防災の日の経験~子どもミーティングより

木の花では、月に一度「防災の日」というのがあります。

この日は災害を想定して、全員で節電節水に取り組みます。
電気は発電機を使って懐中電灯や補助灯で過ごし、入浴も洗面器1~2杯で洗うか入浴をしない。洗濯もなし。

そんな取り組みの一環として、食事時の食器洗いは、水を入れたボールを分けて、予洗いから最終のすすぎ、食器拭きまで一人一人が仕上げます。 そして、それは子ども達も同じです。

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その時の体験や感想を翌日の子どもミーティングで小学生たちが報告してくれたのですが、
「このような取り組みをすることは、地球に優しいと思った。」
という報告とともに、
「楽しかった!」
という声がたくさん上がりました。
「電気のついている所が気になって消して回った。」 と言うゆうゆを初め、 自分たちから進んで分業して幼児の食器まで洗ってくれた子どもたちは、
「これからも続けたい。」
という意欲的な意見を出してくれました。

「それじゃ、防災の日以外でも子どもたちの食器は子どもたちで責任を持って洗ってもらおう。」
「防災の担当者を子どもたちの中から募って、いろいろなアイデアを出してもらおう。」 と提案しました。

その提案を受けて、通常時の食器洗いでも子どもたちのコーナーを設けて、小学生の子どもたちが中心となって子どもたち全員の食器の点検をすることになりました。そこできちんとできていない人の報告をしたりしてみんなに注意するのですが、これを大人がするととても窮屈な場所になるのですが、子どもたちどうしならいい空気が流れるのです。このような時、私には、自分が伝える場合を想定して、思惑や押しつけや決めつけがないかを自らに問ういい機会となります。

食器の確認

また、みのりとみことは、週に一度行われる防災チームミーティングに参加すると積極的に名乗り出てくれました。下の写真は、その後10月5日に行われたミーティングでの様子です。子ども達が参加するのは毎月1回行われる防災の日についてのミーティングのみとなったのですが、この日は、4年生のみのりから、
「髪の毛はお風呂で洗ったらすぐにタオルを巻いておくと、湯船につかっている間に乾くから、ドライアーはいらないよ。」
といった意見が出たようです。

頭の固い大人たちに交じって、柔軟な子どもたちの発想が出るのはとても愉快で楽しみなことです。 それに何より,子どもたちの良い波動が、活性化したいい場を創ってくれるだろうと思うと、このように幅広い年齢層が集う生活が有難いと改めて感じさせられる出来事でした。

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さっちゃんの「またグルグルしていました」

ただ今乳がんとのお付き合い人体実験中のさっちゃんより、久々の近況報告です!
 
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夜の大人ミーティングで、誰かが何か失敗をしてみんなが反省モードになり、シーンとしてしまうことが続いていた。いさどんもお小言を言っているようでいやになると言ってミーティングに出ないという状態。情けない。なのに相変わらず寝ている人がいる。(以前は私も寝ていましたが・・・)
自分が変わらないと!と思い、「ありえへんこと」をやろう!と、ウェルカムコンサートの司会をかって出ました。

夜中にしこしことあんちょこを書いてドキドキでした。

コンサートの前にともちゃんから、「緊張しないでいつも通りでいいんだよ」と言われ、「うん」と言いながらも緊張しまくりで、ゲストの方に二回も自己紹介をお願いしてしまったりと、私のバタバタ感がにじみ出たコンサートとなり、楽団や子ども達が一生懸命歌の練習をしていた苦労も水の泡でした。
「最初からうまくできる人はいないよ」と慰められ、「くじけないぞ」と思っていたけど、夜のミーティングで「お客様にとっては一度きりのコンサートかもしれないのに台無しにした。司会には向き不向きがある」と言われ、私の「ありえへんこと」はあえなく自爆となりました。

