パティの自然療法プログラム体験記 ~ 人生を方向転換させるのに遅すぎることはない!

アメリカ人のパティ(仮名)が長年のうつ病と不安神経症を克服するため、木の花ファミリーを初めて訪れたのは2017年9月のことでした。それから1年4ヶ月を経て2019年1月に再訪し、自然療法プログラムを6週間受けた後、見事卒業に至ったパティの卒業コンサートが2月16日に開かれました。その中で、パティは木の花ファミリーメンバーに次のような「自然療法プログラム体験記」をシェアしました。


 

パティの自然療法プログラム体験記

私が皆さんと共にここで生活している間経験出来たことをお伝えするこの機会をいただけたことをたいへん嬉しく思います。木の花ファミリーに来る前、私の世界はずっとずっと小さくなり、感情的にマヒ状態近くにまで至りました。これは真剣にスピリチュアルそしてセラピー的取り組みをしてきたにもかかわらずです。
私はアメリカに住んでいます。70歳で、結婚しており、20代の子どもがふたりいます。長年私には教授としての経歴があります。木の花ファミリーにたどりついたのは、北米で発刊されている「コミュニティ」という雑誌に掲載されていた記事を読んだからであり、ここには私にとって何か大切なものがあるとすぐに気付きました。
木の花ファミリーに到着したとき、私の人生における現在進行中の苦痛の主なる原因は、結婚に関するうつ病と不安神経症でした。私の夫はたいへん親切で、思いやりがあるにもかかわらず、彼と感情的につながることは難しいと思っています。ジイジが伝えてくれたように、夫は私にとって天からの素晴らしいメッセンジャーです。というのも、私たちの違いは私が子どもの頃、ずっと以前に培ってきた多くのネガティブな傾向に気付かせてくれたからです。
私の両親は愛情を持って私を育てようと最善を尽くしてきたにもかかわらず、彼らは若い頃、ふたりとも重大なトラウマに苦しみました。両親の結婚における深刻な困難は、私の子ども時代が安心感や幸せと共になかったことを意味します。事実、私は世界に対して極度に用心深い姿勢を培ってきました。私が8歳のとき、妹が医療的問題と共に生まれてからは、特に危険にさらされているように感じ、何年もの間経験してきたいくつもの病気の中で最初の病気に陥りました。病気のいくつかはかなり深刻なものであり、通常私がどう対応したらいいのかわからない状況に直面すると、病気が発生しました。
家庭内には私の人生にとってのスピリチュアルな側面がなかったので、私が助けやガイダンスを得るために頼ることが出来る天の力のような気付きは持っていませんでした。私は自分の知性を活かし、一生懸命働き、結婚しなくても経済的安心を得られるよう良い経歴を持つことを勧められました。事実、私自身や世界全体に対して多くのネガティブな思考をもたらす完璧主義の人格を形成しながら、人生を歩んできました。やがて私は大学の教授になりましたが、なお不安神経症やうつ病によって非常に苦しみました。その後、30年ぐらい前に結婚し、私自身の子ども時代の多くのテーマと似ている家族生活を始めたのです。
私の健康上の問題もあって、15年ぐらい前に私は退職し、私の精神的・物理的状況を改善するための努力が始まりました。幸運なことに、スピリチュアルヒーラーに出会う機会があり、物理的・精神的健康とスピリチュアルな健康の関係性について気付かされました。ここからスピリチュアルヒーリングの長い探求が始まり、今日私を木の花ファミリーまでいざなってきたのです。
ここに来る前、私の自我が経歴の中で成功を「得る」ことは私に幸せをもたらさないだろうことは長い間気付いていましたが、私はもがいていました。私はより広い世界の役に立ちたいという強いサービス精神望を持っていたのでしょうが、私の精神状態がたいへん不安定だったため、私を「崩壊」させるような感情的危機をずっと持ち続けてきました。私のエネルギーのほとんどは私自身を前に進め、家事をし、家族の面倒をみるために使われてきました。わたしはかろうじて生きていたという感覚を持っていました。
もちろん、私の残りの家族もまた、私の現在進行中のうつ病と不安神経症の結果として問題を経験してきました。
基本的に、私が子どもの頃両親からの注目を集めるために病気を利用してきたのと同じように、私が存在し続けるためには家族からの助けを必要とする愛情を求めている人として、自分自身を位置づけてきました。もちろん、私の家族が私の人生の多くの責任を引き受けてきた事実は、それぞれの意志に沿った彼ら自身の人生を生きることをたいへん難しくさせてきました。

私がここに滞在している間木の花ファミリーが私に提供してくれたものは、異なるビジョンです。どのように精神的に自立した存在として生きるかというビジョンです。私がそう出来るとき、私の家族もそれぞれの才能を表現するためのより良い機会を持つでしょうし、自立して生きていくだろうと私は信じています。
私自身の精神的自立に向けてのこの歩みによって、私は人生において初めて他者を一貫して、かつ真に大事にし始めることでしょう。というのも、私は私自身の人生を生きがいのあるものにするために他者を「必要」としないからです。もちろん、家族内のこうした変化は「世界を救う」ことにはなりませんが、私にとっては精神的成熟という方向への重要な一歩なのです。

70年間違う生き方をしてきた私は、どうしたらそのような巨大な変化をもたらすことを願うことが出来るのでしょうか?それは、人生における安全のもうひとつの源を見つけ、信じることを誓ってきたことによって決まるのだと思います。私はここ木の花にいる間、この方向へ巨大な歩みを進めてきました。この理由のひとつはジイジが私と共有してくれた教えのいくつかのおかげです。他の理由としては、このコミュニティがどのように機能するのかを私が感じることが出来たからです。
例えば、私の人生における困難の本当の原因は私の子ども時代のトラウマ的な出来事等なのではなく、そうしたことを霊的な成長への招待というよりも「不幸の元凶」とみなす私の傾向が原因だったのだと気付きました。ジイジが私にたいへんたくさんの「真実味がある」ことを伝えてきてくれたからこそ、そして木の花ファミリーの努力がいかに成功を収めてきているのかを観ることが出来たからこそ、私が必要なことをするときには天が作動し私の努力をサポートしてくれるというジイジが提案してくれた安心感を信じることを決めたのでした。言い換えれば、もし私がダンスに参加するのであれば、天は私と一緒にこの道でダンスをしてくれる善意あるパートナーであることを信じる勇気が必要なだけなのです。
こうした機会を掴むことが私にとって難しかったひとつの原因は、私が対処してきた問題が私には大きすぎて自分ひとりでは対処できないように思ってきたからです。私の心はそうしたことを解決するための方法を探すことが出来ませんでした。しかし、ジイジと陽子が私に繰り返し思い出させてくれたように、私ひとりで問題すべてを解決する必要はなく、私の現在の視点から解決のためのすべての道を知る必要はないのです。事実、これは不可能なことです。なぜなら、私には必要とされる能力や精神的視点を「まだ」持っていないからです。しかし、私のダンスパートナーが私と一緒になることを信じられるならば、私は最初のステップを踏み出す勇気を持つことが出来るのです。最初のステップの後、続くダンスは少しずつ明快になってくることでしょう。ジイジが伝えてくれたように、心の余裕があれば、今は見えない多くの可能性が見えてくるのです。私はこうした考え方にある言外の意味を深く心に刻みました。これは私にとって重要な驚くべき事実であり、私がここに滞在している間コミュニティの中で何度もこうしたことが展開されてきたことを観てきました。
「ステップアップ」し、私自身の人生の責任を持つために具体的な行動を取るというこうしたチャレンジに加え、ジイジは70歳という年齢の私にまだ開かれている可能性について多くの励ましを与えてくれました。それは私の古い人格を捨て最初からやり直す必要があるということではありません。過去に私にとって問題だった私の性分という側面でさえ(私の慎重さや敏感さのような)、私の家族だけではなくより広い世界に貢献するために有効活用することが出来るのです。
事実、私の人生においてこうした方向転換をするのに遅すぎることはなく、今まで私の苦しみに使われてきたエネルギーのすべてはその方向が変われば、良きことのためにたいへんパワフルなものになれるとジイジは私に自信を与えてくれました。これは私にとっては計り知れないほどの励ましです。
もちろん、アメリカに戻れば、ここで得ることが出来たものを持ち続けるというチャレンジに直面することでしょう。突然すべての物事が簡単になるとは思っていませんが、他者の目から見れば、私の存在価値や私自身の人生を探し求めるという中毒を捨てるために、基本的に必要なものを受け取ったように心から感じています。こうした変化の多くは、ジイジや陽子と話す機会を得てきたことすべてのおかげです。しかし、こうしたことの大部分は単に知性で受け取ったというよりも、私が「体験」してきたことによるのです。そして私のスピリチュアルな人生を振り返ると、これは私が読んできた多くの本よりもずっと、試金石として私と共にあり続ける思いがけない経験なのです。
私と共にあるであろう経験の多くは、木の花ファミリーメンバーを観察し、交流し、もしくはただ彼らの間で「浮かんでいる」結果、私にやってきました。個人のメンバー、そしてコミュニティ全体から発せられる穏やかさ、誠実さそして博愛のレベルを誇張することは不可能です。こうした環境で生活しながら、人は博愛を「期待」するようになることが出来ますし、こうした期待の中で生活することはたいへんパワフルな体験です。
こうしたことすべてのおかげで、ここでの生活のペースはティク・ナット・ハンの「決してあせらず」という歌にあるように、たいへん落ち着いていて、予測どおりで、安心させるようなのです。これは日常的に不安(良い場合)やパニック(悪い場合)を自分で発生させることに慣れている私のような人々にとって、心からの癒しです。
ここでの6週間という滞在の間、こうした「生命体」の一部として、「動揺」するまでもっと時間がかかるように、そして動揺がより急速に自然に収まるように、より容易いレベルで私の神経系を「リセット」させてもらえる特権を与えられてきたように感じています。また、おそらくゲストにとって愛と共に育てられ調理された非常に新鮮でオーガニックの食事にポジティブに反応しないことは生理的に不可能なことでしょう。こうしたことは私の「骨」の中で持ち帰ることを期待する自然療法プログラムの恩恵です。
私が何度も目にしてきた、もうひとつの素晴らしい体験の贈り物は、現状が何であれ、ここで目に見えて疲れている人たちの「ただ前進し続ける」意欲です。もちろん、「物事は起きる」のですが、ここでは一般的に、人生というものは、「ショーは続けないといけない」という原理に従っているようなのです。日常生活に潜在するこうした共有の安定性を持つことは、宇宙で孤立している感覚を持つ人々にとっては心から安心させるものです。メンバーにとってこうしたことに貢献していることを知ることはたいへんな喜びであるに違いありません。
私がアメリカに戻ってからどのような生活になるのかはわかりませんが、私は自分の生活を今までとは違う意識に持っていくだろうことは知っています。すでに私は自分の内なる会話が落ち着いてきていることに気付いています。未だ私の心の中には、恐れ、支配しようとする人格の側面が機能していることは知っていますが、彼女に対して以前より慈悲心を持ち、彼女のガイダンスに従わなければいけないという必要性は薄れてきています。私の感情的状態は未だ左右に揺れますが、揺れは以前より極端ではなく、より早く収まります。
今週、上海から英語を話すゲストが訪れ、私は自分のビフォー&アフターの変化を感じる良い機会を得ました。木の花ファミリーの英語の広報活動キャンペーンを行うひとりの地元の人として、私の自我がすぐに飛び上がり、その存在価値を築き上げることを求めました。何週もの間、私は木の花ファミリーメンバーからこのような自我に出会ってこなかったことに突然気付きました。誰も私に強い影響を与えようともコントロールしようとも、もしくは私から何かを受けようともしないようでした。その代わりに、彼らはただ私にオープンで、喜んで助けようとし、どのような形であれシェアしてくれるのです。突然、これは私のここでの滞在の間、私に開かれてきた世界の大事な生き方であることに気付きました。過去私が他者と関わってきた方法がいかに不安に満ちて自己中心的なものであったのかを知るこのショッキングな体験を持てたこと、そして私がここに滞在している間一貫して私にとってモデルとなってきた他の方法の本質に気付けたことに私は大変感謝しています。
ある日喜子さんとジャガイモの下準備をしていたときの、とても大切な会話に言及することでこの滞在記を締めたいと思います。私は彼女に、私にとって意思決定をすることは極端に難しいことを話したところ、彼女は自分の人生の方向を図に表すような形で彼女の急激な変化について私にシェアしてくれました。彼女が私に話してくれたのは、彼女はかつて自分のための目標を設定し、それを達成し、それから次の目標に移る傾向があったということです。しかし、木の花に来てからは、自分で設定した目標を達成するということは、「運命」としてそれほど大きなことではなかったと彼女は感じました。最近、彼女は自分がすることを積極的に「選ぶ」代わりに、自分にふさわしい状況がただ現れ、そうした状況の多くは彼女が誰かに助けを提供出来るものであり、彼女はそれが「自分のもの」であると認識することができる感覚を持っています。このようにして、彼女は「生かされている」のです。
私が自然療法プログラムを申し込んだとき、私のもっとも高い目標は喜子さんが私にたいへん素晴らしく説明してくれたような状態に至るための助けを受けることでした。これはまだまだ先の話のようですが、私のここでの滞在によって、やがてこうした状態がどのようにやってくるのかが観え始めています。皆さんの助けにたいへん感謝しています。

