもう一回振り返ってみると、想っても仕方がなかったことがわかる」と言うと、こうちゃんは「輸血のことでも、輸血は1回だけだと言われて、僕としたら当然前回と同量くらい輸血するのだと思っていたら、前回の3分の1の500ccだけで、そこでひとつ外れたなと思ってさ。そうすると、自分の中に『あと1リットルくらい輸血してくれるだろうな』とか『なんでそんな話になったのだろうか』という想いが湧く。それで今日の夜中に500cc以上出血したものだから、どんどん手放していけということだと思った。自分では手放しているつもりでも、想いは湧いてくる。だから、一つ一つ現象が教えてくれている」と言い、わたしは「きょうこちゃんの魂が、きょうこちゃんが言葉では一時『すべてがありがたい』と言っても、『本当にあなたはすべてをありがたいと思っているのですか?』と問うてくれたのだと思った。だから昨日、『何かが違う』と伝えてきた。単に輸血して放射線治療を受けて、物理的に一時安定してそれでよかった、という浅いところではなく、魂の価値のことを教えてくれていた。ありがたいにしても、どんどん深みが増していく」と言った。
きょうこちゃんは「さらに自分の想いを本当になしにしていくというかね。いただいているつもりでも、まだいただいていなかったり、そういうことを日々学んでいると思う」と言い、こうちゃんは「本当に不思議だよな。だからといって、考えなくていいというわけではない」と言うと、いさどんは「それが生きているということだ。だから、生きているということは、あるものとコミュニケーションをとっているということ。この世界にはあるものというものがあるんだよ。秩序として、厳然たる不動のものがね」と言った。

さらにこうちゃんは「数日前から思っていたのは、どこまで行っても深くなる一方だから、どこまで行ったらということはとりあえず肉体を持っている限り、ない。感謝でもいただくでも、どんどん奥がある」と言うと、いさどんは「ということだ!わかったか(笑)。結論は何もわからん」と言い、わたしが「それがこの世界の実体だものね。人間にわかっちゃいけないんだよ」と言うと、こうちゃんは「生まれたときから死ぬときまでぜんぜんわからないことの連続だから」と言い、わたしが「生きているということはわからないことがわかるということ」と言うと、いさどんは「わかるを自分の側に置こうとするからいかんのだ。やはりいただいていく精神だ」と言った。
こうちゃんは「深いね。だって、探求してわかろうと思う想いがなかったら、ここには至らないしさ、けど・・・」と言うと、いさどんは「わかろうと思って、わかったら違うんだよ」と言い、もう言葉では表現できず、どうでもよくなる、という結論に至った。きょうこちゃんも「深いね!」と言い、いさどんは「生きていても死んでいてもいいんだよ。この間ここへ来たときは『死んでいる場合じゃないぞ!』と言ったけど、そんなことはどうでもいいんだよ」と言い、こうちゃんは「もしかしたら次の計画を先に練りだしているかもしれないし(笑)」と言い、いさどんは「『おまえ、こっちで手が足らんから早く来い!』と言われているかもしれない(笑)。それで行ってみたら、なんてことはない、こっちよりももっと親しい人たちがいたりしてな。『あっちに囚われている場合じゃなかった!これがわかっていたら早く来たかった!』ということになるかもしれない」と言い、皆で笑った。

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最後にこうちゃんは「なかなか病院で笑っている人たちはいないよ(笑)」と言い、きょうこちゃんは「ほんと、ほんと!死ぬかもわからないけれど、面白い人生をもらっているなと思ってね。だって、この間せっかく血が入ったのに、もう全部出ちゃったもの!」と言うと、みかちゃんが「木花咲耶姫様のモットーは潔く生きて潔く散るということだからね」と言い、いさどんは「その散り際の美しさが木花咲耶姫の個性だ」と言い、皆で病室の窓から雪の王冠をかぶった美しい富士山を見た。きょうこちゃんは「一言では言えないけれど、良い時間だった!どこまで覚悟ができているかはわからないけれど、もう何度もそういう場面が来ているから、ある意味覚悟はできているなと思う。そこまで腹をくくっちゃうと、面白いな。ありがたいとかいただくことの深みを日々学ばせてもらっているな」と言い、いさどんは「ありがたいも深みがあるんだよ。『いただきます』だから、いただき(頂き)・・・頂上まである」と言うと、みかちゃんは「頂き増す!どこまで行っても頂きが増していくんだよ」と言い、こうちゃんは「登山に終わりはないってことだ」と言い、皆で拍手して病院を後にした♪

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その翌日の11月10日。朝、きょうこちゃんが大量出血し、意識が遠のきそうだという連絡がこうちゃんから入り、いさどん、みかちゃん、まりちゃん、ちなっぴ、ともちゃん、きよ、すまと一緒に病院へ向かった。病院へ到着すると、きょうこちゃんは「いろいろあるねえ」と言い、いさどんは「それにしても、もうこれ以上血液が減ってはいけないと言われているのにさ」と言うと、こうちゃんは「落ち着いているでしょ(みんな、笑)。今までになくすごく穏やか。血色も良いし(笑)」と言い、わたしは「血液がなくても生きていける境地になった。新種が木の花に現れた(笑)」と言うと、いさどんは「マイナスだったりしてな(笑)」と言い、皆で笑った。

きょうこちゃんは「夢の中であうんの会があってね。今、やじーが毎日そばを打ってくれるのだけど、『このそばは命を蘇らせる本当のそばですよ』って皆で泣きながら食べているの・・・今、わたしは生きているなって。元気になったんだって・・・そう思いきや、朝になったらドバーッと(笑)」と言い、こうちゃんは「本当に面白いよ(笑)。今までは子宮がぐちゃぐちゃしている感じがあったんだって。だけど、放射線のせいかそういう感覚がなくなったんだって。良い感じかなときょうこちゃんが言っていたら、その直後に出血(笑)!面白いね。本当にどこまで行っても、いただきますだ」と言い、きょうこちゃんも「もうびっくりしたよ!今までで一番出血の量が多いよ。でも、意識が切れないじゃんって(笑)」と言い、こうちゃんも「意識が行きそうだと言うからいさどんに電話したけど、1回も意識が飛ばないね(笑)」と言った。わたしが「きょうこちゃんの中でそばが生きているから(笑)」と言い、いさどんは「つなぎが良かった(チーン♪笑)」と言って、皆で笑った。

それからいさどんは「今、アメリカで起きていることは、皆、今までを基準にしてものを考えるだろう?まさか、『こういうふうになるとは』とか『もうこれ以上は』と言うけれど、行けば行くほど、その次の世界がある。結局、所有しているだけなんだよ。自分の枠の中で限定しているから、『これ以上行ったら考えられない』というものが皆あるんだよ。次から次へとある。ただそれに自分の思考が追いつかないだけ。だから、思考しないでいただいていく姿勢になれば、自由自在になれる。限定する自分に囚われがあると、『いやだ!』とか『考えられない!』となるけれど、どちらにしても考えられるわけがないんだよ(みんな、笑)」と言った。