それでも「みんなのためにやっていくぞ!」と切り替えたつもりで朝早くから畑に出て、夜はご飯も食べずに、ミーティングにも出ずに寝てしまう日々。そしてとうとう車のトランク(と言っても軽自動車だからそのまま荷物も落ちかねない)を開けたまま、気付かずに道路を走行。私ってやっぱダメ人間。
ともちゃんに「さっちゃんはカタカムナを唱えてゴキゲンでいればいいって言われて『そんなカンタンなことでいいんだ』って喜んでいたけど、本当はそれじゃあいやなんじゃない?」と言われ、ズキッ。「うばすて山になっちゃうよ~(泣)」(㊟もっと大活躍したいのに必要ないと捨てられちゃうという被害妄想です。)ババ達に「また泣いてるヨ」とあきれられ、私は風邪でダウン。「帰っていいヨ」と言われても、みんなと一緒にいたいとウロウロ。みんなのご機嫌取りしていたらとしちゃんに「まだいるヨ」と言われ、後ろ髪を引かれつつ帰っていきました。

体中の痛みと鼻水と咳で一晩中苦しんで、朝、でこちゃんが「ぐるぐるしてる?」って部屋を覗いてくれたらまた涙・・・「そんなのはキライだよ」ってでこちゃんは出ていったけど、また部屋に来て「何か食べる?」と聞いてくれた。「いらない」と私。「そんなんじゃ元気にならないヨ」と言われ、「やっぱ食べる」と私。「おにぎり玄米と酵素玄米、どっちがいい?」「両方」(笑)お昼に届けられたおにぎりのおいしかったこと。

こんなことしてちゃいけないぞ!と思い、何か気持ちを切り替えられるものはないかと探したら、みかちゃんの癌の話(そこにはできの悪いみかちゃんに対するいさどんの大きな愛が書いてあった)と私の「乳がんをいただいて」の記事のプリントがあった。
読んでみたら、「そうか、そうか。私はいいかっこしいだったから人生負け続きだったんだ!」ということを思い出した。木の花でみんなの中で守られてきたから、がんも小さくなって物事が良い方向に進んでいたけど、まだまだプライドが高くて失敗するのが怖かった。がんは小さくなってもなかなか性格は治らないんだね。

そして、ようこちゃんの「ありえない出来事から自分を知り学ぶ」という話を最後に読んだ。
私は私以上に私の癖を知っている人達の中で「無理しないでいいヨ」って守られているんだナと気付いた。こうちゃんも私がトランクを開けっ放しで走った日の私の後ろ姿を見て、「疲れてるナと感じた」と言っていたと、としちゃんが教えてくれた。

私も、木の花の船の乗組員として、必要とされている。

もう「私なんて」って言わない?ようこちゃんのように瞬時に切り替えできるだろうか・・・また不安になった。
そしたらこの間頭の中がグルグルしていた時、ようこちゃんに「さっちゃん、よろしくネ!」と言われ、「こんな私に何をよろしくなの?」と訊いたら、「一人分をよろしくネ!」と言われ、ほっとしたことを思い出した。

それから重い体を押して、シャワーを浴びてひまわりへ戻ると
「さっちゃん、お帰り~」「グルグルしてたって?」
「うん」
私のことをよくわかっている人達。そして無邪気な子ども達。

夜のミーティングでは、いさどんの「天然循環療法プログラム」(自然療法プログラムがさらに進化したもの)のプレゼンを聞いた。「病は気から」・・・
そう言えば風邪で胸があんなに苦しくて鼻水がダラダラだったのに、治ってる。
ここは心の湯治場だね!!

次はカタカムナ勉強会。そしてがんセンターでエコー検査の日。乳がんと診断されてまる1年になります。
はてさて、本当に心でがんが治るのか?ただ今人体実験中のさちよでした。
 

さっちゃんの人体実験はまだまだ続きます!
さっちゃんの人体実験はまだまだ続きます!

 


地に足をつけるために宇宙の話を聞きにきました 〜 出張木の花塾@船橋

この週末、今年3度目の出張木の花塾が開催されました!