 


パティの「自然療法プログラム体験記」がシェアされた後、サポーターの陽子から、パティの6週間のケア滞在を振り返った「パティ物語」が読み上げられました。


 

パティ物語

~たくさんの学びの中で成長していくパティ物語のほんの一部をご紹介致します~

不安障害と診断されていた68歳のアメリカ人のパティが、初めて木の花ファミリーを訪れたのは2017年のことでした。ジイジとの面談の際、パティは「人生を通して私は不幸でしたが、特に結婚の不幸せをきっかけに特にここ最近は不安・パニック・うつ・気分変動という精神的問題を抱えています。木の花では皆さんが天のガイダンスを信じることを実践し、それを生涯のベースにしていることを私は知っています。この新たな生き方を学ぶ上で皆さんのサポートを受けるために、今、私は自然療法プログラムを受けるべきか、『1ヶ月間の真学校』を受けるべきか考えています」と語り、それに対してジイジは「あなたにとって必要なことは、治療を受けることではなく、世界観を広げることですね。そのためには、まず自然療法プログラムを受けることをお勧めします。そして、あなたが必要だと思うのであれば真学校を受講することも良いですね」と伝えました。

それから1年4ヶ月後、パティは自然療法プログラムを受けるために6週間というスケジュールを組み、再び木の花を訪れました。ケアスタート面談の際、パティは「前回木の花に来てから、私は自分自身が内面的にもっともっと小さくなり、もっともっと窮屈で、もっともっと恐れるようになりました。なぜなら、結婚生活を続けるかどうか、とても葛藤しているからです」と話しました。それに対して、ジイジは次のように伝えました。
「以前もお伝えしましたが、あなたはまず世界観を広げるべきだと思うのです。人はなぜ生きているのか。死は何であるのか。私たちは個人が生きているというよりもこの世界の中で生きているのですから、この世界はどのような場所なのか。一般の人たちは日常のスケジュールの中で生き、お金に追われて生きていますが、本当は私たちは宇宙の中にいて星や太陽や月、地球の仕組みの中で生かされているのです。あなたの話の中で、家族関係の問題のためにあなたの心が壊れていくという話がありましたね。しかし本来、生命は群れれば群れるほど豊かになるものなのです。ところが、人間の世界だけが人が多くなると利害関係が生まれ、派閥や対立が起き、収集がつかなくなるのです。ですから、あなたの問題は人類の問題でもあると思うのです。つまり、あなたは人類を代表して、今この状態にあると言えますね。
そこで、あなたがあなた自身を正確に知るということと、私があなたを知ってアドバイスをすることの両方が必要ですから、まずは日記を書いてください。あなたが書いた日記に対して私はコメントをしていきますが、私のことはもうひとりの客観的なあなたに出会ったと思って生かしていってください。新しいあなたが新しい思考をするようになることがこの取り組みの目的です。一般の医療機関で治らない人たちがここで改善するのは、自らに囚われた物事の捉え方から視点を変えていくからなのです。
自分の人格に飽きていない人や頑固な人は改善するのになかなか時間がかかります。ですから、まずは自分の人格に飽きないとダメなのです。そして、過去の自分に笑って話しかけられるようになることが大切です」と伝えると、パティは即座に「私は自分の人格にうんざりしています!」と答え、ジイジは次のように続けました。
「それは良くなる可能性があるということです。今、世界中で人間のあり方が狂っています。これは問題ではありますが、狂っているからこそ、問題を観て、どうしたらいいのかという知恵がその奥に隠れているのです。ですから、問題の背後にどのようなメッセージがあるのかを読み解く力が必要なのです。そのためには客観的視点と広い世界観が必要です。」

パティがケアスタート面談を終えた後の大人ミーティングでは、今日からみんなで木の花ファミリー憲章を深める時間を持つこととなり、世界観を広げることがテーマのパティにとっては最高のスタートを切ることが出来ました。翌日からも、ミーティングに熱心に参加しながら、日記に自分の正直を出しながら積極的に取り組み、ジイジはそうしたパティの姿勢を評価しつつ、「トータルして、あなたの考え方は人生をポジティブに学習していく姿勢に欠けているのだと思います。もっと自由にリラックスしてポジティブに日々を送ることは可能です。そういった精神の奥に神様のあなたに対する意志があるのではないでしょうか。あなたの人生にとって、今までの体験が不幸をもたらすものであったと終わってしまわないように、前向きに出会う出来事を分析し、今後のあなたの人生に活かしていけることが大切です」とコメントしていました。

そうして迎えた1週間面談でジイジは、パティがこれまで日記に書いてきた身近な内容に触れることなく、次のように伝えました。
「あなたは長い間大学教授として頑張ってきましたが、あなたのように社会的にも優秀で、高い地位を持っており自負心が強い人の特徴として、自分の納得の上でしか物事を受け取らない傾向があります。この場合に落とし穴があり、結局どんな提案も自分の理解出来る範囲内で受け入れるものですから、それがどんなに素晴らしい知恵であっても、結局自分流に受け取ってしまうのです。場合によっては、受け入れたくないことがあると、それを受け入れない理由として自分を主張するようになるのです。しかし、今までの人生の歩みの結果現状があることを認めるならば、私はそれに対する改善のための代替案を提案しているにしかすぎないのです。
なぜ私がそのようなことをするようになったのかというと、私のスピリチュアルな体験がきっかけとなりましたが、実際に問題を抱えている多くの人たちの相談に乗ってきたという実績があるからです。もうひとつは、人はいろいろな自我によって苦しんだり問題事に出会ったりしますが、この木の花という生活を現実化することによって、こうした共同体の中では自らの心と向き合うことによって問題が起きないような現実をモデルとしてつくっているのです。これをひとつの実績として皆さんに見ていただきながら、私の提案はあくまでも正しいとか間違いということではなく、情報として受け取ってもらえればと思います。それは、『こういう生き方をすると、今まで現代人がつくることが出来なかった社会が出来ますよ』という提案であり、これは人類に対する提案でもあるのです。
私は自分のライフスタイルの目的のひとつとして、確かに長い間行き詰まった人々の相談に乗り、支えになってきましたが、その行動の本当の目的は人類が自らの真の尊さに目覚め、ふさわしい尊い生き方を地球上で表現することを伝えるためなのです。さらに言えば、地球が喜ぶためです。この面談を聞きながら、地球は喜んでいますよ♪この情報は同時に銀河を運営している、銀河の中心のセントラルサンの司令室にも伝えているのです。つまり、私は地球を進化させるためのプロジェクトをしているのです。あなたに世界観を広げることの大切さを伝えるのも、今、人類は自分のことを心配している場合ではなく、自分たちがしてきたことが他の生命たちにどれだけ迷惑をかけ、この宇宙の法に反しているのかに気付くことのほうが先決だからです。
私のアドバイスは、ひとつではなくいくつかの視点に立ったときの情報として伝えています。あなたにも、パティというひとつだけの視点で物事を観るのではなく、上下も左右も広げた形で物事を捉えられるように、これからもいろいろな視点を提供していきますね。」

その後、さらに日記の中で自分を分析することに一生懸命になっていったパティに対して、ジイジはこうコメントしました。「私が伝えたいことは、あなたが解決策を考えることをやめることを提案しているのです。分析力が高くて一生懸命やっても、方向性が間違っていたら何にもなりませんからね。これは、優秀な人が意外と陥るところなのです。その一生懸命では自分の枠を壊したことにも、そして新たな考え方を得たことにもなりません。そろそろ、このプロジェクトの次の段階に行くときが来ていると思います。それは、こういった日記を通して改善方法を模索していくのではなく、具体的な日常の行動の中にどのように人格が反映しているのかを観るために作業に参加してみるとか、あなた自身の枠を超えた行動をとってみることを提案したいと思います。具体的には次回の面談で話し合いましょう。」