きょうこちゃんは「この生をいただいている。本当に皆に出会えてよかった」と言い、いさどんが「昨日の話で、もしここで別れて向こうへ行ったら、『なんだ!こちらのほうが近かった!』という話は面白いと思ってね。『向こうも近いと思ったけど、なんだ、こっちのほうがもっと近い!』と僕は思うんだよ。なぜここへ来てこのような生き方をしているのかと思うと、そこに出会うわけがある。それで戻っていったら、戻っていったで、『向こうのわけはこちらに元があったんだ!なんだ、ばかばかしい。あっちのほうが大本だった』ということになる。すべてあちらで操作している」と言うと、こうちゃんは「向こうで操作するのも面白そうだし、こっちでアップダウンしながら操られているのも結構面白い(笑)」と言った。

それからいさどんは窓から富士山を見ながら、「窓の外の景色を見ると、昨日の景色も今日の景色も天気が違うから多少違うように見えるけど、同じように見えるだろう?あれをじっと観ていると、ドーッと何かが流れている。移り変わっている。移り変わっているということは、今この部屋の中では毎日いろいろな出来事があって一喜一憂するわけだ。そこで気持ちは一喜一憂しながら、『まだ生きていたよ』などと言っているけれど、この世界全体がドーッと動いている。自分が意識したところはダイナミックで過激なように見えるけれど、実はそこら中ダイナミックで過激で、すべて同じなんだよ」と言い、こうちゃんも「本当に流れているだけだな。流れがそこにあるだけだなって思っていた」と言い、きょうこちゃんは「世界は面白くなるねえ。フリーな立場でいれば本当に面白いね」と言った。

その後、看護師さんが何度か部屋に来たときにいさどんは「あの人たちが入ってきてさ、僕を見て、『トランプさんがなぜここにいるのだろう?』となぜ聞かないのか(笑)。ヘアスタイルが違うからか(笑)」と言い、皆で笑って、わたしたちは病院を後にした。

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11月14日。いさどんとわたしは4日ぶりにきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんの顔を見るやいさどんは、「えらい良い色になったな!この世のものとも思えんような(笑)。悪くならないものだから、見に来なかったぞ(笑)。毎日来てほしかったら、毎日危篤状態になればいいんだよ(笑)」と言い、皆で笑った。

その後わたしは、「せっかく久しぶりにきょうこちゃんのところへ行くのだから、何かプレゼントを持っていきたい」と思ってプリントアウトしていった「胸突き八丁」の話をきょうこちゃんにシェアした。

――

 「胸突き八丁」

いさどん:
富士登山では九合目を超えたところに、胸突き八丁(約872m)が来る。胸突き八丁は九合目の上にあるんだよ。気持ち的にはもう一息どころか、二息いかないと、頂上へは行けない。「もう九割来たのだから」といって、もう行けたと思ったら、それで断念することになる。ダンネンでした(チーン♪)。そこを行き切るのは、心で行ける。そのときに、心で行ける見本となれるし、物理性が伴わなくても、人間は精神というもので究めることができる。これは人間以外のものには与えられていない。心で生き切るということは、植物や動物には与えられていない。他のものは心は関係ないのだから。

ともこ:
胸突き八丁を超えることは、今までと質が違う感じがする。

いさどん:
そう。富士登山でいう胸突き八丁というのは、物理的な辛さとの戦いだ。しかし、この胸突き八丁は目覚めるか、目覚めないか。真理を観るか、観ないかの差だから、だいぶ違う。

ともこ:
それまではわりとストイックな世界だったけれど、ある意味自分と向き合ってきた者がその延長線上だと、そこは登れないのだろうなと思う。

いさどん:
なぜかというと、それは「人智」だからだよ。胸突き八丁の向こうはすべてを捨ててしまって、すべてをお任せという境地。そういった精神状態になれば自分も何もありません、という心境だ。きょうこの言う、「わたしって囚われていた。いのちというものはもっと必死にならないといけない」ということだ。生きることに真剣になって、がむしゃらにあがくことが生きることの証だよ。だから、瞬間瞬間生きることは真剣だ。そのことに気が付くと、生命力が湧いてくる。胸突き八丁は、ただ生命力に任せて、ただ前に出る足に従って行く境地だ。

人には人智を超えた生命力に出会える可能性がある、と僕は考えている。

――

文章を聞き終えたいさどんは、「胸突き八丁の胸は胸板のことだからね。だから、心のことだ」と言い、きょうこちゃんは「人智を越えたところに湧き出してくる。富士山を登ると、本当にあとちょっとというその最後が苦しいんだよね。もう目の前に上が見えているのにさ。よく行ったもんだねえ」と言った。いさどんは「初めて登ったときは配分がわからなかったから、最後のところは死んでもいいから登ろうと思った。死んだら登れんというのに(みんな、笑)。ご来光登山だったから、上が渋滞して亡者のようになってしまった登山者たちが動けずにいて、その間を踏んでいくような感じだった。途中であいこさんとはぐれてしまい、必死になって上がったら、あいこさんは上にいた(みんな、笑)!あんなに必死になって来たのに(笑)。『ちょっと大変だったろう?』と言って迎えてあげようと思っていたら、あいこさんのほうが『来れたねえ』と言うんだよ。僕が120%の力を出しても、草取りではあいこさんに絶対負ける!」と言い、こうちゃんが「負けるよね(笑)。競争するのが馬鹿らしくなっちゃう」と言い、さらにいさどんが「まりこと蕎麦刈りしてみろ!腹が立ってくるに(笑)」と言い、皆で笑った。

それからいさどんは、「新しい宇宙の分析をしたから、それをフランス人の人口学者のエマニュエル・トッドとヨーロッパの最高頭脳と言われているジャック・アタリに送ってあげないといけないと思ってね。エマニュエル・トッドにはようこちゃんがすでにメールしたよ」と言い、わたしは「彼に時代人のメッセージを送りたいと思ってね。『日本であなたが特集されている番組を観て、あなたが気に入ると思いましたので、時代主義のメッセージを送ります。もっと知りたければ、ぜひ富士山麓の木の花ファミリーに来ていただき、前人未到のディスカッションを地球と全人類のために行いましょう♪』というメールを送った(笑)。本当に来たら、彼にプレゼンしてあげないとね」と言った。