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今回も定員を上回る方々にお越しいただき、また、前回や前々回から続けて参加の方も多く、とにかく知りたい、学びたい、という意欲に満ちていました。おもしろいのは、長年勤めた会社を退職したり解雇されたり、あるいはつい最近離婚をした等、人生の転機を迎えている方がとても多かったことです。自分自身や世の中に対してどこか疑問を感じながら何かを探し求めている人たちが集い、真剣に耳を傾け、メモを取り、プレゼンのスライドを1枚1枚写真に撮ったり、講義の一部始終を録音している人もたくさんいて、終わってみればあっという間の7時間でした。
ある参加者の方はこう言いました。「地に足をつけるために、宇宙の話を聞きにきました。」
  
主催者はおなじみ、けーごくん。

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冒頭の挨拶で、なぜこの会を主催しようと思ったのかを、けーごくんは語りました。
「僕が初めて木の花を知ったのは今から8年前。すごい衝撃でした。何に衝撃を受けたかというと、環境にやさしい暮らしをしてることでも、自給率が高いことでもなくて、一人ひとりが、その奥にある“心”を大切にしていることでした。僕はそれまで、環境が大事だって思ってたけど、ここの人たちは何よりもまず心を大事にしていて、その結果として、環境にやさしい暮らしができている。すごく衝撃的で、これはめちゃめちゃ大事だって、その時に直感で感じたんです。」
  
そして木の花楽団の『星々の会合』で第一部がスタート。

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「何をするために生まれてきたのかを 思い出すために集まっている
 集い 語り合おう ―――― 」
パワフルな歌声に、場の空気が一気に引きつけられます。
  
そして宇宙おじさん登場。

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真剣に聞き入る参加者たち。

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前回からの参加者の方曰く、
「前回もすごく大切な話を聞いて、これだー!と思って家に帰ったけど、帰ってからそれを持続していくことの難しさを痛感しました。だから今日はまた、思いっきりその空気に浸りたいです。」
そんな皆さんの真剣さがその場の空気を作り、いさどんも5時間しゃべり通し!
   
そしてこちらが本日のお弁当。

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キッチンのみんなが、できるだけ出来立ての美味しさを届けられるように、と、朝(と言うより夜中)の3時半から作ってくれたのでした。4時半からは他チームのメンバーも参加。時々いびつなハートがあるのは、なれない手つきで一生懸命ごはんを詰めていた田んぼ隊のゆうくんの作品かもしれません(^^)
  
お弁当を食べながら、参加者の自己紹介。1人30秒のはずが、やっぱりみんな話しだすと想いが溢れて止まりません。

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なんと「自分は日・中・韓・英の4ヶ国語が話せるので、木の花の伝えていることを世界に向けて翻訳します」と名乗りを上げてくれる人まで登場!
  
講義後の座談会冒頭では、ひとみちゃんとようこちゃんが『みろくの世』を舞いました。

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参加者のあわちゃんが自身のブログに動画を載せてくれているので、ぜひご覧ください。
あわちゃんのブログ
  
そしてみんなで輪になり、座談会。

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以下、今回の参加者の皆さんの感想です。
   
「毎回気付きいっぱいの木の花塾、今日もたくさんの感動がありました!!!こんなに話が尽きないなんて、すごいです。次回も楽しみにしてます!!」
(30代女性/飲食業)

DSC_0145「お弁当を食べて鳥肌が立ち、体がポカポカと熱くなりました。感動です。食は神様からの愛の恵みだと実感させていただきました。木の花ファミリーのみなさまに感謝です。ありがとうございました。」
(30代男性/団体職員)

「1日があっという間でした。頭がパンクしそうです。家でゆっくり整理します。ありがとうございました。」
(40代女性/自営業)