そうして迎えた2週間面談でジイジは、これまで15年間自然療法プログラムを提供してきた中で初めての試みをパティに提案しました。
「私があなたと2週間付き合ってきて、あなたに伝えたいことがあります。このプロジェクトはあなたの人生を健康で幸せな人生にするためのプロジェクトです。そのために何が一番大切なのかというと、あなたが健康で幸せな人にならないといけないのです。あなたも自分の書いている日記を見てわかっているだろうと私は判断するのですが、あなたの自己分析は完璧に出来ています。しかし、どれほど完璧な分析が出来ても、それに基づいて生きていくことが出来なければ健康で幸せな人生は現象化することはありません。
最初の2週間はお互いに知り合うための期間でしたが、ここでふたりのあなたがいることを説明します。あなたの中にはあなたらしい人生を生きてきたパティがいますね。それから、それを観てそれを分析し、『それではダメですよ』と言うあなたがいるのです。そのあなたはあなた自身を十分に改善する知恵を持っています。しかし、今まで生きてきたあなたはその提案に対し、抵抗するあなたでもあるのです。このプロジェクトには私も関わり、陽子もサポーターとして関わりますが、私たちはあくまでもサポートする側であって、そこの主人公はあなたの中のふたりなのです。今まで、あなたはどちらかを優先することをせず、あなたの中のふたりは勝負をつけてきませんでした。そこで、それを超えてどちらかを優先しないと、あなたは中途半端な形で人生を終わることになってしまいます。でも、少なくともどちらでもいいというわけではありませんね。どちらかわかっている一方を優先するために、今、この取り組みをしているからです。心配しなくてもいいのは、どちらを選んでもあなたであることは変わらないのです。ただ、明快なのはどちらを選ぶかによって、未来がポジティブかネガティブかは観えてきますね。
今回のプロジェクトは、今までの人生を客観的に観て自分を戒めるあなたを優先させることが一番大切だと考えています。この段階に至っては、選択肢は本当はあってはいけないのです。あなたが健康で幸せであるためには、選択肢はないはずなのです。私は今、地球人類にも同じことを言いたいのです。物理的に豊かな生活を求めるのか。それとも地球や他者と共同して真の豊かさを求めるのか。今、ここで滞在されている中国の大学の先生もあなたも先生ですから、考え方としてはとても賢明な考え方を持っておられるのですが、不思議なことに自分のこととなるとそこが十分に生かせていないのです。これは現代的に優れていると評価されていたり、そういった地位にいる人たちの特徴でもあります。
そこで、この2週間の取り組みを一区切りとし、次の段階としてあなたの中のふたりが話し合う時間を持ちましょう。ここでは、あなたを優れたほうへと導こうとするあなたが、今まで生きてきたあなた自身をどう説得していくのかがポイントです。自分で自分を説得するのですよ。そのために、日記は今まで通り書いていただいていいのですが、明日からの取り組みはたとえば30分といったそれほど長くない時間を使って、あなたの中にいるふたりの人物、特に戒められないといけないあなたを出してもらい、戒める側と私の3人で毎日話し合いましょう。そして、これをあなたの人生を通して自らを改善するための取り組みとしての仕上げとしたらいいと思います。」
この提案を閃いたジイジには、日記のやりとりではどうしても自分流に解釈してしまうパティに対し、直接話し合いの時間を持つことで客観的な視点を身につけてもらいたいという想いがあったのでした。

それから毎晩30分程度の時間をジイジと持ちながら、AパティとBパティの話し合いは進められていきました。「朝が来ると、『私の人生はめちゃくちゃで、私は人生で一度も改善したことがない!』と思考するネガティブなAパティが出てくるのです」と言うパティに対し、ジイジは「Aパティに出会ったときこそ、改善のチャンスなのですよ。朝起きたときにネガティブだったらチャンスです!そのトレーニングを自分で自分に与えましょう」と伝え、「目標としてAパティとBパティが0:100にならなくてもよいのです。40:60くらいでいいでしょう。Aパティが40あるのは多様性だから良いのです。そして人生を学ぶためには問題事を優先することも必要でしょう。明日また、新鮮なパティと会いましょう!」とパティを励ましながら、時に思考が夫の問題点に集中してしまい、Aパティに支配されてしまうときにジイジは、「人生を生きるということは、自分の精神状態がどうなっているのかのテストを常に受けているようなものです。そして、出てきた自分の精神状態がその答えなのです。どんなにネガティブなことでもポジティブなことでもすべて神様の愛であり、実はすべてポジティブなのです。ネガティブに考えることはあなたの自由ですが、それはネガティブに解釈する心があるからそうするだけで、この世界は常にポジティブの背景に現象が起きているのです。その一番の元には愛があるのです。それを、あなたが世界で出会う現象から受け取れる人になれるかどうかです」と伝え、そうした中でパティはジイジの「すべてを情報として受け取る」姿勢や、「自分にとって都合の良い喜びを持たない」といった難しい心の仕組みを学んでいったのでした。

そうして、少しずつ冷静で客観的な視点を身につけてきたパティに、ジイジは最近の日記と滞在当初の日記を読み比べることを勧め、パティ自身もネガティブな思考が少なくなってきた自分の変化に気付かされたのでした。そのような中、ある日夫からメールがあり、最初は感情的に反応したパティもすぐに冷静な精神状態に戻ることが出来、それを受けてジイジは「今日の夫からのメールは良いテストでしたね!この場合、彼は神のお使いです。解釈の仕方によっては、すべての現象が神様が示されたものなのです。そういった自分の人生に有益になるような捉え方は、まだ目覚めていない人にはなかなか難しいことです。その思考の鍵を見つけることが大切なのです。きっと、今まではあなたはその鍵を見つけて探究することよりも、身近なことに気をとられていたので矛盾が起きていたのです。そこまでわかってくると、彼はあなたの夫であると同時に神のメッセンジャーでもありますね。瞬間瞬間が神様との対話であり、私たちが未熟であるならば、ある意味テストでもあることをいつも頭の中に入れていてください」と伝えました。

少しずつ世界観を広げていったパティは、ジイジとの面談を1日おきにし、もっとコミュニティの中で時間を過ごそうと自分のパソコンをひまわりホールに持っていったり、1週間後に迫った花祭りの切り草を飾る手伝いをしたり、メンバーともっとコミュニケーションを取ろうと努めていました。そのようなパティに対しジイジは次のように伝えました。
「日記に書くことも面談で話し合うことも良いことですが、木の花の日常を感じることがこの取り組みに有効になるだろうと以前提案しました。それは、豆の選別でも、今日のよこちゃんの出発式に出ることも(注:入院中のメンバーが急に亡くなり、出発式を行った)、ミーティングに参加することもすべてそうです。私はあなたに異文化や新しい物事の捉え方といったあなたにはなかった代替的なことを提供したいのです。よこちゃんの出発式についても、あの出来事は意図的に誰もつくることの出来ない場所でした。木の花の人たちがそれぞれに自分の出来ることを役割分担し、あの場に持っていったのですが、そもそもよこちゃんがあのタイミングで亡くならないと出来ないことでした。だから、天が与えてくれたのだと思いました。このように、私たちはシナリオのないドラマの中に生きているのです。
現代人は頭が良く、いつも正解をやろうと努力します。それは重要なことでもありますし、人間の優秀さでもありますが、現代人が忘れている『人生をいただく』ことの価値はああいったところにあるのではないでしょうか。木の花の生活は、なかなかつくろうと思っても出来ない場所なのです。その出来事の奥を分析するのは難しく、つくろうと思っても出来ない、出会おうと思っても出会えないその場所に、神様のメッセージが隠れていると私は思っています。
今はここの環境によって導かれているあなたの心の安定が、将来アメリカの元の生活に戻っても継続するように、あなたの中に新しい精神分野が構築されることが大切です。それはあなたの中でつくられたものですから、どこへ行ってもそれが有効に働くようになります。そのための基本としては、木の花の日常の生活に参加していただき、そこで出会う人たちの精神性がどのようなものであるかを探ってみるのも面白いですよ。
よこちゃんの出発式の前日のこのはな八重の舞のときに、あなたも輪の中に入っていましたね。私は『そうならないかな』と思って、あなたを観ていました。私はあの場で自身エンジョイしながら、あなたのことやいろいろなことを観察していたのです。もう少しで祭りの本番が来ますから、あの参加する勇気を持ってまた挑戦してみてください。」

ジイジの提案通り、花祭りの当日には鬼の舞の後のまさかりディスコ(観客がまさかりを振って踊る)の際に自分から率先してみんなの前で舞ったパティ。その翌日に迎えた4週間面談で、ジイジは次のように伝えました。
「ケースによっていろいろですが、通常4週間というのは自然療法プログラムを進める上で見通しが立つ期間です。あなたにとっても、自分の現状を把握できた期間がこの4週間だったのではないかと思います。あと残り2週間ありますね。6週間という滞在期間は、今回あなたが滞在するのに可能な期間として決めてきたものですが、とても良い数字だと思います。
明日で花祭りの一連の神事は終了しますが、私たちは一般的宗教的信仰という意味で花祭りを行っているわけではありません。そして、あの祭りがあなたやアメリカの人にとって異文化であるとは思うのですが、地球や宇宙の仕組み、また私たちが自然生態系の中の一員であるという昔の人々が伝えてきたことを、今流に解釈し表現しているのです。ですから、これからの時代は世界中の人々が柔軟性を持って、異文化や馴染まないものをポジティブに認め合っていくことが必要なのではないでしょうか。そういう意味では、今まであなたが出会ったことのないものに出会う良い経験を提供出来たと思っています。そして、こうした活動は木の花の生き方を広めるためのものではなく、地球的・宇宙的視点に立った生き方を人類に広めていくためには非常に重要なことだと思うのです。ですから、これから共に連携しながら活動していけたらいいですね。」

ジイジの言葉を受けて、花祭りの神事が終了した翌日には初めての試みとして畑作業に参加しようとしていたパティでしたが、高熱が出て体調を崩し、その後5日間部屋で休んでいました。

