木の花ファミリー通信2021年夏至号「狂った現代経済〜お金がないと生きていけない」

現代を生きる人々が最も関心のあるもの ──── お金。
しかし、その最も関心を持ち、最も頼っているお金が、どれほど社会を狂わせているかを認識している人々が、どれだけいるでしょう。

現代を生きる人々は、「お金がないと生きていけない」という強烈なマインドコントロールにかかっています。文明の発祥以来、より良い暮らしを追い求めてきた人類は、何十億年という時をかけて育まれた豊かな地球生態系の大循環の中に、地球史上に類を見ない、「人工」という特殊な世界を展開するようになりました。その原点にあるのが、経済です。

人々が、より豊かで、より便利な暮らしを求め、経済活動という人間だけに特有の営みを発展させてきた結果、今やその人工の世界は生態系の循環から大きく外れ、生態系そのものを崩壊寸前に追いやるところまで来ています。ところが、生きることが純粋な生命活動ではなく、お金を稼ぐことが最優先になってしまった現代の人々は、お金を得るために更に経済を発展させることに没頭し、自らの営みが他の生命を傷付け、多種多様な生命を絶滅に追いやり深刻な被害をもたらしているという事実に、驚くほど鈍感です。

そのような破壊活動の上に築かれてきた人間社会は、今、大混乱の前夜を迎えています。それは、視点を変えてみれば、予定通りのことであるとも言えます。

私たちは、広大無辺な宇宙の中の奇跡と言える命あふれる星、地球の大生命生態系を母体とし、誕生しました。その中で、元々生態系に存在しなかったものを生み出し、そのなかったものを拡大して自らの母体である絶対的な存在を傷付ければ、いずれそこに問題が発生します。そして、その問題の発生源を淘汰する動きが起きるのは、当然のことなのです。

いよいよ世界中で大混乱の兆候が現れ始め、人々は「大変なことが起こる」と不安に駆られています。しかし、それは来るべき時が来たということであり、大局的に捉えれば、すべてがシナリオ通りに進んでいるとも言えるのです。そうだとしたら ────

 

そのシナリオを書いているのは

誰ですか?

 

 

 

私たちが生きているのは、地球があるからです。

地球があるのは、宇宙があるからです。

この当たり前の事実から、現代を生きる人々の日常は、遠く離れています。
 

私たちはなぜ、生きている?

私たちが生きるために、決して欠かすことのできないものを挙げてみましょう。土、水、光、風、空気 ──── その中に、ひとつとして人間が自らの力で創り出せるものがあるでしょうか。

私たちは、地水火風空という自然の五大要素が循環する地球の生態系の中で育まれたものを食べ、自らもその循環の一部となり、多種多様な生命と無限に連鎖しながら、命をつないでいます。その生態系の循環は、まるで約束されているかのように毎日朝が来て、夜が来て、春、夏、秋、冬と季節が巡り、決して留まることのない、地球のサイクルによってもたらされます。その地球のサイクルは、太陽を中心に、九つの惑星を始めとする数千個の星々が絶妙なバランスを保ちながら巡り続ける、太陽系のサイクルに基づいています。その太陽系のサイクルは、「セントラルサン」を中心に、太陽系を含む数千兆個もの星々が直径10万光年という巨大なスケールで巡り続ける、銀河系のサイクルに基づいています。その銀河系のサイクルは、更に大いなる何ものかを中心として無数の銀河が巡り続ける、大宇宙のサイクルに基づいています。

このように、私たちの生きる宇宙には数多のサイクルが幾重にも存在し、そのすべてが、大本の大宇宙の法に沿い、見事な秩序の下にあまねく連鎖し循環する、大調和の世界を築いています。この絶対の秩序の下に銀河があり、太陽系があり、地球があるからこそ、そこに豊かな生態系が生まれ、私たちもまた、命を与えられているのです。その多様なサイクルの連鎖に狂いが生じれば、絶妙なバランスによって保たれている繊細な生命秩序が崩れ、私たちはたちどころに存在できなくなるでしょう。今この瞬間も、人間の意志や思考など一切与り知らぬ壮大な力によって宇宙は維持されており、その秩序無くして、私たちはただひとつの命も存在させることはできないのです。

生態系を破壊する「お金がないと生きられない」

さて、視点を私たちの身近なところへ向けてみましょう。現代の多くの人々が「生きるために欠かせない」と思っているのは、お金です。

お金とは、中央銀行が発行する紙切れ、或いはコンピューター上の数字です。それは私たちの空腹を満たすことも、風雨から身を守ることもない、生命の維持とは本来何の関りもないものです。自然界の生命は、生きるための活動がすべて、自らの命を維持することに直結しています。そしてその活動は、自らの存在が他の生命を生かすことへとつながる生態系の大循環の中にあります。かつて人間も、大いなる宇宙の法のままに、その循環の中を生きていました。しかし、文明の発祥と共に社会を発展させてきた人類は、次第にその大いなる循環の中で生かされていることを忘れ、人間の都合ばかりを優先した人工の世界を拡大するようになりました。そしていつしか、生きることの最優先事項が、お金を稼ぐことへとすり替わっていったのです。

18世紀半ばの産業革命以降、その傾向は特に顕著となります。人々は、生きる糧を得るために大地を耕すよりも、工場で大量の工業製品を生産するようになり、更には、工業製品を作るよりも、コンピューター上の数字を操作して莫大な利益を得るようになりました。その結果、実際に物を生産するのではなく、お金そのものを商品として更にお金を増やしていくゲームのようなマネー経済が異常に膨らみ、実体経済からかけ離れてお金が独り歩きをするようになったのです。

地球が誕生してから現在までの46億年の歴史を1年に例えると、およそ250年前の産業革命は、12月31日の午後11時59分58秒、つまり、現在からたったの2秒前に起きたことになります。その僅か2秒の間に広まった経済最優先の価値観は、永い地球の歴史から見ればほんの一瞬のものでありながら、現代を生きる人々は、まるでそれが永遠に続く絶対の価値観であるかのように、そこから離れて物事を捉えることができなくなっています。経済が停滞して景気が落ちれば、その解決策として更に経済を成長させることを考え、医療や福祉、環境問題までもが新しいビジネスのネタとなり、平和の祭典と謳うオリンピックさえ、スポーツよりも経済効果が目的となり、利権まみれの状態です。

今、パンデミックによってこれまで通りの経済活動ができなくなったことで、多くの人々が自らの先行きに不安を感じています。それは、現代人が生きるための本当の手段を失っているからです。土から離れ、お金を求めて人工の世界を拡大してきた私たちは、自然の摂理から逸脱し、本来の生命活動とはかけ離れた暮らしを営むようになりました。その脆弱さを、新型コロナウィルスが突いたのです。

お金に縛られない大地との絆のもとに生きていく手段があり、衣食住が足りていると、世の中を冷静に観ることができます。しかし、生態系の循環から外れ、自らが生きるすべを持たない人々は、社会に少しの変動が起きただけでも動揺し、不安に駆られて更にお金をかき集めようとすることで、ますます生命としての本来の在り方から離れていくのです。その結果、「2030年問題」として前号でお伝えしたように、地球は今、危機的な状況を迎えています。

痛みの奥にあるやさしい投げかけ

私たちはこれまでも、そういった視点から繰り返し発信をしてきました。しかし、その意味を心から受け止め、自らを変化させようとする人々は、ごく少数です。それは、人間は痛みをもらうことでしか気付けない生き物だということなのかもしれません。