「この講座を受けて、“食”に対する考え方が自分の中でしっかりと固まった。口に入れるモノの素性を良いものにするのはモチロンだが、“食”に対する心構えや姿勢の大切さが、“食”をいただくことの本質につながるのだ、ということ。また、人間を通して喜びや感謝を神が味わうのが直会(なおらい)であること。これは“食”だけでなくすべてに通じると思った次第。
カタカムナのこの世の構造を学ぶほど、何を思って神はこのような仕組みをつくったのか、新たなる興味が湧いてきた。ボクの探求の旅はこれからも続くのだ。」
(50代男性/会社員)

DSC_0104-001「15:00からの参加でしたが、本当にこれからの時代の在り方を、方向性を、論理的に歴史的にわかることができる。欠かさず来て、全てを吸収して帰りたいです!」
(20代男性/自営業)

「後半に進むにつれて話が深くなっていって、座談会の時がピークにすごかった!次も参加するんでよろしくです。」
(30代男性)

「今日はありがとうございました。参加しなければ知ることのできなかった、本当に大切なことを教えていただき、感謝です。でもいちばんは、心磨きですね。今の状態では死ねないですね、とても。」
(50代女性)

DSC_0241「木の花ファミリーがどんどん進化しているようで、すばらしいです。もっともっと、拡がるといいですね。」
(60代男性/無職)

「午後のプレゼンテーションが非常に印象的でした。スライドを1枚ずつ全部写真に撮って、家に戻って自分でもう1回見て、思い出すようにしたいと思います。また、大人ミーティングと似ていた座談会も参考になりました。ありがとうございました。次回も参加させていただきたいと思います。」
(30代男性/IT業)

「今日のお話、全く同感。実践しておられる姿、素晴らしいと思いました。現在も週1回会社へ行っていますが、現実の社会のあり様、考える余裕のある方は別として、生きることに精一杯の方に対してどのように話をするか、これも私にとっての問題集ですね。」
(80代男性/無職)

DSC_0147「食というテーマで情報盛り沢山で、お腹いっぱいです!流石に全部把握するってことは難しいけど、でも大事なことは本当に1つだなと思います。
内からの視点(自分のエゴ)じゃなく、外からの視点(宇宙の仕組み)を忘れないこと。そして、それを自分の中に入れていくこと。実践あるのみです。」
(20代男性/幼稚園教諭)

「響き、磨き・・・
今度は富士のふもとまで体験しに行かせていただきます!」
(30代女性/百姓見習い)
  
  
―――― ぜひ、富士のふもとへお越しください。
  
11月1〜3日には富士宮にて「宇宙おじさんの人生講座」、そして11月30日には、再び船橋にて出張木の花塾を開催します。
どなたさまも、どうぞ、お越しください。
  
 


いつもいっしょ

創設メンバーでファミリー最年長のえいこばあちゃんの、ある日の気付きを紹介します。

9月27日に行われた月に一度の自然食レストラン「恵みいただきます」は、200人を超えるお客様に来ていただき、大盛況でした。
当日えいこばあちゃんは買い物客にサービスの塩わかめを配ったり、釜戸の薪の火の管理をしたりで大忙し。終了後はとても疲れてしまって、いつもは夕飯を車で7分ほど離れた別宅で食べるのですが、その日は別宅に行かず、キッチンの外で気持ち良い風に当たってクールダウンしていました。
木の花ファミリーでは毎日夕食後子どもたちによる子どもミーティングが行われていて、大人たちも一緒に参加します。えいこばあちゃんは疲れていたのでミーティングに参加するかしないか迷いましたが、目の前に未処理の菊芋を見つけたので、その処理をすることにしました。

ゆいき
ゆいき

作業を始めてしばらく経った後、えいこばあちゃんのところに1歳のゆいきが無邪気な笑顔で現われました。
それを見たえいこばあちゃんは、「そうか。これはミーティングに参加しなさいということだな。」と思い直し、作業を止め、ゆいきを抱いて、ミーティングが行われている大ホールへ向かいました。ゆいきを膝の上に乗せて前方の子ども用の椅子に座ろうとしましたが、ゆいきが嫌がったので、ゆいきだけを椅子に残して自分は最後部の席に座りました。
普段えいこばあちゃんは別宅に行く為ミーティングには参加できないのですが、その日は子ども達の運動会の報告を楽しく聞くことができました。その時後ろから、メンバーのみきちゃんが肩を揉んでくれたそうです。