また、いさどんは、「結構良い色になってきたな。血がないはずなのに(笑)」ときょうこちゃんに向かって言い、こうちゃんは「どこかでスイッチが入ったのか。何かが起きているのだろうか(笑)」と言い、きょうこちゃんが「これから先も本当わからないなと思って」と言うと、いさどんは「覚悟しすぎて損しただろう?」と言って、皆で笑った。さらにいさどんは「人間が想定できるうちは、奇跡ではない。人間がダメだと判断したところから奇跡が起きる」と言い、こうちゃんは「胸突き八丁の話と同じで、本当に一線があるんだなと思ったよ。手放すということはこういうことかなって」と言った。きょうこちゃんは「やろう、やろうとしているときはダメだけど、手放したときに何かが起こる」と言い、いさどんは「妥協しているうちはダメだ。こういうふうだから、今度はこうと妥協しているうちはね。妥協も何もなくなってしまわないといけない」と言った。

そしていさどんは、「また来るから。次は3年後(笑)!来てもらいたかったら、危篤になること(みんな、笑)!こうちゃんから連絡があってここに来るときには、これで終わりかと覚悟して来るのだから」と言い、こうちゃんは「帰るときは皆で笑っているもんな(笑)。もう7回くらいそういうことがあったよ」と言い、皆で笑って、わたしたちは病院を後にした。

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――

その後、きょうこちゃんの状態が安定してきたため、いさどんは一週間に一度きょうこちゃんのところへ行って雑談をしては、きょうこちゃんがよく笑い、11月28日に15回の放射線治療の最終日を迎え、12月12日の退院に至ったのでした。きょうこちゃんの退院にあたり、「こんな日が来るとは思えませんでした」とこうちゃんは言っていました。

 退院して、みんなと再会。
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 こうちゃんに付き添われ、2ヶ月ぶりに畑へ。
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木の花ファミリーに戻って2週間が経った今、きょうこちゃんは現在の想いを次のように語ります。

――

この48日間のことを思うと、ものすごく貴重な体験をさせてもらったと思います。生死を彷徨うような状態であったけれど、振り返れば面白い体験でした。もうあちらの世界に行ってしまうかも知れないというのに、病室にはいつも笑いがありました。生きていても、死んでも、どちらでもいい。もともと大本はあちらの世界にいたのだから。そんな、囚われのない心になれると、いつも笑っていられるのだと思うのです。

とにかく、どこまでいっても「いただく」ということを学ばせてもらいました。手放すことで、奇跡が起きることも見せてもらったのです。

自分の今までの心は間違っていたことにやっと気付き、自分の心の眼が見えていなかったことにも気づかされました。やっていきます、と宣言はたくさんしてきたけれど、本当のところは、自分の心を見ることから、逃げてばかりいました。けれど、間違っていた自分を認めてしまうと、すごく楽なのです。ものが見えるようになるには、まず見えていないことに気づかないと始まらない。バカだと気が付かないと、バカも治らない。当たり前のことだけれど、その当たり前が、自分が強いばっかりに、やれなかったのです。

血も入れ替わりました。通常私の体の大きさだと、約3200ccの血液が体にあるそうですが、今回2160ccも輸血したのにそれ以上の出血があったのです。体が緊急事態を察知して、普段とは違う方法で血を作ってくれたとしか思えません。放射線治療の副作用で、腸炎を起こして、10日間何も食べられず、胃も腸も空っぽになりました。下痢がひどく、オムツをし、液状のものから始めて、だんだんと柔らかい離乳食のようなものになり、徐々に普通に食べられるようになっていきました。そして、一カ月以上も寝ていると、歩くこともできないのです。まずは座ることから、次は立つこと、そして少しずつ歩けるようになりました。つまり、肉体的には死ななかったけれど、体は、まるで赤ちゃんからスタートして、一から始めているのです。

心も一からスタート。そんな気持ちでいます。

だから、今の私は、私であって、私でないもの。不思議な感覚です。もともと、自分が生きている要素なんてどこにもないのですが、頭で分かっていただけで、本当には分かっていませんでした。知れば知るほど、「分からない」ということが分かる。本当にこの世界は奥深い。

まだ、みんなには話していないけれど、放射線治療をするとき、汽車が走るような音がします。まるで、銀河鉄道に乗っているような感覚になるのです。そして、宇宙空間に、蓮の花の上に横たわる私の姿が見えるのです。最初は妄想かな、と思ったけれど、何度も何度もその映像は出てきて、出血で苦しいときも、熱が出てしんどい時も、うつらうつらと眠っているときも、やっぱりこの映像が出てくるのです。何か大きな存在が、私が生きるべく、体を癒し、いつも見守ってくれている・・・。けれど、それは、私に限らず、全てのものがそうやって生かされている存在なのです。

そう感じました。

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これから、次の治療が始まりますが、いつまで生きられるか、それこそ分かりません。だから、今、私がやれることを精一杯やっていこうと思っています。体はまだ思うように動かすことが出来ないけれど、私がやれること、私にしかできないことがあるはず。こんな私でも何か役に立ちたい。そんな風に思って日々過ごしています。

今は、ゆっくりと療養させてもらって、本当にありがたいです。神様の愛と、みんなの愛をいっぱい感じている毎日です。ありがとうございます。

そして、今日はクリスマス。イエス・キリスト様のお誕生日ですね。私たちはいつもいつも、神様からたくさんプレゼントを頂いているのだけれど、今回のことは本当に大きなプレゼントをいただきました。頂いてばっかりなのですが、私に何か出来るとしたら、「病気」は決して不幸なことではなく、「神様からのプレゼント」だということを多くの人に伝えられたらいいなと思っています。

そして、シリア、イエメンなど未だに内戦が続いています。破壊しつくされた町や栄養失調でやせ細った赤ちゃんの映像を見ると、本当に心が痛みます。彼らがこの日をどう過ごしているのか、想いを馳せてみるのです・・・。本当に世界が平和になる日が来るように祈るとともに、その暗闇の元が自分の中にもあることを見詰め続けていくことだと思っています。

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――

そして、きょうこちゃんをずっと見守ってきたいさどんは、次のように語りました。

――

「きょうこちゃんが市立病院に入院しているときは、『あなたの枠を取りなさい。いただきなさい』と伝えてきょうこちゃんはここまで来たのですが、きょうこちゃんがここに戻ってきたときには、『これから沼津のがんセンターに行く前に、健康な心になりなさい。そして体に残っている病気に対処しなさい』と伝えました。そうしたら、病気は格段に早く改善されることでしょう。

今はきょうこちゃんに会うたびに、『生きていたね』と改めて思うのです。何度か手放してきましたからね。そうすると、きょうこちゃんがただそこにいるだけで奇跡が起きていると思うのです。実は奇跡とは、当たり前のことなのです。奇跡が起きるのは、神秘が現れたのです。神秘とは、神の秘密です。それを秘密と捉えず、観えるようになってくれば、この世界は奇跡だらけなのです。そして、『奇跡』だらけで生きると、それがその人の生きた『軌跡』となるのです。