そして熱が下がり自室での隔離が解禁されたときには、ちょうど前回の面談から7日が経っていました。それを受けて、ジイジは次のように語りました。
「今日はちょうど前回の面談から7日目ですね。7という数字を西洋の人たちはラッキー7と呼びますが、カタカムナでは『質的転換』を意味します。つまり、古い体質を脱ぎ捨て新しくなり、次に向かうための方向転換をするということです。ですから、7という数字は単に都合が良いことが起きるというよりも、変化をもたらす大きなサイクルのひとつなのです。あなたが休んでいる間、物理的には辛かったかもしれませんが、私にはひとつ楽しみなことがありました。
これまでも、ケアで滞在している人に私がアドバイスをしていくと、今まで使ったことのない脳を使うことによって熱が出ることがあるのです。それは子どもが成長する段階で知恵がつくと熱を出すのと同じことです。それは、おそらくその人の思考容量や回路を増やしているのです。それで、今回あなたの取り組みの中では、世界観を広げ、客観的な視点で物事を捉えることがテーマとなっていました。あなたはこの短期間で新たな視点に出会ってきましたが、それを自分に落とす時間はなかなか持てないこともあるのです。そこでは今までの心の癖も邪魔します。そのタイミングで熱が出たり、体調を崩すこともあるのです。そこでは、その間に今までにない気付きを得たり、自らの思考を巡らすチャンスをもらっているのです。
通常、面談をするときに1週間毎に行うのも、7という数字を意識しているからです。ですから、前回の面談から7日間空いたのも、良い数字だと思っています。」
そして、この1週間の状態について聞かれたパティは、休んでいる間奇妙な夢をたくさん見ていて自分から何か暗いものが出ているように感じたこと、でも熱が下がってからは気分が良く穏やかで、ここでこれまで学んできたことを振り返り、ジイジのアドバイスが自分の心に刻まれていることを感じ、前に進んでいける自信を得たことを話し、「私は自分のことをまだバランスが取れていない赤ちゃんのように感じています」と伝えました。そんなパティに対し、ジイジはこう続けました。
「大丈夫です。赤ちゃんはこれから育っていきますから。物理的な赤ちゃんは成長に時間がかかりますが、霊的な赤ちゃんは急激に育ちますよ。人は病気をすると、『悪いことが起きた。結果辛い思いをして、やっとそこから開放された』と思いがちですが、確かにその人の精神状態によって病気は多く発生します。それはメッセージだからです。インフルエンザについても、同じ環境にいてもかかる人もいればかからない人もいたり、ネガティブな原因でかかる人もいれば、実はポジティブな原因でかかる人もいるのです。ですから、前回の面談から7日目の質的転換を意味する今日という日にこの時間を持てるということは、すべて天意だと思いました。
天意を感じるために大切なことは、私たちが天に自分の意識を向けているかどうかです。たとえば、太陽や月や星と対話しているのか。風と対話しているのか。土と対話しているのか。食べ物と対話して食べているのか。すべて、もともとは自分自身ですからね。すべてのものと対話し良い関係のもとで生きていくことが、天意で生きることだと思うのです。そこでは、『どうしたら天の意志を感じることが出来るのか?』『どうやったら直観を鋭く出来るのか?』という思考は不要です。たとえば、気分が悪いときには体も心地良くなく、外出もしたくないし、部屋で臥せっていますよね。そして気分が良いときには外に出て、胸をはって深呼吸する気分になりますね。それと同じように、生きるということは自然にメッセージを感じられるものなのです。大丈夫!そうなりますから。そこで、『そうなんだ!』と素直に信じて天と対話を続けていけば、必ずそうなります。私の人生には生きた師匠はいませんでしたが、昔と比べて私の直観ははるかに鋭くなっていますし、自分でもその精度に驚くことがあります。それは、そういったことを信じてやり続けてきた結果だと思うのです。
先程言われた、夢をたくさん見ることも、熱がたくさん出ることも、汗がたくさん出ることも、天のメッセージであり、解毒です。『ああ、毒が出ているのだ!』とその作業をやっていただいているという意識になったとき、『私たちが命であるということから、自分がやらなくてもこのようにしてもらえるのだ』と解釈出来るようになるのです。」
その話を聞いて、パティは「今まで私は一生懸命やりすぎて自分をコントロールすることが出来ませんでした」と話し、ジイジは次のように伝えました。
「それは現代流に言う、頭の良い人です。あなたは賢いので自分を客観的に観る目線も持っていますが、そうするとまた余計に落とし穴に陥るのです。それは、それだけの分析が出来るということで能力が高いという自負心も持つからです。そうすると、生かされていることに気付くことが遅れますね。
そういった分析からすると、人類はこれから初めて健全になっていく道を歩み始めるとも言えるのです。今、地球上には25800年ぶりの新たなサイクルが始まりました。しかし、私たち現代人につながる25800年前の歴史はありません。ですから、まったく新しい時代の始まりです。これは、現代人には楽しみであるだけのことなのですが、現代の混乱は自分たちが起こしたことであるにもかかわらず、人々はその原因を追求出来ず不安になっています。何よりも、一番大切な自分自身の使い方を人類はまだ会得していないのです。これからの混乱はますます矛盾を明らかにしていきます。しかし、それは時代の光が差してきたことにより、表に見えてきただけのことなのです。ですから、私たちはそこから現代の矛盾を学べば、それはおのずと消えていくことなのです。世界にはもうじき大きな災害が至るところに発生しますが、これはこの時代だからこそ起きるべきであり、その奥にある真のメッセージを人々が受け取ることが出来れば本当は待ち遠しい話でもあるのです。なぜそのような災害が起きるのかというと、人々がその種を蒔いていることに気付いていないからです。もしかしたら、起きる前に私たち人類がそのことに気付き、社会の仕組みが変わっていけば、出来事も起きなくなることでしょう。それは病気と同じように、悟ったものに与える必要がないからです。
今回、あなたの体調が崩れたことを聞いたとき、『私が提案しなくても、天がこうやってパティさんに仕上げを与えてくれたのだ』と思っていました。そういう意味で、あなたはBパティを運用することに手ごたえを持ち始めたのだと思います。あなたとの出会いはとても大事な出会いでした。難しいケースのように当初感じていましたが、それほど後戻りすることなく確実に目的は達成されてきました。ですから、そのようなわかりやすい事例をあなたの感覚でよいのでまとめていただき、それを私たちに残していただけたら、まだ目覚めていない人たちの役に立つことでしょう。」

そうして自分をコントロール出来るだけの考え方を身につけ、見事6週間で卒業を迎えたパティ。「あなたは思考回路を逆転させることによって、自分自身を救済するどころか、他者の救済にも役立つ能力を持っていますね」とジイジから伝え続けられてきたパティは今、以前と比べてはるかに安定し、「その安定はこの木の花というコミュニティが与えてくれました。それは私の中にあるものですから、アメリカに持ち帰ることが出来ます。今、私はすべてを自分の力で知る必要はないと感じていますし、新しい能力や方法が少しずつやってくることを知っていますので、とてもリラックスしています。それは私にとって大きな大きな学びでした。そしてこれから新しい生き方を実践していくことをとても楽しみにしています」と語ります。あなたが健康で生きることは私たちの喜びであり、なによりも天があなたと共にあるということです。これからも、地球コミュニティの一員として人類の目覚めを促す生き方をしていきましょう。まずは卒業おめでとうございます。

 


自然療法プログラムの卒業をお祝いするコンサートでは、プログラムの責任者であるジイジから、新たな人生の旅立ちにあたり卒業生に向けてメッセージが贈られます。今回は、「パティ自然療法プログラム体験記」と「パティ物語」が読み上げられるのに1時間以上かかり、その後ジイジは次のようなメッセージをパティと人類に向けて贈りました。


 

ジイジからパティへのメッセージ

長い時間をお付き合いいただいてありがとうございます。ここで私が同じぐらいの時間お話ししたら、皆さんに拷問を与えることになってしまいます(みんな:笑)。でもせっかくですから、少しだけお話しさせていただきたいと思います。

今日は2019年2月16日ですね。パティさんの卒業コンサートの日です。しかし、私にとってはこのような日々の積み重ねの結果、2月24日から始まる今年の「1ヶ月間の真学校」に向けての心を調整している最中です。今、パティさんの自然療法プログラムの取り組みを振り返っていただいたのですが、そこでも私は目の前にいる人にだけ語っているわけではないのです。それは、目の前にいる人がひとり幸せになるということは、その人の分だけ地球が健康になるということだからです。

人間はいつから心を病むようになったのでしょうか。間違いないのは、それは人間たちが複雑な自我を持ち、自己願望を叶えるようになる高い能力を得てからです。そういった能力は人間にとって、とても魅力的なものでした。しかし、そういった能力を持った私たちは結果として地球の仲間たちに大きな試練を与え、迷惑をかけてきました。それどころか、自分たちが行ってきたことによって、その矛盾を今、自らが受け取らないといけない状況にあります。なによりも、現代人は宇宙の法から完全に外れてしまい、宇宙を生きるという意識で日々を生きている人はほとんどいません。そして、現状のような人間にとっては辛い世相や自然現象に出会うことになったのです。これは長い間、人類が幸せを得て豊かになろうと願って築き上げてきた結果です。

私はいつも同じことをお話ししていますが、それは人々に本当の意味での価値を思い出してもらいたいからです。そして、パティさんと6週間という期間のプロジェクトを取り組んできましたが、題材はパティさんの人生でした。それは、ちょうど6週間をかけて真学校のプログラムを修了したような感じですね。2月24日から始まる真学校では1ヶ月間をかけて受講生の皆さんに本当の人間の在り方について伝える時間を持ちます。それは、パティさんの人生が健康で豊かになると、まわりの人たちの人生も幸せになる仕組みです。人類は今、そういったとても単純な、連動して共に創り上げていく宇宙や自然の法則を忘れてしまっているのです。

今、人類は地球上にたくさんの問題事をもたらしている存在です。それどころか、人類自身が地球の癌細胞のようです。そして、これから進むべき未来の方向性を見つけられないでいます。私はいつも同じことを伝えていると思いながら、これが、私の人生なのです。そして、ここにいる共に暮らす仲間たちはそれがいかに大切なのか、そして人類にとってそれがいかに有効なことなのかを立証してくれる仲間です。

今日、パティさんが卒業を迎えて、またひとり、その仲間が世界に増えました。その結果、個人のエゴをくすぐる喜びではなく、みんなで喜び合える豊かな世界を創りたいと思います。私たち人類は他の生命と同じようにそういった目的のもとに地上に降ろされたのです。これからも人々がこの真実に目覚めていきますよう、私たちはこの活動を続けていきますし、そしてこういったことの大切に出会った人たちは共にその活動をしていただき、地球を美しい場所にしていけたらと思います。

パティさんはとても優秀な方で、分析力がとても高く、私の提案が多方面に渡った結果、私にとってもとても良い刺激になりました。それから、ケア物語を作ってくれた陽子ちゃん、その難題を見事成し遂げ、よくやってくれたと思います。そういう意味でも、天はお互いにとても縁の深い大切な関係を与えてくれたと感謝しています。