痛みとは、生物が生きていく上で最も重要なセンサーです。もしも体に不具合が生じた時に痛みがなければ、そのまま気付かずに突き進み、最終的には体を壊してしまうでしょう。痛みがあるからこそ、私たちはその原因を振り返り、修正し、健全に立ち還ることができるのであり、それは物理的にも霊的にも、生命を存続させる大切な働きなのです。ところが、文明の発展と共にテクノロジーを進化させてきた人類は、痛みから学習してその根源を正すよりも、テクノロジーによって痛みを表面的に解消して先へ進むようになり、問題を更に深刻化させてしまっていることに鈍感になっています。

パンデミックや異常気象など、人間がこれまで通りに暮らせなくなるような現象が世界中で起こり、人々はそれを「異常事態」と捉えています。しかし、それは異常なことが起きているのではなく、生命循環の秩序を乱す異常な人間の活動を排除し、生態系を健全に戻す、ごく正常な働きと言えるです。すべてが大いなる宇宙の法の下にある大調和の中にあって、不調和なものは排除されるのがこの世界の仕組みです。人間の営みは、その大調和の中に不要なものを作り過ぎてきました。不要どころか、あってはならないものまで作り、それによって経済を膨らませ、その状態に執着するようになりました。そうして社会全体が狂いながら、狂っていることすらわからなくなっているのです。

政治家も学者も起業家も、現在の社会で優秀とされる人々は、その優れたと評される能力を使い、今起きている問題に対処するための更に高度な技術や仕組みを考案し、人々もまた、それが問題を解決すると信じています。しかし、そのような人間の思考によって築かれてきたのが現代社会であり、その延長線上に世界が健全になることはないという事実に、私たちはもう、気付かなければならないのです。

今、そのような人間の営みの結果年々増大してきた「異常事態」による、地球規模の破壊が始まっています。目先の利益を追い求め、問題の根本的解決を先送りして矛盾を積み重ねてきた分、破壊に伴う痛みは大きなものとなるでしょう。そしてその流れに抗えば抗うほど、痛みは更に大きくなります。しかし、それを痛みと感じるのは、人々が産業革命以降のたった2秒間に築いた現在の暮らしを絶対のものとし、それを維持し続けることに囚われているからです。

痛みは生きていく上で最も重要なものでありながら、同時に、最も不要なものでもあります。痛みはなぜ起きるかというと、それを不要にするために起きています。なぜその痛みを受けることになったのかを振り返り、理解することで、それを受ける必要がなくなるための智恵が湧いてくるのです。痛みの通り道は神経、即ち「神の経路」と書きます。人知を超える大いなる存在が、痛みを通して私たちに何かを示しているとしたら、今世界にもたらされ始めた大きな痛みの背後にも、メッセージが観えてくるはずです。

私たちの中に、大いなる意思がある

もう一度、視野を宇宙へと広げてみましょう。

宇宙は、人知を遥かに凌駕する大いなる力によって運営され、悠久の時の中で時代を紡いできました。宇宙創世から銀河の誕生、太陽系と地球の誕生、そして地球に原始生命が生まれ、永い進化の旅の果てに誕生した人類が数多の文明史を刻んで現在へと至る、連綿たる時代の変遷を辿っていくと、そこにひとつの方向性が観えてきます。方向性があるということは、そこに意志(意思)があるということです。宇宙は、大いなる何ものかの意思(意志)によって運営されており、その宇宙の創造物であるということは、私たち一人ひとりの中にもまた、その見えない意思が反映され、宇宙と呼応しているのです。

この壮大なる進化の旅の中で、地球には数千万種とも言われる多種多様な生命が誕生しました。その一つひとつは、言わば地味な存在です。例えばメダカは田んぼの水の中に、ミミズは土の中にいるように、暑い所にいるもの、寒い所にいるもの、地上を歩くもの、空を飛ぶものなど、種としては多彩でありながら、一つひとつの個体は自らに適した特定の環境のみに生息し、生きるためにひたすら同じ活動をくり返しており、生命としての振れ幅はとても小さなものです。ところが、その無数の地味な存在が、それぞれの位置で独自の役割を果たしながら、互いに連鎖し、循環すると、とてもダイナミックな生態系の大循環を創るのです。そしてその一つひとつすべてが、宇宙を運営する大いなる意思と連動しています。

それに対し、現代の人間の生き方は非常に派手です。芸能人やスポーツ選手のように、特殊な能力を持つ人々が華々しく活躍して多額のお金を稼ぎ、多くの人々がそういった存在に憧れ、様々な分野ごとの頂点を目指して競い合っています。しかし、そのような特殊な存在は、生命としての人間の姿からはかけ離れた状態であるとも言えます。皆がオリンピックの金メダリストのように特殊な存在になっては、生態系は成り立たないということです。

生命の本質は、多様性です。とりわけ人間は、ひとつの種でありながら、一人ひとりがまったく違った独自の個性を持っています。その誰もが、それぞれの位置で、自らの個性にふさわしいオリジナルな役割を果たしながら全体に貢献し、他のすべての生命に歓迎される生き方をする。人間は本来、そういった尊さを持ち合わせているものであり、そこを目指すべきなのです。他の生命が宇宙の法のままに生態系の循環の中を生きるのに対し、自らの欲望を追求してその循環から外れ、生態系を破壊してきた人間は、言い換えれば、それだけの高い能力と、自らの意志によって全体を俯瞰できる力を持っているということです。だからこそ、人間には数多の生命の代表として、地球生態系の指揮者となる役割が託されています。それは、多様な存在のどれもが充実し、誇り高く在れるようなタクトの振り方をするということです。そしてその結果、地球が健全になっていくということです。金メダリストがどれだけタクトを振っても、地球は健全にはならないでしょう。

健全な地球上で表現されるのは、大循環を回すための大共有経済です。そして、そこに配置される一人ひとりの人間の意識は高く、それ故に地味です。なぜなら、自分だけを特別視することがないからです。人間は、もっと地味に生きる必要があります。それは、自らの欲望や思惑を表現するのではなく、宇宙の法のままに役割を果たし、大生命循環の一員として生きることです。既存の価値観や経験に縛られた思考を手放し、大いなる宇宙の流れに身を任せた時、人知を遥かに超えて大宇宙を運営する何ものかの意思が私たち自身の中から湧き出します。その時、私たちはその大いなる意思の表現者として、変化・変容・変態を繰り返し果てしなく進化し続ける、ダイナミックな宇宙物語を生きるものとなるのです。それこそが、人が目指すべき自由を謳歌(サトリ)する姿です。

宇宙が人間に託したものとは

宇宙は果てしなく広大で、時の流れは永遠であるかのようです。その宇宙の成り立ちを、より身近に、ダイナミックに表現する場として、宇宙は永い時をかけ、地球という命あふれる奇跡の星を誕生させました。そして多様な存在が連鎖し循環する宇宙の大調和のひな型として、地球に大生命生態系を創造し、その生命進化の最後に登場した人間に、自我という、絶対的な秩序の下にある自由を与えました。それは、その自由意志によって、人間が地球上で何を表現するのかを託したのです。

これは、言わば宇宙劇場地球物語です。宇宙は地球上に様々な現象を起こし、時代を刻み、その中で人間はそれぞれの時代にふさわしい役割を果たしてきました。そして今、時代が大きく転換する時を迎え、人間がこれから地球上で何を表現するのかに、全宇宙が注目しています。