本当は、このような現象をもらわなくても、生きていることの意味を深く感じられたらいいのですが、人は滞りがない毎日を送っていると、日常に当たり前にあることがありがたく思えないものです。そう思えない人は当たり前にあることに対して意識しないので、想いが叶わないことに対して不満を言うようになります。きょうこちゃんからのメッセージにシリアやイエメンのことが書いてありましたが、昔のきょうこちゃんだったらそのようなことに想いを馳せることもなかったことでしょう。病気になることは歓迎することではありませんが、どこからでも学ぶ気になれば、良い体験になるのです。しかし、ならないほうがいいものはならないで学べることが一番良いですね。日々起きる出来事がわたしたち自身を教えてくれているのですから、いかに小さなことで気付けるか――、それが、日々どのような姿勢で生きているのかの証です。

しかし、小さな滞りで自らを振り返らなければ、出会う現象はどんどん大きくなっていきます。そして、最終的には命が懸かっている段階にまで至るのです。そこで、必死という境地に至るのですが、そのように必死になったときに、必ず死が訪れることを教えてもらうのです。わたしたちは必ず死ぬのです。ですから、丁寧に自らの心の在り様や出来事の意味を見つめ、常に理解する必死さがあれば、大きな現象をいただいて慌てなくてもいいのです。そして人に不満を言わなくてもいいのです。

最近きょうこちゃんの顔を観ると、顔つきには癌の相はなく、表情は健康体です。きょうこちゃんが癌になり、医者もダメだろうというところにまで行って、こうちゃんは7回もダメだとあきらめました。7というのは、カタカムナで質的転換を表しますから、良い数字ですね。体にはまだそれだけの現象の余韻が残っていますが、きょうこちゃんの心はもはや癌ではありません。昔は、きょうこちゃんの体は健康に見えましたが、心が癌をつくる響きを発していました。

木の花の自然療法プログラムを受けるために面談に来た人に、僕はこう伝えることがあります。『あなたは病気ではありません。あなたの心が病気を引き寄せる心をしているだけであって、実際は病気ではないのです。ですから、病気ではない心の姿勢を保っていけば、霊主体従といって健全な精神に健全な肉体が宿るのです。つまり、心が先にあって、それにならって現象が起きるのです。』そこで、そう思えるかどうかです。自分は運が悪いのだとか、自分は病気だから仕方がないのだと言っているようではダメですね。その心が自分の中に病気をつくり、病気を引き寄せるのですから。ある意味、病気になっている人はかわいそうでもあるのですが、冷静に客観的に観れば自業自得なのです。そこで、客観的に自分を観て、それを引き寄せた自分自身に気付けるかどうか。

きょうこちゃんは次のように書いています。

ものが見えるようになるには、まず見えていないことに気づかないと始まらない。バカだと気が付かないと、バカも治らない。 

そこで、何がバカだったのか。大切なことはそこなのです。人からそれを伝えられるときには、まだわからないものです。しかし、人と自分の区別がなくなると、人の言葉がそのまま自分の中に入ってきます。それが、我が小さくなるということです。そのようになってくると、人の言葉が直接入ってくるので、人からの目線が自らの目線となり、客観視点ができて、それを取り入れられるのです。そうすると、他者と共有し合う豊かな世界ができます。そしてそれが、イエス・キリストをはじめ、過去の聖人たちが説いてきた境地なのです。

あなたも別人になれますよ♪別人といっても、別の人になるわけではありません。あなたがあなたではなくなるということはないのですから。ただ、あなたを存分に活かすことはできます。その道は万人に与えられています。そのことに気付き歩み始めた人々は、人としての最高の喜びを知ることでしょう。そういったことを、わたしたちはこの世界からクリスマスプレゼントとして約束されているのです。

 
 12月24日 クリスマス会
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 木の花楽団に復帰し、新曲「花よ天まで」を弾くきょうこちゃん
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きょうこちゃんの物語は、続く!

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木の花ファミリー通信 Vol.87「薬も病院もいらなくなる医療革命」

木の花ファミリーでは、無料のニューズレター「木の花ファミリー通信」を発行しています。先月のテーマは「薬も病院もいらなくなる医療革命」。限りのある紙面ではご紹介しきれなかった全文を、ブログにて改めてご紹介いたします!

*PDF版はこちらからダウンロードできます。

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ようこそ  地 球  へ!

はてしなく広がる無限の宇宙。その中で、私たちの生きる地球は本当に、本当に小さな存在です。ところがこのちっぽけな星は、宇宙中の奇跡の中の奇跡の星です。人類が最先端の叡智を結集してどれだけ宇宙を探査してもなかなか生命は見つからないのに、ここはまるで 生命の海動物、植物、目には見えない微生物まで、ありとあらゆる生命が無限に連鎖し循環し、地球生態系という壮大な命の交響曲を奏でています。
さあそれでは、この生命ネットワークがどのように成り立っているのかをみてみましょう!

 
血液がすべてをつなぐ

私たち人間の体は、およそ60兆個もの細胞から成る複雑で多彩な機能の集合体です。その体の隅々までをつないでいるのが、血 液 です。最も細い所で直径1000分の1ミリ以下という目には見えないほどの微細さで、頭のてっぺんからつま先まで網の目のように広がる血管を全てつなげると、地球2周半分もの長さになると言います。それほど緻密に張り巡らされた血管を通って、血液は全身へくまなく供給され続けているのです。

その血液を全身へと送り出しているのが、あらゆる臓器の中心である心臓です。心臓は、その名の通り心の臓器。心が波立ち心臓がドクドクと高鳴れば、それは血液を通してたちまち全身へ伝わり、私たちの行動を左右します。血液が心を運ぶのです。偏った生活によって血液が汚れれば、その汚れもまた、たちまち全身へ行きわたります。偏った生活の元には偏った心があり、それが全身を汚染していくのです。汚れた血液は他の臓器に負担をかけ、問題を引き起こし、汚染によって血管が詰まれば、そこから先は血液が通ることができず腐っていくのです。

血液には、医療的検査によって検知される物理的な汚れと、数値では表すことのできない霊的な汚れがあります。そのどちらも、元になっているのは心です。美しい心で毎日を生き、血液も滞りなく全身を循環していれば、人は常に健康でいられるのです。

さて、視野をちょっと広げてみましょう。60兆の細胞が集まって一人の人間の生命を形成しているとしたら、その人間たちが集って創る社会もまた、ひとつの生命です。では、その社会という生命の血液は何でしょうか。社会の隅々までをつなぎ、循環していくもの ———— それは お 金 です。お金もまた、人の心を乗せて運びます。思いやりや感謝を運ぶこともできれば、不安や欲望を乗せて、流れを滞らせることもできるのです。今、お金は社会の隅々にまで行きわたらずに、特定の場所に留まる状態が起きており、その結果様々な問題が発生しています。お金という血液が全身を循環しないことで、社会そのものが病気になっているのです。