これからも、私たちはこういった大切を地球上で表現するために生きていくのです。その自覚を持って、これからも歩んでいきたいと思います。パティさん、卒業おめでとうございます。そしてこの出会いに感謝します。

 


あなたのために一喜一憂してくれる人がいることはあなたの財産です〜自然療法プログラム・Aくん物語

17歳のAくんが初めて木の花ファミリーを訪れたのは5月9日のことでした。中学2年の頃から不登校ということで、父親と面談を受け、「体がだるく、気力が出ず、不登校どころか、普段の生活にも支障が出ている状態から、生活習慣を改善し、健全な生活を取り戻したい」ということで、その日からケア滞在をスタートさせたのでした。そして、高校復学の見通しが立ち、滞在開始から12週間が経ったとき、卒業を迎えました。

7月31日に行われた卒業コンサートでAくんは、ケア滞在を振り返って以下のように皆に挨拶しました。

――

Aくん:
まずここに来てから学んだことは、ただ悲観して、何もしないでいても、何も得しないということです。

次に、自分にしかわからないこともいろいろあるけど、人の言うことを聞くのは大事だということです。

あと、学校はずっと行けるかはまだわからないですけど、割り切って行くというか、まだ行こうという感じではないけど、形として行くのがいいのかなと思っています。

何もしないでいても、何も進まないので、必ず何かをしなくちゃいけないって思います。

――

その後、数名のメンバーからAくんに向けてメッセージが贈られた後、Aくんのサポーターを担当していたなかのんから、以下のメッセージが贈られました。

――

なかのん:
卒業おめでとうございます。このあとのケア物語にも出てきますが、6週間経っても、基本的な生活態度ができなかったというAくんで、しかもやる気も感じられなかったということで(みんな、笑)・・・

ジイジ:
ある意味、安定していたのです(笑)!

なかのん:
「ここにいる意味があるのかな?」と途中で思ったこともあったのですが、「僕はそれを判断する立場ではないからな」と思い、とりあえず役割に徹していました。そういったAくんが今日卒業を迎えるということで、やはり自分で見える景色はたかが知れていると思いました。そのあと、どのような世界が展開するかはわからないですよね。だから今、Aくんに見えている景色があると思うのですが、それもたかが知れていると思うのです。このあとどのような可能性があるのかはわからないので、その可能性を楽しんでいってください。卒業おめでとうございます。

――

この後、なかのんがAくんのケア滞在をまとめた、「Aくんのケア物語」が発表されました。

――

Aくんのケア物語

高校生のAくんが初めて木の花ファミリーを訪れたのは5月9日、不登校で昼夜逆転の暮らしを改善するためにお父さんと一緒に訪れました。

「規則正しい生活を送ること」を目標にスタートしたAくんのケア滞在は、本人のペースで進められていきました。作業へ出発する時間になっても丁寧に歯ブラシや水筒を洗い続けていたり、出発直前になって行くか行かないかを迷い始めたりして、人を待たせることが度々ありました。それでも最初の1、2週間は日中作業に出続けていたので、2週間面談の際、新たな目標として「コミュニケーションを大切にするように」ということが伝えられました。

2週間面談の場で、Aくんは自己主張を繰り返していました。そんなAくんに対してジイジからは、「今の状態を改善するためには人の話を聴くことが大切です。自分の考えが今の自分をつくったのですから、自分の考えを変え、社会に適応出来るようになっていく必要があります。」と伝えられました。

その後のAくんは休みがちとなり、半日か数時間キッチンで作業をして、あとは部屋で過ごすことが多くなりました。そして人ともあまり交流をしませんでした。日々の生活の中で出来ないことの理由探しをしていたのです。4週間面談では、そんなAくんにジイジから、「だるくなったのは、出来ないことの理由として必要なのかもしれません。」「自分の日記やなかのんがつけているケア記録を読み、そして面談音源を聴くことで客観的に自分を観るようにしていきましょう。そして自分の姿勢を振り返り、姿勢にメスを入れるように。」と伝えられました。しかし、5週間面談の際もAくんは、「病気であるほうが自分にとって都合がよい」と認めながらも、対人恐怖などの症状を訴えている状態でした。

そして6週間面談の際、ジイジからAくんに「いつも行動しない理由探しをしています。積極的にやらないことを求めています。」「このままだとやる気がないという判断になります。やる気がない人は滞在拒否することになります。滞在拒否される前に自分からやるように。このように6週間が経って、毎回同じテーマを出される人はあなたが初めてです。」と伝えられました。

その後も一向に気持ちが入らず、日記には無駄な思考やきれいごとを書いているAくんに対し、ジイジは、「余計なことは考えず無心になって動くだけです。本当は分かっています。」とコメントし、サポーターからは「こんなことをしていたら絶対に改善しません。親御さんにお金を出して貰ってそれを全部無駄にしています。行動しなければ、何を書いても無駄になります。もっとちゃんと考えたら?」と伝えられました。

その翌日からAくんは、毎日朝から作業に出るようになりました。そして7週間面談の際、ジイジからAくんに「その調子で続けて、自分で良いと思える生活を送るようにしましょう。こちらはあなたの取り組みで一喜一憂しています。あなたがしっかりと取り組むことはこちらの喜びとなります。あなたの1日の送り方が周りの人を喜ばせるのですから、自分の存在が人の喜びとなって、自分自身が誇れるようになるといいですね。みんな応援しています。」と伝えられました。

その後、しっかりと規則正しい生活を送り、人とも積極的に会話をするようになったAくん。8週間面談の際は、ケア卒業の見通しが伝えられました。ですが、Aくんの中に臆病な気持ちが芽生え、翌日の日記には、「まだケアを卒業出来るとは思えない。学校にはまだ行こうと思わないし、行く必要を感じない。」とネガティブな気持ちが綴られていました。そのためケア卒業は一度棚上げとなり、9週間面談では、ジイジからAくんに、「とにかくやる気がない。今もまわりからの評価を自分から否定して、自分で成果が上がらないようにしています。これから1週間様子を見ます。もしこの姿勢が変わらないなら滞在拒否をします。そのことを心して生活するようにしてください。日記も前向きな姿勢を表現するようにしましょう。それは嘘を書くということではなく、自分が思うことが前向きであるようにしていくということです。前向きな気持ちになるように自己コントロールし、そしてその姿勢で日記を書くようにすることを心がけましょう。」と伝えられました。

その後1週間、Aくんはネガティブにならないように心掛けて生活をしました。それを受けて、10週間面談では、9月復学の目標が決まりました。Aくんは自分から「9月」と言ったのですが、決まった途端に「やっぱり短すぎる」と言い出しました。そんなAくんにジイジからは、「余計なことを考えすぎないことです。その姿勢が、今までいろいろなことを台無しにしてきたのです。自分の考えで決めずに、自分の考えを超えて人の提案を取り入れるようにしましょう。『でも』、『けど』と言い訳を言わず、定まらない心も捨てて、スタートするようにしましょう。」と伝えられました。そしてこの日の日記にAくんは、「今日の面談を受けて割り切るしかない、決めるしかないと思った。ジイジが言うように、自分は17歳なのだから学校に行ったほうがいいに決まっている。そろそろまわりの意見を聞くときが来た。周りの指示、提案を聞こう。」と書いていました。

その後、ネガティブな感情と向き合い、それに対処する方法を自分から探求するようになったAくん。やり取りもしっかりしてきたことを受けて、7月31日のケア卒業、その後、9月復学を目指して長期滞在を続けることが決まりました。

11週間面談では、「今の不健康な状態になったことを父親のせいにしていた」と気づきを語るAくん。そんなAくんにジイジから、「出会う出来事は、環境も影響しますが、1番は本人の姿勢の問題です。親も完璧ではありませんし、親との間には意見の違いもあるものです。そういうことを対立や問題ごととして捉えることも出来ますが、それはある意味、困難な状況の中で自分を逞しくしてくれる要素でもあるのです。これからも人生の中ではいろいろなことがあると思いますが、それを生かしポジティブに捉えるように努力することが大切なのです。」と伝えられました。

ネガティブな思いと向き合い、ポジティブに変換することを学び始めたAくん。その歩みが続き、Aくんが幸せになるようみんな応援しています。卒業おめでとうございます。

――

それから、Aくんのご両親に毎週Aくんのケア記録と面談音源を送っていた際に、ご両親から返信として送られてきたメール集が皆に紹介されました。

――

Aくんのご両親からのメール集

●1週間目の報告に対する返信

1週間経ちましたが、本人はまだどうしたら良いかわからない状態が続いているようですね。

「この状態」、「何も考えられない」というフレーズはここ2年ほどずっと口にしていたものでした。本人は独自の解釈をして、結論付けてしまう傾向が強いところがあります。

幼少期から自分の思考を優先する子で、自分の思考がまとまっていなければ、何も始められず、授業などでの作業も遅れることが多かったようです。他者の考えや振る舞いを参考にするという行動が苦手でした。

また、“後悔する”ということに現在かなりの恐れを持っているようです。不登校から現在までの自分の判断に失敗感が強いのかもしれません。

ジイジさん、なかのんさんを始め、サポートしていただく方々も大変だと思いますが、本人はこの苦しさから脱出したい気持ちでいっぱいですので、まだしばらくよろしくお願いいたします。

詳しいご報告ありがとうございました。焦らず、次週のご報告を待ちたいと思います。

妻ともども、みなさまへの感謝の気持ちでいっぱいです。今後もよろしくお願いいたします。

●2週間目の報告に対する返信

2週間面談のご報告ありがとうございます。

まさに本人にとって重要な局面にさしかかったと感じます。自分のことについて、今まで家族以外から指摘やアドバイスを受けたことはほとんど無く、本人はしばらく消化不良かもしれませんが、徐々に“自分を変える”気持ちになっていって欲しいと思っています。

まだしばらくお世話になると思います。ジイジさん、なかのんさんをはじめ、ファミリーの方々にはたいへん感謝しております。よろしくお願いいたします。

●3週間目の報告に対する返信

3週間面談のケア報告ありがとうございます。

本人が自分の性格について、本気で向き合う時が来たように思いました。つらいけどなんとかしたい、という気持ちを持ち続け、みなさんからのサポートを前向きにとらえてくれることを期待しています。