そこには、シナリオがあります。そしてそのシナリオは、宇宙創世から変わることなくひとつの方向に向かってきた、大いなる意思の下に進んでいます。その意思は果たして、私たち人間が何を表現することを求めているのか。それは、自我の囚われを手放し、自らの奥深くに眠る大いなる意思を目覚めさせた時、きっと観えてくるでしょう。

人間には、それが可能なのです。

 

 

木の花ファミリーでは、メンバー一人ひとりが個性を活かし、「医」「農」「食」など様々な分野で役割を果たしながら、全体が連携して循環する、調和の暮らしを築いています。多彩な活動を通して得られた収入は「お財布ひとつの経済」として皆で共有し、全体のために使われます。

6500年の人類の歩みをひっくりかえす

私たちは、空気を共有しています。水を共有しています。太陽を共有しています。すべてが共有の下にあるこの世界の成り立ちが、木の花ファミリーの暮らしの原点です。

この共有の世界の中で、私たちの健康はつながることによって保たれています。すべてがつながり、循環しているからこそ、私たちのもとに食べ物がもたらされ、排せつされたものがまた次の生命の元となり、多様な存在がそれぞれの位置で役割を果たしながらバトンをつないで、全体の健康が保たれていくのです。そこに、ゴミが発生することはありません。
この無駄のない美しい循環の仕組みが、本来の経済の姿です。お金は、その循環をよりスムーズで便利にするために生まれた、言わば社会の血液です。私たちの体を巡る血液は、必要なものを隅々にまで運んで全身をつなぎ、健康を保ちます。現代の社会は、お金に人間の欲を乗せて運ぶようになったために、隅々まで行きわたるはずの循環に至る所で滞りが生じ、社会全体が病むこととなりました。

木の花ファミリーでは、すべてを共有し、分かち合います。そこで循環するのは、自分たちの欲ではなく、天の恵みです。天の恵みとは、雨が天から降ることも、食べ物が大地から採れることもそうですが、その大本は大宇宙の法であり、法の下にあるこの世界のサイクルです。私たちが存在する上で、絶対に欠かすことのできないもの。欠かすことができないものとは、決して欠けることのないもの。それが天の恵みです。
みんなでつながり、その大いなる天の恵みが地上に表現されると、物事は不思議なほどスムーズに進み、少しのエネルギーでとても豊かになる大循環の世界が実現します。すると、欲や不安から必要以上にかき集めることもなくなり、必要なものが必要な分だけ、必要な時に巡って来る好循環が生まれます。

そんな木の花ファミリーの暮らしの中心にあるのは、創立からずっと変わることなく続いてきた「菩薩の里」の精神です。菩薩とは、他者や世の中の喜びを自らの喜びとする存在を言います。人間は、自らの願いを叶えるためではなく、大いなる宇宙の意思を地上に表現するために生まれました。その目的は、多種多様な存在が無限に連鎖し、絶対的な調和のもとに美しく循環していく、宇宙の根本原理である愛を表現することです。

文明の発祥以来、自我の願望を叶えることに喜びを感じてきた人類が、自我を手放し、すべての存在と共に喜びあえる大調和の世界を築くため、自らの精神性を高めていくことに喜びを感じる時代が、これから始まります。それは、文明発祥から6500年間の歩みを根底から覆す生き方です。その先に、どんな世界が待っているのか ────────

それは、あなたの意思と決断に託されていることであり、未来に行って、あなた自身が確認することなのです。

 

 

 


木の花ファミリー通信2021年春分号「2030年、地球は限界へ」

 

この10年のあなたの行動が

未来を決める

 
新型ウィルスの拡散により、世界中で緊急事態宣言が出されることが当たり前の時代となりました。人々はこの事態が一日も早く収束することを願い、ウィルスの撲滅に向け様々な取り組みを行っています。しかし、そもそもウィルスがなくとも、世界は今、緊急事態の真っただ中にあります。

最新の科学は、地球の環境が既に飽和状態に達していることを明らかにしています。温暖化に環境汚染、食料難の深刻化や資源の枯渇、人口爆発と高齢化、さらには人知を凌駕するAIの台頭など、日本を始めとする一部の先進国が豊かな暮らしを享受する一方で、地球全土で環境の荒廃が確実に進み、このまま行けば2030年には限界に達し、歯止めの利かない破滅への道が始まることが、様々な研究データから予測されています。

 

今、地球生命の未来を左右する10年が始まりました。

私たちが直面しているのは、待ったなしの現実です。

 

 

今、地球上における人類の文明はピークを迎え、このままの状態でこれから先も発展し続けるかのような麻痺した考えを、やめなければならない時が来ています。

過去を振り返れば、人間の活動が自らを絶滅に追いやったことが、これまでの文明の歴史の中でたくさんありました。現代の大量生産・大量消費社会を築いた資本主義文明は、長い地球の歴史から見ればほんの一瞬とも言える、たった300年足らずのものです。内なるセンサーを研ぎ澄ませ、時代の潮流を感じ、この現代文明の先に大きな暗い影のあることに気付いたならば、その気付きを新たな時代の扉を開ける指針とし、自己変革へと向かわなければなりません。

人々の本音

2020年、世界の平均気温は過去最高水準を記録しました。気温の上昇によって降水量が増加し、各地で洪水や台風の巨大化が起き、その復旧に莫大な費用が必要となりました。充分な費用がない貧しい国では、復旧もままならない状態が続いています。その一方で、温暖化により大気の流れが変動し、北極圏の冷気が南へ押し出され、記録的な寒波となる地域もありました。

気候が不安定になったことで、世界各地でこれまでと同じように作物を育てることがどんどん難しくなっています。豊かな国は飽食にふけり、たくさんの肉を食べます。一方で、その肉となる家畜の餌として大量の穀物が消費され、貧しい国は充分な食糧を確保できず、現在地球上の9人に1人が飢餓状態にあります。私たちは土や水や太陽によって作物を育て、自然から食べ物をいただいて生きていますが、現代はそういった自然の恵みよりも、人工の世界が生み出すお金の力の方が、はるかに存在感が大きくなりました。

現在の地球上の人間の暮らしは、生きる上でのあらゆることに経済が絡んでいます。文明の発祥以来、人間は不自由なことがより便利になるように、食べられなかったものが食べられるようにと、それまで自然界になかったものを人工的に造り出すようになりました。それは確かに便利なことでしたが、その便利さ故に、今度はそれがないと居られないようになり、元々のもっとシンプルで良かったはずのものを失っていきました。そして、お金があることが豊かさであり幸せであると思い、お金がすべての問題を解決してくれると考え、どんどん経済の虜となっていったのです。

世界中で温暖化対策の必要性が叫ばれながら、何故なかなか進まないのかというと、人々の本音は、経済の方が大事だからです。温暖化は止めたい。排出物も減らしたい。でも経済は止めたくない。つまり、問題の原因は自分たちの生き方にあるけれど、その生き方を変えたくないということです。

お金で回る社会

現代は、お金がないと生きていけない社会になりました。人々はお金がないと不安になり、互いに競争し、お金を奪い合っています。しかし、お金は社会の血液です。体の中で血液が隅々にまで行きわたらず特定の場所で滞れば、全身が病気になるように、お金が社会の隅々まで循環せず一部に留まっている現代社会は、まさに病気の状態であると言えます。