「私は疲れていたのに休まないで、余計な作業をしていたの。それを神様は見ていて、ゆいきにメッセージを託して、肩もみ付きの(笑)楽しい子どもミーティングに参加するようにしてくれた。胸がいっぱいになって、神様に感謝したよ。いつもいっしょにいるんだよ。」

慈愛に満ちた神様(天)からのメッセージは、いつでも誰にでも平等に届いています。それを受け取れるか受け取れないかは、各人の日々の姿勢次第。もう一度日常の自分の在り方を見直し、メッセージを受け取れる人でありたいですね。
  

元祖釜戸の番人、えいこばあちゃんと一緒に
元祖釜戸の番人、えいこばあちゃんと一緒に

  


毎日が天国

今日は、オフィスチームのまりねえがブログに初投稿です!

先月の「恵みいただきます」でサリーを纏い、皆と記念撮影するまり姉(右端)
先月の「恵みいただきます」でサリーを纏い、皆と記念撮影するまり姉(右端)

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昨日の朝、メンバーのともちゃんから、「伝える側に立っている」とか、「自意識が強い」「自己アピールしている」「自分目線」という私の癖を伝えられました。それらの言葉はその時の私にはとても応え、落ち込みました。それまでも自分の傲慢さが全く観えていなかった自分の実体を知り、立て直しをしていたつもりだったので、まだそんな自分であることにショックを受けたのです。ともちゃんの私を想って伝えてくれた善意を信じて受け取ろうとしましたが、「受け取らなければ・・・」という気持ちには無理がありました。

その後いろいろなメンバーとそのことについて話しているうちに、「あ~、そういうことなんだ!」と突然腑に落ち、すっきりしたのです。
要は、私は相手の都合より自分がしてほしいことを優先していたのだ。人の為に、はたをらくにするために、「傍楽(はたらく)」を意識していたはずなのに実際は逆のことをしている。そして、相手が自分の思うようにしてくれないことを不満に思っていたのにその自覚さえなかった。また、教師を長年していた私だから身についたのか、それとも元来の性質によるのか、「教えてあげよう」という気持ちが強く、それがたとえ善意であっても言われた人には押しつけや上から目線に感じるのだということに改めて気付いたのです。

これらのことは今までいろんな人が何度も伝えてくれていたことでした。それを思うと感謝があふれ、とても幸せな気持ちになりました。そして伝えてくれたメンバーやともちゃんに「ありがとう」という言葉を伝えハグしました。それまでともちゃんとの関係がぎくしゃくしていたのはこの喜びを神様が与えてくれる為だったのかもしれないと思うと、涙が出そうでした。(ほとんど、たぶん一度も?木の花で泣いたことのない私なので、「泣きそう」というところで止まっちゃいました・・)
それと同時に自分の課題が明確になって、「これで、また変われる!」と確信でき、光の方向が見えたようで嬉しかったのです。自分一人の変化であっても、全体を変化させることができるのだから、それを思うとますます楽しくなりました。課題なのだからそんなに簡単には乗り越えられないかもしれないけど、一歩一歩積み重ねていこうと思います。

ある日私が書いた「今日はとても実りの多い一日だった。そしてとても気持ちよく送れました。」という文章に対していさどんは、「本当は、毎日我々はそんな世界で暮らしているのです。」とコメントしてくれたのですが、それを最近よく実感します。不満を感じたり不幸だと感じるのは自分がそうしているだけで、本来は愛あふれる世界に私たちは暮らしているのです。それを思うと、感謝しかありません。
全ての人たちがそんな想いを持つことができれば、地球の問題事である戦争、飢餓を始め、異常気象でさえも全て解決するのだと思うのです。そして全ての人が生き生きと輝いて暮らすことができるのです。