自分の思考がかなり強く、他者の意見を自分への否定と感じてしまうので、サポートするのもかなり大変ではないかと思います。

日々のサポート、たいへん感謝しております。もうしばらくよろしくお願いいたします。

●4週間目の報告に対する返信

ご報告ありがとうございます。とうとう本人が正さなければいけない核心に来たのではと思います。

幼少期から自分の思考が強い子でしたが、親だけでなく、兄、姉との間でも口論、言い争いが絶えず、自論を通そうとするしつこさに驚き、呆れるほどでした。それでも親としてもっと強く指摘し、言い聞かせる必要があったと感じ始めています。

宿題を出さない、学校や塾に意図的に毎回遅刻する。何度も何度もそれを正すように言っても、「サッカーで疲れてできない」とか「塾は意味がない」など、自分の都合の良い理由ばかりを並べていました。しかし、いくらなんでも、友達の手前、恥ずかしさやカッコ悪さを感じるだろうと期待をしていました。ですが、驚くことに他人にどう思われているかを気にしないのです。

畑への出発時間に姿を見せず、みなさんにご迷惑をかけていることに罪悪感を感じていないこともその性格ゆえで、とても残念に感じています。家族に対してだけでなく、出会ったばかりの人たちに対してもそうなのかと。

自分の言う「この状態」について本人はネットで何度も調べ、この一年間で、高校入学、心療内科、座禅、甲状腺検査、カイロプラクティックを試しました。全て自分から言い出したことです。自分で仮説を立て、実験(体験)をし、何も変わらないとすぐに次の実験を考える繰り返しでした。まるでひとりで研究しているかのようでした。自分の思考だけで行動しているのです。

今回のケアも自分が言い出したことで、規則正しく起床し、太陽の下で農作業を行えば、自分は良くなると仮説を立てて参加したのです。このような仮説はここ数年ずっと本人が言っていたことで、「刑務所や全寮制の学校などに入らなければ、自分は治らない。規則正しい生活は強制されないとできない。」と自分の意志の弱さも認識していたようでした。

今回ジイジさんから「性格の問題」と指摘されたのは必然と感じます。本人の調子の悪さは自分の思考だけがグルグル回り、思ったような結果が出ず、自分で中毒を起こしていることだとわたしは思っています。一度でも他者の意見や考えを取り入れてやってみて、思いのほかうまく行った体験があれば、グンと変わるのではと期待は持っています。

みなさまのケアサポート、本当に感謝しています。言葉にできないほどです。本人がどこまで本気で取り組んでくれるのか、心配ですが、希望も持っています。まだしばらく、よろしくお願いいたします。

●5週間目の報告に対する返信

ケア報告ありがとうございます。

本人がジイジさんの言葉を理解できれば良いのですが、受け答えの様子からは、ピンときていない印象を受けました。

相変わらず他者の反応を気にせず、姿を見せなかったり、短時間の作業でも怠くなってやめてしまう。

私との散歩でも、途中で歩く気力が無くなり、周りの歩行者やクルマを気にせず、しばらくその場に立ちすくんでしまうこともありました。

しかし3年前、私と北海道の山を登っていたころは、生き生きとしていて、早朝もしっかり起き、面倒な準備もでき、ハードな行程もこなしていました。私のほうがきつかったくらいです。

計20余り登山をしましたが、私が誘ったのではなく、毎回本人の意志でした。体力はかなりのものでした。また清流や野生動物が大好きで、シカやヒグマとの遭遇に喜んでいました。

ここ数年「何も考えられない」、「自分が自分のように感じられない」という言葉を繰り返していました。その状態を長い期間放置し過ぎてしまったように思えます。

本人の心理的、体調的不調が、自分の思考から出てきたものであることは、親の目から見ても間違いありません。過去何度もそのような話をしましたが、「性格は関係ない」と全く受け入れてきませんでした。

本人が繰り返し面談の音源を聞き、ジイジさんの言葉に一日でも早く気づいて欲しいと願っています。

ひと月経っても、第一目標の生活習慣改善もできていないことに驚いていますが、本人のこころの変化は必ずやって来ると希望を持っております。

かなり面倒なケースだと思いますが、ファミリーのみなさまに感謝しております。本当にありがとうございます。もうしばらくよろしくお願いいたします。

●6週間目の報告に対する返信

6週間面談のケア報告ありがとうございます。

はじめまして。Aの母です。この度は息子が大変お世話になっております。主人が出張中なので、はじめてメールさせて頂きます。

小さい頃から我が強く、難しい子だとは感じてきましたが、まさかこのような状況になるとは思ってもいませんでした。

いろんな事を試しても良くならず、「ずっとこのままかも」と泣かれることも度々ありました。取り組み方が甘く、みな中途半端に思えて指摘もしましたが、それでも少しは変化がないとおかしいという本人の言葉に、私まで、それもそうかもと思い始めていました。

つらそうにしているのは確かなので、薬で治せるならいっそ、分かり易い病気であってほしいとまで思っていました。

未だに時間を守らず自由に振る舞ったり、みなさんをお待たせしてしまっていることに驚くとともに、申し訳ない思いでいっぱいです。

これまで、いくら言っても直らないAのそのような態度も、成長すればきっと…..と思っているうちにここまできてしまいました。

音源を聴かせていただき、本当にジイジさんの仰る通りだと思います。

親として至らなかったことを反省しながらも、今はみなさんのお力をお借りしたいと思っております。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、どうぞこれからも宜しくお願いいたします。

●7週間目の報告に対する返信

7週間目のケア報告ありがとうございます。

もしかして、本人に変化の兆しが出てきたのかもしれないと、妻と話をしました。自分の思考がほとんどを占める生活から、他者の喜び、信頼を得る心地よさを感じる生活に変わってくれたら、たいへん素晴らしいことと思います。

本当に面倒な性格でご苦労をお掛けしています。もう少しよろしくお願いいたします。

●8週間目の報告に対する返信

8週間目のケア報告ありがとうございます。

かなり動けるようになったことと、声がしっかりしていることに驚き、大変うれしく感じています。本人は内面は変わっていないと言っていますが、行動が変われば、少しずつ内面も変化するのではないでしょうか。

Aの今後についての妻と私の希望は、高校に復学し、しっかり勉強をし、クラスメイトや先生たちとたくさん話ができる生活を送ることです。欲を言えば、学校だけではなく、バイトもやり、バイト先での仲間もつくれるよう、人との交流に興味を持ち、楽しんでもらいたいです。そうした生活の中から将来目指したいことが見えてくれば、素晴らしいことだと思います。高校卒業が20才でも、この先の人生を考えると、たいしたことはないという気持ちを持って欲しいです(以前本人は遅い卒業でも構わないと言っていましたが)。

もうしばらくであれば良いですが、ファミリーの皆様よろしくお願いいたします。
本当に感謝しております。ありがとうございます。

●9週間目の報告に対する返信

9週目のケア報告ありがとうございます。

Aは自分の心に湧いてきた気持ちを大事にする傾向が非常に強いです。ありのままを大事にするあまり、その気持ちをコントロールしようという発想が欠落しているのでしょうか。本人は正直に言っているつもりですが、それだけなので、他者から見ると改善しようとする意志が感じられません。

自分はこう感じているのだから仕方ないでしょう、と開き直っているように見えます。ずっと家庭内でおこなわれていた会話が、そちらでも続いていると思うとショックです。そのような幼さを容認し続けてしまった私たちも責任を感じています。

「前向きな気持ちを持つこと」とはどういうことか、何故必要なのかを本人がどう整理しているかが問題かと思います。そこが整理できなければ、復学する決心もしないでしょう。しかし今、本人がよく考え、もがいているのであれば、一歩成長できる瞬間かもしれません。

少なくとも自分の性格について、他人からこのようにはっきりと指摘されたことは初めてだと思います。自分を前向きにコントロールして変えていくという気持ちになってくれることを望んでいます。

そちらにお世話になり始めもう二ヶ月が過ぎてしまいました。本人の発する自分の気持ちは相変わらずですが、やろうと思えば体を動かして作業ができたことは大きな自信になったと思います。みなさまの粘り強いサポートのおかげです。大変感謝しております。

次週のご報告がより良いものであればと思います。よろしくお願いいたします。
本当にありがとうございます。

●10週間目の報告に対する返信

ケア報告ありがとうございます。こちらもついに30度を超える暑さになってきました。そちらはもっと暑くて、みなさんの作業もたいへんかと思います。

Aのそちらで8月いっぱい長期滞在をしたいという意向については、妻とも話合いましたが、みなさんがよろしければ、その通りにして良いかと思います。9月復学は親としても望んでいたことなので、ギリギリまでそちらで、自分をコントロールする習慣を身に付けようと思っているのであれば、それはそれで喜ばしいことです。

他人の意見や提案をきくという、苦手だったことができるようになり始めたことは、たいへんうれしいことです。元の性格に逆戻りしないことを強く望みます。

このように前向きな報告をいただき、たいへん有難く思います。本当にファミリーのみなさまのおかげです。もちろん本人の頑張りも素晴らしいと思います。

復学については、早速、学校側と調整を始めたいと思います。では、もうしばらくお世話になります。よろしくお願いいたします。

●11週目の報告に対する返信

11週目のケア報告ありがとうございます。

Aの変身ぶりに正直驚いています。そちらでの体験を通じて変化が現れたようですが、それこそ本人の本望だったので、今まで感じたことのない充実感も感じているかと思います。本当にみなさまのおかげで、感謝しきれないほどです。ありがとうございます。

――

最後に、ジイジからAくんにメッセージが贈られました。

――

ジイジからのメッセージ

先程、Aくんからケア滞在を振り返っての挨拶をもらったのですが、まだ心細いですね。この自然療法プログラムにおいては常にそうなのですが、ここで疑似体験をして、その延長に完璧に自信がつくことはないのです。だからここでは常に、このケアの取り組みをするということは70%の改善をもって卒業としており、残りの30%はこれからの人生で積み上げていくことだと伝えています。ですから、病的症状を引き起こしたこれまでのいろいろな癖を認識し、「なぜこのような状態になったのか」に気がつくことがこの取り組みの目的なのです。そのことがわかった上で、それをどのように改善し、次の新たな旅立ちにつなげていくのかについては、実際に新たな環境に踏み出してから自分で取り組んでいくことなのです。そうでなければ、仮にここで生活をすることでどんなに自信をつけても、それはここの環境やサポーターたちの力によって成ったことであり、本当の自分の実力にはならないのです。
本当の自分の実力というのは、自分の正直な心を出して、その上で返ってきたいろいろな出来事を通し、それをどのように捉え、どのように前向きに進んでいくのかにかかっています。そのときに、本当の実力が出来、社会をたくましく生きていく力になります。これは、ここで決めていることなのではなく、実際に、生きるということはそういうことなのです。誰も、明日の自らの人生を読み解くことは出来ません。明日に出会うことは、今日までに出会ってきた延長にあるとは限らないのです。それが、人生というものです。