視野をさらに広げてみましょう。そういった人間社会や他の様々な生命によって構成される地球もまた、ひとつの生き物です。では地球の血液は何でしょうか。

それはです。水は全ての生命の源です。雨として地上に降りそそいだ水は大地を流れ、川となり、海へとそそいで世界中を巡り、空へ昇って雲となり、また雨となり、人間や他のあらゆる生物の体内をも通り抜けながら、この星を余すところなく循環しています。水が私たちの命をつないでくれているのです。
その水に今、マイクロプラスチックという人工の産物による汚染が広がっています。それは肉眼では見えないほど微細なために回収ができないままじわじわと広がり、地球に深刻な問題を引き起こし始めています。その、目には見えない汚染を浄化できるのは、同じように目には見えない霊的な力、即ち人間の心だけなのです。

それでは、さらに大きく視野を広げてみましょう。
地球を含む9つの惑星と太陽、そして無数の小天体から成る太陽系もまたひとつの生命だとしたら、
その全てをつないでいる太陽系の血液は何でしょうか?

 

太陽系の心臓 ─────   太 陽

全ての生命活動には心があります。体の中心にある心臓が心を全身へと送り出し、それが私たちの行動を創り、人生を創っていくように、太陽系もまた中心の太陽の心に沿って、全ての星々が動いています。
その太陽の心を全体へと届けているのが、太陽磁場です。

広大無辺の宇宙の中を、惑星たちはそれぞれに個性的な軌道を描きながら複雑に連携し合い、時を刻んで、太陽と共に進み続けています。その複雑な動きの中で、まるで約束されているかのように地球上に毎日朝が来て、夜が来て、春、夏、秋、冬と毎年同じように四季の巡りがもたらされるのは、磁場が太陽の心を運び、地球や他の星々を太陽系ネットワークというひとつの生命活動の中につないでくれているからです。

そして太陽は地球へ光を注ぎ、熱を与え、風を起こし、地球の血液である水を循環させ、命を育んでいます。太陽は太陽系の心臓であると同時に、地球の心臓でもあるのです。太陽系全体に指令を送り星々を連携させながら、地球の進むべき方向を示し、人々の心がそこから外れて滞りが生まれれば、太陽は自らの意志を地球に伝えるために天変地異を起こし、私たちに「その姿勢を改めなさい」とメッセージを送ってくれます。地球上に刻まれていく時代も、私たち人間の在り方も、全て太陽の導きの元にあるのです。

さて、太陽系がひとつの生命であるならば、この世界には太陽系をも細胞としてしまうほどさらに大きな、世界のありとあらゆるものを包含する壮大な生命があります。
そう、宇宙です。では、その宇宙の血液は何でしょうか。万物をつなぎ、循環させ、宇宙全体をひとつの生命として束ねているもの ──────

それは スピリット即ち宇宙の心です。

地球に生きる私たちも、その地球を導いてくれる太陽も、全ては宇宙の心の元にあり、その大いなるネットワークの中で生かされているのです。

              

人間、社会、地球、太陽系、そして宇宙と生命のスケールが広がっていく中で、大きくなればなるほど、その中を循環する血液は、目には見えない、霊的なものになっていきます。逆に小さく身近になるほど見えやすく、密度が濃い物理的なものになっていきます。この世界は、大きなものも小さなものも全て同じ仕組みで成り立つ相似形になっており、人間の体よりさらに小さな単位にも同じように血液の役割をしているものがありますが、体より小さくなれば、それはまた目には見えない霊的なものになっていきます。ということは、人間の体は心の状態を最も見やすく現す仕組みになっているということです。

 
治せば治すほど混乱する世界

血液は心の状態そのものであり、心次第で汚れもすれば、美しくもなります。心がきれいであれば、血液は全身を正常に流れ、体も健康で、良い人生を生きます。もしも血液が汚れて病気になれば、それは私たちの心の歪みを、病気が症状を通して教えてくれているということですから、そこから自分自身を振り返り、正していくチャンスでもあるのです。

ところが現代は医療技術が発達し、心とは関係のないところで、病気の症状だけが改善されるようになりました。ただ病気を治し、命を長らえることが医療の目的となり、人生の質を問わなくなったのです。心に原因があるのに心を正さず症状だけを収めれば、その心は必ず別の面で、人生に問題をもたらします。しかし、人々はただ「病気は悪いもの」「長生きはいいこと」と考え、病気を創り出した自身の心と向き合うことなく、どんどん医療に頼るようになりました。その結果、治せば治すほど混乱した世界が広がっていったのです。

それは、世界各地で止むことのないテロと同じ状態です。テロは社会が生み出したものであり、そういった社会を創っている私たち自身に原因がありますが、人々は根本に目を向けることなく、ただ表面的な症状を見てテロを悪とし、必死に抑え込もうとしています。しかし、根本的な原因を無視したままで症状だけを抑え込もうとすればするほど、その矛盾はさらに大きくなり、必ずどこかで再発して、決して収まることはないのです。

現在、日本の国民医療費(保険診療の対象となるもの)は年間総額40兆円にも上り、平均すると国民一人が一年間に31.4万円を医療に費やしていることになります。これはまさしく一大産業です。数字ばかりを追い求める現代社会では、医療産業もGDPとして計上され、そこで数値が上がれば「経済が活性化した」と喜ぶ人々もいます。しかし、それは本当に喜ぶべきことなのでしょうか。社会福祉の充実度をはかるのに医師や病床の数を比較し、多いほど福祉が充実した豊かな社会とされていますが、それほどの医療が必要とされる社会は、健全とはほど遠い状態にあるのです。

 
死ぬことの大切さ

本来、全てが連鎖し循環し、健康そのものであるのがこの世界です。その中で病気は、私たちの心が循環から外れていることを教え、それを正すことを通してこの世界の仕組みや命の意味を学ぶために起こるものであり、私たちがその仕組みを理解すれば、起こる必要がなくなるのです。

ところが、現代社会は常に病気や問題ごとがあり続けることを前提に営まれています。多くの医療の現場で、医師は検査データや知識を基に症状を抑えるための処置をくり返し、病気を根本から治すということをしません。それは、病気があり続けることで病院や製薬会社が利益を得る仕組みになっており、社会がそういった不要なもので成り立っているからです。では、そこに特定の悪者がいるのかというと、それは社会全体に原因があるのであり、その社会を創っている私たち一人ひとりの、命に対する姿勢に責任があるのです。