最近何度も私が繰り返して読んでいる「いさどんブログ(全ては善への旅である)」をここで改めて紹介したいと思います。
「全ては善への旅である」

どんなに真理を得ようと思っても、どんなに真理を生み出そうと思っても、それを受ける器がなければ真理は降りてこない。真理への道は無限にあるが、そこに行く意思がなければ意味がない。道を語ろうと思っても、聞く者がいなければ語れない。信じる者は救われる。求める者に道は開かれる。歩む者に目的は現れる。
世界に痛みの伴う秩序があるのは、まっすぐ立つことへの指針である。道があっても目的地のない道は無意味である。曖昧な道を歩んでは目的地には到達しない。

世界に秩序があるのは目的地に人をいざなう為にある。秩序に溺れて漂う為に秩序があるのではない。世界の秩序を感じなさい。それはあなたを目的に導く道である。秩序が観えない者は目的地に行くことができない。秩序は世界の法である。秩序は世界のすべてに喜びを与える。世界は秩序の海である。秩序の中にあって内から自我を発する者は、法に反する者である。

内なる自我に捉われず、外の秩序に従うこと。内なる自我を取り去ることで内なる鏡が磨かれて、外の秩序が映し出される時、外の秩序が内の秩序になる。自我を捨てることではない。それは、自我を描くこと。そして自我の鏡に外なる秩序を映しなさい。そうすれば自我は消え、内なる秩序は無限の秩序となる。
世界には秩序が蔓延している。道があることを知らぬ者に道はない。道を歩まぬ者に道はない。道を求めぬ者に道はない。道を待つ者に道はない。道を観る者に道は観える。道を歩む者に道は開かれる。道を歩む者に目的は観える。この世界には秩序がある。

この秩序が観えるか?すべてを繋ぐ秩序。織物のように紡がれ、無限に連鎖する。連鎖とは繋がり。目的はひとつ。すべてはひとつであること。ひとつであることは区別がないこと。その元には善意、愛、調和。その姿は真、善、美。世界を紡いでいるのは善意。愛に基づいた善意。美に基づいた善意。それが真理。
世界に善を見いだせない者は内に濁りがある者。世界に悪を見る者は内に悪を持つ。世界の実相は善意。世界のすべてに善を観なさい。出来事は世界の真理、善を見るための情報。すべてに善を観ぬ者は内に悪を持つもの。すべてに善を観なさい。世界のどこにでも善を観なさい。

世界に善を観ない者は内なる悪を持つもの。汚れを取り去り、美しくしなさい。それを鏡としなさい。そして真理、善を内に映しなさい。その者は世界を照らす者。内なるものも外なるものも善を創るもの。この世界に悪などありはしない。悪があるとするならば、それは善への道しるべ、善を顕す為にある。すべては善の為にある。善という美であり、真理である。すべてに善を観なさい。

計る心に悪が生まれ、計る心に善が生まれ、計る心にすべてが生まれ、計らなければすべてが消える。

愚か者に悪が生まれ、光への旅に善が生まれ、光への旅に喜びが生まれ、光への旅に愛が生まれ、光への旅に調和が生まれ、光ヘの旅に真理が生まれる。

見えぬ者は内なる鏡の汚れに気づき、自らの盲目に気づきなさい。

真理を観る目を育てなさい。真理を観ようと努力しなさい。そして信じなさい。世界が善意で創られていることに目覚めなさい。愚かしいと思えることのすべては善の為にある。

すべては善への旅である。すべては善への旅である。すべては善への旅である。
すべては愛への旅である。すべては愛への旅である。すべては愛への旅である。
すべては調和への旅である。すべては調和への旅である。すべては調和への旅である。

その心が世界を美しくするのです。有難いことです。有難いほどの真理の元に、この世界の秩序がある。それに気づいたならば、どうして世界に不足など生まれましょうか。ただ有難いと思って生きるのみ。有難いことに気づいたならば、有難い神秘が世界に紐解かれ、有難いが現れる。
有難宇御在益。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。