そのために、自らの予想を超えた想像の出来ないことが起きたとき、その出来事は新たなことに対する抵抗力を与えてくれていると思えば、とてもありがたいことなのです。なぜなら、それは自分を育ててもらっていることになるからです。そのように物事を前向きに捉えたら、「あれはダメだった」「これはこういう理由でダメなのだ」という言い訳は必要なくなります。そして、どんなに難しいと思われる出来事が起きたとしても、超えられないことは何ひとつありません。そこを一つ一つ取り組んでいくことによって、自分の力が身につき、生きる希望になるのです。それが、この自然療法の取り組みに対する考え方です。

そのことを受けて、「自分では信じられない。出来ない」と思ったとしても、それは今までやり方が不器用だったから出来なかったのですが、それが出来るようになれば、必ず誰でもその人流の良い人生を歩むことが出来るのです。今、「その人流」という言葉を使ったのは、これまでたくさんの人を支援してきましたが、同じ人はいませんでした。そして、新たな人を受け入れるたびに、新たな事例を情報として私たちはもらいながら、何度もこの卒業の機会に出会うたびに、ますますこの大切な取り組みを続けていかなければいけないと感じています。

今、この会場には最近このプログラムの卒業をした人たちが9人います。その人たちは現在、長期滞在をしていたり、ケアを卒業した後もいろいろな形でここに滞在しています。さらに昔の事例を入れたら、10人以上の人たちが今ここにいることになります。ですから、世の中で本当に行き詰まっている人たちに対して、これからますます貢献していかなければいけないと思っています。しかしそれは、ここに人をたくさん集めることが目的ではありません。世の中がそういった行き詰まっている人たちをたくさん産んできたということは、世の中にも原因があるのです。そして、本人たちも生き方が下手で、このような状態になっているわけですから、その人たちの力となって、健全に生きていくことを支えていきたいと思っています。その仕組みのカラクリを世の中に伝えていくことによって、世の中を良くしていく――、それがこの自然療法プログラムにおいて最も重要なことです。

今日は、とても希望が湧いています。そして、初めてのケースですが、ようこちゃんがAくんのお父さんからの、一部お母さんからのものもありましたが、こちらのケア報告に対する返信を発表してくれました。今回はAくんの変化に対する描写がご両親の表現からとてもよく観えて、逆に良いフィードバックをいただいたように思っています。ご両親は遠くに住んでいらっしゃいますから、Aくんの滞在中に一度もこちらに来られなかったのですが、出来れば、これを何らかの形で世の中に還元し、このような解決のつかない、迷路にはまっている人たちの何か解決のきっかけになればと願っています。

最後に。Aくんに僕から伝えたいことは、よく振り返ってみて、あなたは本当に病気だったのかどうかということをもう一度考えてもらいたい、ということです。医者へ行けば、きっとこれを病気と呼ぶでしょう。しかし、ここの見解では、あなたは病気ではなく、心の持ち方が少しマイナスだったということです。そして、その原因を捉えるのに、出来ない理由探しをたくさんして、そこを自己主張してきたということです。Aくんに良いところがあるのは、「これは僕のせいではなく、人のせいだ」と主張するところはしっかりと安定感があったということです(みんな、笑)。先程発表されたケア物語でも触れていましたが、ケア開始から6週間が経っても、まだ基本的なことを伝えられ続けていたということは、みんなは笑いますが、Aくんは安定感があるということです。その安定感を前向きにして、今度は変化していく自分にその安定感を活かしたら、あなたもきっと希望を持てる人生を歩めると思うのです。

今回この取り組みの途中では、「改善は無理かな」と思って、滞在拒否のカードまで出しました。これはなかなか珍しいことなのですが、だからこれは難しいケースでもあったということです。お父さんもメールの中でそう言っていました。それは、家族としても長年、手に負えない状態だったということなのですが、その大変な状況の中であなたが変わっていくということは、大変な負荷をかけた分だけ、まわりの人たちが喜ぶのです。通常僕は、「あなたの取り組みがならないことは、あなたのせいですから、僕は情報をもらっているだけで関係ありません」とシビアに対応していますが、今回は改善の兆しが観えたときに、さすがに喜びました。Aくんのサポーターだったなかのんも変態ですが(笑)、さすがに途中ではうっときていたようで、今日このように卒業を迎えられたことは本当に良かった、となかのんも感じている雰囲気がありました。

ですから、前向きに生きるとき、「まわりに自分のことを想ってくれている人がいる」という財産をしっかりと理解したら、まわりの人たちがあなたのためにあなたの改善をとても喜んでくれるのです。これは、財産です。あなたがどんなに苦しんでいても、改善しようがどうしようが、喜ぶ人がまわりにいなかったら、不幸です。そういった意味では、自分が生きていることに対して、共に困難や改善を一喜一憂してくれる人がいるという財産があることは、本当に評価していいことです。ただ、あなたにとって大切な財産である人たちを悲しませたり、あきれられてしまっては、何も活かせません。出来れば、お互いに出会ったことを共に喜べるような関係を築いていきたいものです。

Aくんにとっては苦しかった時代が長かったかもしれませんが、Aくんはまだ17歳です。このことを通して、「このような財産があったのだ!」とお互いに気がついたら、これから新たな関係を築いていけることでしょう。ですから、ご両親のことを再評価することが大切です。それと同じように、学校での出会いも未知なるものです。先程Aくんは、「学校にずっと行けるかはわからない」「まだ行こうという感じではない」と言っていましたが、そんなことは考えなくていいのです。

まず一歩前に進むこと――。そうすると、今自分が考えていることとは違う景色が観えてくるのです。それも、まだ行っていない、観てもいない景色を見て、結論を出しすぎるのです。それが余計なことです。そうかもしれないし、そうでないかもしれないのですから、まずは行ってみて、そこで答えを出すことです。そのときに、何でも悪く考えるのではなく、少しでも前向きに捉えることが大切です。「自分を鍛えてくれているな」というように、少しでも前向きに捉えられたら、今までのような「やっぱり嫌だ」という結論にはなりません。自分がどう生きるかが、自分の人生の価値をつけるのです。そして、自分の人生をどう生きるかは、人生の終わりに自分が納得して、人生の旅を終われるかどうかという重要なことにつながるのです。その間に関わる人たちに自分が喜びや希望を提供できる人であるかどうかは、とても重要なことです。

ですから、毎日を大切に生きてください。

僕もこうやってたくさんの事例をいただきながら、そのたびにこれを生きていることの充実を感じています。最近は難しい事例が多いですから、通常は1ヶ月から3ヶ月で改善する見通しのある人たちを預かっているのですが、最近の事例では半年滞在していた人もいます。先程なかのんも、「Aくんはここにいる意味があるのかな?と途中では思った」とコメントしていましたが、僕にはわずかな光があれば、何とかそれを目的地まで持って行きたいという想いがあります。そのためには、本人がその気にならなければダメですね。特にこれからは、ここを卒業して自分で歩んでいくのですから、そのことを忘れてしまったら、やはりダメになってしまうと思うのです。そのために、明日から約3週間、お父さんが迎えに来るまでの猶予期間がありますので、おさらいをしていってください。おさらいというのは、先程「信じる心」という歌が歌われましたが、わからないけれど信じていく、そして余計なことは先に考えないということです。それは無駄なエネルギーです。それを前向きというのです。前向きといっても、先に考えて見当違いに生きたら、これほど無駄なことはありません。そういう心の余裕と、安定した精神状態を持ってもらえたらと思います。

Aくんが家へ戻っても、私たちはここでこの生活をしながら応援しています。ということで、今回はとても良い事例をいただいたと思っています。まずは卒業おめでとうございます。そして、良い出会いをありがとうございます。

 

♪信じる心

わからないけれど 生きている
信じる力で 生きている

わからないけれど 生きている
信じる心で 生きている

みんなで共に生きていることの
この貴さを知らせよう

ひとりだと思い込んで
生きている魂たちよ
みんなでつながっていることを
思い出そう

わからないけれど 生きている
信じる力で 生きている

わからないけれど 生きている
信じる心で 生きている

砂に埋もれた 希望の星を
今、みんなで掘り起こして

空では星が歌っている
つながっていると歌っている

わからないけれど 生きている
信じる力で 生きている

わからないけれど 生きている
信じる心で 生きている

 

 


食のプレゼンを聞いて 〜 15歳のハンくんの感想

ハンくんは、15歳の中国人の少年です。昨年、叔母さんと従姉妹と一緒に初めて木の花ファミリーを訪れ、「ここがとても好きになりました」というハンくんは、今回何と9歳から14歳までの12人の子どもたちを連れたツアーを自らコーディネートし、再び木の花ファミリーにやって来ました。もともと日本語が少し話せたハンくんですが、昨年中国に戻ってからも独学で勉強を続け、前回よりもたくさん話せるようになり、毎晩の大人ミーティングにも参加して大人たちの話にじっと耳を傾けています。

そして昨日、中国の子どもたちに向けて、ジイジによる食のプレゼンテーションがありました。

ジイジによる、食についてのプレゼンテーション

*食のプレゼンテーションの全スライドを、「1ヶ月間の真学校」ブログでご紹介しています。

ハンくんが書いてくれた感想

話を聞いて「勉強になりました。本当に。」とハンくん。以下、ハンくんが日本語で書いてくれたプレゼンテーションの感想をご紹介します。辞書を使いながら、時間をかけて丁寧に書いてくれたハンくんの思いが伝わるよう、原文をほぼそのまま掲載しています。どうぞご覧ください。

 

けさ ジイジの食のプレゼンを聞いた感想

食はとても重要で、人間の生活にとって、なくてはならないものです。しかし、みんなはそれを無視して、自分と世界にとって悪い食事を毎日とっています。

前も食についてすこし知りましたが、今回はこれについてビックリしました。私にとって一番印象をもっているのは 食の無駄です。

中国人は日本人について言うと、もし「日本人の良い点は何ですか」と聞いたなら、「マナーとか、職人かたぎとか、そしてご飯は食べ残しが無い」って、中国人でも知っているのです。今回のプレゼンで、日本人も沢山食品を捨てていることを、本当に思わなかったと思います。
でも、細かく思うなら、何かが分かった。それは、日本人は「もし足りなくなったらどうする」と思って、足りすぎる(ほど求める)からです。元は良い思いだが、他の国の人が足りるかを全然思わなかったのです。