経済とは本来、社会が円滑に営まれていくための手段であるべきものです。けれども現代の経済は、お金を得ることが最優先となり、社会をより豊かで円滑にするためのものとはなっていません。人々は、みんなが豊かで健康になるためのものよりも、お金になるためのものを作るようになりました。
食べ物は私たちの命をつなぐものですが、利益や効率を優先して生産される現代の食べ物は、食べることで体を蝕むようなものがたくさんあります。そして社会に病気が蔓延した結果、その病気を生んだ自らの生き方を見直すのではなく、医療で症状を治して解決するようになりました。こうして医療は一大産業となり、高度な技術が発展して人々の平均寿命は延びましたが、同時に人々は、命に対する覚悟を失っていきました。
医療が今日ほど発達していなかった時代には、人はいつでも自らの命に対する覚悟を持っていました。しかし現代は、自然界ではとうに寿命を全うしているような状態でも、医療に頼って命を永らえ、年を取れば介護が必要になることが当たり前の世の中となりました。すると今度は、介護施設が増え始めるのです。人が病むことや老いることさえもが、常にどこかでビジネスの餌になっているのです。

この経済の在り方を根底から覆し、本当に社会を健全にするためのものに変えなければなりません。それは、私たち自身の生き方を変えるということです。

自分は正しい?

生き方を変えるとは、どういうことでしょう。

最新の科学は、人間がこの10年間に生き方を転換しなければ、既に飽和状態にある地球の環境は2030年に臨界点に達し、破滅への暴走が始まり止められなくなることを予測しています。世界中の人々がその対策を協議し、刻一刻と迫りくる危機を感じながら、その危機の原因が自分自身にあるとは見ていません。それは、人々の考え方が大局的ではないからです。なぜ大局的でないかと言えば、生きることの目的が、個人の願望を叶えることばかりに向いてきたからです。

多くの人々が、この危機をどう乗り越えるべきかをそれぞれの立場から語り、誰もが一生懸命です。そういった人々は、優秀であるからこそ他を批判し、また他からも批判を受ける立場にあります。しかしそこで共通しているのは、どの人も自分を振り返らないということです。

人間はこれまで、問題ごとに出会う度に、その問題を生み出した自らの生き方を振り返るのではなく、新しい技術や社会の仕組みを変えることで解決を図ってきました。例えば交通事故に出会えば、事故に遭わないようにと交通システムを変え、車の性能が悪いと言って車を改善します。その事故を起こす人間の性能を改善するのではなく、仕組みや道具を改善することで解決してきたのです。
それが目覚ましい成果を上げてきたことで、そうすることが良いこととなり、自分を変えずに仕組みや道具を変える偏った癖がつき、自らの問題点はそのままで振り返らなくても良い社会となりました。その根底にあるのは、自分のしていることを正しいこととしたい心です。

しかし、そもそも私たちは、自分たちの考えの延長線上に、本当の正しさを導き出せるでしょうか。

歴史を振り返ってみてわかるのは、その時代にはその時代の正しさがあり、みんなが「これが正しい」と思って生きてきたということです。戦国時代には他人の領地を力ずくで奪うことが正しいことであり、大戦中にはお国のために命を捧げることが正しいことでした。しかし時代が進めば、その正しかったことが間違いとなり、その間違いを改善して次へ進むということを人類は繰り返してきました。そうして、より良くなるために、より良くなるためにと繰り返してきた結果、今究極の行き詰まりに到達しているとしたら、私たちは自分の考えでより良くしようとすること自体を手放す時に来ています。

今、するべきこと

この世界には、時代の潮流が常に流れています。

近代の人間社会は、地球の危機的状況をエネルギッシュに訴えつつも、その一方で、同じような手法やエネルギーを使い、経済の拡大を続けるという矛盾を表現してきました。そして、いよいよ自分たちの力ではどうにも解決できないところまで来て初めて、人々は現実に目を向け始めました。それは、これほどの現象をもらうところまで行かなければ、人間は生き方を変えないということであると同時に、何かそこに、人間の力を超えた大いなる時代の潮流が流れていることを感じることもできるのです。

地球上の歴史は、個々の人間の意志によるものではなく、宇宙の大いなる流れから生じる時代の潮流によって紡がれています。人間がどれほど現状に危機感を抱き、自分は正しいことをしているつもりで環境の改善を声高に訴えても、その動きが宇宙の流れと連動していなければ、それはただ自分の正しさを主張して思いを叶えようとする、これまでの人間がしてきたことと同じものになってしまうのです。

ならば、私たちは今、何をするべきでしょう。それはまず、自らを振り返ることです。

地球の現状を築いてきた自らの生き方を振り返り、その自らを正しいものとしていた心の奥を振り返る。そして自らの命が何によって支えられ、その存在が世界の中でどのように成り立っているのかを振り返る。それは、世界観を広げるということです。
世界観が広がると、自分は自分の力で生きているのではなく、この世界の仕組みの中で生かされていることが観えてきます。その時、人は謙虚になります。その謙虚な心で、自分たちはどう生きたら良いかということを、自らを生かす何ものかに問うようになった時、その大いなる何ものかは、私たちが進むべき道を常に示してくれていたことに気付くでしょう。それは、自分で正しい答えを導き出そうとしているうちは、わからないことです。

人間が最も理解できないこと

自分が思う正しさを手放し、宇宙の流れと連動して生きるようになると、物事は驚くほどスムーズに進むようになります。すると、人生を歩む上でのエネルギーは少なくて済むようになります。人々は今、電気自動車や代替エネルギーを開発し、何とか温室効果ガスを削減しようとしていますが、もっと人々の心が通い合い、物事が効率よく進むようになれば、そもそもエネルギーの消費量はずっと少なくて済むのです。

私たちは皆、地球というひとつの星に暮らしています。そこにある大地も、水も、空気も、風も、そして太陽も、みんなでひとつのものを共有しています。それがぐるぐるとどんな存在の元にも循環し、ひとつの生態系を築いています。アフリカで起きることも、アマゾンで起きることも、北極や南極で起きることも、みんな地球というひとつの体で起きていることであり、私たちみんなの責任なのです。

ですから、地球のどこかに問題が起きれば、みんなでどうしたら良いかを考え、力を合わせます。経済も、そのために使われるべきなのです。世界は問題ごとで溢れかえり、その一つひとつに対処しようとすれば途方に暮れてしまうかもしれませんが、その無数にある問題ごとの元はすべて、ひとつのことから始まっています。それは、国家も、人々も、自分のことしか考えていないということです。その根本の心を振り返り、ひとつの問題を地球規模のこととして捉え、みんなで力を合わせて取り組んだ時、そのひとつの問題の解決が、全体の解決へとつながっていくことでしょう。それが今、人間が最もできないことです。

本当に価値のある人生とは、他の生命や世の中の健康に貢献することです。自分が生きた結果、人が幸せになり、世の中がより豊かになる。これ以上現実から目を背けることは許されない地球の危機的状況をもって、私たちは今、自らの生き方を大転換させるチャンスとしての10年間を歩み始めたのです。

 

あなたはこれから、どちらの方向に進みますか?