かつてこれほど高度な医療がなかった時代には、人々は日々命と向き合い、生命感を感じ、死期が迫れば覚悟を持って人生をお返ししました。生命感とは、意識が常に自らの属している生命ネットワークとコミュニケーションを取り、そのネットワークを司る中心の心を感じ取る直観が研ぎ澄まされた状態を言います。ところが現代の人々はただ長生きをしたい一心で医療に頼り、生命感を鈍らせ、生きる上で大切なものは何かを感じ取る直観力を失いました。そして命を失うことに恐怖を感じるようになりました。
しかし、どんなに死にたくないと思っても、人は必ず死ぬのです。それは誰にも平等に与えられた、揺るぎのない真実です。

生命感を研ぎ澄ませ、日々心と向き合って真剣に生きていれば、生きることそのものに大きな充実感を感じるようになります。そのような精神状態に至ると、いつでも命をお返しできる覚悟が自然と生まれ、充実した人生を送って天寿を全うし、達成感を持って旅立つことができます。現代医療は生かすことばかりを大切にしていますが、人生は死を迎えて完結するのですから、死ぬことの大切さがあるのです。

 
奇跡の中の奇跡

肉体を持って地球上に生まれた私たち人間は、目に見える物理的なものばかりを見て、病気になれば何とかその肉体を治そうとします。しかし人間の本質は肉体ではなく、霊性にあります。

人間の魂は、それぞれに固有のカルマ(=個性)を持っています。けれども肉体のない状態では、そこにどれほど歪みがあったとしても現象として現れないため、認識することができません。そこで私たちは、肉体という魂の器を与えられ、器が現す現象を通して自らの個性がどのようなものであるのかを知り、歪みがあれば正していくという道を与えられました。つまり、地球に生きるということは、変化できるということなのです。心を正すことを怠り、肉体だけを治したとしても、死んだ時にそれを持っていくことはできません。そして肉体のない状態では、どれほど心が歪んだままであっても正すことができず、魂も成長できないのです。

はてしない宇宙の中でたったひとつ、生命に満ちあふれた奇跡の星、地球。そこに肉体という形を持って生き、人生の中で出会う様々な現象を通してこの世界の仕組みを学び、魂を進化させていくことができる。それが地球という場所であり、私たちがこの星に生まれてきた目的なのです。

あなたの体をよく観てください。60兆個の細胞、地球2周半分の血管、そして未だ全機能の90%が眠っていると言われる脳 ─── それは人智でははかり知ることのできない神秘にあふれた、生命の最高傑作です。そしてそれは、単独では生きることができません。太陽、水、空気、大地、風。自分の力では何一つ生み出すことのできない天の恵みに育まれ、宇宙の星々や無数の生命が織りなすネットワークの中で命を循環させながら、私たちは今、ここに存在しているのです。それがどれほどの奇跡であることか。その奇跡の中で、70億人の人間一人ひとりがそれぞれに違った個性を与えられ、過去にも未来にも二人といない自分自身として生きていることは、奇跡の中の奇跡なのです。

その貴重な個性を与えられた人々が、互いにつながり、ひとつの生命ネットワークを築くことで、人類の可能性は無限に広がっていきます。一人ひとりがその意識に目覚めることで、つながればつながるほど豊かになっていく。それがこの世界の実相なのです。

 
21世紀の生命観

誰もが大いなる命のネットワークの中で生かされながら、他の人に代わることのできないオリジナルな役割を果たしています。ところが、人が自分のことばかりを考え、自らの立ち位置だけで物事を捉えるようになると、自分は自分の力で生きていると思い込み、他の多くの存在に支えられて生かされていることを忘れてしまうのです。そうすると、体はそのネットワークの中にありながら、意識がつながりから外れて循環しなくなり、滞りが生まれ問題が起きるようになります。その状態が、現代社会のいたるところで発生しているのです。

本来、自然界には自らの存在が他の生命に貢献しないということはあり得ません。植物は生きて成長すれば虫や動物の餌となり、その虫や動物もまた命を全うして土に還れば微生物の餌となり、次の生命の養分となっていくように、自らの生命活動が常に他の命を生かしながら無限に連鎖し、循環し続けているのが自然の姿です。

日本語に「働く」という言葉があります。「働く」という漢字は、「人」が「動く」と書きます。人が動くとは、生きているということです。そして「はたらく」とは、「傍(はた)=他者」を「楽(らく)」にする、即ち、他の生命に貢献することを意味します。つまり、生きているとは他の生命に貢献することそのものだということです。
その中で誰かが病気になれば、そこに滞りが生まれ、みんなのために「働く」ことができなくなります。自分が健康であることは、自分一人分の役割を果たして他を生かしていくという、全体への責任でもあるのです。現代は多くの人が個人のために健康を追い求めるという逆さまの姿勢をしていますが、この精妙なる命の仕組みを理解して生きることが、現代社会の滞りを突破する、21世紀の人類の生きる姿勢なのです。

 
太陽は教えてくれている

今、世界中で様々な問題が起きています。例えばどこか遠い国で起こるテロは、自分とは関係のないものだと思うでしょうか。地震や台風のような天変地異は、人間にはどうすることもできない自然の驚異だと思うでしょうか。

私たちの生きる地球は、太陽の導きの元にあります。太陽は常にその心を送り続け、人間がそこから外れれば、それにふさわしい現象を地球上に起こし、「気付きなさい」とメッセージを送っています。今世界で起きていることの現実を知り、自分のしていることがそこにどのような影響を及ぼしているのかということが観えた時に初めて、人は変化の道を歩み始めます。
病気もまた、私たちの中にある矛盾を現象として現してくれているのであり、症状だけを治す医療に頼っていては、その真の意味に気付くことはできません。だからこそ、生命感を研ぎ澄まし、一人ひとりが真実が何であるかを自ら観抜いていく。そういう時代が始まったのです。
これまでは物理的豊かさを追い求め、医療も経済も拡大していくことばかりが善しとされる時代でしたが、本当に必要なものだけを選んでいく、そぎ落としの時代に入ったのです。それは世の中が大きく歪んでいた分、いっときは痛みを伴うかもしれません。けれどもその先に、生きていることそのものに豊かさを感じられる世界があるのです。

この世界には、流れがあります。出来事の表面ではなく、その奥に心の目を向ける時、全ての出来事の背後を常に変わることなく流れ続ける、大きな流れがあることが観えてきます。自らの立ち位置を離れ、その流れに乗って生きると、不思議なほど色々なことが連鎖し、とんとん拍子に物事が進み、自力で何かを成し遂げようとしていた時には想像もできなかったような世界が現れるのです。その流れの中では、余分なものは自然とそぎ落とされ、人々の中に眠る無限の可能性が花開いて、様々な個性が響き合いつながり合い、美しく循環していくことでしょう。それは個人の満足をはるかに超える、ダイナミックな生命の喜びにあふれた世界なのです。