この問題の原因は、視点が狭いからです。解消するには、目を、お金から、他人のいのちに変換しなければなりません。

 

子どもミーティングで感想をシェアするハンくん ー 新しい世代が、大切なメッセージを伝えてくれています

 


雑草魂で正社員として働く 〜 リョウタくんの新たな一歩

昨年の9月に自然療法プログラムを卒業し、その後も心の学びを続けるために木の花ファミリーに滞在し続けていたリョウタくん(通称“もちろん”くん)。ヘルパーとして日々農作業に勤しんでいましたが、この度正式に、農事組合法人木の花ファミリーの正社員となることが決まりました。
毎日畑に出てみんなと一緒に汗を流し、ここへ来た当初からは見違えるほど大きく変化した彼が、ある日の大人ミーティングで、木の花ファミリーメンバーに向けて、こんな手紙を読み上げました。

日々 畑でたくましく働くもちろんくん

 

「雑草魂で正社員として働く」

一年前のちょうど今日、2017年6月30日に僕は木の花ファミリーに来ました。木の花ファミリーに来る前の一ヶ月間は動く気力も出ず、ほぼ一日中ベッドの上で寝ていました。体と心が病んでいて、人生に絶望していたからです。

そんな僕が、明日から正社員となります。31歳にして、初めての正社員です。
僕は大学時代、就職活動を10分で放棄しました。高校時代に発症した慢性疲労と対人恐怖症が原因です。
体がだるく、一日続けて8時間起きていることが出来ない自分。人に何か言われるのが恐く、偽った上辺だけの人付き合いに心がひどく消耗してしまう自分。
「そんな自分が、会社に入ってもやっていけるはずがない」
会社の試験や面接以前に、僕は正社員から「足切り」されていました。

その日から、僕は正社員を憎んで生きてきました。同時に、正社員を絶対の評価とする日本の社会も憎んできました。
「誰も自分を見てくれない」「心配してくれない」「置いて行かれてるのに手を差し伸べてくれない」
異常なまでの憎しみ、怒り、落ち込み、悔しさ…邪悪な感情が常に心を破裂させんばかりにうごめいていました。
「正社員には絶対負けたくない」
燃え上がる正社員への対抗意識は、裏を返せば正社員への憧れであり、強烈な渇望だったのです。
しかし、病気を治して見返してやろうと焦れば焦るほど悪循環にはまり、僕はどんどん落ちぶれていきました。

そんな落ちぶれた自分が、一年前の今日、木の花ファミリーの門を叩きました。
そこでこれまでの人生の結末は、すべて自分の蒔いた種だということをいさどんに教えてもらったのです。
弱い自分、アホな自分、幼稚な自分、ひねくれてる自分、性格の悪い自分、面倒くさい自分…いさどんやメンバーを鏡として映し出されるしょうもない自分を認めて受け入れるのはとても苦しく、何度も泣きました。毎日、早くここから逃げ出したいと思っていました。
でも、僕は逃げませんでした。一人ではもう何も出来ないことがわかっていたから。いさどんを始め、木の花のメンバーに支えてもらわなければ一人で立てない弱い自分を、ここで嫌というほど見つめさせてもらったから。
「正社員になれなかったのは社会のせいではなく、自分のせいだったんだ…」
いつの間にか、僕の中にある正社員に対する負の感情は消えていました。

ケア(自然療法プログラム)中にいさどんとやり取りした日記の中で、今でも心に残っている言葉があります。
僕が休まず働くメンバーを見て、
「働いてばかりで、皆何が楽しいのだろう」
と日記に書いたところ、いさどんは、
「さぼってばかりであなたは何が楽しいのですか。働くことは生きることです。食べることに休みがないのと同じです」
と、見事なカウンターパンチを僕の心にめり込ませてくれました。

ケア卒業時のもちろんくんとジイジ(当時はいさどん)

僕は、仕事が大嫌いでした。バイトではいつもサボってばかりいました。お金が目的だったからです。
でも、ここは違います。目的はお金ではありません。己の価値を積み上げることです。だから僕は、作業中に一度もサボったことがありません。サボることが出来ないと言った方が正しいかもしれません。常に全力、100%の力を出すことを惜しまないのです。
今でも、僕の中には怠け癖があります。残念ながら、僕は木の花の皆のような「仕事大好き人間」ではありません。しかし、だからこそ、そうした弱い自分と毎日しっかり向き合い、コントロール出来る真の強さを得られると思っています。

明日から僕の「再スタート」が始まります。新しい挑戦に、とてもワクワクしています。日々意欲を持ち、教えられたことをスポンジのように素直に吸収し、魂を別人のように成長させられるように精進します。
苦しいことも沢山あると思いますが、不安はあまりありません。だって、これだけ頼りになるメンバーが僕の周りに沢山いるのですから。
ハァハァしながら汗をびっしょりかいている自分が好きです。周りを見渡せば、大好きな畑隊を始めとするメンバーがいます。そんな皆と、これからも一緒に働けることに幸せを感じています。苦しんだ15年間の悔しさを正しいエネルギーに変え、雑草のように、踏まれても踏まれてもへこたれないで起き上がる、強くて逞しい人間になります。

じいじ、メンバーの皆、本当に今までありがとうございました。皆の支えがあったから、僕はここまで立ち直れました。
木の花ファミリーに救ってもらった僕の人生です。この恩は、これから一生懸命木の花に貢献することで返していきます。皆に出会えて、本当に良かったです。

木の花ファミリーに来て、ちょうど1年。これが僕の本当の卒業です。これからもご指導よろしくお願いします。

もちろん

 

畑にて、みんなと一緒に

 


この研究は、新たな世界の扉を開けてくれた 〜 イスラエル人留学生・リリアの手紙

イスラエルからやって来て、京都の大学院で環境学を専攻しているリリア。昨年秋に農作業ヘルパーとして1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、今年1月から2月にかけては、大学院の卒業論文の研究のために滞在していました。そして昨夜、2ヶ月間の研究を終えて旅立つリリアのために「いってらっしゃいコンサート」が開かれました。
以下は、そのコンサートの場でリリアが読み上げた手紙です。日本語で書かれた手紙の全文をご紹介します。


お別れの挨拶

木の花ファミリーでのトータルして3ヶ月間の滞在に関して、伝えたいことがたくさんあります。

木の花ファミリーに来た当初の目的は、コミュニティについて研究することでした 。この研究は学問的なものです。ですから、それは学問のルールのもとにあり、大学の制度のもとにあります。この研究はコミュニティにおける具体的な詳細や個人的な物語を含みます。

この研究は学問的な用語で書かれます。つまり、それは事実、正確さ、数字と専門用語が大切だということです。もし私がこの挨拶を自分の言語であるヘブライ語で書くならば、誰も理解しないことでしょう。それが言語の重要さです。その理由のために、学問で理解できるような用語を使ってこの研究を書いています。学問的な人々にこの研究に対して敬意を払ってもらうためには、私はこの妥協を受け入れるしかありません。

卒業論文は白紙に書かれた黒い文字にしか過ぎません。さらに、研究者はこの研究のための単なる媒体にしか過ぎません。つまり、研究にとっては、誰が研究者であるかは重要ではないということです。研究は客観的である必要があります。しかし、私はリリアであり、主観的な存在です。それはとても難しいところです。

それにも関わらず、この研究は私が新たな世界に行くための扉を開けてくれました。人生が予期せぬ新たな方向へつながっていることは面白いことです。もし抵抗せず、道に来るものが何であれいただくのであれば、奇跡が起きる可能性はあります。皆さんと作業をし、語り、笑い、食事をし、インタビューをし、学び、聴き、体験する機会は、奇跡的なことでした。インタビューをしていた多くの機会において、私の目の前にいる人のことを美しいと感じていました。言葉やハグ、微笑むことを通して、何人かのメンバーとは私のこの感情を共有しました。すべてのメンバーとこの感情を共有しませんでしたが、皆さんはこうした私の気持ちを感じてくれていたと思っています。私はこれまで感謝の気持ちを表現してきたかどうかはわかりませんが、今この場で皆さんに感謝を伝えたいと思います。私にはたくさんの見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと、理解したこと、また理解しなかったことがありますが、そのすべてに感謝しています。この研究の重要さは存在していますが、3ヶ月間ここで学んだことはもっと大切なことです。

いさどんとの時間の最後に、何度か、私は「愚かであること、そして真実に向き合うよりも何も知らないことのほうがずっと簡単なことです」と伝えました。真実を探究することは疲れることであり、もどかしいことです。神社に鏡があることはその理由のひとつかもしれません。私たち自身を真に見つめることは全能の神様の存在よりもずっと恐ろしいことです。

木の花ファミリーの人々から多くのインスピレーションを受け取りました。妥協することなく真実を探究する勇気を高く評価しますし、それは私にエネルギーと意欲を与えてくれました。陽子のような物語を聞くことから、とても刺激を受けました。

木の花に来る前、私の目標は他者を理解することにより、他者とより良い関係を築くことでした。ですから、Eちゃん(木の花ファミリーにケア滞在をしていたゲスト)のことを上手く読めなかったことで私は自分自身に対してがっかりしました ──── それは、阿吽を実践することを何度も思い出させるものでした。それを忘れると、宇宙はそれを思い出させるものを送ってくれます。それは通るべきプロセスです。

明日、私はここから出て、もっと大きく、そしてもっと意義深い目標を持つことでしょう。それは、真実を明らかにするためです。真実はとらえどころのないものです。それは善悪や枠を超えたものであり、そして真実を掴むことは容易なことではありません。皆さんが自分の物語について語ったり、ミーティングで「シェア」を聞いたり、ブログや他の資料を読んだ時 ──── 、「自分自身について振り返ること」の大切さを認識しました。ここの子どもたちは生まれた時からそれを学んでいます。私が通ってきたすべてのことは、今いる所に私をいざないました。そこには意味が秘められているのです。

この研究を書くことによって、木の花ファミリーの種を蒔いていきます。これがこの研究の大事な部分です。

起きたこと、今起きていること、そしてこれから起きることすべてに対して、心の底から感謝します。

木の花ファミリーに2冊の本をプレゼントしたいと思います。本来、これらの本は子供向けの本ですが、その中にはたくさんの秘められた意味があります。これらの本は与えること、幸せ、広大な宇宙を旅することについて書かれていますので、きっと皆さんも興味があると思います。ぜひ読んでみてください。

最後になりましたが、もう一度皆さんに感謝の気持ちを述べて、この挨拶を締めくくりたいと思います。ありがとうございます。

 

今日の朝、リリアはみんなに見送られて旅立って行きました
いってらっしゃい!