 

 

 


 

  地球の現実を知ろう

以下は、現在の世界が抱えているたくさんの問題の中の一部です。

そのすべてが、私たちの日常と密接に関わっています。

 

  • 気温上昇により大気中の水蒸気が増し、世界各地で大雨洪水干ばつ巨大台風などによる甚大な被害が増加。
  • 乾燥が進み森林火災が多発。2020年の世界の森林火災面積は、日本の面積の1.7倍。
  • 2020年シベリアで38℃を観測。永久凍土の融解が急速に進み、未知のウィルスが大気中に放出される危険性が指摘されている。
  • 氷河が溶け、世界の海面は過去100年間で平均17㎝上昇。今世紀末には最大で1.1m上昇し、日本の砂浜の9割が消えると予測。
  • 2030年までに気温上昇が1.5℃を超えると、北極の氷河が溶けて海水温が上昇→シベリアの凍土が溶けてメタンガス(温室効果がCO2の25倍)を放出→アマゾンの熱帯雨林がサバンナと化し、森が蓄えていたCO2を放出→世界最大の南極の氷が溶け、更なる気温上昇へ、という負の連鎖に歯止めがかからなくなり、2100年にはプラス4℃に達して世界中が取り返しのつかない打撃を受けると科学者は警告している。

    生命の宝庫である熱帯雨林の消失などにより、100年前の4万倍(1日約100種)の速度で野生生物が絶滅している。

 

  • 年間推定3,000万トン(自動車2,500万台分)がゴミとして海に流出。
  • 2030年に海のプラスチックごみの量は現在の3倍に達し、2050年には海の魚の総重量を超えると言われる。
  • 年間10万匹以上の海に棲む哺乳類がプラスチックの誤飲等で命を落とす。
  • 魚などが飲み込んだプラスチックは食物連鎖により毒素が濃縮され、それを食べる人間の脳神経に影響すると懸念されている。
  • プラスチックごみの約半数が包装や容器であり、コロナ禍でさらに消費が増加。コストがかさむリサイクルは全体の1割にも満たないのが現実。
  • 「再利用」という名目で先進諸国は大量のプラスチックごみを途上国へ輸出し、現地に大きな環境被害をもたらしている。日本は世界第2のプラごみ輸出国。
  • もはや回収不可能と言われるマイクロプラスチックは、海だけではなく大気中を漂って全世界へ拡散し、将来深刻な健康被害を引き起こす危険性が指摘されている。

    日本のペットボトル出荷量は国民一人当たり年間190本。 世界の海岸に打ち上げられるプラスチックごみの中で最も多いのはペットボトルである。

 

  • 2019年の世界の飢餓人口は69000万人。温暖化や紛争、パンデミック等の影響により、その増加が加速している。
  • 先進国では日々莫大な量の食品を廃棄。日本は年間612万トン(世界の年間食糧援助量の1.5倍)の「食べられる食品」を廃棄しており、その焼却処分におよそ1兆円の税金が使われる。
  • 先進諸国へ輸出する食肉用の放牧地を作るため南米では熱帯林の伐採が続き、温暖化に追い打ちをかけている。
  • 食料の需要増加により、1960年以降世界各地で農業利用のための地下水の過剰な汲み上げがエスカレート。2030年以降世界中で地下水の枯渇が急増することが予測され、世界の食料市場は大打撃を受ける。
  • 一部の先進国が飽食を続けることで「飢餓のパンデミック」が拡大し、2030年までに改善されなければ各地で暴動紛争が起こると専門家が指摘する一方で、国連は2020年7月、SDGsの「2030年までに飢餓人口をゼロにする」という目標を達成することは困難であると発表する。

    日本の食料自給率は4割に満たない一方で、大量の「食べられる食品」を廃棄。このまま進めば2050年までに世界的なフードショックが起こると予測されている。

 

  • 国連の推計によると2030年に世界の人口は86億人、2055年には100億人を突破
  • 偏った世界経済システムにより貧富の差がさらに拡大し、紛争が多発すると予測。
  • 日本は2030年に国民の3人に1人が65歳以上となる。
  • 労働力不足が深刻化し、社会保障費が増大する一方で費用が捻出できなくなり、社会保障システムが機能しなくなる
  • 日本全国で896の自治体が少子高齢化により消滅する可能性が報告されている。

 

  • 2030年までに、AIの台頭によって社会の30%の仕事が失われると言われる。
  • 各国はAIの軍事利用を進め、既にドローン爆撃などが現実化されている。
  • 2045年、AIが人間の知能を超え自ら進化していくシンギュラリティ(技術的特異点)に達し、人間のコントロール下から離れていくことが警告されている。
  • AIを開発した現代の人類の人間性がプログラムに反映されているとしたら、制御不能となったAIが支配する未来に待ち受けるものは、何か?

 

 

2030年

あなたはどんな未来を迎えますか?

 

 

 

 


木の花ファミリー通信2020年冬至号『風が吹いてくる』

2019年5月1日、「令和」という新たな元号の時代が幕を開けました。
その名は、万葉集「梅花歌三十二首并序」の詩序にある「令月」と「風和」に由来し、当時の安倍首相は「厳しい寒さの後に、春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望と共に、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定した」と語っています。

奇しくも、冬至を越えた2020年12月22日より、宇宙的には「風の時代」が始まったと言われます。

壁に囲まれた部屋の中にいれば、そこは無風の状態です。しかしその無風の中にも、人生の風が吹いています。私たちは常に、時代の風を受けて生きているのです。
時代は、様々な風を吹かせます。これまで、数多の文明が地上に現れては消え、ダイナミックな変化の歴史が刻まれてきましたが、人々はそこに流れている風の存在に気付いてはいませんでした。流れに逆らえば、負荷の力が大きくなります。そしてやがて、壊れます。しかしそれは、次の新たな時代への扉を開くことへとつながってきたのです。
やわらかな風も、強い風も、風は私たちを未来へいざなうメッセンジャーとして、希望を乗せてやって来ます。その風を感じ、風に乗って生きる時代が始まりました。風は私たちに、こう呼びかけています。

「真に自由であれ。」

 


 

地上に吹く風を感じることのできる象徴的な存在が、物理的肉体を持つ私たち生命です。

私たちの命は、地水火風空という自然の五大要素から成り立っています。大地に育まれたものを食べ、水を飲み、太陽の光を浴び、空気を吸って呼吸する。では風はどんな役割をするのかというと、生命を逞しくする働きをします。
植物は無風の中で育つと、自らの体を維持するだけの強さしか持つことができません。すると、やがて子孫を残すための実を充実させる時に、その重みを支えることができなくなってしまいます。風を受けることで、その刺激に耐えられる逞しさが育まれるのです。
そういった物理的な作用と同時に、この世界には常に、見えない風が流れています。それは、次の時代へと向かう気配を運んでいます。それを感じられるのは、人間が時代を読み解くセンサーを持ち合わせているからです。

私たちの生きる世界には、様々な現象が起こります。その現象は、無秩序に起きているのではありません。もしも無秩序であったなら、過去から現在に至るまでの現象の羅列が、まるでひとつらなりの物語のように進化のプロセスを表現することはなく、世界は継続性を保つことができなかったでしょう。そこには確固たる秩序があり、現象世界を生きる私たちは、その制約のもとに生きる定めを与えられているとも言えるのです。
その制約の背後には、この世界を創造する大いなる存在の意図があります。しかしその意図が理解できない人々は、自らが出会う現象に対し「なぜこんなことが起こるのだろう」と疑問や不満を持ちます。そして自らを変えることなく、現象が変わることを願うのです。その奥にあるメッセージに目を向けぬまま、ただ現象だけを変えようとすれば、それは流れに逆らうこととなり、さらに負荷が膨らみ、負の現象の連鎖へとつながります。そういった場では、人々は目の前の出来事に右往左往しながら、周りと類似したものを求め、人と同じになることで安心を得ようとするのです。
しかし本来自分とは、過去にも未来にも、宇宙にたったひとつだけの、極めて個性的な存在です。
地球は宇宙の中でも類まれなる、無限の生命にあふれた星です。それは極めて多様で、それぞれが個性的でありながら、その全てがひとつの共通の秩序の下に存在しています。秩序に従い、この世界の大いなる流れに沿うことで、それぞれの存在はそこにあるべきものとしての役割を果たしながら、安定して存在し続けます。その安定の下に、大空へと羽ばたき、風に乗って舞うかのように、個性豊かに自らを表現する。それが、この星に生きるものに与えられた自由という姿です。