 
だから太陽は、私たちに心を送り続けています。

 
あなたたちが美しく健康であるように

互いを想いみんなでつながって生きるように

そして世界が豊かになるように

いつも私の方を向いていなさい  ──────────

 
そう呼びかけているのです。

 

 


 冥王星は、目には見えないほど小さな存在でありながら、太陽系の一番外側に位置し、独自の楕円軌道を描いて外宇宙の秩序を太陽系の内へと運んでくれます。つまり、宇宙のスピリットとの交流の星なのです。2006年、その大きさなどが惑星としての基準を満たしていないとされ、冥王星は準惑星に区分されるようになりましたが、本紙では、太陽系にとって大切な役割を果たす重要な星として、太陽系の他の8つの惑星と同等に捉えています。


 

治療法はあなた自身の中にある

人生は物語です。人はある日突然病気になるのではなく、必ずそこに至るまでの心の変遷を歩んできています。「気が病む」と書いて病気というように、病気の原因は体ではなく心(気)の滞りにあり、生命のバランスが崩れて心と体が響き合わない状態になった時に、最も弱い部分に病気が現れます。
畑の土と作物のバランスが崩れれば虫が現れて調整してくれるように、病気もまた、崩れたバランスを元に戻そうとする一種の自浄作用なのです。
もともと、全てが美しく循環し健康そのものであるのがこの世界です。そこに滞りが発生し病気になっていく過程を、逆にたどって元のところへ還れば、人はたちどころに健康になります。それが「元の気」、即ち「元気」です。

下の文字は、「医」という漢字の成り立ちを表しています。

もともと「医」という文字は、体を表す部分と心を表す部分の二つが合わさって成り立っていました。心の部分である「巫女」や「感謝」といった表現から、自分よりも大いなる存在に従い、そこから命(めい)を受け取って気を正していくという姿勢が医療にはあったことがわかります。しかし「医」という文字からは、この心を表す部分が最初に消えていきました。やがて東洋医学的な物理療法や栄養療法を表す部分も消え、外科療法を表す部分のみが現在の「医」の文字として残ったのです。

医療とは本来、体という小宇宙を構成する生命の仕組みをひも解き、そこに流れる気を読み取り、心身のバランスを取る仕事です。生命感を研ぎ澄ませ、複雑な生命の曼荼羅である体と対話することで、魂の目を目覚めさせていく。それはつまり、私たちを生かしているこの世界の大いなる流れに沿って生きるということです。

木の花ファミリーには、様々な病を持つ人が訪れます。そこでは、その人がそれまでにどのような人生を歩んできたのかを聞き出し、病気が発症するメカニズムをひも解いていきます。病気になるには意味があり、人がその意味に気付くと、病気の症状はそれ以上継続する必要がなくなります。そして気付いたことで全身に良い気が流れれば、その流れは細胞を修復し、自然と病気が治っていくのです。

それは誰かが誰かを治してあげる治療の場所ではなく、物事の道理を説き、病気になった人自身がこの世界の仕組みを理解して、元の気へと立ち還る場所です。
人間の中には、まだまだ自覚されていない未知なる能力が秘められています。それまでの自らの生き方が病気を創り出したのだとしたら、病気という負荷を与えられることは、それまでの自分の殻を破り新たな世界へと踏み出すチャンスでもあるのです。そのことに目覚めた時、あなたの中に眠る無限の可能性が花開き、命のスケールが広がって、より大きな世界を生きることになるのです。

病気の治療法は、自らの中にあります。なぜなら、その病気を創り出しているのは自分自身だからです。それは薬のように外から与えられるものではないので、副作用もありません。もともと私たちの中に、精妙な宇宙の法である命の法則があるのです。

そこに気付いた時、一人ひとりが生活の中で出会う出来事だけで学び、自分で自分を健康に導いて、薬も病院も必要のない世界が実現します。

それが21世紀の医療なのです。

 


 

さらに大きく世界観を広げたい方へ        

2017年2月19日(日)~3月18日(土)    
1ヶ月間の真学校 開催   

「医」「農」「食」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」  ─────
多彩な切り口の講座を通して世界をひも解き、あなた自身をひも解き、人生と現代社会の行き詰まりに突破口を開くダイナミックなプログラム!
1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、宇宙視点で日常を生きるとはどういうことかを実体験として学びます。

【会場】木の花ファミリー
【定員】15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】18~22万円
収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。

講座詳細やこれまでの受講生の体験記はこちら!

1ヶ月間の真学校ブログ

 

■ 心身の病を克服したい方はこちらをご覧ください。

「自然療法プログラム」

■ 鍼灸・整体・リラクゼーション 〜 心と身体を、ふんわりもみほぐします。

「癒し処たんぽぽ」

 

 

あなたが変われば
世界が変わるよ

 

 


21世紀を生きる人類の目覚め③ いさどんからのメッセージ

自然療法プログラムの卒業をお祝いするコンサートでは、プログラムの責任者であるいさどんから、新たな人生の旅立ちにあたり卒業生に向けてメッセージが贈られます。今回のいさどんからのメッセージは、卒業生のTさんだけではなく、広く人類に向けて、そして宇宙全体に発信されました。

――

Tさんが自然療法プログラムを受けるためにここを訪れたときには、彼女は自分の人生を思い通りにコントロールしたいという願望を持っていました。最初の面談の際、「僕からすると、それは時代の現れです」と彼女に伝えたことを覚えています。しかし多くの人たちは、まだそのことに気付いていません。木の花ファミリーがこのような生き方をしているのも、わたしたちがこの生き方をしたいという理由からではありません。それは時代が移り変わっていくときに、新たな生き方のモデルとして示す役割を与えられ、それを果たしているということなのです。そして、それは個人的望みを叶えるという視点では理解できないことです。

7月1日にバングラデシュでテロがありました。その後もイラク・サウジアラビア・インドネシアと今日5日までの間に世界各地で何回もテロが起きています。その多くについて、日本ではイスラム教徒もしくはイスラムの影響を受けたテロリストたちの仕業だと言われています。しかし、それは真実なのでしょうか。

あるひとつの視点を取り上げてみます。日本のマスコミでは、あのテロで犠牲になった人たちは、発展途上国に一生懸命貢献してきた社会的に優れた人たちだと報道しています。僕はそのことに対して批判しようとしているのではなく、もうひとつ別の視点を持っています。日本のNGOが新興国の人たちに支援する多くは、ビジネスが目的です。今回もジャイカの支援のもとに、企業に携わる人たちがプロジェクトを組み、ダッカの交通網を整理することが目的でした。きっと、バングラデシュの人たちも含めてこういった人たちは、日本のように交通が整備された豊かな国になることを望んでいたのでしょう。その多くはお金の豊かさであり、物理的豊かさです。