地球は、宇宙の中でも際立って自由が表現される場です。宇宙は本来自由な場ですが、他の天体たちのサイクルは非常に長く、例えば50年以上前に人類が月に降り立った時の足跡が今も残っていると言われるように、水も空気も風もない他の星々の変化の速度は、気が遠くなるほど緩やかなものです。ところが地球上に足跡を残せば、そこには風が吹き、雨が降り、草木も生えれば無数の生物たちの生命活動があり、生態系の循環の中で足跡はあっという間に消えてなくなるでしょう。宇宙は、自由であることの本質を学習する場として、地球に大循環生命生態系を創ったのです。
その数千万種とも言われるほどの生命の中でも、とりわけ人間は、一人ひとりが他とは違う際立った個性を与えられたオリジナルな存在です。しかしこれまで、多くの人々は「みんなと一緒」であることを良しとして、多様性を欠いた社会を作ってきました。或いは、自らが正しいと信じて過剰に自己主張をし、対立を生んできました。そのどちらも、既存の価値観の枠の中に自らを閉じ込めることで固定された状態にあり、本当の自由とは言えないのです。
地球は秒速30㎞で広大な宇宙空間を移動し続け、他の無数の星々と共に、常に未知なる場所へと進んでいます。その地球上で表現される時代の変遷は、星々の対話によってもたらされており、地球上に吹く時代の風とは、宇宙の風なのです。全ての地球生命は、この宇宙の風に乗り、時代と共に自在に変化しながら未来へ向かって進化し続けます。その中にあって、いかに現状を維持するかに腐心し、同じ場に留まり続けようとしているのが、私たち人間の作る人工の世界です。

しかしそもそも、私たち生命は、人工の力を遥かに超えるこの世界の大いなる仕組みによって生かされています。

一つの種の中でそれぞれが全く違う個性を持つ人間は、それだけ強い自我を与えられたということでもあります。それは、ただこの世界の創造物として仕組みのままに生きるのではなく、その世界から自らを切り離して捉え、全体を俯瞰し、この世界を創造したものと同じ視点に立つことのできる能力として与えられたものです。ところがその自我故に、私たち人間は世界のために生きるよりも、自分のために生きることとなりました。
しかし私たちは、自分である前に人間であり、人間である前に生命です。本来、生命の領域では、個々の生命は自分のために生きてはいません。多種多様な生命がそれぞれの個性を発揮して生きることで他の生命を支え、つないでいく、大生命循環の一員として、地球生命生態系を表現する役割を果たしているのです。

今、世界は大きく混乱し、大転換の時を迎えています。これからの人間は、個々の枠を超え、他者のため、世界のために生きることが求められています。それは生命の本来の姿に立ち返ることです。
さらに人間は、ただ生命としてこの世界の仕組みのままに生きる以上の役割を果たすために、地球上に降ろされました。それはこの世界を創造したものと同じ視点に立ち、共に世界を創造していくことです。この世界の創造主を神と呼ぶならば、それは自らを空にして、神の器となることです。私たちは神の領域に達するために、神から切り離されたのです。

この世界には常に、見えない風が吹いています。風は、私たちを生かす大いなる宇宙の意思を乗せてやって来ます。地球上に新たな命が次々と芽吹いていくように、そして地球や他の無数の星々が決して留まることなく宇宙の中を進み、果てしない旅を続けているように、宇宙とは無限の連鎖(フリーエネルギー)を続ける世界なのです。
その風を感じ、風に乗った時、物事は極めてスムーズに進むようになり、無駄が削がれて大いなる宇宙の好循環が地上に表現され、全ての生命たちが喜ぶ、地上天国が顕れることでしょう。そこでは、自分のための人生はなくなります。そしてそれが、真に自分のための人生となるのです。

そこに吹くのは、希望の風です。その流れに乗り、宇宙にただひとつの個性を羽ばたかせ、自分らしく自由に生きることが世界のためになっていく。そして誰もが、自らの存在を誇って生きられるようになる。

その時、世界に奇跡が起きるのです。

 

 


 

生命力の強い葉っぱを採取し、お茶やパウダー、酵素液など様々に加工して日々の生活に取り入れ、人の免疫力を高める新たな取り組み「プロジェクト64」が始動しました。

葉っぱは、風と共にあります。
自然は時と共に変化し続け、進化するものです。変化するのが、自然の掟です。人工のものが同じ形を保ち続けようとするのに対し、自然は流れに乗って変化しながら、逞しい生命力を育みます。それは天然(天の然るべき姿)に近いものであり、これからの時代の人々は、より天然のものをいただいて生きることが大切になってきます。そうすると、現代のように複雑で環境に負荷をかける多くのものが、不要になっていくのです。

折しも、新型ウィルスによって医療現場は混乱し、各国がワクチンの開発を競いながらも、その安全性には疑問の声が上がっています。そして人間が自然の摂理を無視し、抗生物質等の薬物を乱用してきた結果、それに対する耐性菌が広がり、近い将来に抗生物質が効かなくなる時代が訪れることが予測されています。
現代医療が限界を迎えつつある一方で、私たち人間の経済活動が引き起こした温暖化によって、100年に一度と言われる災害が毎年のように訪れるほど気候が不安定になり、これまでと同じように作物を育てることが難しくなってきました。
そのような中、気候変動にも負けない旺盛な生命力を持つのが、葉っぱです。
木の花ファミリーでは、自然界に自生する薬効成分の高い葉っぱを採取すると同時に、様々な効能を持つ樹木等を育て、その葉っぱを活用することで、薬に頼らずに人々の免疫力を高める新しい取り組みを始めました。その名を「8(は)×(っ)8(ぱ)=64」で「プロジェクト64」と言います。

自然は、天然の生命力に満ちています。牛や馬が草を食べて立派な体を作るように、植物には、私たちを健康にし、逞しくしてくれる力があります。その天然の力を暮らしの中に取り入れていくことで、私たちはもっとシンプルに、もっと健全に生きていくことが、きっとできる。
みんなが健康で幸せに生きる時代が訪れることを願い、これからもプロジェクト64を発展させてまいります!

 

 


プロジェクト64では、ローゼル、蓮、マコモ、イチジク、パパイヤ、ビワ、柿、桑、熊笹、ヨモギ、シモン他、多彩な葉っぱの加工を行っています。製品は、カフェ&ショップロータスランド等にて好評販売中です!


 


【木の花のたより 】美と健康のパワーフード・ローゼル

ロータスランドに、美と健康のパワーフード「ローゼル」を使った新メニューが続々登場!

自家製小麦の生麺とローゼルスープが大好評の「ローゼル美葉(びよう)ラーメン」
とろ〜りチーズとふわふわ玉子の「ローゼルスープ蕎麦」
日替わりのロータスランチには、ローゼルのちらし寿司も登場!