同じように、僕はこの数日間日本のテレビ番組を観ていました。日本では、ここ10数年もの間、毎年30000人ほどの人が自殺しています。そして、年老いた人たちの介護の問題が大きく取り上げられています。世の中にはこれほどたくさんの人がいるにもかかわらず、孤独で死んでいく人たちが数多くいるのです。しかし、さらに驚くべきことは、ここへ来て年間たくさんの人たちが介護殺人をしているということです。つまり、自分の家族を介護しながら、その家族を殺してしまうという現象が起きるようになったのです。日本は経済的な先進国ではありますが、ある意味、物やお金が優先し過ぎた先進国でもあり、同時に貧困率がとても高い現実もあります。そして、不健康寿命と呼ばれる病気になってから死ぬまでの間の寿命についても、日本は先進国の中でもっとも長い国なのです。

僕はこの木の花ファミリーの生活自体が、そういった現代の様々な問題を解決できる方法だと捉えています。そして、介護殺人の番組を観ていたときに、木の花のシニアメンバーたちはそのような場面に出会わなくてもすむと思ったのです。まず、木の花のお年寄りたちはその人にふさわしい役割が与えられ、その人らしく生き生きと生活しています。そのときに僕はここの生活の重要性を確信したのです。表面的には見えにくいかもしれませんが、この生活にこそ、その隅々にまで新たな時代を迎えるための解決策がちりばめられていると再確認したのです。

Tさんが木の花ファミリーを訪れ、最初に面談を受けたとき、「あなたの症状は時代を表しています」と僕は伝えました。わたしたちが人生で出会ういろいろな出来事はすべて、時代を表現しています。そして、良いことも悪いこともすべて、時代を創っていくのです。その中で、良いと思われることについてはそのまま行けばよいでしょう。しかし、不愉快に感じる悪い出来事については、特にそのことの意味をよく理解し、人生に活かしていかなければ、ネガティブな時代がどんどん創られていくことになります。しかし、そのネガティブの反対側に光があると気付いたならば、人はいつでもその光に戻ってこられるのです。

僕はTさんの病的症状に付き合いながら、彼女の中に光を観ました。彼女の優秀さは今までは20世紀型であり、西洋的な優秀さの活かし方だったと思うのですが、そういったものは彼女の肉体や精神に多くの矛盾やストレスを与えました。それでは、新たな社会のモデルにはなれません。ですから、彼女にはそれを克服してもらい、彼女と同じような状況にあるもっとたくさんの人たちの光になってもらいたかったのです。本来、すべての人は尊く、優秀なのですから、誰しもがそれを新たな時代に活かしてもらいたいと僕は常に思っています。

時代はもはや、優れた一部の人たちが皆をリードする時代ではないのです。僕はそのことに気付いたので、木の花ファミリーをこれまで維持してきました。そして、それに共鳴した人たちが、今ここで共に歩んでいるのです。この21世紀に示される人類の価値は、まだまだ世の中には十分に知られていません。ですから、Tさんにはこれを機会に、共にこの価値を地球上に広げる人になってもらいたいと思います。僕は今、物理的にはここにいる100名ほどの人たちに語っていますが、霊的には地球上、もしくは宇宙全体を意識して語っています。それは、ようやくこの価値が広がる時代が訪れたからです。

ですから、木の花ファミリーの取り組みは誰のためでもありません。宇宙がそれを要請する時代が訪れたのであり、そしてわたしたちがそれを当然のように表現するべきトキが訪れたのです。いつの時代でも、時代が大きく転換するときには新たなメッセンジャーが現れるものです。それは破壊のためのメッセンジャーであったり、新たな秩序を示すためのメッセンジャーであったり様々ですが、そういったことがいろいろな現象を通して今の時代に観て取ることができます。

Tさんの難治性うつは、新たな時代を切り開くために現れました。しかし、そのことの奥深さが観えず、その症状を単なる病気としてしか捉えていなければ、世の中にひとり、うつ病の患者がいるだけになります。

そして今、人間社会全体がうつ病を発症しているように観えます。うつ病の原因は日本にもアメリカにもヨーロッパにも中東にも至るところに存在し、今、世界中がうつ病で病んでいるような状態なのです。物理的にも環境破壊という症状を抱えていますし、そしてわたしたちの肉体のように、地球という体の生命力がそのことに対する矛盾として、うつ病という症状を噴き出させているのです。実は、太陽系の自律神経は太陽が担っています。ところが今、太陽の黒点が異様な活動をしているがために、地球のマグマの活動がおかしくなっているのです。

このように、時代は天体と共にあります。そして、天体や時代と共にわたしたち人類が生きていく時代が、この2000年から始まる1000年紀に表現されるのです。

21世紀は人類が真実に目覚める時代です。今まで人類は自らの欲望を叶えることが豊かさであり、その延長に幸せがあると思い生きてきました。その価値観のもとに、政治・経済・宗教・教育・医療など、そういった社会的構成要素すべてが発展してきたのです。だから今21世紀に入り、今までのどのような手法を使ったとしても、人類は解決策が見出せない状況に直面しているのです。

その突破口は――、宇宙の構造がどのようになっているのか、そして宇宙と自分自身との関係がどのようになっているのかに人類が気付くことにあるのです。実は、人間には宇宙の構造や宇宙としての自分自身のあり方がすべて、情報として自らの内に眠っています。しかし、自我にまみれていては、そこから目覚めることはできません。それは、個人が自我の「独裁者」に囚われている状態です。

そこで、わたしたちが自らのエゴという小さな「独裁者」に囚われ、他者と調和することなくこの世界に矛盾をもたらしながら生きていくのか。もしくは、そのような愚かしさを学び、自らを自我の中に閉じ込めている枠を取り払い、宇宙の法という大いなる「独裁者」のもとに自らを解き放していくのか。

その真実に目覚めることが、21世紀に生きる人類一人ひとりに課せられたハードルです。自らの囚われから自らを解放すれば、わたしたちは宇宙そのものです。20世紀までの物理的一辺倒の二元的発想の時代から、いよいよ三次元的思考にわたしたちが移行したとき、これまで永らく眠っていた脳の90%が活かされていくのです。それは、今までのような損得や善悪の二元的発想からでは、解釈できない世界です。わたしたちが三次元的脳を使うようになると、きわめて奇抜なアイデアが生まれてくるようになります。地球上にいながらにして、宇宙の実体が瞬時に理解できるようになるのです。そして、物事の流れが格段に良くなり、真理が湧き出してきます。それが21世紀を生きる人類が創る社会です。

 

真実とは、知識をもって得るものではない。真実とは、本来観えるべきものが観えた者に湧き出し、その生き様に現されるものである。そして、その受け皿として、すべての人間に可能性がある。人類の目覚めと共に、地球は今、宇宙に新たな一歩を踏み出すときが来ている。

 

 

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