というわけで、本日のテーマはローゼルです(^v^)

 

おなかの中から元気になろう!
その7
ローゼル

前号でもお伝えした通り、木の花ファミリーでは今年から西アフリカ原産(注:諸説あり)の植物、ローゼルを育て始めました。7月の長雨、8月の猛暑と畑の作物には厳しかった今年の天候の中でも、ローゼルはぐんぐんと育ち、たくさんの恵みをもたらしてくれました。

ではでは、ローゼル畑に収穫に行ってみましょう!

ローゼル畑

近づくと、そこはジャングル。

葉っぱが生い茂り通路の見えないローゼル畑

何せ今年が初めてのローゼル、どのくらいの間隔で植えるのか、肥料をどれだけやるかなど、すべてが初めての体験でした。オクラにも似ているということで、これまでの経験を参考にしつつ「ではこのくらいの間隔でやってみよう」と5月初旬に定植をしましたが ───

ネキリムシにかじられないよう、定植後間もない頃はストローで株元を保護していました

見事な生命力でぐんぐん葉っぱが生い茂り、もはや通路は見えません。収穫のためには枝をかき分け茂みに分け入り、畑の中を進みます。

密林の中を行くが如くのローゼル収穫

教訓:来年は肥料を少なく、通路を広くしよう!(`ε ´ )ゞ
こうして枝をかき分けながら奥へと進み、やわらかく美味しそうな葉を収穫します。

あたり一面、生命力いっぱいのローゼルに囲まれながら収穫をしていると、不思議といつの間にか自分も元気になっているような感じがします。そのくらい、ローゼルの畑にはエネルギーがあふれているのです。

「この感覚は、実際に畑に入ってみて、初めてわかるよね」と収穫担当のミッチー。

作物の収穫と、ロータスランドのスイーツ作りも担当しているミッチー

ローゼルの葉には、クエン酸やリンゴ酸、カリウム、カルシウムなど、美容と健康に嬉しい成分がいっぱいなのですが、畑に立ち、そのエネルギーを実際に感じてみて、「これは確かにすごい」と納得。こんなにパワーがあるのなら、それを食べる人にもきっと元気が届くはず。

そんなローゼル、秋にはオクラに似た白い可愛らしい花を咲かせ ───

※イメージ写真

その後に残る真っ赤なガクを収穫するのですが ───

※イメージ写真

時は10月、季節は秋のはずなのに  ─────  花が咲かない。

実際の畑

うーむ。何せ今年が初めてのローゼル 、いったいどうして花が咲かないのか明快な理由はまだわかりませんが、来年への課題と楽しみを残してくれました。
気候も涼しくなってまいりましたので、葉っぱの収穫もいよいよクライマックス。葉が黄色くなる前に、今朝は総勢11名で葉っぱ狩りをしました。

酵素用の葉っぱを収穫するきょうこちゃん

まだまだ元気な葉を集め、炒めて冷凍したり乾燥させてパウダーにしたり酵母を作ってパンを焼いたり、色鮮やかな葉柄(ようへい)も酵素にしたりお茶にしたりと、余すところなく活用します。

ローゼル の特徴でもある、赤い葉柄(葉から茎につながる柄の部分)
葉っぱと葉柄から生まれる美しい色合いの「ローゼル美葉(びよう)茶」

花は咲かねど、あふれるほどの恵みを与えてくれるローゼル 。
自然の力に感謝しながらその恵みを活用し、これからも皆さまをおなかの底から元気にする食べ物をお届けしてまいります。
食は命。健全な食は私たちの命を健全にし、その一人ひとりの健康が、地球全体の健康へとつながっていく。命あふれるこの星が、本来の生命力を呼び覚まし、光り輝く美しい星となりますように。そんなことを願いながら、今日も畑に立つのです。

(ともこ)

元気な畑は、元気な地球への一歩です

 

 


メンバー日記🗒

ゆうちゃんの巻


今回のメンバー日記は、税理士としてのキャリアを活かしファミリーの経理を担うゆうちゃんです。

えいこばあちゃんと一緒に、梅干しを漬けるための赤ジソを洗うゆうちゃん。 「えいこばあちゃんと一緒に作業をすると、えいこばあちゃんの智恵や周囲への心遣いを感じて、すごく学びになるし、楽しいよ。」

2年前にメンバーになったゆうちゃんは、木の花ファミリーの経理全般の改革を進める会計のプロでありながら、どこか天然で、本人はいたって真面目なのになぜか周囲の笑いを誘ってしまう癒し系キャラでもあります。そんなゆうちゃんがメンバーになった理由は、「心を磨いて、神さまにお仕えして、世のため人のために自分を使ってもらおうと思ったから。」

以下、本人が「書きながら、改めて大切なことだなと思い、涙が出てきました(笑)」と言う日記をご紹介します!
  

木の花ファミリーに来る前の生活

私は、木の花ファミリーに来る前は税理士事務所に勤務していました。父親が税理士だったので、親の期待もあり、いつの間にか自分も税理士になるべきだと思い込んでいました。

大学生のときから毎年税理士試験を受け続けて29歳の時に税理士試験に合格して、念願の税理士登録をしました。

ところが、その後燃えつきてしまい、何のために働くのか、どこに生きる希望があるのか、旅をしたり本を読んだり模索する日々が続きました。

そんな中、妹が、木の花が運営するカフェ&ショップロータスランドがオープンしたということで、私を連れて行ってくれました。その時に見たスタッフの表情がなんとも穏やかで平和的だったこと、また、木の花ファミリーのひまわりホールで見た、あさちゃんという年配の女性が洗濯物を畳みながら赤ちゃんの子守をしているのをみて、「こんな生き方があるんだ!」ととても驚きました。

子どもを見ながら洗濯物を畳むあさちゃん

将来のためにお金をためて、年老いたら老人ホームに行って、ということしか知らなかったので、生きるってつまらないなと思っていたのですが、あさちゃんの姿を見たときに、こうして年をとってもみんなの役に立つことができるんだ!と生きる希望が感じられました。

その後、木の花ファミリーのイベントに参加し、初めてジイジと話をした時に「あなたは幸せですか?」と聞かれ、「はい、幸せです」と答えると、ジイジから「本当に幸せなら、そんな顔はしていませんよ。あなたは自分のことをよく理解していませんね」と言われました。私は初めてそんなことを言う人に出会い、自分のことをもっと知りたいと思い、その一週間後から一か月半の間木の花に滞在して、心の日記を書いたり、何度もジイジと話をする時間をもらったりしながら、自分のことを知っていく時間を過ごしました。その後、1ヶ月間の真学校を受講し、木の花の生き方の大事さを改めて認識し、メンバーになりました。
  

ある1日の過ごし方
(これは、まだ蓮の花が咲いていた頃の、夏のある日の記録です)

 
私の木の花ファミリーでの役割は、経理(会計処理、申告書作成)と、ジイジの秘書と、コンサートの時に舞うことです。日によって違いますが、ある一日の様子をご紹介します。

朝6時30分:
ジイジが作業にスムーズに入れるよう支度を整え、朝のニュース番組を一緒に見ます。ニュースの内容でわからないことがあれば、その場ですぐに調べます。

8時:
蓮の鉢の中の藻や草を取ります。鉢の中の泥はとろとろで、触るととても気持ちがよいです。パソコンに向かって仕事をすることが多いので、土に触れるのはとても貴重で癒されます。少しの時間でもやるときれいになって嬉しいです。

蓮の鉢からすくい上げた藻
蓮の葉にいた静岡県指定の天然記念物、モリアオガエルと一緒に

8時45分:
オフィスに到着して農事組合法人木の花ファミリーの会計処理をします。

木の花ファミリーでは今まで法人組織が3つ、任意組合が1つあったのですが、全体の経理をよりシンプルにするために、組織再編を行うことになりました。木の花ファミリーの経理も過渡期にあり、課題もたくさんあります。
会計処理のタイムラグを少なくしていき、よりみんなに役立つ数字を示し、数字を明快にしていく。木の花のようなコミュニティの経理は、事業と生活とが密着しているので、会計処理が煩雑になります。一度ちゃんと処理方法を確立してしまえば、もっとスムーズになりますが、今はまだ試行錯誤しながら行っている段階です。

また、数字が分かることで全体の意識も全く違ってきます。例えば飲食部門では、原価を見直したことで無駄がたくさん見えてきて、頭を使い、無駄を省いてより良いものをお客さんに提供していく意識が出来ました。数字という物差しが入ることで、より具体的な改善点が見えてきて、日々の業務にも魂が入ります。

木の花の経済の仕組みは本当によくできています。財産はすべて共有されており、全体から各自に信託されています。各自は全体のことを考えて、必要なことにお金を使います。そこには絶対的信頼関係に基づく助け合いの精神があり、個人は必要以上のお金を確保する必要がなく、お金の心配を全くすることがない暮らしが出来ます。木の花に来てからは、私も自分のお金を心配する必要がなくなりました。

「お金は社会の血液」であり、巡っていることが健康であり、どこかに偏ると流れも悪くなり病気になります。今の社会の行き過ぎた貧富の差も、人と人との距離が出来て自分の分を確保しなければという、周りとの分離した心が生み出しているのだと思います。

自分はすでに出来上がっている木の花の経済の仕組みに乗っているけれど、その仕組みの奥にある助け合う心を育てて日々を生きることが大事だと改めて思いました。

オフィスにて、各部署の担当者と経理の打ち合わせ

12時:
お昼ご飯。お祈りをしていただきます。ニュースを見ながらご飯を食べます。

木の花では人といつでも一緒にご飯を食べるのが当たり前なのですが、木の花に来る前はほとんど個食でした。今はほとんどのものが自給自足で、一緒にご飯を食べるというのがとても豊かだなと思います。

また、ニュースや他の番組をテレビで見て、そのことを一緒に食べている人たちと話すことが以前はほとんどなかったので、とても良い毎日を頂いているなと思います。

食後は休憩時間です。

14時:
木の花ファミリーの書籍のポップの準備。

昔出版した木の花ファミリーの書籍の値段や販売方法の見直しをし、より魅力的なポップに変えて、お客様に分かりやすくするためにポップの文章を考えました。

改めて本を読んでみたら、木の花ファミリーの生活の奥に流れている自然観、宇宙観、他者を思うことを一番にする精神が書かれており、それは創立時から何も変わっていないことが分かりました。コロナウィルス後の新しい生活スタイルがここに書いてあって、今こそ人々の心に染み入る本だと確信しました。(書籍はネットショップでも販売しています。)

特別価格で販売中。とても大切なことが書かれている本です。

16時:
農業経営に使える税制・補助金についてインターネットで検索。
農事組合法人木の花ファミリーの月次処理。

18時30分:
今夜は6人娘の会という、高校生4人と中学生2人の女の子たちが、月に一度自分たちで食事を作り、ジイジを囲んでみんなでご飯を食べてお話をする会が開かれました。

今夜はそば職人のメンバーのやじーからうどんを打つことを習い、みんなでうどんとかき揚げとデザートとジュースまで(!)作ってくれました。

娘たちの作った手打ちうどん。おいしい!

ジイジが話す話は、宇宙のことだったり、世界情勢のことだったり、性のことだったり、その人や場に合わせて話が出て来るので、多岐にわたって本当に面白いです。

ちなみに今日はギャグを言うと脳の思考回路が活性されるということ言っていたので、一日一ギャグを素直に実践しようと思います。

6人娘たちとの夜ごはんは、とっても賑やか♪

20時10分:
ウェルカムコンサート。
初めて訪問されるゲストさんをお迎えするときには、ウェルカムコンサートを開きます。私は、コンサートの中で木の花楽団の歌を表現する一部として、舞う機会をいただいています。

舞うときは、神前で舞を奉納するという意識で行っています。歌自体が、地球や宇宙の仕組み、地球神のメッセージが詰まった大切な歌なので、自然と舞も、舞手の意識も、その世界観を表現するものになるのだと思います。

21時30分:
大人ミーティング。
日々の連絡事項を共有したり、心の学びをするミーティングです。今、私の課題は自分の意見を言う事と、場を創ることです。
一つの出来事をみんなで共有して、問題点や改善点を見つけることができるとても貴重な時間です。

23時30分:
ニュースを見たり、話したり。ほとんど一人で過ごすという事がない生活です。木の花に来る前は一人の時間がとっても多かったので、改めて全然違う生活を頂いているなと思います。それは学びも多く、同時に自分自身を知ることが出来るとても濃い時間です。

24時30分:
就寝。
  

メンバーになって、今思うこと

メンバーになって2年半が経ちました。

毎日、自分が今世生まれてきたのは、この大事な生き方を表現するためにある、ということがどんどん深まっています。

木の花ファミリーには、富士浅間木の花祭りというお祭りが年に一度あり、その中で、地球神である艮の金神と、人間の代表である翁が問答をする場面があります。その問答の艮の金神の言葉に、こんな一節があります。

「縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換(たてなおし)、汝らご用に使うてやる。」

これは、縁のある魂を引き寄せて、心を磨いたものから、神の使える器となりなさい。そうしたら地球最後の立て直しの時に、あなた方を使ってあげますよ、という意味です。
まだメンバーになる前に初めてこの問答を読んだ時に、腹に力が入って、これは大切であり、問答に書いてある「縁ある御霊」とは自分のことだと感じました。

心磨きを一番大事なこととして生きられることは、とってもありがたいことです。

また、色々な出来事を通して自分自身を知ることができるというのは、とても面白いです。

私の中には、とても自己中心で問題を人のせいにする闇の部分も、天と共に生きるという光の部分も、両方混在しています。もし木の花ファミリーに来なかったら、自分自身のことをほとんど知らないまま、人生を誰かのせいにして過ごしていました。

ジイジから教わった宇宙の法則の中に、すべての出来事はその人にふさわしく起こるということがあります。そのように日常で出会う出来事をとらえて人生を歩めることは、とてもダイナミックで面白いです。ジイジに感謝です。

メンバーになったばかりの頃、ジイジと一緒に

あとは、ここに来る前にずっと心にあった願い ───「心が通う人たちと仕事をして、本物の食べ物を食べて、仕事と生活が密着していること」が叶いました。そして木の家に住むことも、小学生の時の夢だった「農家になること」も叶いました。

改めて、今回記事を書く機会をいただき、この生活を頂いているありがたさに気が付きました。こんなにたくさん、豊かさを頂いていて、ちゃんと世界にお返ししないといけないなと思いました。

(ゆうこ)

夢が叶った今、これからは世界にお返しをしていきます!

 

 

 

Source of photo: PIXTA / 写真AC